中国(ジンギスカン)

日程:1993年12月19日〜1993年12月31日
ルート:北京→ジンギスカン(成吉思汗)陵→上海


目的

本場の中華料理を、食してみたかった。
かつて、アジアからヨーロッパに渡り征服したジンギスカンの大地を訪れたかった。
中国の公園で太極拳をやってみたかった。

北京

北京では、故宮を見学した。映画で見たのとそっくりな大きなものだった。
天安門はさすがに広かった。ここで、数年前に、天安門事件が起ったとは信じられないぐらい、なごやかだった。

京劇が見たかった。それで、毎晩、京劇をしているというホテルに行ったが、観光客相手のもので、舞台などあまり凝ってはいなかった。ホテルのテレビで見た京劇のほうが、よっぽど奇麗だった。

万里の長城

北京から、汽車で八達嶺へ行き、そこから万里の長城まで歩いた。タクシーの運転手の執拗な客引きにあったが、値段が気に入らなかったので、ちょっと遠かったけれども歩いた。タクシーの運転手は、ついに、最後まで私の後をつけてきた。それなら、最初から、安い値段で乗せてくれれば、互いの利益になるのにと思った。着いた所は、観光地の万里の長城ではなく、観光客もいなければ、観光施設も一切ない所だった。現在、修復中の場所であった。

私は、せっかくここまで来たのだから、上まで登ろうと歩きだした。そこは、下から見るよりずっと急であった。上の方まで来ると、さらに向こうの山を越えて続いている万里の長城が見えた。この万里の長城がどこまで続いているのか、全然分からなかったが、思い切って行ってみることにした。万里の長城の道は所々、砕けていたり、とぎれていたり、また、急だったりで、歩くのか大変だった。途中で、何度も、降りたり、登ったりしなければならなかった。約2時間後、ようやく降りてこられた。
万里の長城は、それを飛び越えるのは不可能なほど高く、また、長城に沿って歩くのも困難なほどに急な山の斜面をもあるというのを、自分の体で実感した。

ジンギスカン(成吉思汗)陵

バス、ワンボックスカーで、

包頭東駅→東勝(3時間)
東勝→阿鎮(1時間)
阿鎮→成吉思汗陵(1時間)
と乗り継ぎ、成吉思汗陵へ行った。
乗り物は、混雑時には、信じられない人数を乗せて走った。まるで、超満員電車なみだった。

成吉思汗陵は、比較的よく整備されていた。ただし、観光客は、私しかいなかった。建物の中には、いろんな展示物がおいてあった。古き時代に成吉思汗は生きていて、しかもこの辺りに活躍していたのかと想像するだけで、興味深かった。私は、井上靖の「蒼き狼」という本を読みながら、今回の旅を続けていた。こうしたことで、本の世界と、実際の旅行がダブって、より感動の大きい旅となった。

地方では、日本人が珍しい様だった。例えば、バスの中で、私が日本人だと分かると、皆がいっせいに、私の顔を振り返って見るので、私はちょっとびっくりした。外見では、中国人も、日本人もそれほど区別できないと思うのだが、日本人は、とてつもなく金持ちに見えるらしかった。食堂でも、日本のことを聞きたがる人が、群がってきたりした。

バスの車内はごみが散らかっていて、汚かった。人々は、ヒマワリの種の様なものを好んで食べていたが、それらの皮をそのままバスの床に投げ棄てていた。これが、一人ではなかったので、おそらくそういう習慣なのだろうと思った。

夜行列車

北京から、上海までは、夜行列車で一気に移動した。
列車のチケット売り場は、中国人用と、外国人用で別になっているため、落ち着いて切符が購入できた。中国人用の売り場では、人、人、人で非常に混雑していた。

寝台では、中国人と話しながら過ごした。食べ物ももらった。彼らは、本当に良い人達だった。「だいたい、食べ物をくれたり、おごってくれたりする人は良い人である。」と、私は思っている。

上海雑技場

中国式のサーカスが目の前で見られた。見事だった。

太極拳

「果たして、中国人は、毎朝、太極拳をしているのだろうか?」
というのが、私の疑問だったが、実に大勢の人が、毎朝、公園などの広場に集まって、太極拳や、体操、ダンスなどをしていた。私も、端っこで、日本で学んでいた太極拳24式をやった。

中華料理(北京)

