明日を行く人




1

わたしが生まれたとき、ドルークは、まるで世界が崩壊したみたいだった。
わたしは、父も母も知らない。
記憶というものが生まれたときから、わたしは一人だった。
ただ、息をするのもやっとのことで、生きていくのがすべてだった。
楽しいというものは、なく、ただ、毎日が過ぎていく。
生きたくない、死にたい、とも考えることが出来ない。
いや、考える暇はなかった。
わたしは、生物に与えられた、生きるという使命を、肌で感じていたのだから。

人の物を盗むことを覚えたのは、いつのことだろうか。
自然とやっていた。
それは、ある意味、恐ろしいことなのかもしれない。
しかしわたしは、その行為を、罪とは知らなかった。
人として生きるには、不可欠な行為であった。

わたしにとっては。

そんなわたしの前に現れたのは、アサシナの神官、リザーラだった。
わたしのしている行為を、してはいけない、としかりながら、泣いていた。
わたしは、そんなリザーラの泣いている姿が、奇妙に感じた。
誰に泣いているのかわからなかった。
最初、リザーラが、誰かにしかられて泣いていたのかと思っていた。
後で、それはちがうのだとわかったのだけれど。

いつしか、リザーラは、頻繁にわたしの前に現れるようになった。
不思議と、リザーラがドルークを訪れてから、ドルークは変わりつつあるみたいだった。
犯罪が減った。いや、それを見張る政府のものが増えたのだ。

しかし、わたしにとっては、住みにくくなっていた。
盗みによって、生きていたのだから。

わたしは、ある日、わざとリザーラの目の前で盗みをした。
リザーラの言うことが、自分には、理解できなかったから。
盗みというものを正当化したかったのかもしれない。

これがなくては、生きては行けない。

しかし。
その時の、リザーラの顔を、わたしはずっと忘れないだろう。
悲しそうな、いや、もっと別のものを感じた。

それからーーー。

リザーラは、わたしを連れて、ある家を訪れた。
「これから、あなたはここで住むのです」そう、リザーラは言った。
なぜ??というわたしの問いかけには、一切答えようとはしなかった。

以後、わたしは、生きるのに不自由はしなかった。
寂しくもなくなった。
一人ではなかった。
なぜなら、いつもリザーラが傍にいたから。
後でわかったことだが、リザーラはアサシナの副神官になる予定だったらしい。
そのために、ドルークに訪問していたのだ。
ドルークには、ザの神の神殿があった。そこで、洗礼をうけるはずだったのだ。
しかし、わたしを見たときーーー、生きる目的が変わったのだ、と、リザーラは言っていた。

「あなたを見たとき、わたしのすべきことが見えたのです」と、リザーラは言っていた。

リザーラ。

・・・、

姉さん。

そう、いつしか、リザーラのことを姉さんと呼んでいた。



2

姉は、よく旅に出ていた。
巡礼というのか、救いを求める人々の役に立つ為、しょっちゅう家を留守にしていた。
その影響か、わたしも旅に出るようになった。

あれは、12の時ーーー、

ユクモに乗って、東部自治区に行った。姉も、一緒だった。
その時、姉はアサシナに用があり、わたしもついていくことになったのだ。
しかし、姉は、急用が出来たらしく、わたしを置いて、即急にあるところへ行かなければならなかった。
わたしはというものの、アサシナに興味があったので、留まることになったのだ。

「人に迷惑をかけないように」

姉は、こういって、わたしと別れた。
実は、わたしのスリの癖はいっこうに治る気配がなく、姉はそれを心配していたのだ。
しかし、生きるためにみについたものは、そう簡単に直るはずがない。
アサシナを一人でブラっと観光しているときに、酒場で、景気のよさそうな男を見ると、ついつい癖が出てしまった。
男は、すぐに気がついた。
わたしは、しまった、と思ったのだけれど、すでに遅く、役人に囲まれてしまった。

ああーーー、どうしよう、と思って、頭がパニックになってしまった。
姉さんが、また、泣いてしまう・・・と、自分自身のことは、まったく考えていなかったのだけれど。

そんなときーーー。

あの人に出会った。
ああ、あれは、運命というのだろうか。
わたしをかばってくれたその人は、抵抗空しく、牢屋に入れられることとなった。わたしも、一緒に。

「ダメな人ね、もっと機転をきかせてよ!!」
つい、わたしは、こんなことを口走ったっけ。

とても、優しい人だった。
そうそう、姉が暗殺者に狙われたときは、協力して、姉を助けたっけ。
マナミガルでわたしは、商人をしていたときーーー、もちろん、それは姉が、きちんと職をみにつけろって、
しぶしぶやっていたことだったんだけれどーーー、また、あの人に出会った。

