文鳥学講座


第1回 ー飼い方の流儀ー

「あなた(飼主)の性格にあった飼い方をしなさい!」

 エサと新鮮な水を欠かさないという前提を別にすれば(もちろん不必要な虐待行為は問題外)、これが原則だろう。毎日完璧に掃除をし、定期検診を受けさせ、暗くなったら触ってはいけない。などと文鳥の健康について望ましいことを数えあげていったら、文鳥を飼おうと思う人は激減するに違いない。そういうのは飼い主の判断で好きなようにやれば良いのである。どんなキレイ事をいい、実際家族同然に暮らしていたとしても、ペット動物は飼主である人間に左右されて生きざる得ないのだから、飼主の方が文鳥を飼うことでストレスを感じてしまっては、何にもならないのである。飼主が負担に思うようでは、結果的にペットも不幸になってしまうだろう。

 このHPの内容などは怪しい存在だが、一般に文鳥関係のHPは健康的に正しい飼育を励行する傾向があるように思う。それは公共性を考えれば当然のことであり、十分傾聴に値し、参考にすべきではあるが、あまり健康面ばかり強調すると、管理者の意図に反して健康に長生きさせるためだけに文鳥を飼うような誤解をされかねないような気がしないでもない。そこで、本来健康や長生きさせることは副次的であることを、文鳥を飼うにあたっての心得として念のため強調しておきたいと思う。
※ なお、文中批判がましい点があったとしても、否定する気はさらさらない。「・・・とは限らない」と主張したいだけなので、その点ご理解いただきたい。

 例えば・・・。
 三度のご飯は30分以上かけてゆっくり一口を100回かんで飲み込まねばならず、一日三十品目以上の無添加、無着色、野菜なら無農薬の食物を口にし、場合によっては栄養剤で補い、塩分のとりすぎには始終注意を払わねばならない。もちろん水については水道水などは一日汲み置いたものか、浄水器を通さない限り飲んではならなし、ミネラルウォーターが好ましい。そして一日に一万歩は歩き、午後八時以前に就寝し、朝は日の出とともに起き、日暮れには寝るのが夜目のきかない生物の自然の摂理にかなっている。当然、嗜好性のあるものは酒タバコどころか、ジュースやお菓子のような糖分の多いものも食してはならず(酒は一日日本酒で二合以下、週に二日は休肝日にするとか何とか…)、しかもこれらをすすんで喜びながら実践しなければならない。もちろん日常生活では激怒したりしてはならず、
くよくよ悩まず微笑を浮かべているのが望ましい。そして、それほど気をつけた上に医者の健康チェックは最低三ヶ月に一度は検査を受けねばならない。

 医学が推奨する長生きするための人間の生活とはこんなところだろう。どれも健康で長生きするためにはまったく合理的であり、否定する余地などないのかもしれない。しかしそこまでして長生きしたくない人も多いのではなかろうか。私はといえば、煙草を吸わないし酒を飲まなくても禁断症状は出ないが、こんなことを言われたら「医者め、何ぬかす」と思ってしまうだろう。どうすれば、ストレスを感じずすべて実行できるのだ!
 大体何で長生きしなければいけないのかもわからない。上のような養生訓が医学的、科学的に正しく、それによって寿命が60年から120年になったところで、60年も余計に年寄りとして過ごすだけではないか。その間
ゲートボールで派閥争いなどして何の意味があるというのだろうか。真っ平ごめんだ。・・・・・、という考え方(思想)だってありうるし、それを医者が四の五の言う権利はない。というより、言うわけない。出来る限りの実行を薦めているだけの事である。
※ 誤解のないように断っておく。医者は健康を守るための存在であり、そのための方法論(養生訓)を主張するのは当然であり、それは主張してもらわねば困るのである。医学的な主張そのものではなく、それを聞く側にある程度の批判力が必要であると思うだけである。考えてもらいたい。昼の「みのもんた」さんが紹介する健康法をすべて実行したらどうなるかを…。

 文鳥も健康で長生きさせたければ、餌は殻付どころか栄養バランスのとれた加工飼料を与えるべきで、市販のボレー粉などは合成着色料がベタベタだからカキガラから自分で作るべきで、その点市販の粟玉の栄養価も怪しいので、これも自分で作った方が良く、ついでに小松菜も自分で無農薬で栽培すべきであろう。当然水も水道水などもってのほかで、少なくともくみおきの水を使ったほうが良いに決まっている。
 とか何とか食事面だけでも数えあげればきりがなく、これだけでも実行しようと思ったら苦痛以外のものではないと私は思う。加工飼料であるペレットなどなかなか売ってないし、はっきり言ってまだ高い。カキガラも手に入れるだけでもくたびれるが、これを砕くとなったらめまいがする。自作の粟玉は日もちが悪いし、小松菜の無農薬栽培など
イモ虫にディナーを提供するだけに終わるのは目に見えている。つまりこれも理想であって、理想に過ぎないのである。

 さらに、いくら栄養バランスが良くても、コーンフレークのようなシリアルフードに抵抗がある人がいるように、ペットにペレットを与えるのを感情的に受け入れがたい場合もありうる。自然の穀物で成長できるならそれにこしたことはないという判断だって十分にありうるし、第一、人間の残り物ではバランスのとりにくい犬や猫の食事とはかなり事情が違うような気がする。
 また、文鳥の場合は餌付けをして手乗りにするのが日本では一般的だが、この餌付け用のエサとしてパウダー状のものを注射器で与えた方が科学的には正しいとしても、餌付けの楽しさは給餌器で粒餌を与えるより半減してしまうとしたら、本末転倒と言えるかもしれない。この辺になってくると人情や飼主の信条の問題にもなってくるのである。

