文鳥問題.

《野生文鳥》

 以前、尊敬する文鳥系ホームページの管理人さんに挨拶ついでに感想をメールした際、文鳥村(愛知県海部郡弥富町)に行くのなら、近くで野生化している文鳥を観察出来れば面白い、と余計なことを書いてしまった。その後、面白い話を伺ったとのお返事を頂いて、私はかえってまずいことになったと思った。もしこの怪しい情報を信じて野生文鳥を見に行くような事があり、無駄足になってしまっては申し訳がないではないか。

 もちろんそれなりに根拠はあったので、責任逃れにお示しすることにした。

 文鳥の日本での野生化は戦前から首都圏をはじめ、多く見られたようですが、戦後にはなぜか姿を消し、今現在の生息地としては東大阪市玉串町周辺が有名なようです(小林清之介さんの随筆「文鳥」より)。
 そして『愛知百科事典』(1976年)のブンチョウ項によれば、「県下で野生化している場所としては名古屋市守山区や海部郡弥富町の鍋田干拓地が知られている」
 そうです。確かあの辺には野鳥園が出来ているように思ったので、まだいるのではないかと思います。

 弥富町のまさに鍋田干拓地には『弥富野鳥園』という施設もあるので、きっとそこで、ごく近所の生産地から何らかの事故で外に出たものが、寄り集まって野生化するにいたったのであろう文鳥の姿を観察できるものと考えていたわけだ。
 ところが、気がかりな点があった。『弥富野鳥園』を説明するホームページ(参考までに
http://www1.odn.ne.jp/~cbw51870/newpage17.htm)には、「セキセイインコ、キンパラ、ギンバラ、ベニスズメ、ヨーム、フラミンゴ、ショウジョウインコ、コウカンチョウが観察されている」とあっても、文鳥の名がない。百科事典は20年以上前の話だ。どうにも心細くなってしまった。

 しかし、東大阪市の野生文鳥なら確実に観察出来るはずだ。何しろそこでは50羽もの集団が群れ飛んでいたとされているのだから・・・。
 ところが最近これが消滅していると言う個人的には衝撃的な事実が判明してしまう。大阪市立自然史博物館で鳥類の御研究をなさっている和田さんのホームページ
(『和田の鳥小屋』)に「一時期、東大阪で繁殖していたが、
現在は繁殖していないと考えられる。」との記述を見出したのだ。

 なぜ、消滅したのだろう。私は想像をめぐらすことにした。
 どこで読んだのか思い出せないが、確か東大阪市の神社で野生化した文鳥の餌付けをしているという記事があったような気がする
(未確認)。『スズメのお宿は街の中』と言う本(中公新書 )に東京の神田で、大量のスズメが集まる地点があり、そこに大量のエサを与える(餌付け)人が存在していたと言う話を読んだ記憶がある。
 そのようなあやしい知識をもとに、私はきっと
餌付けする人がいなくなったので、東大阪の文鳥も消滅していったものと考えてみて、とりあえず迷惑を顧みず和田先生にご質問することにしてしまった。
 そしてお忙しいにも関わらず、電撃的素早さで返信を頂いた。その内容を要約すると、

@ 野生文鳥が存在し餌付けしている人がいたが、その餌付けがなくなり、その後文鳥も姿を消したと言う事実があった
A しかし繁殖していたと言う事実は文鳥が環境に適応していた事実を示しており、また餌付けがなくなっても文鳥の食べられる野草は存在するので、それが消滅の
直接原因とは考えにくい
B 今のところ野生文鳥消滅の理由は特定できないが、他にも一時繁殖したものでも定着しない例があり、
生態学的な問題があるのかもしれない。
 

 と言ったことになる。しかし、これでは、むしろわかりづらいので原文を載せておこう。公的機関からの回答で私信ではないので、お断りしなくても問題なかろう。


 ご指摘の通り、東大阪市で野生化したブンチョウの群が存在していたとき、
盛んに餌付けをしていた人がいたと聞いています。50羽もが集まっていたのはそれが原因だと思います。また餌付けが行われなくなって、ブンチョウも見られなくなったといいます。

 しかし餌付けがされていたからといって、繁殖に直結するわけではありません。繁殖が一時的にせよ行われたという事は、温度条件や営巣環境が、ブンチョウにとってそれなりに整っていたと考えるべきです。そしてそういった条件は餌付けがなくなったからと言って、変わってしまうとは考えにくいでしょう。
 もちろん餌付けによって餌条件は大幅に変化します。しかし、ブンチョウの食物は、日本にもともといるスズメやカワラヒワと大差ありません。餌自体は野外にたくさんあると考えられます。餌付けが行われなくなったからと言って、
個体数が激減するというのも考えにくいと思います。

 したがって野生化したブンチョウが減少したこと、そして繁殖が記録されなくなったことの原因のすべてを、餌付けの有無に求めるのは無理があると考えています。じゃあどうしてブンチョウはいなくなったんだ、と問われるとはっきり答えられないのですが…。

