車は大好きなのだが、好き故に車関連のコンテンツは書かない、と決めていた。でも、10年ちょっと連れ添ったY33セドリックとの別れの時が来たので、禁を破りコンテンツにしてみた。
私とセドリック
私が生を受けた時、家にあった車が50型といわれるセドリック・スペシャルだった。日本初の3ナンバー車である。当然、私に記憶は無く、当時としては珍しいチャイルドシートに座った自分の写真やトランクに座った自分の写真をアルバムで見ただけ。

次の車が130型セドリック。ベージュ(?)に黒のレザートップが張られていたなぁ。この頃になると私もなんとか記憶に残っている。巨大なインパネが印象的だった。

小学校に入る頃は230型のセドリックになった。230型のエクステリアは歴代セドリックで一番好きだ。これは日本初のセンターピラーレスの4ドアハードトップで、サンルーフが無かった時代では、無敵の開放感を持っていた。また、とって付けたようなスイッチだったが、初めてのパワーウィンドウに感動した記憶がある。2600ccのATで、ブラウンに白のレザートップが張られていた。

この230型セドリック、私は子供ながら気に入っていたのだが、オヤジは早々に手放しアメ車に浮気し始める(笑)。マリブ、カマロ、ノヴァとシボレーに入れ込んでいたが、私が中学生になる頃は、浮気の虫も納まり、セドリックに帰ってくる。帰った先は330型の2800SGLEの4ドアハードトップ。私は小豆色でデップリとしたボディーは好きになれなかった。

実はオヤジも330型のデップリさは好きではなかったようで、次の430型セドリックでは、超スクエアスタイルなセダンの紺メタの2800ブロアムにした。まぁアメ車っぽいと言えばアメ車っぽいのも選択の理由だったような気がする。この頃になると私も車に興味が湧いてきて、この車からは免許も無いのに洗車のお手伝いをし始めた。

この後、430型は3台乗り換える、次はシルバーのハードトップでコラムAT、ベンチシート、と言う超レア(?)な2800ブロアム、この次は、ブラウンのフロアシフトATの2800ブロアム。この車は私が免許を取って初めて公道を走ったメモリアルな車となったが、と同時に私に初めてぶつけられた車となった・・・。右ドア2枚を壁にぶつけて削っちゃったんだよねぇ(苦笑)。

オヤジはこれに懲りたのか、とうとう金が尽きたのか、次のは小豆色のセダン2000GLにした。とにかくこの車は色々乗り回した、最後は埋立地の直角コーナーでアンダー出してお陀仏。他人様を巻き込まず、自損のみで済んだのはまさに、不幸中の幸い、だった。そして我が家の430型の歴史はここで終焉を迎える。因みに430型といえば日本初のターボ・チャージャー搭載車として、歴史に名を残す名車であるが、オヤジは手を出さなかった。理由は・・・知らない。

そして時代はV6へ、我が家のセドリックもY30にチェンジ。黒のハードトップで、引き続き低グレード路線を継承し、GLを選択(苦笑)。プラスティックのホイールカバーは、いかんせん情けなかったので、上級グレードの純正アルミを履かせた。VG20Eは、2000ccのOHCにしては良く出来たエンジンだったが、GLはブレーキが貧弱過ぎて怖かった。一人乗車なら未だ良いが、4人で乗ると全く止まらない(苦笑)。

しかし初心者の時から、あがきの悪い大きな車を乗りつづけたお陰で、運転の腕前も大分向上し、めったな事ではぶつけなくなったので、次の車ではグレードをちょっと上げてもらった。同じY30だが、紺メタのターボSGLに出世。

Y30もこのグレードになると、色々とアフターパーツが出てくる。バイトしてお金をためては、マフラーを変え、アルミを変え、と、いじる楽しさを知った。当時は車検対応マフラーなど無く、私がこの車につけたマフラーはフロントパイプの直後から交換するタイプで、当然触媒を取っ払う。なので次回の車検までには純正マフラーに戻す必要があるのだが、オヤジの買い替えサイクルを考えると車検を取る事は無いと確信していたので、違法改造をしてもハラハラはしなかった。本当はいけないんだけどね、若かったという事でご勘弁願おう(笑)。