そのとき、彼は、とても品位のあるかっこうをしていた。
風のうわさで、彼がアサシナの王になったことを知っていた。
だけれど、つい、からかいたくなってしまって、アサシナ王になったなんて、ウソね、と言ってしまったっけ。
彼は、笑いながら、まぁね、と、答えるだけだった。
恰好は変わったものの、中身は、以前と一緒だった。
もちろん、彼はりっぱなアサシナの王だって、知っていたのだけれど、その態度を見るなり、何か安心した。

ああーーー。

彼と出会ったのは、運命だったのだろうか。

アヤセ…。

現在、アサシナ帝と呼ばれる彼は、度重なる重税を施行し、人々を苦しめていた。
ドルークは、アサシナの属国だったので、その影響は、もちろん出始めていた。

どうしちゃったんだろう。
おかしい、何かがおかしい。
そう、思わずにはいられないーーー。



3

「はぁ」

思わず、ため息がこぼれてしまう。

「また、昔のことなんて考えちゃった。変ねぇ、ずーーーっと、昔のことなのに」
「ふふ」

わたしの呟きに、近所で、つきあいのある、セレネは笑った。

「昔のことっていったって、まだ一年前のことでしょう??」
「・・・わかっちゃった??」

わたしは、とても恥ずかしくなってしまった。
また、バレている。
アヤセのことを、ずっと思っているなんて。

「だって、一年前、アサシナ帝国が誕生してからというものの、ずーーっと、あなたったら、あの人のことばかり」
「うう・・・、でもでも、わたしはまだ信じられないんだってば!!」

わたしは、まだ、アサシナ帝の存在を否定していた。
ひどい圧制が、このドルークにはびこっているというのに、わたしったら、まだ思いつづけている。
「好きなの??」と、セレネにいわれてしまった時もあった。
好きなのだろうか。
わたしは、あの人の事を愛している??
しかし、それは、違う。
なぜなら、あの人には、妃が・・・、妻がいるのだから。
これじゃあ、かなわないよ。

叶わない??
変な考え方・・・。
それは、まるで、本気で好きって言っているみたいだよーーー・・・。

「そういえば、リザーラ様が、ミジュア様と一緒に、ドルークにいらっしゃるんだってね」

その、セレネの言葉に、わたしはハッとした。

「そうなの??お姉ちゃんが??」
「なんだ、知らなかったの??今日、来るって…リザーラ様は、少しばかり、遅くなるみたいだけれど」

このごろ、姉のことはあまり考えていなかった。
アサシナ帝が圧制をし始めてからというものの、姉は、しょっちゅうどこかへと出かけていた。
人々を、励ましに。

それにーーー。

「サマン様ーーー!!」

ふいに、響く、女性の声。
思わず、わたしとセレネに緊張が走った。

「…はぁ、はぁ…サ、サマン様…!!」
「ど、どうしたの??」

かけつけてきたのは、ミコヤさんだった。

「助けてください!!子供が…わたしの赤ちゃんが…」

そう、ミコヤさんがいうなり、わたしはピンときた。
姉が、今、とても手をやいていること、それは、ドルークに住む子供や、老人が、
次々と病気で倒れているという現象だったのだーーー。

いや、ドルークだけではない。
各国で起きているーーーそれは、ザ神、ゲ神の信仰を関係なく、という話もある。
ザ神の祝福を受けても、死んでしまう赤子達。
癒しを唱えても、死んでいっていった。

ーーーザ神の力が弱まっている??

「とにかく、ミコヤさん、様子を見に行きましょう。それから、打開作を考えましょう。大丈夫、もうすぐお姉ちゃんは・・・リザーラは、戻ってきますから。」

わたしは、泣き崩れるミコヤさんの肩を抱き、家へと連れかえようとした。

「今日、リザーラ様は、戻ってくるのですか??」
「そうみたいですよ・・・夜になるかもしれませんが」

「・・・あれは??」

ふと、人だかりがあることを発見した。
神殿の周りを、人々がとりまいている。

「どうしたんですか??」

そう、言うと、年の若い男が、興奮して言った。

「ミジュア様が、いらしたのです。そして、神殿で、祈りを捧げるのだそうです!!」

「まぁ!!」

ミコヤさんは、嬉しそうに微笑んだ。
これで、ザの神の力が蘇るかもしれない・・・そう思っているのだろう。

「姉も、もうすぐですね」

私も、なんだか嬉しくなった。
ミジュア様の歴訪。
それは、人々を感嘆させるものであったのである。

しかし、歓声は、悲鳴に変わった。
ワーワーと、今までにない、どよめきと、悲鳴。

「な、なにがおこったんでしょうね」

側の男は、動揺しながら言った。

人々の山は、しだいに崩れ、神殿への道が開いていった。

「あれを、見てください!!」

ミコヤさんの叫びに、ふと目を、指差した方向へと向ける。
あれはーーー、アサシナ帝国の旗だ!!
ドルークを圧迫している、張本人、アサシナ帝国の者たちが、まさに今、ここにいる!!
軍隊は、小規模なものだったのだけれど、軍隊は、人では無かった。
すべて、黒童子といわれる、機械の戦闘兵たち。
黒ずくめの兵士に、赤い旗が、不気味にそびえていた。
軍は、一直線、神殿の方へと向かっていく。

「ミジュア様が!!」

ハッと、恐ろしい妄想が頭を過った。
アサシナは、ミジュア様を殺そうとしている??
神官長の、ミジュア様を??

