パブリックコメントを書くにあたり、まずは外来魚問題がどういう経緯を辿ってき
たのか知る必要があると思う。1990年代初頭から現在までの主な流れを紹介する。

1991〜1992年 スモールマウスバスの生息確認
長野県の野尻湖、木崎湖、青木湖、福島県の桧原湖、小野川湖、秋元湖などでスモ
ールマウスバスの生息が確認される。従来、スモールマウスバスは日本には生息し
ておらず、魚類誌などで名前を知る程度であったが、この事により実際に国内でも
釣りが出来るようになった。一方、無秩序な放流を止めるように求める記事も掲載
された。すでに大規模に広まっていたラージマウスバスに加えて、低水温や水の流
れにも比較的柔軟に対応出来るスモールマウスバスが生息域を広げていく事は避け
なければならない事と映った。

1992年 生物多様性条約
1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サ
ミット)で、生物多様性条約が採択された。日本もこの条約に署名し、条約は199
3年12月に発行した。現在までに187か国とEC(欧州委員会)がこの条約を締結して
いる(アメリカは未締結)。この条約により、生物多様性の保全と言う考え方が具
体的な根拠を持つ様になる。外来魚問題では、この条約の一部だけを引用して「外
来種を制御し若しくは撲滅する事」が定められているという説明がされる事がある
。但し「可能な限り、かつ、適当な場合」と条件がついており、単に自然保護的な
考え方を記しているのでは無く、資源としての生物多様性を利用する為の規定も多
く含まれている。

1992年〜 移植禁止の通達
1992年9月、水産省から各都道府県に対し、ブラックバスとブルーギルの移植放流
を「漁業調整規則」で禁止する通達が出された。これ以前にも、愛知県、滋賀県、
愛媛県などではブラックバス・ブルーギルの移植放流が禁止されていたが、この通
達後の数年間で、移植放流の禁止が全国に網羅されていった。

1994年〜 スモールマウスバスの拡散
栃木県の中禅寺湖や山梨県の本栖湖など、スモールマウスバスの生息が新たに確認
される。スモールマウスバスは低水温や流水にも強いとされる為、これまでラージ
マウスバスが生息していなかった水域でも生息出来るのではないかとの見方が生ま
れた。岩魚、ヤマメ、アマゴ、鮎などの魚類への影響の懸念も台頭してきた。
中禅寺湖では、既存のトラウト類への影響を懸念して駆除が行われた。中禅寺湖で
の駆除はブラックバス駆除の実例としてメディアで取り上げられる事が多かった。
しかし、中禅寺湖のトラウト類はもともとそこに生息していなかったもので、スモ
ールマウスバスと同じ移入種である。つまり、中禅寺湖の駆除は、移入種であるト
ラウト類を利用する為の人間中心の行為に過ぎなかったが、メディアでは「生態系
」や「生物多様性」を理由に駆除の説明がされる事があった。

1995年〜 スモールマウスバスの容認
スモールマウスバスの拡散が問題視される一方で、最初にスモールマウスバスの生
息が確認された野尻湖、桧原湖では、地元の漁業協同組合などがスモールマウスバ
スを容認するようになり、地域の観光資源となっていった。現在では、スモールマ
ウスバスが生息する代表的な釣り場として全国から釣り人を集めるようになってい
る。

1995年〜1998年 バス釣りブーム到来
1995年頃からの数年間、バス釣り人気が広まり大ブームを巻き起こした。
特に、1996年は、日本のバスフィッシング界が大きく動いた年であり、一種の社会
現象とまで言わた。その一方で釣り場の荒廃やバス害魚論の再燃など懸念すべき問
題も起こっている。

1997年〜 リリース禁止委員会指示
1997年7月、山梨県の本栖湖でスモールマウスバスの生息を確認した事を受け、山梨
県内水面漁場委員会がスモールマウスバスのリリースを禁止する委員会指示を出し
た。1999年12月、新潟県内水面魚場委員会がラージマウスバス、スモールマウスバ
ス、ブルーギルのリリースを禁止する委員会指示を行った。新潟県の場合はすべて
の水域で3種類をリリース禁止にするもので、それまで行われてきたバス釣りが継続
出来なくなるものとなった。委員会指示によるリリース禁止は、このあと各地へ広
がりを見せた。栃木県、秋田県、宮城県では、すべての水域でリリース禁止を行っ
ている。岩手県、神奈川県、山梨県は3種類を対象とし、一部の地域を限定・除外し
ている。群馬県、埼玉県は、スモールマウスバスに限定したリリース禁止を行う。