後に、この車はオヤジの知人に引き取られていったのだが、点検のためディーラーに持ち込んで違法改造を発見され、私はこっぴどく叱られた(苦笑)。

しかし、時代は、新しいビックカー、である。オヤジはY31シーマに乗り換えており、ホクホクの私は、叱られても笑顔♪。

このY31、色は青い色(名前忘れ、イメージカラーだったやつ)、シートは本革、のTYPE−ULimited。初めてガソリンを入れに行って、スタンドの兄ちゃん達に群がられた時は、なんか自分が偉くなったような気がしたっけ(笑)。

このY31シーマに搭載されたVG30DETは当時最強のエンジンで、1.5tを超える重いボディーでも、ゼロヨンならFC3S(ノーマルね)と互角に渡り合える速さを持っていた。コーナーは亀だけど・・・。

また、この時代はCPチューン&ブーストアップが花形メニューで、私も流行に乗ってお気楽ライトチューンを実践。CPはMine’sのVX−ROM、ブーストはHKSのEVCで0.9に設定、マフラーは夢の車検対応品HKSリーガルマフラーを装着。

因みにY31シーマはエアサスで、足回りをいじるのはエアサスコントローラーをつけるくらい。これはエア抜けが起こりやすくなると聞いたので止めて、その代わり、前後のスタビをIMPULのものに交換。コーナーリング時のロールが減り、パワースライド時のおつりが少なくなってコントロールがしやすくなった。

Y31シーマは本当のドリフトをするには重すぎて怖かったけど、低速コーナーで滑らせるだけなら、誰にでも出来て楽しい車だった。ただ、ボディーの剛性が弱すぎて、無茶な事するとドアが下がるんだよね。うちのシーマも運転席のドアが傾いてしまったもの。

230以来のセドリック/グロリアの伝統ともいえるセンターピラーレスハードトップは、このY31で最後となる。
次のセドリックはY32グランツーリスモ・アルティマ。色は黒、本革シートにDSP搭載のオーディオとリアLSD、ABSをオプションで装着。この頃になるとグレード選択とオプション選択の権限は私が持つようになる。因みにアルティマはSuper HICASが標準だった。

この車のチューニングメニューは、CPはIMPUL、ショックはビルシュタイン、サスはベステックス、アルミはWORKのTYPETの16インチ、タイヤはREGNO、とした。IMPULのCPはリリーフバルブのホースの交換(内径が細いものに交換)がセットになっており、EVCなどブーストコントローラーを使用しなくてもブーストが少し上がるのでお手軽で良いのねん。EVCは一度設定をすれば後は簡単だけど、ブースト計必須だし、高いしねぇ・・・。

後にオヤジは白のY33グランツーリスモ・アルティマに乗り換え、私はこのY32を譲り受ける。そして、このあたりから、私の人生にママが登場する。青森へのドライブ、名古屋日帰りドライブ、伊豆1周ドライブ、房総1周ドライブ、など、Y32は大活躍してくれた。
してオヤジがY34(エクストロイドCVT)を購入する事になり、私はまたオヤジのY33を譲り受ける。Y33もグランツのアルティマで色は白。オプションは本革シートとAVマルチシステム+バードビューナビ。

オヤジは当然ノーマルで乗っていたので、とりあえずアルミをBBSのLMゴールドの17インチに変更。タイヤはDUNLOPのLM。この後も、色々とチューニングプランを練っていたのだが、なんと結婚する事になり(ママとね)、このプランは頓挫・・・。

まぁ当然でしょう、私も落ち着かないとね、そろそろ。という事で、ノーマルで乗る覚悟を決めた。Y33はノーマルでも、ちょっとチューンしたY32、くらいのレベルにあり、特にVQ30DETは低中速のフィールが素晴らしいく、街乗りや高速道路の巡航など普通に使う分には非常に快適であった。リニアチャージコンセプトと言われた、圧縮比を上げブーストを下げる手法は今じゃボルボのロープレッシャーターボの方が有名だが、手を付けたのは日産の方が早かった(?)。良く言われる高回転のパンチの無さは、実馬力の低さの方が主因かもしれない、カタログ上は270ps/6000rpm、37.5kg/3600rpmとなっているが、シャシダイに乗せると230ps前後しか出てないらしいからね。

