文鳥問題.

ここでは文鳥をめぐる諸問題を不定期にとりあげ、参考までに載せています(追記あり)。
ご意見などは頂ければ『問題のその後』として随時考えたいと思います。


《ひとり餌》

 私は手乗り文鳥を育て、ひとり餌(文鳥自身が食べられるようになる状態)にするので苦労した経験はないです。特に気にしなくとも、勝手にさし餌を拒否するようになるのが普通だと思っていました。しかし、なかなかひとり餌にならないという悩みや、それに対するひとり餌までの過程を説明する飼育書や影響力絶大なサイトもあるようですから、最近不思議な思いにとらわれています。本当に、文鳥がひとり餌になるためには何かしらの努力が必要なものなのでしょうか?その努力とは「自然」なものなのでしょうか?じっくり考えてみたいと思います。【2003年6月】


★文鳥の巣立ち=ひとり餌★

 孵化一ヶ月ほどたったヒナが、ある日突然さし餌を拒否し自分でエサを食べる姿を見るのは、飼い主にとって安堵感と寂寞感を同時に味わう瞬間だと思う。「よくぞ大きくなってくれた」「ああ、大きくなってしまった」
 「どうやってひとり餌にするんですか?」という質問をされると答えに窮してしまう。何もしなくとも勝手に巣立っていくのが普通だと思うし、経験上もそうなのだ。多少の前後はあっても、孵化30日〜40日となると、ヒナたちは特に何もしなくとも給餌を受け付けなくなり、上記の感慨に満たされる繰り返しなのだ。おそらくそれは、多くのベテラン飼い主にも共通するはずで、ひとり餌について悩むのは、不思議に思える人が多いに相違ない。
 ところが、そうでもないケースがある。なかなか、ひとり餌にならないというのだ。なぜなのか、はっきりとは分からないが、最近飼い始めた人に多い現象とすれば、清潔な餌づけ環境・ある種の過保護を原因としてあげて良い気がしている。しっかり掃除されていて、こぼれた粒エサなどないから、ヒナはそれをかじる機会がない。エサはこぼれているが、給餌の時間以外はしっかり暗室に置いているので、食べる以前にエサを探すことが出来ない。・・・清潔にするのは良いことで、給餌時間以外は暗室で安静にするのは望ましい。ところがそれをいつまでも励行すると、ヒナがエサを自分でつつく機会を奪うことにつながることに気がつかない。しっかり飼育管理出来ている人ほどはまりやすい陥穽・・・。
 それならいい加減でよいのか、「私のように『適当』にすれば良いのだ!」では具体性に乏しく説得力がない。むしろ、細かく管理する指針
(マニュアル)が欲しくなる。需要があれば供給。実に細かくひとり餌へのプロセスを紹介してくれる人もでてくる。しかし、細かなマニュアルというのは、融通が利かない諸刃の刃だ。その通りにならない時に余計な不安感をあおり立てる面もある
 しかし、どんなに経験上心配いらないと言ってみても、真面目な人はより真面目に物事を考えたがる。ところが残念なことに経験がなければ批判も出来ない。生態に即しているとか何とか説明めいたものがあれば、それが不必要なものであったり、極めて現実とは乖離したものであっても、すぐに信じてしまう。この際、私も私の立場を何かしら理由付けて説明しないと、こちらが不自然なことをしているように思われてしまいそうだ。

 そこでまず、文鳥のことは文鳥に訊け。自然界ではどのようにヒナがひとり餌となるのか明らかになれば、飼育上のひとり餌移行のプロセスも描きやすくなるはずだ。しかし、まことに残念なことに、野生における文鳥の生態はつまびらかではない。そこで、とりあえず一般的な鳥の巣立ちプロセスを、持てる知識から絞り出して考えてみると、二つのタイプがあることに気づく。

