法華経  −  「妙法蓮華経」


一、序品

あるとき、世尊は、王舎城の霊鷲山に滞在して、非常に多くの僧や信者たちと一緒にいた。これらの僧は、すべて阿羅漢(小乗仏教において最高の悟りを得た者)であった。世尊は、経を説き終わると三昧(瞑想)に入った。すると、天上の花の大雨が降りそそぎ、また、国土は激しく震動した。そのとき、世尊は、眉間の渦巻いた白い毛から一条の光を放った。その光は無数の国土に拡がった。この現象の理由を、弥勒菩薩に聞かれると、文殊菩薩は答えた。「これは、仏が、偉大な教えを説く前兆です。どの仏も、同じような現象の後、尊い教えが説かれたことを覚えています。」

二、方便品

世尊は、三昧から立ち上がると、舎利弗に語った。「如来たちの計り知れない智恵は、人々には知ることはできません。そのため、様々な方便(巧妙な手段)を用いて、優れた教えが人々に説かれてきたのです。」
舎利弗は、この言葉の訳を、世尊に尋ねた。3度目にして世尊は語った。「如来たちがこの世に出現する目的は、如来の智恵を人々に得させることです。世尊がこの世に出現する目的は、それまでの道程を人々に理解させることです。如来たちは、人々の心の動きに合わせて、方便を用いて、教えを説きます。しかし、仏たちは、唯一の乗物(大乗)について、人々に教えを説くのです。」

三、 比喩品

世尊は喩え(たとえ)話をした。「ある人が古く倒れかけた大きな家を持っていました。突然、その家が火に包まれました。彼の幼い子供たちはまだ家の中でおもちゃで遊んでいます。父親は、子供たちに「火事だ。早く出ておいで。焼け死ぬよ。」と呼びかけましたが、だめでした。なぜなら、子供たちは、あまりにも幼稚過ぎたからです。そこで、この人は巧妙な方便を使いました。「家の外に、いろんなおもちゃがあるよ。早く出ておいで。例えば、牛の車、山羊の車、鹿の車だよ。」子供たちは、燃えさかる家から、走って出てきました。そして、父親は、子供たちに一番よいおもちゃである牛の車を与えました。」「この喩えのように、人間世界という家の中で、生・老・病・死の苦しみや、悲しみ、不安、混乱という火に包まれた人間たちを解放するために、如来は姿を現します。しかし、人間たちは快楽というおもちゃに夢中でいます。このとき、三種の乗物で人間たちを惹きつけるのです。人間たちの中には、如来の言葉を信じる声聞の車を欲する賢い人も、自分自身の「さとり」のために独覚の車を欲する人も、大衆の幸福のためにすべての人間を「さとり」に導くための仏の車を欲する人もいます。しかし、如来が実際に与えるのは、最高のものである仏の車唯一つなのです。」

四、信解品

須菩提、摩訶迦旋延、摩訶迦葉、摩訶目乾連は語った。「今の私たちの気持ちについて、例え話しをします。ある男の子が、父の許を離れ、数十年経つと、貧乏になり放浪していました。一方、父は莫大な財産を蓄えました。あるとき、父は息子を偶然見かけました。ただ、息子の方は、父だと分かりません。強制的に息子を連れ戻すと、息子は怖がってしまい、失敗に終わりました。そこで、父は考え、自分の家で、汲み取りの下働きから雇うことにしました。父は、自分が父であることを隠して、息子に近づいて、息子を取り上げていきました。とうとう、息子は、父の財産管理までも任されるようになりました。ついに、父に死期が近づいたとき、皆に自分が父であることを証し、息子に、莫大な財産を譲り渡しました。」「この息子のように、私たちは、苦悩に悩まされておりました。一方、世尊は、私たちの考えが小さいことを知っていたので、この父のように振る舞ったのです。そして、如来の傍らで、私たちに「さとり」という賃金を与えて下さいました。しかし、私たちが如来の息子だと思いもよらなかったために、完全な「さとり」を求めることをしませんでした。ゆえに、今、息子と宣言され、仏の宝玉が与えられたことに大変悦んでいるのです。」

五、薬草喩品

世尊は、摩訶迦葉らに語った。「雨は、あらゆる場所に一様に降ります。ところが、薬草は、その種類、生育の場所などによって、この雨から吸収する水の量が異なり、また、成長の仕方も異なります。この雨のように、如来も、「さとり」の境地に達することを目的とした教えを、人々に説きます。ただ、人によって受け取り方、成長の仕方が異なるのです。そして、雨水によって薬草が花を開くように、教えによって人々は元気づけられるのです。」

六、授記品

世尊は語った。「摩訶迦葉、須菩提、摩訶迦旋延、、摩訶目乾連は、未来には如来になることでしょう。」


参考文献

 坂本幸男・岩本裕訳注、「法華経 上」、岩波文庫
 ひろさちや編、「物語で読む法華経」、すすき出版


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