エンジンに比べ4速ATの出来は相当悪い・・・。シフトショックを抑える為にわざと滑らせているらしいが、その制御がおかしいんだな。低速でちょっとした坂道を上がる時なんてもどかしいったらありゃしない、うっかり踏み込むとシフトダウンして飛び出すし(苦笑)。
とまぁ、欠点もあったが、エクステリア、インテリアとも気に入っていたので、長く乗ろうと思っていたのだった・・・。 

しかし、なんと2003年12月、近くの駅のコインパーキングで盗まれてしまった!。師走にセドリックを盗むなんて、元日に富士山を目指す若者の仕業かな・・・。発見されたとしても、変わり果てた姿になっているに違いない。と涙を堪えながら、次の車を物色を開始。

もうV6も飽きたから、次はV8にすっかなぁ、やっぱF50かな、ムフフ♪。なんてほくそ笑んでいたら、翌年1月某日の深夜、家の電話が鳴り響く。何事か!、と電話に出ると伊勢崎町の警察官からのお電話で、お宅の車が発見されましたので確認に来てください、だと・・・。夢は粉雪のようにに消え去った。

翌日、私は仕事なのでママが伊勢崎町に向かい、Y33と感動の対面をするはずが、Y33を見たママは呆然・・・、警察官に言った言葉は、

これ本当にうちの車ですか?、

だったそうな(笑)。

理由は簡単で、BBSのアルミが脱がされY31純正のアルミにショボイタイヤが履かされていた、からだ。おまけにママは正直者なので、こんなアルミとタイヤは付いてませんでした、と口を滑らしてしまい、それじゃこれは犯人の遺留品なので警察で保管させて頂きます、と職務に忠実な警察官はY33についているタイヤを押収のため外そうとする・・・。

えっ、タイヤを取られると乗って帰りれませんけど・・・。

ママのもっともな主張に対し、まじめに30分ほど議論して出した警察官たちの結論は、

明日この遺留品を取りにいきますので、それまでにタイヤを付け替えてください、

だった。
国家権力には逆らえない。私は翌日、仕事を済ませると、近所のスーパーオートバックスへタイヤとアルミを買いにいく。

今日取り付け可能なセットを全部見せて、と店員に言うと、Y33の在庫は18インチの前後異サイズのセットしかない。ノーマルサスで18インチはきついかな、とも考えたが17インチの入荷を待つ事は出来ないので即決。BBSのRS−GTの18インチにDUNLOP LMを組み合わせた。

そしてセキュリティーグッズも同時購入。なんせキーシリンダーが破壊されていて、アイスの棒でもドアロックがあくしエンジンもかかるので、セキュリティーグッズは必須だったのだ。

そして夜、警察官に犯人の遺留品を渡し、そのまた翌日Y33はディーラーへ入院。

しかし、盗まれてもしっかり帰ってくるなんて相当ご縁があるんだな、このY33とはとことん付き合おうと決めたのであった。
2006年1月21日 さよならセドリック
まだまだ付き合うつもりであったY33であるが、今度は叔父の車(ジャガーStype)を譲り受ける事になり、とうとうお別れする事になってしまった。

叔父の家までジャガーを取りに行った時は(1月14日)は大雨、そして今日の別れの時は大雪。そういう因縁はあんまり信じない方だけど、なんか今回はちょっとね・・・。

最後の日はピカピカにしてあげたかった、でも大雪のせいでそれも出来ず・・・、それだけが心残り。兎に角、大事に乗ってくれる人のところへ行って欲しい、今はただそれを願うのみ。

初代からず〜っと私の傍に居たセドリック。今思うと、私にとってセドリックと言う名前の車は、もう一人の父親、みたいなもんだった。

ありがとう、そして、さよならセドリック。