 @ ある程度の大きさに育つと、親鳥側が給餌をやめてしまう。

 A 飛べるようになっても一定期間ヒナに対する給餌を続ける。

 @は大型の水鳥やペンギンに多いと思う。どんどん栄養価の高いエサをヒナに与え、親より大きくなる頃にエサを与えなくなる。というよりヒナを見捨ててしまう。残されたヒナは空腹から巣を出て、自分で捕食するために飛んだり、海に潜ったりし始める。このパターンは、親から見捨てられ飢えて鳴くヒナの映像にインパクトがあるためか、テレビのドキュメントなどでよく見かける。しかし、鳥類全体として考えた場合このパターンは少数派だ。栄養価の高い動物性の食べ物でヒナを十分に太らせることが出来、見捨てられたヒナが数日間絶食しても大丈夫な構造を持っている(脂肪が蓄積する・内蔵に貯蔵できる仕組みがある)種類のみで可能となるものだ。このパターンの場合、ヒナが巣立ちをすると言う本能を呼び起こすきっかけ(スイッチ)となるのは、『飢餓感』ということになる。
 むしろ大勢を占めるのはAのパターンで、小鳥類のほとんどがこれに属すると思われる。彼らの場合、数日の絶食はすぐに死につながるため、完全に自立するまで、親は給餌をやめることは出来ない。「もうお前にはエサはやらないよ!バイバイね!」などとある日突然夜逃げしてしまったら、子孫は根絶やしになってしまうのだ。そこでヒナが飛翔するようになっても給餌を続けつつ、その巣立ちを待つことになる。つまり、巣立ちの本能を呼び出すスイッチは、単純に『飢餓感』とは見なしえない。

 ここで問題となる文鳥は、当然Aのパターン、ヒナが完全にひとりで餌を食べられるようになるまで給餌を続けなければならない。この点は誰にでも明らかだと思うが、問題はより詳細なプロセス、給餌をしつつどのように親鳥はヒナをひとり餌に導いているかである。
 それについても、何となく@のパターンと同じ『飢餓感』が大きな役割を持っていると考え、給餌量を控えてヒナをある程度飢えさせ、自分で食べるように促しているのではないか、と思いつくかもしれない。しかし、それは知らず知らずに小鳥を擬人化した素朴な考え方に過ぎないように思える。小鳥の親が「ウチの子も少し大きくなったから、ちょっとエサを控えて、じらしてからエサをやるわ!」などと、いちいち考えるだろうか。
 確かに、飛べるようになったヒナが親鳥のそばまで行って餌をせがみ、親鳥がそれを避けて飛んでいくとヒナがその後を追いかける・・・、そんな実際に展開する小鳥たちの様子を見ると、あたかも親が意識的にじらしているようだ。しかし、それは親鳥の気持ちを人間的に解釈しているに過ぎない。ヒナ側の積極的働きかけが成長とともに拡大したと単純に考えることも出来るのだ。ヒナの食欲なり行動に親鳥の給餌が追いつかなくなり、しびれを切らしたヒナの方が親についていって一緒にでエサを探しはじめる、同じ光景から別の解釈も出来るのである。
 そしてどちらの解釈が科学的に支持されるかと言えば、文鳥に性格も感情もあると考える私には、まことに遺憾なことだが、ヒナの行動を積極的に評価する解釈になってしまう。動物の行動を、いちいち物事を判断した結果とは考えず、基本的に条件反射に基づくと考えるのが動物行動学というものなのだ。例えば、口を開けば餌を与えたくなる本能=条件反射があれば、ヒナ側が口を閉じることで給餌はとまる。味も素っ気もなく簡単な話だが、これを親鳥側の意識的な行動と考えると、「いつも三口食べるのに今日は二口・・・、無理してももう一口あげなくちゃ」となる。そんなことを考えて行動する生物は、まず人間以外にはないので、やはり親鳥がじらしているとの考えは、戯画的、マンガ的で不自然と言わざるを得ない
(ただしヒナの成鳥とともに給餌衝動が治まっていく点は指摘できる)。
 つまり、小鳥の巣立ちのプロセスは、親鳥の行動によってのみ制約されるものではなく、ヒナ側により主体的原因
(成長による行動域の拡大)を見るべきだと思う。