「ごめん!!ミコヤさんーーー先に、戻ってて!!」

わたしは、ミコヤさんを置いて、神殿の方へと向かった。

「サマン様!!危ないです!!」

わたしは、ミコヤさんの停止を押しきって、神殿へと駆けていった。
居るーーーきっと居る。アサシナ帝が。
この胸の動悸は、ただごとじゃない。
止めないと。そう、思った。

神殿への入り口は、予想以上に混んでいた。
その人だかりの中で、見た。
御車から降りたのは、まぎれもない、アサシナ帝であった。
人々は、ただ、悲鳴を上げるばかりであった。
ミジュア様が、どうなるのかーーー、まるで、みんなわかっているように。

「すみませんーーー!!どいてくださいっ、中に入りたいんです!!」

わたしは、人だかりの中で、もまれながら、なんとか神殿に行こうと必死だった。
すると、同じように、神殿へと入るものが居た。
人だかりから、逆行するからすぐわかる。
その者は、意外にも、姉であった。

「お姉ちゃん!!」
「サマン!!どうして、ここに??」
「お姉ちゃんこそ・・・どうして・・・あ、それより、ミジュア様が!!」

すると、姉はうなずいた。
まるで、わたしの考えは何でも知っていますよ、といいたげに。

「わたしが、行きます。アサシナ帝とは、対面したことがありますし・・・あなたは、危険です。」
「わかったわ」

わたしは、反抗はしなかった。
姉の言うことは絶対であり、正論であったからだ。
わたしは、姉の言うことには、今まで、逆らったことなどないんだから。
とにかく、姉の言うことを信じて、わたしは帰る事となった。

いやーーー、ミコヤさんだ。
ほったらかしにしてしまった!!
姉に言うと、きっと、怒るんだろうな。
あとで、言おう。
今は、ミジュア様が危ないから。

姉とは、別れ、わたしは、ミコヤさんの家を訪ねた。

「サマン様!!」

ミコヤさんは、喜んで、わたしを歓迎してくれた。

「ごめんなさい、途中で・・・」

わたしは、ミコヤさんに招かれて、ある小さな部屋へと入った。
そこには、小さいベッドがポツンとあり、赤ん坊が寝ていた。
しかしその赤ん坊の表情は険しく、顔色が悪かった。汗が止めど無く流れていて、ミコヤさんは丁寧に布で、その額をぬぐった。

「昨日の夜から、こんな調子なんです」
「・・・ひどい。かなり、悪いわ。このままじゃ・・・いや、ごめんなさい」

わたしは、自分の発言が、かなりの重要度を持っているのだと思い出し、軽はずみな発言は止めた。

「いえ、きちんと言っても良いのです。言いにいったときは、あまりに不安で、大げさに叫んでしまいました」
「そんなこと・・・わが子を心配する親だったら、当然の行為ですよ」
「・・・洗礼を受けたのは、確か一週間ほど前でしたよね??」
「ええ。リザーラ様が・・・」

ミコヤさんは、ちら、と赤ん坊を見ながら言った。

「洗礼の力が弱いのかもしれない・・・」

わたしは、つぶやくように、そう言った。

「そんな!!リザーラ様は、とてもすばらしい神官様で・・・」
「ごめんなさい、そうではないのよ。洗礼を与えるものでなくて、なにか、もっと別の・・・」
「・・・??」
「・・・、本当に、ごめんなさい。私には、もう許容範囲を越えているわね。でも・・・姉がいます」

わたしは、ザの神を絶対的には信じていなかった。
みんなとはちがって、わたしは、生まれたときから、ザの洗礼を擦り込まれてはいない。
だから、人々とは、かけ離れた考えを持ってしまうときがある。
今回だって、そうだった。
もし、ザの神の力というものが、弱まっていたら。
洗礼の力も弱まっているのではないのだろうか。
絶対と言われる神に、今、何かが起きていたとしたら。

「・・・姉に会いに行きます。元に、もう、戻っているはずですから」
「お願いします・・・」

私は、ミコヤさんと別れ、一路、帰路へと辿った。

家へ帰ると、そこには、姉と、ミジュア様、ミケーネ様、そして、見知らぬ男が立っていた。



つづくーーー2005/07/10 up