管理人の裏での言い草

 

※以下は姑息にもこっそりする本音の愚痴話ですので、読まないほうが宜しいかと思います。

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 「動物が好きな人に悪い人はいない」などと信じている大人がいたら、私はむしろ感心する。もちろんその人が、運良く動物にはやさしい悪い人にめぐり合わないことを祈りながら。ついでに、詐欺師にも似非宗教家にも、その他もろもろの怪しからぬ人物に、その人生で遭遇しない幸福を、そしてその純情な少年少女の輝く瞳(この情報化時代の子供にいるのか知らないが)の永続を願ってやまない。もちろん願う前に、かなりのアルコールが必要だが・・・。

 文鳥好きだから信用出来るわけがない。それはそうだ。例えばあなたが『文鳥好き』というだけで、自分の全人格を説明されたらどう思う?それは自分の一部に過ぎないと、自分の胸に手をやればわかるだろう。
 私個人は、「いい人」と言われれば、とりあえずその語感だけでも鳥肌が立つ。「いい人」=馬鹿な人という気がしないでもないが、そもそも、ネット上で人の良し悪しなど正確にわかるわけが無い。人間など、否も応も無く付き合って、良い面悪い面ない交ぜにしてわかってこなければ、その人の評価など出来はしない。表面だけ見て、わかったつもりでいたら、どれだけ損をするものか、大の大人なら人生振り返れば目がくらむほど思い当たるに相違ないのだ。

 私自身、良い人か悪い人か、とりあえず犯罪歴は無いと主張できるが、それ以上は自分でもわからない。普通はそんなものだろう。「私は良い人」などと言えば、実際そのように見えても、世間では偽善者と見なされる。逆に「私は悪い人」だと言ってみても、「いや世間が悪いのだ」などと余計な擁護をうけ、結局「悪ぶっている」と断定されるのがおちだ。さらに「悪ぶってカワイイ!」などと言われたら、みもふたもないではないか。
 良い事悪い事、人の表側裏側、本当かうそか分からない情報があふれかえっている世の中では、何かの宗教に心委ねたか、脳に障害でもなければ、目をキラキラさせて善人ぶるなど気持ち悪くて出来るわけが無いものと、私は思う。

 ネット上の人格などは仮面だということは、分別のある人ならわかっている。わからない子供(精神的子供も含む)は、くだらない仮想現実にいちいち傷つく前に、子供時代にしか出来ないリアルな体験を優先させるべきだ。もし学校でインターネットなど教えられたら、子供の相手が面倒な大人たちが、適当におもちゃをあてがって寄こしているだけである事を、まだ理屈ではわからなくとも、感じ取れるくらいであって欲しい。大人を小馬鹿にするような立派な批判精神があるのなら、とりあえず、いい加減な大人からあてがわれた物から離れようと考えるのが本当だと気がつかないようでは、賢いとは言えない(大人を嫌うくせに、タバコを吸う化粧をする、大人の真似ばかりする矛盾の愚かしさはどうだろう!「大人はわかってくれない」など使い古された言葉だが、そもそも嫌いな奴にわかってもらう必要がどこにあるだろう!)。
 一方、もし親が、子供のインターネット遊びを黙認するなら、それは繁華街で夜中にうろつくのを許すのと、大して違いが無いという事実に気づかねばならない。自分もインターネットを利用するなら、その危険性は十分承知しているはずだ。もしその認識もなく、つまり自分の知らない事を小中学生がするのを放って置くようなら、ただちに親権など放棄して、子供は施設に放り込んだほうが良い。そのほうが、自分たちの「製造物」が他人様に迷惑をかける危険を減らせる(親族の数人以外は、誰もあなたに子孫を残してくれとは頼んでいないのだ。勝手につくった以上、それなりに責任を持ってもらわないと困る)。