1997年〜 「ブラックバスがメダカを食う」が出版
1999年9月、カメラマンの秋月岩魚氏を著者とする本「ブラックバスがメダカを食う
・日本の生態系が危ない!」が出版された。しかし、「ブラックバスがメダカを食
う」は、一貫したストーリを作り上げる為に都合の良い取捨選別を行っている事は
否めなかった。また「メダカを食う」というタイトルは、メダカが環境省のレッド
データブックに絶滅危惧種として記載された事によるものと思われるが、実際には
メダカとブラックバスの生息域はかなり異なり、メダカ減少の重要な原因は別に有
る事は明らかだった。この為、このタイトルからして反発を呼ぶ原因となる。

2000年〜 外来魚棲み分け案
2000年11月、水産省が自民党水産基本政策小委員会に提出した「遊漁を含めた資源
管理と漁業制度に関する規制緩和」と題する資料の中に「外来漁棲み分け案」が盛
り込まれた。この案は、@法定化による外来魚移植規制の強化、A一部湖沼などに
限って外来漁利用を認め、それ以外の水域では駆除、B外来漁の養殖や販売に届出
制を導入、C外来漁の輸入で制限、以上、4項目の内容であった。
この「外来魚棲み分け案」は、一部の湖沼では駆除目的であった為、もし法案が通
れば、外来魚駆除予算は増額され、今よりも盛んに外来漁駆除が行われていたと思
われる。しかし、この案は、水面漁業協同組合連合会、日本魚類学会などが反対、

自民党の小委員会でも反対意見が出た為、棚上げとなった。


■2002年 琵琶湖リリース禁止条例
2002年10月に滋賀県議会にて琵琶湖でのブラックバスのリリース禁止条例が可決
された。釣り関係者によるリリース禁止反対の運動が繰り広げられ、提出された
パブリックコメント2万件以上のほとんどがリリース禁止に反対するものであった
。条例の可決成立を受け、清水国明氏と浅野大和氏がリリース禁止に従う義務が
無い事の確認を求めて大津地方裁判所に提訴。リリース禁止をめぐる初の裁判と
なった。

■2002年〜2003年 水産庁検討会
2000年秋の「棲み分け案」を実現させる事が出来なかった水産庁は、2002年4月、
「外来魚問題に関する懇談会」を設置した。委員は、漁業者、釣り関係者、学識経
者、地方自治体関係者などで、会合が重ねられる中で、「生息を仰制する事を目的
に、排除すべき水域から、管理が可能な特定の収用水域にオオクチバスを関係者の
取り組みによって移動させること等」を内容とするモデル的事業案を座長が提案し
た。その内容は、実質的に「棲み分け案」に準じるもので、漁業者委員などがこれ
に反対し、合意には至らなかった。

■2004年 特定外来生物被害防止法が成立
2004年5月「特定外来生物被害防止法」が国会で成立した。この法律の直接的なき
っかけは、2000年8月の環境省が設置した「野生動物保護対策検討会・移入種問題
分科会」で2002年8月に「移入種(外来魚)への対応方針」がまとめられた。
これを受けて、2003年3月、中央環境審議会野生生物部会の中に移入種対策小委員
会が設置された。2003年12月、法制化を求める答申が出され、翌2004年の国会に法
案が提出される事となった。この法律が制定された重要な背景として、多くの生物
種については、管理の枠組みがほとんどなかったと言う事実がある。問題視されて
いる外来生物でも未だ規制がされていないと言うケースは多い。最も外来生物の中
でブラックバスは知名度も高く、その一方でこのような制度の詳細な内容はそれほ
ど知られていないので「ブラックバスが特定外来生物にならないのはおかしい」と
言った単純な発想をされやすいのも事実である。

外来生物の歴史