赤痢で隔離された!

インドのリシケシュから、デリーまでバスで移動した。(5月3日)一番のデラックス・バスの中で、カーテン付きのリクライニング・シートに寝ていた。誰かに起こされると、乗客は誰もいなかった。バスが故障したため乗り換えてくれと言う。次のバスは、カーテンはなく、椅子の背もたれが固定で、とても寝られたものではなかった。しばらくすると、このバスも故障した。また乗り換えた。今度は満員バスで、人を押しやってどうにか中に乗り込み座席を確保した。しかし、窮屈で暑くてへとへとに疲れた。デリーのバス・ターミナルまで6時間のはずが、8時間もかかった。昼御飯から食べてなかったので、ひどく疲れていたが、ご飯を胃袋に押し込むようにして食べた。そしてニューデリー駅までバスに乗った。途中、気持ちが悪くなり、バスの窓から吐いた。バスを降り、疲れでふらふらしながら宿を探し歩いた。宿にたどり着けたのは夜10時前であった。次の日(5月4日)、頭痛がしたので、宿に寝ていた。夕方、デリー空港に向かった。曇りとはいえ、寒気がした。体調は依然良くない。デリー空港で医者に診察してもらい、薬をもらった。何の薬かも聞かずに、すがる気持ちで飲んだ。しばらくすると少し楽になった。

深夜ということもあり、飛行機の中ではほとんど寝ていた。トランジットのため、翌朝(5月5日)、シンガポール空港に着いた。このとき、便を出すと、水のようで色は黒か焦げ茶色だった。何度かトイレに行った。数時間後、飛行機に乗り込み、夕方には、関西空港に着いた。入国の際に下痢だと申告すると、検疫所へ行くように指示された。そこでは無料で便の検査をしてくれた。「法定伝染病の場合は隔離の必要があるので連絡しますが、食中毒などその他の場合は連絡しません。」と言われた。そして、海外旅行から帰ると、決まって食べたくなるうどんを食べた。
次の日(5月6日)、下痢がまだ続いていたので会社を休んだ。

その次の日(5月7日)、下痢は治まりかけてきたように思えたので、体力は非常に衰えていたが、ゆらーりと幽霊のようにして会社に行った。しばらく席を外してから、自分の机に戻ってくると、関空免疫所に至急電話して下さい!という伝言が机の上に置いてあった。「来たー!」と思った。早速連絡して指示に従った。「自宅で待機していなさい。」と指示された。「今は、会社で働いています。」と答えると、「帰宅しなさい。」と指示された。自宅に帰ってすぐに、保険所の人が来て消毒を始めた。私の部屋、トイレ、食堂など、消毒液を噴霧した。私は、旅のこと、帰ってからの行動などの尋問を受けた後、車で加古川市民病院隣にある、印南野伝染病院へ連れて行かれた。持ち物は、出るときはすべて捨てなければならないので、手ぶら、服も一番不要な服を着て行くようにとのことだった。一円も持たなかった。後から聞いた話しによると、その後は大変だったらしい。私は、会社の寮に入っているので、寮生約130人の検便、会社にも保健所の人が来て、消毒し、私と接触したすべての人の検便をとったりしたらしかった。

伝染病院には、部屋は8部屋ほどあったが、そこには、私一人しかいなかった。年に一人位しか入らないらしい。この私一人のために、看護婦さんが、看護と監視?のために、24時間交替で勤務している。まず、便をとり、血液を採取した。そして、体力回復のため、点滴を受けた。私の体重は5kgも痩せていた。部屋は、エアコン、TV、湯沸かしポット、ベッド、お茶セットが備え付けられていた。服、使い捨ての紙パンツ、タオル、ペン、歯ブラシは支給された。赤痢のための抗生物質を毎食後に一錠飲み、数日間は下痢が治まるまで、お粥とおかずを食べた。毎日することは、七時半、朝飯を食べ、便を出し、お湯で体を拭き(風呂、シャワーはなし)、11時半、昼飯を食べ、4時半、夕飯を食べ、9時、寝る。数時間おきに、自分で体温を測り、看護婦さんが脈を測る。便は、流さず、看護婦さんがチェックし、ときどき検査に回す。午後に、先生の診察がある。赤痢の検査は、48時間培養してからになるので、結果が出るのに時間がかかる。薬を飲んで菌がなくなってから、薬をやめて、菌が2回の検査ともなくなっていれば、隔離が解除となるシステムらしかった。


  7日(水)午後隔離開始 薬を飲む 午後に点滴を受ける
  8日(木)       薬を飲む 午前に点滴を受ける
  9日(金)       薬を飲む 7日の便の検査結果で赤痢菌が発見された
 10日(土)       薬を飲む
 11日(日)       薬を飲む
 12日(月)            9日の便の検査結果で赤痢菌が発見されず
 13日(火)
 14日(水)            12日の便の検査結果で赤痢菌が発見されず
 15日(木)            13日の便の検査結果で赤痢菌が発見されず
 16日(金)午後隔離解除      14日の便の検査結果で赤痢菌が発見されず
  下痢は9〜10日には治っていた。
その他、面会は、刑務所のようにガラス越しに、インターホンで話をする。食事は、少し量が少な目であり、いつもお腹を空かしていた。体重も点滴後それ以上には増えなかった。トイレの後、食事の前には、消毒液(オスバン)で消毒する。何もすることがなく、暇なので、会社や、友人に電話をかけた。隔離には一切費用はかからないが、電話代は実費を請求された。このほか、赤痢が完治したという証明書を書いてもらうのに費用がかかった。

隔離が解除されここを出るときは、お風呂(湯船)に入り、上がるとき、外側にそのまま出て行く。看護婦さんは、外からの持ち込み品を嫌がっていた。どうしてもというときには、消毒をすれば持ち出せるらしいが、私は、何も持ち込まなかった。外に出られたときは、顔に微笑みがみなぎった。たかだか10日間の入院だったので、「じっと瞑想やヨガをすれば時間を忘れられる。誰にも邪魔されず、一つのことができるこういう機会はめったにないので有意義に過ごそう。」と考えていたのだが、実際は精神的に苦痛だった。帰りは、当然、車での送迎はなく、タクシーで家まで帰ってきた。このごく普通の社会、普段の生活がとても新鮮に感じられた。この気持ちは、生まれてから今までに感じたことがないと言っても過言ではないほどのものだった。

私の伝染病騒ぎで、多くの方々にご迷惑をかけましたことをお詫びします。

その後は、いくつか入っている海外旅行傷害保険や生命保険などに請求した。海外旅行傷害保険は、病院に支払ったお金と交通費の全額をくれた。生命保険は、4日の免責を除いた6日分の入院代をくれた。


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