 「健康で長生きさせる」という命題を掲げれば、医学的(科学的)な考えを無視することは出来ない。しかし、いかにすれば幸福(自己満足)を感じることが出来るかという問題を中心に考えたら、機械的には解決できなくなってくる。思想信条を問題にすれば、これも人間と同じで長生きさせるだけが飼主とペットの幸福につながると絶対的には言えないのである。
 食事など生活において健康に努めて長生きさせる(するのではなく「させる」のである)のは十分賞賛に値するが、長生きだけに価値を持ってしまうとしたらそれは間違いだろう。長生きそのものではなく、
ペットである動物が長生き出来るほどに大切に飼育してきた姿勢こそが重要なのであり、健康的な文鳥飼育を薦める人々の真意はそこにあるに相違ない。そこを勘違いして、何年生きたから偉いとか、何年で死んでしまったのは自分のせいだとか考えるとしたら浅はかといわざるを得ない。
 大切に飼育してきた(というより感覚としては、対等に付き合ってきた)と飼主である人間が納得できるのなら(何を幸福と思っているか一方の当事者である文鳥側の気持ちはわからないので、飼主側の個人的感情以外に基準がない)、生きた年月の
長短にどれほどの意味もないのである。

 といっても、自分が大切にしているペット、さらに家族同然に愛する生物が早く死ぬように意図する人などいないであろう。「出来るだけ」ペットに長生きして欲しいと思った時、そこではじめて医学的な主張をかえりみて、飼主である自分に出来る範囲で応用していけば良いのである。

 例えば私も、リンクさせて頂いているHPなどの内容を参考にして取り入れることはあっても、鵜呑みにすることは全くない。例えばヒナの保温は27〜30℃が「医学的」なようだが、我が家でそれを実行すると、暑すぎるようでガサゴソと寝つかなくなる。なぜかはわからない。一羽でなくたくさんのヒナがいたからかもしれないし、フゴの底にわらを敷いたりしていると保温力が増すのかもしれない。わからないが、経験則として25℃以下にしている。全然教条的には考えない。
 また、ビタミンとかの栄養剤を飲み水に入れることを薦められても、とり入れない。理由は
そんな薬剤は嫌だからで、他に何の理屈もない。「理想的な」栄養が取れなくとも、文鳥は数百年も繁殖し、人間は数千年も寿命を延ばしつづけているが現実なので、栄養剤をたらすという行為も飼主の気休めの要素の方が大きいと思っている。

 さらに理想的な飼育には反するが、掃除が大変なら、二週間に一度程度でも底にフン切りがあれば何とかなるし、定期検診など受けるより、毎日文鳥の体調を確認する方がよほど重要なのは指摘するまでもないのである。また、早寝早起きが自然の摂理であっても、飼主側に仕事がある場合、手乗り文鳥なら夜であっても出して遊ぶほうがお互いの幸福に決まっているのである。そのためには、日中は静かにすごせるようにし、夜間遊ぶように生活リズムを変えれば良いので、何が何でもお日様の動きに合わせることはない。つまり人間と同じで、生活リズムがいちじるしく不規則だと不健康となるだけで、杓子定規に考える必要などないのである。なぜなら、そんなことを言い出したら人間が夜勤をするなど犯罪行為となってしまうではないか。
 また、市販のボレー粉の合成着色料が心配であっても、カキガラなど加工出来なければ、ボレー粉を洗って着色料を幾分でも落とせば良いし、野菜も水耕栽培の小松菜だってある。目を三角にして完璧を目指さなくても逃げ道はたくさんある。
※ 人間が合成着色料ベタベタ、飲んだら舌が真っ赤になるようなジュースを飲んでいても死ななかった(20年以上前のジュースはみんなそんなだったから、今30歳以上の人にこれからどう影響するものかわからないが)ように、どれほど文鳥に影響を及ぼすものか見当がつかない。健康に良いわけないが、はっきりと影響が出た様子が見当たらないのが現実のところであり、これをどのように判断し対処するかはその人の考え方次第であろう。
 白状する。私は平気で合成着色料のついたボレー粉をそのまま使ってきた。別に何の問題もなかったが、HP『飼鳥の医学』の指摘を読んで気になりだし、最近ザルに入れひと煮立ちさせてから水洗い、水を切って、皿に移してレンジで5分、という行動をとっている。しかし、別に絶対必要な行為とは思っていない。これも自己満足である。

 つまり、文鳥に限らずペットを飼う中では、医学的(科学的)な理論、飼育から生まれる経験則、そして飼主の思想信条という三つの要素が、飼う人それぞれの比重で複雑に絡み合い、その人の飼育スタイルがだんだん形成されるものだと私は思うのである。従って、始めから「かくあらねばならぬ」的に堅苦しく考える必要はどこにもない。いろいろある流儀をHPなどで参考にしながら、自分に合った部分をつまみ食いして、自己流を確立していってもらいたいと思うのである。
 特に『文鳥団地の生活』などは参考までに…。

来月は飼育書について


このコーナーは好き放題に私見を書いているわけですが、個人的に論争は大好きなので
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