 ブンチョウに限らず、逃げ出した飼い鳥が、一時的に繁殖して定着したかに見えても、その多くはすぐに消滅してしまっています。確実に定着に成功しているのは、ドバトとホンセイインコとソウシチョウくらいでしょうか。ここには何か生態学的におもしろい問題が潜んでいそうですが、手をつけかねているといった所です。

 「生態学的な問題」、和田先生のイメージとはおそらく違った意味合いで(多分生態系の問題を想定されている気がする)、私はこの言葉に関心を持った。考えてみたら野生の文鳥がどのような行動様式(生態)をもつのがわからないのだ。年中集団行動をしているのか、季節的なものなのか、スズメのように普段は集団化せず若鳥だけが集団化するのか。もしも年中集団行動するとしたら、スズメのように三々五々餌付け地に集まって来るわけではないので、ある程度まとまった食料が存在しない限り集団を維持することは出来ないかも知れない。つまり、文鳥にそういった生態があるのなら、和田先生のご回答には反するようだが、餌付けの消滅はかなり直接的なインパクトとなっている可能性が残っているような気がした。

 ともあれ、存在を有力視していた東大阪市にも野生化した文鳥はいなかった。さらに次のような断片情報も見つけた。1997年の東京都の「鳥類繁殖状況調査」によれば、1970年代に都内でも繁殖野生化していたらしい文鳥が、存在しなくなったという。ここでも定着出来なかったわけだ。

 考えてみれば、文鳥が野生化して群れをつくって生活していると言う話は、ずいぶんと昔から存在している。すでに江戸末期には市中を飛行するものあるに至る」とブンブン飛びまわっていたらしいし、石井時彦著『文鳥と十姉妹』によれば、大正時代(1920年頃)には首都周辺だけでも羽田、川崎、鶴見などの河口沿岸部に群生していたと言うし、千葉県市川市の新浜鴨場(皇室の御狩場のある所、確か今の皇太子ご夫妻がデートしていたとか言う話があった)には秋から冬にかけて数百羽の大集団で飛来した(春になるといなくなったそうで、生態学的に面白そうな話)とも言う。やたらに野生化していた様子なのだ。
 首都近辺だけではない。石井さんは「関西地方にも似たような話がある」としているし、農林省の『鳥獣報告集』昭和3年
(1928)8月の記事に「県下早良郡原村字荒江の南瓜畑及び小豆畑に約三十羽の文鳥を見たりとの報告を受く」とあるのは福岡市の早良区の話だ。
九州でも飛びまわっていたのである。

 私はこれら昔の野生文鳥は、飼われていた鳥が逃げ出したものというより、神社や仏寺が放生会(「ホウジョウエ」、カゴの鳥やオケの魚を逃がす儀式)に文鳥を使ったのが原因ではないかと推測している。本当に文鳥を用いたかは調べていないが、野鳥を捕まえて放すより(こう言う偽善的なところが儀式)文鳥を買ってきて放す方が簡単だし見栄えも良いはずだ。昔の人には外来の飼鳥を、日本の野山に放してしまうことを残酷だとか、生態系を壊しかねない無責任な行為だとか考える感覚はなかったから、どんどん外に出してやったのではないかと思う。
 考えてみれば、石井さんが群生していたとしている羽田には穴守稲荷、川崎には川崎大師、鶴見には総持寺と言う大きな寺社がある。偶然のような気もするが、大寺社の近くに河口部の低湿原地があるところで、存在していたような印象を受ける。

 もし放生会が文鳥が野生化するきっかけを作るものなら、第二次大戦後にはその機会自体が激減したはずだ。まして今、儀式で文鳥を外に放したりしたら、世間から動物虐待として袋叩きになるのは間違いない。となると、幸か不幸か、今の数倍も文鳥が出回った1970年代あたりには、外に逃げ出す、もしくは捨てられてしまった文鳥が大量に存在し、大消費地では容易に集団化する事があり得ても、今後は野生化する文鳥は出現しにくいかもしれない。
 弥富町の野生文鳥の起源は、ひょっとしたら1959年の伊勢湾台風かも知れない。この時大洪水で弥富の文鳥も大被害を受けたと言うから、その際
まとまって難を逃れたものが野生化したのかもしれない。もし、その文鳥たちの末裔が消滅してしまったとしたら、もはや同様のきっかけは起こりがたいので、復活することはないかもしれない。
 また、東大阪市の野生文鳥は、たまたま大消費地の大阪市辺りから流れてきた文鳥が、
手厚い人間の保護(餌付け)のもとで繁殖し得た特殊ケースかもしれない。

 結局のところ、文鳥は百年以上も日本各地で野生化を繰り返しながらも、ついに定着出来ずにいるわけだ。その理由は和田先生のおっしゃる通り、いまだ不明だが、今後ともに定着は難しく、スズメのように近所で文鳥が飛び跳ねるといった情景は、永遠の夢に過ぎないのではなかろうか。


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