文鳥問題.

《病院と検査》

 動物病院選びは、文鳥飼育にあたって重要とされています。その際、多くの人々は、出来れば鳥の専門病院を探すことを薦めているようです。確かに、犬や猫の哺乳類と鳥類では、診療も治療も異なってくるはずであり、より専門化された動物病院の存在は望ましく思われます。しかし、その鳥の専門病院なるものが、どれほど存在するものでしょう?また、将来的に増え続けるものでしょうか?さらに、本当に必要不可欠なものでしょうか?そもそも、日常的な文鳥の飼育にとって、動物病院は不可欠な存在とまでいえるのでしょうか?ちょっと考えてみたいと思います。【2002年10月】

動物病院の選び方   定期検査無用論   まとめ


動物病院の選び方

 文鳥の飼い主の目から、最近やたらに増えたように思える動物病院を見ると、三つに分けることが出来る。 

@鳥診る獣医さん

A鳥診る獣医さん

 B鳥診ない獣医さ

 自分の文鳥が病気やケガとなった時、@がもっとも頼もしい存在で、誰もがその存在を捜し求めるのは当然だろう。何しろ、Bは論外として、Aの獣医さんの中には、鳥の扱いが怪しいところも、治療器具が不備なところもあるのだ。
 しかし、血相変え血眼になって「専門、せんも〜ん!」と探し、鳥類専門を看板にする動物病院さえみつければ安心できるものだろうか?それは違うだろう。
専門のヤブ医者も存在するかもしれない。何しろ、鳥類ならあまり血を見ないですむとか、積極的ではない理由で、専門医と称しているような者がいないとは限らない のである。
 一方、Aであっても、中には鳥類についても十分に知識がある獣医さんもいるはずで、むしろ動物一般の豊かな経験が、鳥の治療にも生かせる面があるかもしれない。つまり、
「を」にも「も」にも名医からヤブ医者まで存在するわけで、専門を名乗る方が、「ヤブイ竹庵たけのこ先生」の割合が低い程度でしかないだろう。

 Bの獣医さんなどは、文鳥飼い主には無関係の存在のようだが、個人的にひそかに共感を覚える部分がないでもない。鳥なんてめんどくさいし、金にならない、などといった理由で診ない人は、獣医資格など返上したら良いくらいだし、自信がないから診れないなどという者も、放っておけば良いが、信条として診ない人もいるのではないかと思うのだ。
 獣医さんとは没交渉なので、直接聞いたわけではないが、人間の医療を応用できるような犬猫に比較して、鳥の治療には自ずから限界があり、まして小鳥となると、特に外科的には出来ることは極めて少ない。割り切って考えると、現在の小鳥の治療というのは、対処療法に終始していると見なせるかもしれない。積極的な治療が限定的な以上、病根を絶つのではなく延命の側面が強く、これについては、いじりまわして苦しめる気がしない、といった考え方もありえる。むしろ手をつけずに、自然治癒を望むことをすすめる獣医さんが存在しても、一種の敗北主義との批判も出来るが、現状では否定しようがないと思うのだ。

 そうはいってもAは千差万別で、鳥類をしっかり診られるとは限らず、獣医さんの力量は看板を見てもわからない。それなら、@は少なくとも鳥類を診る準備はあるはずだから、鳥の飼い主が動物病院を選ぶとなれば、「専門、せんも〜ん!」といった感じにならざるをえない。また、そうした鳥専門の動物病院は都会に偏在するので、地方の愛鳥家は近くにないことを嘆き、近所にそうした動物病院が出来ることを心から望むことになるのも自然だろう。しかし、まことに残念ながら、おそらくこの点は将来的にも改善することはないと私は予測している。
 なぜなら、動物病院も慈善事業ではないので、利益を出さなければならないが、鳥のみの診察・治療で、経営が成り立ちうるには、実質的に
飼育数の多い都市部でなければ不可能なことは明らかなのだ。もちろん、鳥の飼い主数が今後爆発的に増えれば別だが、現在はむしろ小型哺乳類などペットの多様化が進み、小鳥の飼い主数は減っているように思われ、Aが全国津々浦々に存在出来るような社会情勢ではないと見なせる。
 もし今現在、十分な飼い主数が存在しないと思われる場所に存在する鳥の専門病院の経営が、案外うまくいっているようなら、それこそ怪しむべきかもしれない。非常に広範囲から患者が集まっているのなら名医だが
(市場調査をまったくしていない危険な経営者ともいえる)、過剰医療でもしない限り、
少ない顧客で経営を維持するのは難しいはずなのだ。何やかやと、飼い主をおどし、すかし、病院通いを継続させようと努力しているのかもしれない・・・。
 「専門」と称して、いらない診療や治療をおこなうような動物病院なら、かえって迷惑だし、文鳥にも
(大きな目ではだまされていることになる飼い主にとっても)害になるばかりだ。それなら、小鳥については不十分ながら、犬猫で経営の安定したAの動物病院の方が、よほど
害は少ないともいえるだろう。

