文鳥学講座


第4回 ー文鳥のポテンシャルー

 「ブンチョウを侮るべからず」

 小鳥に過ぎない文鳥は、頭も小さいから、当然愚かでろくな感情もないとるに足らない生物と思うかもしれない。ところが人間と全く同じではないにせよ、明らかに感情をもっており、小鳥の中でおそらく最も好き嫌いが激しく、個性も豊かである事を、手乗り文鳥を飼った人間で否定する人はいないのではなかろうか。仲間内での、友情や嫉妬、さまざまな関係を見ていると、人間とそれほど変わらないのではないかと思えてくるほどである。
 しかし、彼らは人間とは全く異なった生物であることも確かなので、完全に人間と同一視するのは感心できない。人間とは違う生物ということを少し考えにいれて接した方が、より文鳥という生物を理解できるのではなかろうか。

 人間と文鳥の違い、姿形を別にして、より根源的な問題としては、例えば、性別の決定の仕方が違う。人間というより哺乳類の場合、性別を決定するのはXとYであらわされる性染色体で、これを両親から一つずつもらって組み合わせがXXなら女性、XYなら男性となる。ところがこの際、女性である母親はX染色体しかもたないので、性別の決定は男性である父親側の染色体がXかYかで決まってしまうのである。
 つまり、昔の人が女の子ばかりを産む女性の事を
「女腹」などと冷たく扱ったのは、まるで理のない妄言だったわけである。
 そうなると、7女の父親で、息子が1羽も産まれなかった『文鳥団地』の初代文鳥ヘイスケ氏などは、さしずめ
「女ダネ」と言う事になろうが、ところがそうではない。人間、哺乳類とは逆に、鳥類の性別の決定はメスの側にある。オスはZZ、メスはZWと性染色体をあらわし、メス側がZ型かW型かによって性別は決定されるのである。

 ことほど左様に人間の属する哺乳類と、文鳥の属する鳥類には違いがある。その鳥類は今から1億4000万年前程前、うろこが羽毛になり保温に適した種族として恐竜から分化し、さらに樹上間の移動の際に羽毛を滞空に利用できることから、徐々に飛行能力を進化していったものと考えられている(ただし異説もあり)。
 その鳥類の中で、文鳥の属するスズメ目は現在の地球に最も適応した存在で、全鳥類約8600種のうち約5000種を占めている。その中でも、文鳥等のフィンチ類やカラス科の鳥たちは、体のわりに大きな脳をもつのを特徴としており、鳥類の中では
最も進化しているといわれている。
 進化とは頭の良くなる事ではなく、進化したものが絶対的に優れていると言うわけではないが、哺乳類の中でもっとも現環境に適応して繁栄しているのが人間なら、鳥類のそれはスズメ目とみなす事は可能であろう。つまり文鳥は進化の最先端にいる生物なのである。

 ここでは、その最先端の鳥類の一種である文鳥の能力の一端、飛翔能力と視覚について少しご紹介しよう。

 

 ≪飛翔能力≫

 人間は飛べない。文鳥は飛ぶ。当たり前の話だがこれは決定的な違いである。彼らは飛ぶために、胸の筋肉が大発達し、体は異常なほど軽くなっている。歯のような重量が必要なものを切り詰め、骨の中もスカスカになっているのである。
 そして一概に翼といわれるものにしても、実は
結構複雑な構造になっている。飼っていてもあまり気にしないものだが、たまにじっくりと観察すると面白いものである。

大まかな羽の名称
初列風切り羽は下(体側)に収まる 飛行中の写真を基にしている
・ 雨覆は「アマオオイ」と読む。翼を閉じた状態では背中の羽毛にほとんど隠されてしまう。
・ 次列風切羽の根元部分の数枚は三列風切羽とも呼ばれ、閉じると最も表面に現れる。
 桜文鳥でこの羽が白いと背中から尻尾に白い筋として現れ、特に目立つ。
・ 小翼羽は翼の付け根側(右の図では「小・中雨覆」の小の字の上あたり)にある小さな羽。

 例えば桜文鳥の場合、風切羽に何枚か白い羽があったり、特に普通は体色(灰色)のはずの根元の三枚に、白や、黒羽が混ざっていると目だって個性的な姿となり、複数で比較出来れば、なかなか興味深いものがあると思う。

