生きる力とは

・あこがれを伝え,かつ他者のあこがれに添うことができる力
・先行者のあこがれにあこがれる学習関係の二つのベクトルの両方になる力
・共に学ぶ力
・他者の学ぶ力に驚き続ける新鮮さを持続させる力

この4つの力は、斎藤孝先生の考える約70近くある教師としての資質のうちの4つだ。
斎藤孝先生は、皆さんもご存知のとおり「声に出して読みたい日本語」等の著者であり、私が学生時代に学び唯一感銘を抱いた先生だ。
「自分はこれが好きだ」という姿勢を見せることが、子どもの興味や関心を生み出す。
自分が出会ったことのないもの、まったく知らないものに対して興味や関心を持つことはできない。
斎藤先生の一つ一つの言葉は重く、そして惹きつけられるものがあり、私の教師になりたいという思いをさらに強いものにさせていった。

とはいいつつも、私が教師を志したのは、自分ががんばっていれば生徒たちに支えられながら、自然に充実した毎日を送ることができるのではないかという目論見があったからかも、と今振り返るとそう思ったりもする。



情報化や国際化などの影響を受け、社会の変化はいっそう激しくなっていく。
このような社会を主体的に生きていくためには、自分で課題を見つけ、自ら学び、新しいものを生み出す「生きる力」が強く求められている。
私はこの「生きる力」という言葉が好きで、短い人生を最高に楽しく、最高に充実した日々となるように生きていきたいと考えている。
毎日の楽しく、充実した日々の積み重ねが、新しいものを知りたいという欲求にかられ、学ぶ喜びを感じ、そしてそれを満たすために自分で課題を見つけ、新しいものを生み出すことができると確信している。

浪人時代に初めて学ぶ喜びを知った気がする。勉強するということがこれほど楽しかった時期はない。
親には申し訳なかったが、自分の人生においてとても有意義な1年だったと思う。
このおかげで、就職時には同じ失敗はしないと就職試験勉強に打ち込むことができたし、やってできないことはない、できないことは努力が足りないということもなんとなくわかってきた。
ただ、こんなことを書いていながらもそんなに努力家ではないので、あきらめも早かったし、正直、勉強趣味状態の人には逆立ちしたって勝てないというのを肌で感じたりもしてしまいましたけど。

よく、好きな言葉は?と聞かれることがある。実はとっさに出ない。「生きる力」という言葉がとても好きなのだけど、あまりに抽象的すぎているからかな。どちらかといえば飽きっぽい性格の私が、「生きる力」という言葉の中に込められている、一生涯通用する大きなものにあこがれている。

残念ながら、今現在教職には就いていない。
学生時代のほとんどを費やしたことも今はやめてしまったりもしている。
「生きる力」を十分に発揮できているとは言い難い。
そんな未熟者の私ですが、かなえさん、両親、友人、たくさんの人に支えられ、幸せな日々を送っている。今の状況に甘えることなく、力強く生きていくとともに、私の興味・関心のあることが、誰かに良い影響を与えることができたらこの上なく幸せに思う。

H15.1.1 むら