「荘子」

まえがき

「荘子」は、中国古代の道家(どうか)思想を伝える重要な古典である。孔子、孟子、荀子、と続く儒家に対抗して、道家の思想は、老子と荘子をその代表者とする。 「荘子」三十三篇は、「内篇」七篇、「外篇」十五篇、「雑篇」十一篇に分かれている。ここに、「内篇」七篇について私の好むところをまとめてみた。

逍遥遊篇 第一

(逍遥遊とは、とらわれのないのびのびした境地に心を遊ばせることをいう。)

北の果ての海に、鯤(こん)という、とてつもなく大きな魚がおり、。それが、突然、鳳(ほう)という、とてつもなく大きな鳥になった。その鳥は、海の荒れ狂うときに、風に乗り、南の果ての海へと天翔る。この鳥が、非常に高く上昇してから、南を目指して飛ぶのを、蜩(ひぐらし)と学鳩(こばと)はあざ笑う。だが、狭小な知識では広大な知識は想像もつかないのだ。

斉物論篇 第二

(彼此・是非の差別観を越えて万物斉一の理を明らかにする篇である。)

私は、自分の存在を忘れていたのだ。おまえは、人が吹く簫(ふえ)は聞いているが、地の簫はまだしも、天の簫は聞いたことがないであろう。大地のあくびで出された息が風と呼ばれているものである。山の尾根、大木などがひゅうひゅうと鳴っているのを聞いたことがあるだろう。これが地の簫である。音を出させる者は何であろう。これが天の簫である。

喜怒哀楽、不安、嘆き、慕い、恐れ、躁鬱(そううつ)など人情の変化は、代わる代わる目の前に現れてくる。これは、相手がなければ自分とういうものもなく、自分がなければ色々な心も現れようがない。

一旦、人としての形を受けたからには、それを変えることなく、そのままにして生命の尽きるのを待とう。外界の事物に逆らって傷つけあっていけば、その一生は早馬のように過ぎ去ってしまう。

物はあれでないものはないし、また物はこれでないものもない。こちらからすればあれ、あちらからすればこれである。善しとすることはそのまま善くないとすることであり、善くないとすることはそのまま善しとすることである。なぜならば、善し悪しは相対的なものだからである。聖人はそんな方法によらないで、それを自然に照らしてゆだねるのである。そして、ひたすらそこに身を任せるのである。これが、あれとこれとの対立を越えた絶対の境地である。

道路はそれを歩いてできるものであり、事物はそれを名付けてそうなるのである。何をそうだとするのか、そうであるものをそうだとする。何をそうではないとするのか。そうではないものをそうではないとする。しかし、事物にはもともとそうであるべきものが備わり、そうでないものはない。

猿たちに餌を与えるのに、「朝三つにして夕方四つにしよう」と言ったところ、猿たちは怒った。「朝四つにして夕方三つにしよう」と言ったところ、悦んだ。このように、あれこれと精神を疲れさせて同じことを繰り返しながら、それが同じだということを知らないでいる。

最高の境地とは、物などはないと考える無の境地である。次の境地は、物があると考えるが、そこに境界を設けない物我一如の立場である。その次の境地は、境界があると考えるが、そこに善し悪しの判断を設けない等価値観の立場である。善し悪しの判断がはっきりするのは、真実の道が破壊される原因であり、道が破壊される原因は、また、愛憎の出きあがる原因である。

事物の始まりをたどれば果てしないのだが、現実世界では、にわかに有無の対立が生まれることになる。そして、その有無の対立は、相対的なものだから、どちらが有でどちらが無だか分からない。

どんな美人でも、魚、鳥、動物はその美人を見ると逃げ出す。一体何が世界中の本当の美を知っていることになるのか。私の目から見ると、世間での仁義のあり方や善し悪しの道筋は雑然と混乱している。その区別はわきまえられない。

こうした当てにならない判断、内容のうつろいやすい声に期待するのは、はじめから期待をかけないのと同じで無意味なことだ。天倪(てんげい)(自然の平衡)ですべてを調和させ、極まりない変化にすべてを任せていくのが、天寿を全うする方法である。善し悪しの判断の対立を根本的に越えるのこそ、自然の平衡ですべてを調和させるということだ。こうして、無限の境地で自由に活動することになる。すべてをこの対立のない無限の境地におくのだ。

荘周は蝶になった夢を見た。一体、荘周が蝶となった夢を見たのだろうか。それとも、蝶が荘周となった夢を見ているのだろうか。

養生主篇 第三

(生命を養い真の生き方を遂げるための要諦を説く。)

我々の生命は有限であるが、心の働きは無限である。有限の身で無限のことを追い求めるのは危ういことだ。善悪にとらわれない中の立場に従ってそれを一定のよりどころとしていくなら、我が身を安全に守ることができ、我が生涯を無事に過ごすことができ、我が肉体を養うことができ、我が一生を充分長生きできるであろう。

庖丁(ほうてい)という人が牛料理をするときの包丁裁きについて、このように語った。私は精神で牛に対していて、目で見ているのではありません。感覚器官に基づく知覚は働きをやめて、精神の自然な活動だけが働いているのです。天理に従って、刀刃をふるい、牛の本来の仕組みにそのまま従っていきます。

沢辺の野生の雉(きじ)は十歩あゆんでわずかの餌にありつき、百歩あゆんでわずかの水を飲むのだが、それでも籠(かご)の中で養われることを求めはしない。

あの先生がたまたまこの世にやってきたのは、生まれるべきときに巡り合っただけのことだし、この世を去っていくのも、死すべき道理に従ったままである。生まれたからといって喜ぶこともなく、死んだからといって悲しむこともなく、感情の入り込む余地はない。