 さらに具体的に検討したい。やはり、文鳥のことは文鳥に訊け、ヒナを手乗りとせずに、親文鳥が巣立ちまで育てた場合、親子がどのような行動をとっているかを見れば、飼い主の重要な参考にもなるはずだ。
 しかし、またもや残念なことに、私が文鳥の親鳥が巣立ちまでヒナの世話をするのをじっくり観察したのは、小学校の頃に一度あるだけである
(みんな餌付けし手乗りにする)。仕方がないので記憶の糸をたぐり寄せれば、それは、孵化4週齢くらいのヒナが巣箱から顔を出して親鳥にエサをせがむようになったことから始まる〈手乗りにするタイミングを逸し、失敗したと思いつつヒナが顔を出すのを見ていた)。その後ヒナたち(三羽いた)は親鳥の後を追い、親鳥がエサ箱で食べる横で「ガォ・ガォ」待つようになり(ずいぶんがっつきだねと見ていた)そのうちにエサ箱に首を入れ(おそらく本当に食べてはいなかったと思われる)、お腹がすいていれば餌をねだる(自分で食べているはずなのに欲張りだなぁと思いつつ見ていた)・・・、気がつくと自分でエサを黙って食べるようになり(非手乗りはつまらないと思いつつ見ていた)、エサをせがむことはなくなっていた・・・。
 小学生の思い出がどれほど正しいかはわからないが、文鳥は集団で行動し学習
(真似)をしておとなになる生物である事実をふまえれば(だいたい日本のスズメと同じような行動形態と考えている。スズメは若鳥集団を形成するか家族単位で行動する)、親鳥がエサを食べる横にヒナがいることは、重要な点であることに気づくのではなかろうか。ひとり餌も親の捕食をまねることから始まるということである。この点については、手乗り文鳥が巣立った後の行動から類推することも出来る。巣立ち後のヒナというものが、いかに好奇心のかたまりであるかは、経験者であれば誰もが知っているところだが、好奇心というものは学習のための前提だ。ひとり餌の時期に、その好奇心が昂進するのは意味がないことではあるまい。つまり、文鳥のひとり餌移行が、親鳥側の「努力」を想定するよりも、ヒナ側の積極的な働きかけにより行われるものと判断すれば、簡単に理解出来る。ヒナ側の好奇心が巣立ちを導き出す面が大きいのである。

 そのように考えると、親鳥の役割を担うことになった飼い主が、どのようにヒナをひとり餌に導いてやれば良いかは明白となってくるのではなかろうか。ようするに、ヒナの好奇心を引き出せば良いということに尽きる。
 好奇心を導き出すには・・・、遊んでやる以外にない。親鳥がエサを食べるのをヒナが見るように、飼い主が給餌スポイトの『育て親』に湯漬けエサをトントン入れるのを見せる。横でせがむヒナに、あわてて給餌した親鳥のクチバシからはみ出た粒エサをヒナがつつくように、ヒナの目の前で『育て親』からエサを少し出してかじらせてみれば良い。これは実に簡単なことで、自然に出来る話ではないだろうか。結局いい加減な私などは、無意識にそれをやっていたわけだ。

 飼育書の中には、ひとり餌のために、孵化一ヶ月程度で特別な給餌(エサの間隔を広げて飢えさせる)をするように薦めるものもあるし、さらにその期間は飢えているので、運動させないように主張する人までいる。そして、実に不可思議なことに、それが自然での生態にかなっているという・・・。良し悪しは別として、これは管理飼育で不自然なのは明らかであろう。いちいち食べさせる間隔や量を調節すると言う発想は、先にもふれたように人間的にすぎる。口を開ければ与える、開けなければ与えないと、自然は極めてシンプルなのに、わざわざ人間的に複雑にする必要があるだろう?そういった主張をする人たちは、自然状態で歩き飛べるようになったヒナが、巣の中で静かにしていると思っているのだろうか。「動き回るヒナを巣の中に縛り付ける親スズメがいますか? 」
 文鳥の巣立ちというものは、飢餓感からくるものではなく好奇心から生じると考えた方が自然なのは、疑いようもないのではなかろうか。このことは、巣立ち前後から数ヶ月の間続く好奇心旺盛な学習期、自然界で言えば集団の中で仲間の文鳥との生活の中で知識を獲得する時期、手乗り文鳥なら、飼い主をつけまわしていろいろな行動をし、我々飼い主を悩ませ楽しませるあの時期を知る者なら、理解しないほうがおかしいと思う。ひとり餌もその後連続する好奇心が、はじめて表出したものに過ぎないと考えれば簡単で、そこに親の教育ママゴンのごとき疑似人間的な管理機能を想定する必要は特にないのである。

※ しっかり管理して、ひとり餌に導く方法を否定する気はない。それで成功していれば、誰が文句を言えるものでもない。ただ、しつこいようだが、ある種不自然であることは明らかである。そして問題点も考えておくべきだ。もし先天的に成長の遅い個体であった場合、ある程度一律な時期(孵化一ヶ月)に機械的に給餌を制限することは、成長の阻害に直結する可能性がある。また、飼い主がベテランで、その開始の時期や給餌量の調節を、ヒナの様子を見ながら出来るなら良いが、未経験者が形ばかりマネをしてうまくいかず、いつまでも給餌制限、運動制限を続けたら、重大な結果をもたらすのは火を見るより明らかなのである。このような方法は必然性があるのかさえ疑わしく、また生き物に必ずある個体差を考えて十分に注意しなければならない方法(どうして初心者にそれが出来ますか!)であることは認識しておくべきだと思う。