 結局、動物病院を選ぶのなら、専門うんぬんの看板ではなく、その獣医さん自体で判断するしかないのだ。それは、ずいぶんと難しいことであったとしても・・・。たとえ、鳥についての知識が不十分でも、熱心な獣医さんなら、鳥の患者が来れば、治そうと努力するはずで、その努力の積み重ねで名医となるものと思う。
 鳥専門の動物病院なら患者は鳥ばかりだから、努力する機会は多くなるが、機会があっても、
努力も反省もしなければ永久にヤブ医者なのである。その程度の割り切り方が必要かもしれない。

≪小括≫

@ 鳥専門の動物病院の獣医さんがすべて名医と言う保証などない。

A 専門病院は将来的にも、特に地方ではあまり増えないと考えられる。

B せまい市場で専門性を求めると、集客行為がエスカレートする可能性が高まる。

    → 動物病院を選ぶに当たって、専門病院に絶対的にこだわる必要はない。

 

定期検査は無用

 経営熱心な動物病院ほど陥ってしまう過剰な医療行為として、薬剤依存や、飼料の推奨などがあげられる。さらに、患者というより顧客としての 飼い主が、一定期間中に動物病院に行かざるを得なくさせる定期検査というものも存在するらしい。

 この定期検査、文鳥を飼育するうえで必要不可欠な行為とまで信じ込んでいる飼い主が、最近増殖中のようだ。しかし、この際はっきり意見するなら、小鳥の定期検査など気休めでしかない。むしろ、もし半年に一回、動物病院に連れて行って定期検査をした程度で、文鳥の健康管理は万全だ、などと勘違いするようなら、無意味どころか弊害の方が大きいと言わねばならない。
 定期検査を薦める人とはどのような人だろう?動物病院の広報担当でなければ、何らかの経験にもとづいているに相違ない。おそらく、ペットショップで障害(寄生虫・栄養性脚弱・などなどの病気)をかかえているヒナを買ってしまった経験の持ち主で、そのヒナをあわてて動物病院へ連れて行ったのをきっかけに、動物病院の重要性に気づき、口をそろえて
「定期検査で、早期発見、早期治療を!」と主張することになったのではなかろうか(わざとぼかしているが、実例はネット上に散見されることだろう)。そういった人たちが心優しくまじめな方々なのは明らかで、その気持ちも十分理解できるが、残念ながらその主張自体は、単純な初心者ライクな誤解でしかない
 なぜなら、彼らの経験で得られるものは、外
(ペットショップ)から文鳥を購入する際に、初心者が健康かどうかを確認するためには、動物病院でチェックしてもらうべきだといった、しごくありふれた教訓以外ではないの である。つまり、それは
初期検査の必要性であって、健康な成鳥が定期的に行う検査とは、およそ次元の異なる話に相違ないのだ。

