農塾3(収穫した作物、さァ、これをどうする?)

尾崎 零 氏
べじたぶる・はーつ主宰
大阪府有機農業研究会・前代表

「百姓が作った食べ物→農協→卸売市場→中卸→小売店→消費者」という市場流通にのせず、「百姓が作った食べ物→消費者」という市場外流通をしてきた。


農業を始めるにあたっての心配事

技術

技術はやりながら覚える。地域が変わればやり方も変わるので意味がない。

保証

「今の時代、サラリーマンでも、保証はない。」
だから「自立心=プロ意識」が大事である。そうすると探求心が起こる。
プロとアマの違いはその一線を越えてその世界に入るかどうか。

お金

お金に多少の蓄えがあるから不安になる。お金を持って田舎に行くな。お金がないと人のネットワークができる。

自由

自分で自分のすることを決めるのが自由なのだから、1日24時間自由のはず。自由がないと感じるのはサラリーマンを引きずっている。生活を変えるのはすべてを変える。過去を切ることだ。

発想力

「できる要素を考える。発想力が必要。始めないことには始まらない。」
そのため、意識して物事を見る訓練をしてきた。1日3つの新たな発見を自分に課した。自分で判断するには、素材をどれだけ取り込んでいるかによる。

例えば、雨が多い。いつまでも雨に悩むのでなく、トマトは作らないと早く切り捨て、次の種を早く播くことを考える。後手に回らない。常に先手を取る。

うまくいかなくなったときは、「外的に困ったときに、内的に困らないものをどうやって産み出すか。」が必要になる。


売る

日本の農家の収入 米   50万円未満 40%
            100     63%
            200     83%
         野菜 100     33%
            200     50%
            500     75%

1960年 国民所得倍増計画(10年間で所得を倍増させる)
1961年 農業基本法(農基法)
農業を経済合理性の枠組みに入れた。産地化、大型化、機械化を推奨し、農薬や化学肥料を使う方法になった。
現状はうまく機能していないところを見ると、農基法は失敗だった。

流通

誰が握るか。遠隔地に持って行くから流通が必要。

価格

決定権を持つ。他の商品と違い、価格の決定権を農家が持っていない。

スーパーが有機農業の世界に入ってきたときにも、共同購入による生産者と消費者との関係を保てた。現在、同じ時間に近所で5人の主婦が集まれなくなったので、共同購入のやり方が難しくなってきた。

最大90件の所帯に週2回配送していたが、4年前、生産者と消費者の自給農場を年額制(年額12万円)にした。畑を自分の畑と思って下さい。そこで作ったものは自由に持っていってよし。食べ物だけが欲しい人はやめていったが、それでよい。

営業、企画、広報

農業は一人仕事が多いので、世界観を広げる努力が要る。自分のやっていることを客観的に評価できるか。その力量をつける。

情報が多いと、本質を見るのに役立たない。情報を流すのに慣れてしまうからだ。(「テレビを捨てた人」 お茶の水大 藤原まさひこ)

人間と自然との接点である農業は、生き方ではなく、基本だと思っている。基本の上に立って生き方があるのだが、私はまだ基本の段階。

次々といろんなことをやっていく。百姓はどこを切られてもやっていける力量を付ける。したたかに生きていく。
ストレスはたまらない社会はある。基本的にストレスはないはず。

経済成長期には、人々都市に集中した。人々は保証を求めてやってきた。それは都市に権力を集めたからだ。しかし今、田舎に移住する人が都会に移住する人を上回った。政治、経済、教育、病院など、破綻し出した。都市に保証はなくなったのだ。それに早く気づいた人が田舎に動き始めた。

営業のコツ

言いたいことを一方的にしゃべるのはダメ。消費者の方は悩みが多く、ストレスのはけ口にできる話をしやすい雰囲気づくり。(20年前のこと)


有機農業を始めたきっかけ

石油がなくなっていくと騒がれていた時代に、環境問題(廃棄物処理問題)が問題になることが予測されていた(ガル・プレイス著 「不確定性の時代」)。基本になる食べ物を他人にゆだねるのはあり得ないと思ったから。

有機米

今年から有機米の基準ができたので、有機米が減る。それまでは、わら1本の有機肥料を与えただけでも、有機米として売っていたものもあった。

命を大事にする

今、残っている会員は食べ物だけのつながりではない。命を大事にする社会を作ろうという理解のある人たち。ダイオキシン問題が発生したとき、会員からの問い合わせは一切なかった。皆、私を信用していた。(尾崎さんは能勢町で畑をしている)


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