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 さて、以上のように考えを普段からめぐらしている私は、当然純粋に良い人であるわけがないのですが、文鳥についての話では、頑張って「いい人」の仮面をかぶろうとします。
 本当は、高校生以下の自己認識も出来ない子供(精神的な子供を含む)が、インターネットすること自体嫌です。具体的な話では、掲示板などで同じ事を何度も聞かれればうんざりしますし、掲示板に書き込む前に自分で調べようともしない態度にはいらだちを感じています。また、返事をしても「どうも」の一言も無ければ、普通に「礼儀知らずのガキ」だと舌打ちしています。しかし、全人格を否定したくなっている気持ちなど文字面ではあらわさず、何とも思わないふりをして淡々と接するように心がけているのです。
 掲示板がある程度無責任なおしゃべりの場とすれば、電子メールは手紙(書状)に準ずるべき物だと私は思っています。したがって近頃の子供(しつこいですが精神的な子供を含む)の仲間内のくだらない会話調のメールのやり取りなど、私には通用しません。はっきり言って、友達でも仲間でもない赤の他人だからです。
 知らない人に手紙を出す場合は、当然それ相応の覚悟と礼節があってしかるべきでしょう。そもそも手紙と言うのは、私信であれ、他人に出す以上は、公的な性質を持たねばならないものです。なぜなら会話と異なり、後々まで残ってしまうからです。第三者や不特定多数に公開されても恥ずかしくないように書くのが当たり前なのです。ところが実際には、気安く「教えてください」と一行メールを繰り返されたり、友達言葉を文章化して顔文字を連発してあったり、およそ文章の体をなしていない幼稚なものが多く、はなはだ辟易します。さすがに時には無視したくなりますが、かなり幼児的質問に慣れていることもあり(自分で考えた上でわからない点を明確にし、教えてもらえば絶対に忘れない覚悟をもってするのが本当の質問)、我慢して嫌味をある程度抑えて返事をするように心がけています。
 文章にはなっていても、論旨の見えない繰り返し、ホームページの内容への無理解、議論にならず時間の無駄としか思えない長話、こういったものをメールで寄こされて閉口することも多々あります。私は議論好きですが、こちらが相手の話に反論したり意見を書いても、それについて何ら考慮せず、はじめの論旨を繰り返すのみのメールをさらに重ねられると、議論にならず非常にイライラしてきます。相手の意見を論理的に考えられない頭の人間は、そもそも議論など出来ません。壁に向かって演説していれば良いのです。その点インターネットなら、自分でホームページを作って好きなだけ書き捨てにして、メールなどの連絡先を作らなければ、誰からも反論もされず、こんな結構な事はないでしょう。それなら、その内容がくだらなければ、私も閲覧しないだけで済むはずです。ところが、なぜ私個人にわざわざメールで聞かせようとしたがるのか、きわめて迷惑と言わざるをえません。
 実に基本的な内容の気安いメールに丁寧に答えて(ただし文鳥関係の話題以外は無視する)、おかげで何回も気安くメールされたり、長文の演説にいちいち反証して、かえって私から議論を仕掛けられているように思い込まれたりしながらも、質問事項があれば「Re」するのは、たんにそれが礼儀だと思っているだけの話です。そこに親切心や話し合いの喜びはなく、義務感と徒労の虚しさだけが残るばかりです。
 言ったところで分からないと思わなければ、とても不特定の相手などしていられないのが現実です。ホームページの管理人などというものは、「どうせ人間などそんなものだ」と達観しないと、営利でもないのに文字面だけでも笑顔で応対するのは、なかなか難しいものだと思います。もちろん達観に到底いたらない私などは、たいてい苦虫を噛み潰した顔をして、文字面でだけはせいぜい頑張って「いい人」の仮面をかぶるしかないのです。

 なぜ「いい人」ぶるのかと言えば、悪い人ぶっていたのでは、ホームページを公開する意味が無いと考えるからです。ホームページでわざわざ何か主張するなり、自慢するなりするのは、誰かに見てもらいたい、読んでもらいたい、という願望が多かれ少なかれあるからです。前述のような連絡先のない「壁に演説」式のホームページが少ないのはそのためでしょう。また、もしホームページ上で悪口雑言を重ねて嫌な奴を演じ、それに対して他人から寄せられるすべての感想なり反論に毒気づいていたのでは、閲覧者がゼロとなり、結局、壁に向かって話すのと同じになってしまうのは明らかです。
 蜂が花に寄って来るのは、そこに甘い蜜があるからで、苦い毒だったら近づいてくれません。どれほど実像と異なるかはそれぞれでしょうが、普通のホームページの管理人は「いい人」ぶるのが宿命と言えると思います。
 ところがそこにも陥穽があり、管理人自身が本当に「いい人」だと、つまり仮想現実の自分と本来の自分の区別がつかなくなると、「いい人」=良い人=正しい人と拡大解釈をはじめ、批判する人は「悪い人」と思えてきてしまいます。そうなると、本来閲覧者すべてに「いい人」であろうとしていたはずが、自分を「いい人」と思っている人だけに良い顔をし、自分を批判する「悪い人」は排除したい気持ちになってしまうようです。これはあたかも、「信じる者は救われる。不信心者は排除する」といった、教祖様の発想と言えます。しばしば見かける管理人の批判など一切許さないようなホームページは、このように管理人が自分で作った自分の「いい人」イメージの中に、知らず知らずにのめりこんでしまったなれの果てなのかもしれません。