北京より北の地方では、羊の肉を始めとして肉を中心としたメニューが多かった。野菜類があまりなく、あっても、ねぎのようなものだった。私は、栄養の偏りを心配して、食堂ではなるべく野菜類も注文するようにしていた。

一番おいしかった料理は、北京の天安門の南にある店で食べた羊肉のしゃぶしゃぶであった。そこは、しゃぶしゃぶ屋さんが何軒も立ち並んでいる食堂街で、路地には、鍋に火をつけるためあちらこちらで炎が上がっていた。

北京で、チャーハンなどを注文しても、入り卵ご飯のようで、全然おいしくなかった。北京は、日本で食べる中華料理とは味も、メニューも違っていた。
ぎょうざなども、日本では、中華料理の代表みたいだが、焼きぎょうざは探しても見当たらず、蒸しぎょうざ風のものを一度だけ食べた。

中華料理(上海)

上海では、日本で食べる中華料理そのものがあった。ただし、上海の方がずっと、おいしかった。私は、ラーメンが大変気に入った。どこの店で食べても、非常においしかった。具は、並べている色々な種類の中から自由に選べる、日本とはちょっと違った方式だった。
チャーハンを始め、日本の中華料理の定盤になっているものは上海にあったのだった。

ホテル

ホテルは、たくさんあるのだが、外国人が泊まれるホテルは限られており、しかも、値段の高い所ばかりであった。都会で、安いホテルを探すのは非常に困難だった。何回もメイヨー(ありません)と断られた。北京では、客引きに来たタクシーの若者に頼んで、無理やりに中国人しか泊まれない民宿のような所に泊めてもらったこともあった。

トイレ

「中国のトイレには、ドアがない。」と、日本を出発する前に、友人より言われていたのだが、本当にそうだった。なぜ、ドアがないのかは知らない。ただ、ウンコをするときに、他人と面と向かって、しかも、完全にその様子をお互いに見せ合いながらするというのは、奇妙な印象を受けた。

お金

中国では、外国人は兌換券といって、中国人の使う人民幣とは違った種類のお金に両替された(1993年当時)。闇で両替すると、兌換券1に対して人民幣が1.X倍で交換できるそうだ。ちなみに、現在、この兌換券のシステムはなくなっている。

筆談

中国では、英語より、筆談で話が通じた。中国語の漢字と日本語の漢字の中には違うものもあるが、すぐに分かってきた。また、語順は英語と同じ主語、述語、目的語の順に並ぶことが分かれば、それほど難しくなかった。
中国で道を尋ねたり、話しをしたりはほとんどすべて筆談を用いた。

感想

中国は社会主義国と言うことで、どんな国かなという不安、期待があったが、予想より簡単に、自由に旅行ができた。逆に、社会主義国と言うのは、実感できなかった。デパートなどでは、物がたくさん売られているし、食堂に入ればきちんと食事ができた。
社会主義国と言えば、私には、旧ソ連の物不足のイメージが強すぎた。それで、どこの社会主義国も物不足だという考えを持っていたのだが、間違いであることに気付いた。

ジンギスカン陵は、井上靖の「蒼き狼」という本の世界と今回の旅とがダブって、興味が倍増した。ジンギスカンは、昔、実在した人物である。本のストーリーは、生まれながらに不幸を背負ったジンギスカンが、世界征服をするというものである。私は、ジンギスカンという偉大な男と、彼を支える気の強い妻たちの世界に憧れた。こういう風に、強く男らしく生きたいと思った。

本場中国の太極拳は、おばさん、おじさんなど皆がやっていて、その型も自然であった。私の学んでいた、太極拳24式も公園でやられていた。全く同じ音楽であった。
何千年もの歴史のある太極拳に対して、いまだに人々が関心を払っており、また、それを日常生活に役立てているのには感動した。
中国では、このように多くの人が健康に関心を持っていた。また、毎朝、近所の人達が集まって交流を深めるのも良いことだと思った。

日本で普通に食べている中華料理は、中国の上海にあった。本場の中華料理は日本人の私にはおいしく感じられないのではないかと心配していた。ところが、日本で食べるよりもおいしいかった。
また、中国の国土は広いので、場所が変わると気候も食文化も全く違っていた。

中国は大きかった。私が訪れた北京、成吉思汗陵、上海だけでも随分と違っていた。
人も多かった。どこの町においても、人が溢れていた。


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