文鳥問題.

《文鳥の御守

 以前、掲示板の書き込みに文鳥のお守りはないかといった話がありました。最近、犬猫用をうたったお守りが一種のブームになっているので、文鳥用はないものかというわけです。その際、文鳥は無理でも鳥にちなんだお守りならあるだろうと、ネットで検索したところ、どう見ても原種の文鳥の外見をしたお守り(亀戸天神の『ウソ鈴』)を見つけて、びっくりしました。結局手に入れたそのお守りの紹介を兼ねて、宗教とペットのお守りについての雑感を書きとどめておきます。【2004年8月】


  ペット向きの宗教

 日本の神道というのは、原始的なアニミズムに端を発したもので、森羅万象ありとあらゆるものに等しく霊魂があり、それぞれみんな神となる(八百万(やおよろず)の神)といった思想を基本にしています。犬や猫や文鳥やその他もろもろのペット動物やその他の動植物、さらに無機物である鉱石だろうと、神霊が宿れば信仰の対象です。
 つまり、人間とその他の区別が無いと言って良いので、そこの祭神が何であろうと、人間でもペットでも、その幸福をお願いして何の差しさわりもないと言えます。わざわざ「ペット専門の神社」など探す理由はないわけです。
 その点、シッダールタ(御釈迦さん)という人の思想を起源とする仏教も、輪廻転生(生き物は死んだら生まれ変わり、同じ生き物になるとは限らない)という考え方が示すように、本来の教義に人間と動物に区別はなかったはずです(御釈迦さんは鹿に講義したりする)。しかし、仏教は、インドのカースト制(厳格な身分制度)社会の中で、その影響を強烈に受けつつ変容した結果、功徳によって生まれ変わりが左右され、人間が悪行が重ねると地獄へ行き、さらには「畜生道」に落ちる、ようするに人間以外の動物に生まれ変わってしまうといった理解がなされるようになっています。人間と動物を明確に差別しているわけです。
 つまり、お寺に行ってペットについての願掛けをしても、「ペットのことなどわしゃ知らん!」と言うご本尊や坊さんがいても不思議はありません。
 一方、イエスという預言者の教えを起源とするキリスト教では、人間は万物の霊長
(ボス)として一神教の神から身分保障された特別な存在となっています。ようするに、人間は神様から動植物の管理を委託された存在なので、その生殺与奪は勝手次第ということになります。この思想は、神が人間に愛情を注ぐように(と信じている)、人間は他の動物に愛情を注ぐのが神への義務といった豊かな考え方にもつながりますが、根本的に人間と動物をはっきり区別しているのは否めません。
 つまり、教会でペットについてお祈りしても、「ペットのことは汝に任せた!」と言われるのが当然の帰結となります。

 以上、はなはだ大雑把に見ていくと、文鳥について「困った時の神頼み」をするなら、神社が適当と言えそうです。仏教だとお寺の本尊がお釈迦さんとか、「地獄に仏」のお地蔵さんあたりなら話を聞いてくれそうな気がしますが、犬猫なら目を向けてくれるお寺さんでも、鳥については「わしゃ知らん!」である可能性はありそうです(適当に由緒を作り出して何とでもしそうな気もしますが…)。ましてキリスト教の教会で、ペットに対する現世利益を求めるのはちょっと妙な話で、飼い主である人間の心の救いを求めたほうが良さそうです。

 神社と因縁のある動物

神社の系統 神使
日枝(日吉)・山王神社
稲荷神社
春日神社 鹿
大国(大黒)神社
熊野神社
天神社(天満宮)

 あくまで現世利益ねらいの「困った時の神頼み」派の人間として、神社で御願いするにしても、何しろ八百万もいる神様ですから、この際少しでも鳥に縁がありそうな神様を探したいものです。
 そこで、まず日本の神様と動物の関係を見れば、「神使」というものの存在が注目に値します。これは神様が人に何か伝えたりする時、ようするに使い走りをする動物ですが、自分の家来のような動物に対しては、神様もことさらに目をかけてくれるはずだと思えるのです。

 この神使となる動物はそれぞれの神様によって違います。例えばお稲荷さんのキツネは有名ですが、他にも、日枝(日吉)・山王ときたらサルです。豊臣秀吉は織田信長から「猿」とか「はげ鼠」とか呼ばれていましたが、幼名は日吉丸で、もともとサルに縁があったわけです。さらに春日のシカも有名です。奈良に行って鹿にせんべいを食べさせた人も多いでしょうが、あれはもともと春日大社が神使として鹿を保護したので、あれだけ生息しているのです。また仏教にも通じる大国(大黒)のネズミも、七福神の大黒さんの小槌の横にその姿を見たことがあるかもしれません。大黒さん、大国主命(おおくにぬしのみこと)といえば『因幡の白兎』でウサギを助けたことで有名ですが、かなり苦労した人物(?)で焼き殺されそうになった時、ネズミに助けてもらったといった経歴があり、それがネズミを神使とする由緒になっています(ハムスターなどげっ歯類のことなら、大黒様に御願いするのが効果的というものです)
 鳥類を神使にする神様もいらっしゃいます。例えば八幡のハトです。鶴岡八幡宮のある鎌倉の銘菓ときたら、豊島屋の『鳩サブレ』ですが、あれが鳩型をしているのは八幡さんのハトにちなんでいます。また、熊野のカラスも有名です。これにはイワレヒコ
(神武天皇)さんが、紀伊半島の熊野から大和(奈良県)に攻め入った際に、八咫烏(ヤタガラス)が道案内したという由緒があります。三本脚の八咫烏が日本サッカーチームのエンブレムになっているのを知っている人も多いでしょう。そして最後に天神のウソ、これは天神こと菅原道真さんが蜂に襲われた時に、小鳥のウソ(鷽)が蜂を退治してくれたといった由緒になっています。