 自分まで「いい人」と思い込んだらそのうち教祖になる・・・、ホームページ内という小さな小さな仮想現実の中で教祖となる気のない管理人である私は、「いい人ぶっているに過ぎない」と絶えず意識しながら『文鳥団地の生活』という些細なホームページを維持しています。本当に「いい人」ではないので、メールや掲示板でもある程度手加減しながらも、自分の意見も言えば、嫌味も効かせます。「いい人」であろうとは努力していますが、それに成りきるつもりはないわけです。
 したがって、温帯地方のお日様のような慈愛に満ちた態度を期待されても困ります。場合によっては、私からの返信内容で不快に思うこともあるかもしれません。私は「批判を受け止めて前向きに・・・」なる事もありますが、閲覧者と同等な個人として、一方的なクレームを受ける立場にはないので、批判が的外れと考えれば普通に反論します(無視はしません)。もっとも、私は感情的な文言は絶対に使っていないはずですから(これをしたら、排除の論理で教祖様だと思っている)、果たして「いい人」ぶっているはずの管理人から受ける不愉快とは、感情ではなく論理的に考えて一体どういったものか、自分の態度を少し客観的に考えてもらえれば幸いなところです。
 また掲示板の類は、不特定多数も見ていることを前提としなければならないので(ささやかなホームページであっても)、管理人として介入せざるを得ない場合があります。その際、管理人はいちおう「いい人」の立場で行なっている、少なくとも悪意はないと、これは信じて頂かないとどうしようもありません。
 当然のことながら、管理人に不信感をいだいたり、気に食わないといったことは多々あるでしょう。しかし感情的な話は、閲覧しなければ済む話で、管理人の関知するところではありません。「ちぇ、アホなホームページで時間の無駄をしてしまった・・・」のは、他人の責任ではないのです。

※「悪い人」ぶりたい願望をネット上で実現する場としては、例えば某巨大掲示板への書き込みが考えられます。
 匿名で言いたい放題ですから、世間的には「便所の落書き」とまで言われ、一部には犯罪の温床とさえ見なされています。しかし、本来は掲示板のスレッドという仮想空間のなかで、そこでしか通用しない『掟』をつくり、現実の自分を忘れ「悪い人」になってストレスを発散するといったもので、その利用方法さえ理解していれば、悪いものでもないと思います(私自身は情報集めで検索して必要な情報を参照する事もある程度)。一種の秘密クラブでおのれの内面をさらけ出しているようなもので、個人的には良い趣味とも思えませんが、分別のある大人が行なうだけなら、むしろ高級な趣味と見なせるかもしれません。
 ただ困った事に、その某巨大掲示板が仮想現実における大人のお遊びだと言う事に気がつかない、まじめだが軽率な大人が、その独特の『掟』を知らずに書き込みをして悪口雑言の餌食となって不必要に傷ついたり(仮想の中で何を言われても、本来は仮想の中だけの話)、現実と仮想の区別のつかないお調子者(精神的な子供)が、仮想現実の檻から飛び出し、一般社会に迷惑をかけたりしているのは問題と言わざるを得ないでしょう。
 『掟』、ルールがあるからゲームは面白くなります。たとえ、そのルールが暗黙のものであっても、知らずに遊ぼうとするのは軽率でしょう。大人は良くわからないものには手を出さないものでしょう。また、ゲームを楽しむには、その競技場の試合中にだけ通用するルールが必要な事くらいは、冷静に考えれば子供でも理解出来るはずです。そして、ラグビーでタックルするのが普通だからと言って、商店街の通行人にタックルをしたら犯罪なのも理解できるでしょう。巨大掲示板のスレッドの中での会話が面白いと思ったとしても、それはそのスレッドという檻の中でのゲームの楽しさで、他でやっても興ざめで意味がなく、迷惑行為になってしまうだけ、という事を理解しないければいけないと思います。


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