 当然、成鳥の「定期検査で病気が発見された!」といった体験にもとづき、定期検査は必要だとの主張もあるかもしれない。しかし、よくよくその発見の内容に 注目すれば、やれ肥満だとか、それ光学顕微鏡検査で何とか菌がみつかった、といった程度のことではなかろうか?それだけでも大変なことのようだが、自分の飼っている文鳥が肥満かどうかなど、本来、獣医さんに指摘される以前に 飼い主が気づくべきであろう。その肥満が先天的なものでもなければ、当然飼育上のミス以外ではないのだから、定期検査以前に飼い主が自分の飼育方法を考え直せば良い話なのである。
 もし飼育初心者が、はじめに「野菜を食べさせなさい」程度のごく初歩的な基礎事項にすら気づかずに、獣医さんの指摘を受けたとしても、
その後定期的に同じ指摘をうけ続けることなど、常識的にありえない話ではなかろうか?一度聞いて問題点に気づけば、飼育方法を改善すれば済む話である。いつまでも、獣医さんの指摘を受け続けるなど、感心できる話ではない。
 また、検査でトリコモナスやコクシジウムといった原虫が発見できたとしても、実は、
驚くほどのことではない。なぜならヒナ段階では恐ろしいトリコモナスやコクシジウムも、健康な成鳥では万一感染しても発病せず、通常死にいたるものではないとされているのだ。つまり、もしその文鳥で近い将来繁殖を行うなら、ヒナに感染しないように原虫を取り除いた方が良い程度の話で、一般的な飼育上では、絶対に検査で発見しなければならない重要性は見当たらず、発見されたとしても慌てふためく理由などないのだ。まして、念のため一度駆除できれば、いつまでもいつまでもこだわる理屈はどこにもない
 さらに、梅雨の前などに
「ワクモ・ダニなどに備えて、定期検査を!」など本気で主張する人もいるようだが、この主張は申し訳ないが笑い話に近い。本来、ワクモなどは屋外の禽舎などで多数飼育する場合に発生しやすいもので、普通の飼育では滅多にお目にかかれるものではない。まして、動物病院に通いつめる金銭的、時間的余裕のある 飼い主は、毎日のように掃除をし、それは立派な衛生管理をされているはずだから、そのような寄生虫には、それこそ最も縁遠い存在に相違ない(そんな立派でない我が家でも発生したことはない)。また、万一不幸にして発生したとしても、まともに文鳥の様子を毎日見ていれば、すぐに変化はわかるはずなので(夜中かゆがったり、貧血状の症状が出るらしい)、変化が現れてから動物病院に行って駆除しても、手遅れになることなど 考えにくい。また、これも一度駆除すれば、定期検査などより、そういったものが発生しないように飼育環境を改善するのが先であることは、指摘するまでもないだろう。
 成鳥の定期検査として、たびたび行えば効果がありそうなのは、カンジタやアスペルギルスといった真菌
(カビ)による病気くらいのものと思う。これらは、素のう検査によって早期発見出来るかもしれない。しかし、このての真菌は、空気中を普通に飛び交っているものであり、それによる発病などは、
きわめてまれなこと(非常に体力が低下している状態、つまりすでに体調が悪い状態でしか発病しない)であり、検査で少々見つかったからといって、投薬をするのは過剰な反応ではなかろうか ?なぜならそういった菌類がまったく発見されない方がおかしいのだ。量的に正常に存在する程度の真菌類を消滅させるために、「ちょっと真菌がいるから、消毒しましょう」などといった軽い認識で抗生物質を投薬して、素のう内を一時的に無菌状態にすることは、反作用(かえって爆発的に増殖する)を呼び込みかねない行為でもあるのだ。

 「定期検査」などというから、人間のそれのように、レントゲンやらCTスキャンやら、血液検査に血圧検査、内視鏡検査に・・・、などといった、客観的で科学的な精密検査が文鳥にも可能なように誤解してしまいそうだが、実際は、外見を観察し、検便や、ひょっとしたら素のう液を採取して光学顕微鏡で調べる程度の、人間ドックに比較すれば牧歌的なものに過ぎないことを、十分に理解しておく必要がある。
 また、いざ検査となっても、聴診器で心臓の雑音など十分に聞くことすら出来ず
(聴診器をあてる獣医さんもいるようだが、ポーズだけではないかと疑っている)、本人(文鳥)は話せないから問診も出来ず・・・、カンジタなどの真菌類とトリコモナスなどの原虫類を光学顕微鏡で探す以外に仕方がないのが現状なのだ。結局、寄生虫や真菌の検査だけといって良いものに、一部の飼い主が期待をし、一部の獣医さんが過剰な自信を持つほど大きな意味を見出せるであろうか?
 また、より基本的には、もし文鳥に
人間並みの精密検査が可能であっても意味はない。なぜなら、万一レントゲンで文鳥の肺に異常が発見出来たとしても、手術など出来はしないのである。小鳥に使える人工心肺装置などないし、そもそも輸血も出来ない。第一飛行するための構造をしている鳥の胸部を切開するなどは、即、死につながる行為でしかない のだ。それは、他の内臓疾患についていえることであり、結局、小鳥の外科的治療とは、外部のオデキ類の切除、外傷の縫合程度でしかなく、あとは、内科的な投薬に頼るよりしかたがないのである。きわめて残念なことだが、科学や医学に対するあいまいな期待やら自信などは無意味というしかないのだ。