 ところでこの翼を駆使してどれほど文鳥は飛べるのか。室内での飛行は素晴らしい。空中旋回や空中静止(ホバリング)をこなし、小回りが効くし、スピードもかなりのものがあって危険なほどである。
 資料がないので野生の文鳥の飛翔能力の程は良くわからないが、飛翔の持続力についてはある程度想定できる。文鳥の原産地はジャワ島とバリ島に限定されるそうなので(江角正紀著『文鳥の本』)、ジャワバリ間の3、4キロの海は越えられても、スマトラ島との間(スンダ海峡)20キロ超を自力で渡る事が出来なかったと判断出来るのである。つまり、一度に飛行出来るのは
せいぜい数キロが限度ということになるであろう。
 日本のスズメと同様に、その飛翔能力は、長距離移動よりも小回り性能に特化しているわけである。

 

  ≪視覚≫

 鳥は嗅覚や聴覚は特筆出来る程のものではないが、視覚は人間と同等、もしくはそれ以上に素晴らしいものと考えられている。まずフルカラーでものを見る事が出来、さらに物を鮮明に見る力(解像力)は視細胞の密度が人間以上であることから、人間よりも微妙な色の変化を認識できるものと考えられている。
 したがって、特定の色のブランコを恐れたり、飼主が見慣れない色の服を着ていると逃げ出したりするという報告が多く聴かれる事になる。小鳥であって弱い生物である彼らにとっては、見慣れない=怪しい=危険=逃げるという風に自己防衛本能に直結しているのである。
 これは野生で生活する際、例えば穂に稔った穀類の成熟をその色で判断するために(青い穂は無視し黄色くなったら食すというような)、必要とされた能力でもあったのである。

 文鳥は人間と同じように昼間に活動し、夜には眠る動物(昼行性)なので、基本的にはいわゆる鳥目、暗いところでは物が見えないが、構造上、実は人間よりは見えているらしい。
 文鳥を捕まえる時に室内を暗くしたりするが、これは夜目の差ではなく、光量の変化に一瞬目が慣れないのを利用した人間の作戦勝ちに過ぎないわけである。

あくまでも模式図 さらに文鳥の目は人間に比べて断然視野が広い。人間は鼻を挟んで二つの目が正面に並んでいるため、前面180度しか見る事が出来ないが、頭の側部に目のついた文鳥は、真後ろ以外は、すべて視界に収めている。
 ただしその視野というのは、人間では横のものを目はしに入れる感覚に近いものと思われる。例えば、人間では手を耳のあたりで振ってみるとわかりやすい。おそらく流し目をしない限り、何かが揺れているのはわかっても、それが手であるかどうかまでは確認できないはずである。自然界ではひ弱な小鳥である文鳥には、危険察知こそが己を生存させる方法なので、一つ一つの事象をゆっくりと把握するよりも、危険の影を見逃さない事こそが肝要なわけであろう。

 一方、人間が普通に正面のものを見ている感覚、これは両目の視角のズレを利用して、物を立体的に把握する能力(立体視)といえると思うが、これを文鳥は非常に限られた範囲でしか出来ない。目の前のエサをついばむために、焦点を合わせる役割を果たしているだけと考えられよう。しかし、人間とは比べ物にならないくらい近くのもの(おそらく数センチ)に完璧に焦点が合うほど柔軟なレンズ(角膜)の調節機能を有しているとも言えるのである。

 そしてこの能力は家庭における文鳥の動作に影響している。立体視の範囲がせまいため、例えば飼主の顔のような、文鳥にとっては大きな対象物を確認する際には、文鳥は顔を傾けたりしながら一方の目だけを使って注視するしかない。飼主の気持ちを捕らえてやむ事のない、首を傾けたりして飼主を見つめるしぐさには、そういった面白くない科学的な理由が存在するのである。

 科学的に面白いのは、鳥は右目で見たものは左脳に、左目で見たものは右脳に記憶され、その間に情報の交換がないらしいという実験結果が存在する事であろう。
 つまり、例えばいつも右目で飼主を見つづけていると、左目で見ても飼主だとは気がつかないということである。実験ではない実際の飼育上でそのような事はわからないが、文鳥本人にすれば、飼主を見る目はどちらか一方に
比重をおいている可能性はあるかもしれない。少し気をつけてみたいと思う点ではある。

 

 以上、文鳥を飼育する上で、普段あまり考える必要もないことだが、たまには少し細部を気にして見ると、人間とは違った素晴らしい能力を有する生物として、文鳥を見なおすことになるかもしれない。

 

今回の話、特に視覚については中村和夫編『鳥のはなしT』(技報堂出版1986年)に多くを依拠している。
またより詳しく鳥の構造を知りたい方には『ビジュアル博物館@鳥類』(同朋舎出版)をお薦めしたい。

 

来月は繁殖遺伝の話


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