人間世篇 第四

(具体的な処世の問題を述べている。)

心の動きを統一せよ。耳は音を聞くだけだし、心は外から来たものに合わせて認識するだけだが、気というものは空虚でいてどんなものでも受け入れるのだ。そして、真実の道はただこの空虚の状態にだけ定着する。この空虚の状態になることこそ心斎(しんさい)なのだ。

人の役に立つ取り柄があることによって、かえって自分の生涯を苦しめているものだ。だから、その自然の寿命を全うしないで途中で若死にすることにもなるわけで、自分から世俗に打ちのめされているものなのだ。世の中の物事はすべてこうしたものである。それに、わしは長い間役に立たないものになろうと大いに願ってきたのだが、死に近づいた今になってやっとそれが叶えられて、そのことがわしにとって大いに役立つことになっている。もしわしが役に立つ木であったとしたら、一体ここまでの大きさになれたろうか。

徳充符篇 第五

(徳充符とは、徳が内に充実した印ということ。それは、肉体的な外形の問題ではなく、一種特別な人生態度として表れると説く。)

あの人は、その変化と一緒に変わるということがなく、天が覆り、地が落ち込んでも、あの人はきっとそれと一緒に落ち込むことはない。借り物でない真実を見通して、現象の事物に動かされることがなく、事物の変化を自然の運命だとしてそれに任せて、現象の根本に我が身を置いているのだ。

王駘(おうたい)のような人は、耳目の快感に惹かれることなくて、その心を徳の調和した境地に遊ばせ、万物についてその同じ本質をみて、形の上でのうつろいの変化をみない。その足をなくしたことなどは、土くれが落ちたくらいに思っているのだ。

人は、流れている水面を鏡とはしないで、静止した水面を鏡にする。静止しているからこそ、他の多くの静止したものを止められるのだ。

天地を意のままに扱い、万物を我がものとして直接我が形骸を仮の宿とし、耳目の感覚をうたかたのものとし、あらゆる知的認識を統一づけて、精神的に死を超越しているものでは、なおさら何をびくびくすることがあろうか。

鏡が光っていれば、塵はつかない。塵がつくのは鏡が曇っているのだ。

母を愛するのは、その外形を愛するのではなくて、その外形を動かしているものを愛しているのです。

そうした変化は人生の調和を乱すに値しないし、それを心の中に侵入させてはいけないものです。それらの変化を調和した楽しいものと見て、どんな場合にも満足の悦びを持ち続け、昼も夜も少しの間断もなくして、万物とともに春の和やかさで生きていく。それこそ、引き続いて四季を我が心の内に生み出すものです。才のままで欠けるところがないというのは、こういうことです。

内面の徳がすぐれていると、外の形などは忘れられるものである。ところが、世間の人々はその忘れてもよいことを忘れないで、忘れてはならないことを忘れている。

思慮をめぐらさず、自分を飾り立てず、道を失わず、物の売買をしないという四つのことは、自然の養育である。これは天然の食物のことである。聖人は、肉体は人の形でも、心は人の情欲を持たないのだ。人の形を持つから人々と一緒に暮らしていくが、善し悪しの判断で身を煩わすことがない。果てしなく大きい、独りで自然のままに完成しているからだ。

人はもともと情を持たない。その情とは、人が好悪の情によって自分の身の内を傷つけるようなことをせず、いつも自然なあるがままに任せて、ことさらに生命を助長するようなことをしないことをいうのだ。自然の道理によって容貌が与えられ、自然の働きによって体の形が与えられているのだ。

大宗師篇 第六

(大宗師(だいそうし)とは、すべての存在がそこに繋がれ、そこから出てくる根源の道のこと。)

自然の営みを認識し、人間の営みを認識したものは、人知の最高である。自然の営みを認識するものは、自然のままにして生きていくし、人間の営みを認識するものは、自分の知能で認識したことによって、その知能の及ばないところを補い育てていく。このようにして、その天寿を全うして途中で若死にしないのが、人知のすぐれたものである。

昔の真人は、逆境のときでもむりに逆らわず、栄達のときでも格別勇み立たず、万事をあるがままに任せて、思慮をめぐらせることがなかった。生を悦ぶということを知らないし、死を憎むということも知らなかった。その有様は、高々としているが崩れることがなく、何か足りないように見えるが、全く充実している。のびのびとして孤独でいるが頑固でなく、大げさでいてとらえどころがないが、浮ついてはいない。

死があり、生があるのは、運命である。あの夜と朝との決まりがあるのは、自然である。このように、人間の力ではどうすることもできない点のあるのが、すべての万物の真相である。

そもそも自然は、我々を、大地の上にのせるために肉体を与え、我々を労働させるために生を与え、我々を安楽にさせるために老年をもたらし、我々を休息させるために死をもたらすのである。だから、自分の生を善しと認めることは、つまりは、自分の死をも善しとしたことになるのである。

三日経ってから、この世界を忘れることができるようになった。七日経ってから、万物の存在を忘れることができるようになった。九日経ってから、自分の生きているのを忘れることができるようになった。

応帝王篇 第七

(政治の否定を訴えるものである。)

おまえはまた、何をつまらない、天下を治めるなどでわしの心を動かそうとするのだ。おまえは、お前の心を恬淡無欲の境地に遊ばせ、お前の気を空模静寂の境地に合わせ、何事についてもその自然なあり方に従って自分勝手な心を差し挟むことのないようにしたなら、天下はうまく治まるであろう。


参考文献
 金谷治 訳注、「荘子 第一冊 内篇」、岩波文庫 青206−1

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