 文鳥の健康検査自体、科学的客観的には得るところが少ないものだとしても、やらないよりマシと思う人もいるだろう。確かにそれは一般論として正しい。しかし、その検査が人間並みに年2回程度なら、検査の内容はともかく、そもそも定期的におこなう意味すら怪しいことも認識すべきだろう。
 なぜなら、人間の寿命は70年程度だが、文鳥の方はせいぜい10年でしかないのだ。この相違は、両種の間で時間の流れ方、ひいては体調変化のスピードが、まったく異なっていることを意味する。つまり 、簡単に言ってしまえば、人間に比べて7倍以上のスピードで歳をとる文鳥は、7倍の速さで体調が変化すると考える必要があるのだ。つまり、検査も当然人間の7倍、
年14回以上行わなければ、(もし人間並みに十分な検査が可能であったとしても)その体調の変化についていくことは出来ないと考えたほうが良いことになる。アフリカ象の検査を半年に1回おこなう間に、二十日鼠はその生命を終えて、子や孫や、さらにその子孫の時代になっているように、生物はそれぞれで時間の流れ方が異なることに注意しなければならない。
 その観点に立てば、文鳥の場合、半年に一回の定期検査
(それもきわめて幼稚な)で異常が早期発見出来るなどとするのは、残念ながら、的外れと言うしかなくなる。まして、実際の文鳥の体調変化は、一日一日、刻一刻の変化で、月に一回獣医さんのお墨付きをもらったところで、
気休め以外の何ものでもない。そのようなことは、何年か文鳥を飼っていれば、誰しもが思い知らされている話であり、それがわからないとしたら、よほど注意力がないのか、獣医さんに自分の文鳥の健康管理を丸投げしてしまっているとしか私には思えない。

 しかし、素人である飼い主が毎日見るよりも、「ごくまれ」にでも、玄人である獣医さんが見たほうが、正しい判断が出来ると素朴に思う人もいるだろう。その考え方自体は何ら問題ない。 確かに、自分の鳥の体調変化がわからない初心者よりも、一般的な変化に詳しい獣医さんの目の方が信頼できる。飼育初心者がわからない変化に、獣医さんが気がつき、「早期発見」となる幸運もあるかもしれない。しかし、それは初心者の、それも一部の 飼い主の話でしかない。例えば、もし自分に子供がいて、小学校の集団内科検診で、体調変化を指摘されてびっくりする親がいたとしたら、あなたはどう思うだろうか。本来、自分の子供の体調変化に気がつかないようでは困るの である。
 つまり、自分の子供の体調変化を親が見逃してはいけないように、、自分の文鳥の体調変化を飼い主は見逃さないようにしなければいけない。ところが、鳥は人間と違い体調変化を隠すので、獣医さんでなければ体調変化を早期発見できないと信じている人 もいる。そういった人々は、次のような例えで検査の必要性を訴える 。
 「病気になっても自然界で悟られると、天敵に食べられてしまうから、小鳥は病気になってもそれをかくそうとするので、 飼い主が発見した時は手遅れになってしまう」
 したがって、動物病院で定期検査が必要だ・・・。実際に、こういった主張を平然とする獣医さんも存在するようだが、この論理に対して、さて、いかなる神業により
外見に表れざる病気を、その獣医様はお見破りになられるのか、と私は嫌味を言わざるを得ない。上述のように科学的な検査が不十分な小鳥では、獣医さんも外見でその健康状態を判断することに力点を置くしかない。その動かしがたい事実を前提にした時、この例え話では、かくせず外見に表れた段階ではすでに手遅れなのだから、獣医さんが気づいた時には、やはり早期発見ではなくなっていることになってしまうのである。
 つまり、このような話は、有効で客観的な科学的健康診断が、人間同様に文鳥でも可能だと、
妄想してしまった結果のパラドックス、矛盾した話でしかない。
 この例え話を獣医さんがするのなら、せいぜい、「鳥の体調変化は表面に現れにくいので、日々の変化に注意しましょうね」と飼い主に注意喚起するくらいの意味しか持ち得ない。そして、 飼い主も獣医さんも同じように外見の変化を注視するのが基本なら、わが子同然の文鳥の
体調変化に真っ先に気づくのは親のような飼い主本人でなければ、恥ずかしいことなのだと認識しなければならないだろう。
 「標準的ではないけれど、うちの文鳥のクチバシは薄いのがいつもの姿で、この文鳥の親も同じだった」などといった、個別に存在するであろう外見的特徴は、初見の獣医さんにわかるはずもないのである。正常な状態を良く知っている飼い主が、真っ先に体調の変調を察知したうえで、異常とみなせば、動物病院で原因を調べてもらい、治療してもらう以外にないのは誰にでもわかる話ではなかろうか
定期検査で早期発見が可能というのは幻想であり、間違っても、定期検査をしたから大丈夫などと甘えた考えで、文鳥の体調変化を見逃してはならない。