 

実際はどのように接するか

 手乗り文鳥の場合、給餌を親代わりにおこなうのは飼い主で、親代わりにヒナに捕食などの範を示すのも飼い主しかいない。特に一羽を餌づけする場合は、絶対的にそのようになる。本来、好奇心のあるヒナがエサに興味を持たないわけがないので、もって生まれたヒナの好奇心を、親鳥が妨げないのと同じように飼い主が妨げなければ、自主的にひとり餌に移行できるはずである。そこで、私としては「管理」よりも、好奇心の芽を摘まないようにすることをすすめたい。あえてプロセスをあげるなら次のようなものだ。

手乗り文鳥の無理のないひとり餌プロセス

@ 孵化20日程度で、ワラなどの床材をかじるようなら、少し粒エサをま
いてみる。食後10分程度なら手の中も良いだろう
(=ヒナを抱擁しない親鳥などいない・・親と確信しないとその行動を真似しない?かもしれない)

A 孵化25日程度で、脚がしっかりと立つようになれば、給餌の際、数十センチぐらい離したところからエサを食べにこさせる(=親鳥にエサをせがんで巣の外に出るのと同じ)

B
孵化30日程度で、すでに飛ぶなら好きなようにさせることで、ひとり餌への移行をはかる(=親鳥について回り、お腹がすけば自分で食べようとしだすのと同じ)。この頃にはカゴの中に餌や水を入れ、気が向けばかじれるようにする。

 さらに、湯漬けの粒エサで飼育する場合は、エサを成長にあわせて固くしていく(お湯を吸わせる量の加減をしていく)とよりスムーズに粒エサに興味を持つかもしれない

 このように接して、孵化40日を過ぎてもひとり餌にならなければ、とりあえず成長の遅い文鳥と考えておく(自然界でも成長の遅い個体はいる。その場合、『飢餓感』から巣立ちするタイプの鳥は本能が発揮されずに淘汰されるだけだが、『好奇心』から巣立ちするタイプは、簡単には親鳥は見捨てないだろう)。そして、孵化二ヶ月程度になってもひとり餌にならなければ、はじめて給餌の量を制限し、意識的に少し飢えさせることでひとり餌を促すことを検討したら良いと思う。すでに飛翔力も上がり、筋肉もしっかりしているはずなので、少々行動を制約しても成長に悪影響は少なくなる。このまま自分で捕食出来ない状態が続けば、健康上悪影響がでるおそれが強いので、不自然におこなう訓練行為もやむを得ないだろう。自然な生態にかなった飼育をおこなって、問題が起きてしまったら、人為的な介入をする、そういった姿勢でありたいと私は思う。

 なお、飼い主との遊びは、特に一羽飼育の手乗り文鳥にとってごく自然な行為であることを明記しておく。なぜなら、仲間と戯れる時期に他の文鳥がいない彼らにとって、飼い主が唯一の遊び相手、好奇心の対象とならざるをえないからだ。結果、とても自然とは見えないベタベタに人慣れした文鳥となっても、仲間と遊ぶ時期に誰とも遊ぶことが出来ず、学習期間を無為に過ごしたカゴの鳥よりも、はるかに「自然」な状態なのである。
 また自然ということなら、自然界で完全に巣立ちした後の子供は、親から攻撃されるのが一般的ではないかと指摘する人がいるかもしれない。なるほど、それでは飼い主は昨日まで「我が子」のように育てた手乗り文鳥を、親鳥のように突然邪険に扱うべきだろうか。・・・そんな不自然は人間として許されないだろう。文鳥にとって親だった飼い主は、さらに一緒に遊ぶ友達であり、恋愛の対象であり・・・、文鳥の主観としてみれば、そういった重要な立場であり続ける。役割は一つではないのだ。飼い主は、手乗り文鳥にとって重要な存在であり続ければ良いし、それがお互いに幸福であり、一羽でカゴの中で飼い主を友達とも恋人とも思えず生きていくよりは、むしろ「自然」な状態と言えるのである。
 手乗り文鳥にとっての自然というのは、そのように考えるしかないのではなかろうか?手乗りではない文鳥を、カゴで飼うのは不自然かもしれないが、手乗り文鳥を人の手近くのカゴで飼うのは自然なのだ。漠然と「自然に帰れ」という人がいたら、まずご自分が服を脱いでジャングルに帰ることだ。まず生きてはいけないだろう。それこそ「自然」なのだ。同じように、文鳥もやはり自然界では生きてはいけないことを忘れた議論は成り立たないのである。


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