※神使どころか神様自身が鳥になったりもします。ヤマタノオロチ退治で有名な英雄ヤマトタケルさんが白鳥に変わった神話がありますが、大国主さんがいじめにあって火傷した時に、その治療にあたった宇武加比売(ウムカヒメ)さんは、なぜか知りませんが小鳥の鶯(ウグイス)になります。

 嘘のような鷽の話

 他にもヘビやカメも神使いになりますが、関係ないのでここでは触れず、鳥の神使の中に、文鳥と同じスズメ目に属する小鳥ウソがいるのに注目します。何しろ、文鳥はカエデチョウ科、ウソはアトリ科と少し違いますが、両者には大きさや形、黒い頭、灰色の胴体といった類似点があります(右の絵は♂)。以前、ある扇動政治家さんのご家族の記事で、出版停止となった某週刊誌の表紙がたまたまウソの絵で、そのヨタ記事に対する訴訟騒ぎのおかげで、さんざんテレビで紹介されたものですから、「あれは文鳥ではないか」と思った人がたくさんいたくらいです。
 これは「使える」と考えて、天神さんとウソの関係を調べていると、天神さんに『鷽替え神事』というのがあるのを知りました。
 「今迄の悪しきもウソとなり吉に取りかえん」
 鷽と嘘、取りと鳥をかけた駄洒落ですが、悪いことが嘘に変わるという招福の祭事で、木彫りのウソ像を参詣者間で交換したり、中に金とか銀の当たりがあったりするという、もともとはなかなか楽しげなイベントで
(前年の鷽像=前年行なった嘘の数々は、神社に納める)、太宰府天満宮で古くから行なわれ、今では全国の天神社に広まっているようです。

 この『鷽替え神事』で使われるウソ像は、神社によってさまざまですが、東京台東区の亀戸天神のそれは、頬ではなくクチバシが赤く見え、まさに文鳥そのものの姿をしています!しかもウソ像は正月の初天神の日限定ですが、ウソ型の土鈴のお守り「鷽鈴」は通年売っているらしいのです!
 さすがにお願いするだけに、横浜から亀戸まで行く気はなかったのですが、「鷽鈴」目当てに行ってしまいました・・・。そして手に入れたそれは、頬ではなくクチバシが赤い、どう見ても文鳥の姿です
(写真ほぼ原寸大。値段は600円、小さな根付タイプ700円もあり)。お腹には桜ではないものの、梅模様までついています(「東風吹かばにおい起こせよ梅の花・・・」)。これは少なくとも、桜文鳥愛好者にとっては「文鳥お守り」というにふさわしい外見です。

 せっかくなのでその後、各地のウソ像を調べると、ネット上でわかる範囲でも、太宰府天満宮に代表される目の細長い文鳥とは程遠いタイプと、亀戸天神社に代表される文鳥タイプがあるのがわかりました。
 文鳥タイプとしては、東京の亀戸天神・五条天神・新井天神、愛知の上野天満宮・芭蕉天神、大阪の道明寺天満宮・大阪天満宮、高知の潮江天満宮が挙げられ、道明寺天満宮は亀戸同様に土鈴なら通年手に入るようです。

 ところで、亀戸で『鷽替え神事』が始まったのは文政3年(1820)とされており、これは備前(岡山県)の佐藤九郎冶さんが大規模に文鳥を繁殖させ江戸大坂に売り、かなり文鳥がありふれた存在になっていた時期と重なります(『文鳥の歴史』)。つまり、イベントとして『鷽替え神事』を導入しようと考えた時、大宰府系のものより愛らしいウソ像を手近の文鳥をモチーフにして作った可能性は、案外大きいかもしれません。
 実はウソ像は文鳥像、鷽は嘘で文鳥が本当・・・?いや、むしろそういう事にして、桜文鳥愛好者はこれを文鳥のお守りとして、悪いことをウソに変えてもらうのはいかがでしょうか。

 

 以上で終わると、他の色の文鳥はどうするのか、お守りになりそうなものは無いのか、と言われそうです。その点については、白文鳥の発祥地、愛知県弥富町の観光関係者などが何とかしてもらいたいところですが、とりあえず個人的には鳩を模したお守りがお薦めです。例えば鎌倉鶴岡八幡宮の鳩鈴は、白、金、銀の三種類あるので、それぞれ白用、シナモン用、シルバー用になりそうです(八幡宮のHPから「授与品」を見ることが出来ます)
 また、そもそも「イワシの頭も信心から」というくらいで、何か自分でつくったものをお守りにする手もあります。その手製のお守りを、神社で御祓い、寺院なら御祈祷してもらえば、権威付けも万全でしょう。


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