 ところで、この「小鳥が病気をかくそうとする」という、おとぎ話じみた古風な例え話自体、「科学的には」疑うべきもの である。小鳥にかくす気などさらさらなくとも、変化が急なので、よりゆっくりと時を刻んでいる人間には、それまで隠していたように感じるだけ、と考えた方が、よほど現実的と言えよう。そもそも、小鳥が病気になれば、上述の例え話のように天敵に食われる前に、エサを探せず衰弱することになる。野生動物には、かくすとかかくさないとか悠長なことを言っている暇などないのだ
 獣医さんの中には、「もっとはやく動物病院に連れてくれば助かった」などと、何とかの一つ覚えのように、文鳥の体調変化に驚いて、ワラをもつかむ気持ちで動物病院に連れてきた 飼い主に繰り返す不謹慎者がいるようだが、それは
「症状が現れたら早く」という意味でしかない。症状が現れる以前では、極めて限られた事例(真菌の増加など、ただしこれも急激に起こるはずであり、また真菌が増加したから体調が悪くなるというより、産卵などで体力が消耗したことにより真菌が増加してしまうといったものなので、たまたま運良く発見されるよりも、飼い主が体調の変化に気づく方が先である可能性が高いと思う)以外では早く連れてこられても、獣医さんもお手上げではな かろうか。「健康ですね」と正直にいうか、無理やり病名を見つけだすしかないのが現実であろう。
 「小鳥が病気をかくそうとする」の話は、小鳥の病気というものは、
鳥自身も前日には気づかないくらいに突然に現れて、急速に進行してしまうものが多いことを示していると考えた方が良い。またこのような話を、患者(飼い主)に平然と行い、自分(獣医)なら天敵も見破れない変化を見逃さないなどとうぬぼれている獣医さんの存在も示しているのかもしれない。まったく、一体何を考えているのか、私には理解できない。

 以上のことを踏まえれば、例えば、鳥専門の獣医さんが大型インコの飼い主に、「半年に一回検査しましょう」と言った舌の根も乾かぬうちに、文鳥の飼い主に同じ勧誘をおこなった場合、その獣医さんは本当に定期検査が必要だと考えているのなら無知であり、必要だとは考えずに言っているのなら、商売人、と見なさざるを得ない。寿命が50年の大型インコが年2回なら、「月に一回くらい検査しましょう」でなければ、つりあわないことは明白なの である。
 それでは、月に一回定期検査をする必要があるかといえば、ありはしないと、この際断言する。そもそもたいした効果も期待できない検査のために、通院などといった負担を小さな動物に強い、基本的に
病原菌の巣となりやすい病院に頻繁に連れて行くなど、いささか常軌を逸しているとも考えられる。動物病院における院内感染については、文鳥の飼い主には無頓着な人が多いような気がするが、大型インコの飼育本などを見ると、過剰なくらいの警戒ぶりで、動物病院から帰った飼い主は靴の消毒ばかりか、シャワーをあびるようにすすめている程である。大型インコであろうと、小鳥であろうと、動物病院で感染症をもらってくる可能性は同じであり、その危険性は、通院回数が増えれば増えるほど増えることくらいは認識しておくべきだろう。さらに通院距離が長ければ、それだけ文鳥への負担は大きくなり、体調が衰えた時は感染しやすいのも常識である。
 飼い主である人間が動物病院が好きなのは結構なことで、たいして有効でない検査だとしても、それ自体は文鳥にとって悪くはないかもしれない
(素のう検査は文鳥に負担になるような気はする)。また、獣医さんに外見上の一般的な観察をしてもらうのも、意味がないことではな く、むしろ良いことだと思う。しかし、
通院に伴う危険も十分に承知しておかねばならない。もし文鳥の飼い主として、他人に動物病院へ行くことをすすめるのなら、素のう検査うんぬんが出来るか出来ないか以前に、まず、その病院が小鳥を外に逃がさないような構造になっているか(小鳥の診療には一定の密室である必要がある)、とか、院内感染に関して十分な注意をしているのか(具体的には、その点に関して 飼い主に注意を与えているか、院内の消毒を徹底しているか)、といった基本中の基本の事柄についての注意くらいは喚起すべきではなかろうか。ただ、「定期検査に行きましょう」では、あまりにも無責任で軽率と言われても仕方がない。
 私なら、
「健康そうなら、月に一回も危険をおかさず、行きたければ 飼い主だけがカウンセリングに行きましょう」とすすめるだろう。また、獣医さんについて付言すれば、その飼い主が初心者で心もとないと判断したら、アドバイスをかねて「半年に一回くらい、出来れば様子を見せに来てください」と言うのは親切でありがたい話だが、「検査しなければダメ」などと、全能の神気取りの非科学的な断定で 飼い主を脅すようなことは、あってはならないと思う。

≪小括≫

@ 文鳥にとって必要な検査は購入直後のものであり、定期検査ではない。
    ※初期検査には、特殊な器具と技術が必要とされるであろう素のう検査が含まれるので、
     それが行えない動物病院は「鳥は診れない」病院といえる。

A 健康な成鳥を動物病院に連れて行く必然性はない。
    ※白衣の人への依存癖が飼い主にある場合や、病気で通院が必要となった場合は、その動
     物病院の衛生管理や診療環境に十分注意し、院内感染や診療中の事故(逃亡)を防が
     ねばならない(と注意するのが適当)。

B 飼育する文鳥の体調変化に、もっとも早期に発見できるのは飼い主。

 

まとめ

 困ったことに、以上のような考え方の人間が多いと、鳥専門の動物病院の必要性は限定的なものとならざるを得ない。何しろ、滅多に動物病院に連れて行かないで良いことになるのだ。客が少なければ経営は成り立つわけがない。
 それでも、動物病院が必要な時もあるのだから、
しっかりと鳥も診てくれる動物病院が増えることを期待するしかない。そして、ありがたいことに、実際その数は増えており、将来的にも増え続けると思われる。
 一昔前までは、そもそも動物病院すら少なかった。犬猫でさえ、飼い主は日常的に動物病院に連れて行こうとを考えなかったので、多くを必要としなかったのだ。しかし、現在のペット動物は人間並みに扱われるころが多くなり、飼 い主はすぐに動物病院に連れて行くので、
多くの動物病院が必要となっている。新しく誕生している動物病院は、多様な動物がペット化される中で、例えばエキゾティックアニマルなどといわれる爬虫類・両生類などの治療にも対応しなければならなくなっている。変わった動物をペット化することの良し悪しはともかく、多様な動物治療というニーズは、今後も当分減ることはないだろう。そして、その多様な中に鳥類も含まれ、そうしたニーズの中で増えた動物病院では、小鳥も治療することになるはずなのだ。

 たびたび小鳥の治療も行う機会に恵まれた獣医さんは、はじめは不慣れでも、勤勉さと誠実さがあれば、高度に専門的ではなくとも、一般的な症状には対応できるようになるに違いない。
 そのうえで、手に負えなければ、高度に専門化した、鳥専門の動物病院を紹介してもらえるとありがたいと思う。近所の動物病院から、必要があれば都市部の専門病院へ、といった
ネットワークこそが理想の形態ではないかと思うのだ。飼い主が安易な専門性を追い求め、結果、実力をともなわない専門の看板にあぐらをかく動物病院が増えてしまっては、百害あって一利なしではなかろうか。


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