インドネシア(お気に入りの国)

日程:1991年12月21日〜1991年12月31日


飛行機

バリ島のデンパサール空港まで、生まれて初めて国際線の飛行機に乗った。ガルーダ・インドネシア航空を利用したのだが、機内は異国ムードだった。その時は、機内サービスなどのシステムが全く分からず、また、英語もそれほどできないので、スチュワーデスに英語で尋ねられるたびに緊張しっぱなしだった。

インドネシアの入国審査

係官に英語で質問された。
「どのホテルに滞在しますか?」
ホテルは現地の飛び込みにしようと考えていたので返事に困った。「クタ」(地名)とか言っても「ノー」と言われた。旅行ガイドブックを出して適当にホテルの名前を言ってもだめで、どうなるのかとあせりと汗(暑かったせいもあるが)が出てきた。その時、機内で世話をしてくれたスチュワーデスが来て(おそらく、英語ができない日本人として印象に残っていたのだろう)、係官に何か言った。そして、私は、入国が許可された。

第一日目の宿

空港についたのは夕方で、両替等を済ませたら、日が暮れていた。さあ、右も左も分からず、今夜の宿を探すつもりで、クタまでタクシーで行くことにした。値段交渉を済ませてから送ってもらった。知らない土地でタクシーに乗ると、どこに連れていかれるか少し不安である。夜なら、なおさらである。結局、クタに到着した。そこで、タクシー代を払おうとすると小銭がなく、近くの店などで細かくしてくれるように頼んだが断られた。次回からは、空港で、小銭(スモール)で両替してもらおうと思った。

クタは人が多く活気に満ちていた。少し歩いていると、客引きが寄ってきたので、宿に案内してもらった。安宿を目指していたので、何件目かにたどり着いた。
知らない土地での第一夜は非常に不安であった。部屋に入ると、鍵をかけ、そのまま朝まで、部屋を出ることはなかった。

ビーチ

クタビーチでは、朝っぱらから海に浸かっても寒くはなかった。
日光浴をしているトップレスの白人女性がいて感激した!

ソロ

ソロに滞在した。成り行きまかせの旅ゆえ、そこに滞在する計画は全くなかったのだが、良い思い出ができた。食堂で知り合った人に宿を案内してもらった。そこは、地元の若者たちが集まる所のようで、アットホームな雰囲気で話しをしたり、また、近くの名所を付きっきりで案内してくれる人もいた。

ちょうど、クリスマスの季節だったので、「きよしこの夜」を私の日本語と、若者たちの一人(キリスト教徒)の英語とで一緒に歌ったのをよく覚えている。音楽は世界共通だった。

ジャワ島はバリ島とは違ってイスラム教の信者が多く、私が屋台で知り合った彼は、そうであった。一日に5回ほど、スピーカーから聞こえるコーランに合わせて、お祈りを捧げていた。まず、手足を清め、それから、聖地エルサレムの方角に向かって頭を地面につけてお祈りをする。彼はその様子を進んで私に見せてくれた。
後に、彼から来た手紙にはイスラム教について彼の意見が述べられていた。
「この世のすべてのものは神(アラー)が創造し、世界は神によって計画されている。毎日お祈りをするのは神の意志を知り、それにしたがって我々が日常生活で行動するためである。」(概要)

ボコ

ボコの丘に歩いていこうと思い、山を登っていた時のことである。道を間違えて困ったと思っていると、遠くの方で「ハロー」と言う声が聞こえてきた。ボコに行きたいと尋ねると、道を教えてくれた。
また分からなくなって近くの家の人に聞きにいくと、家の中に案内された。そこには、ガムラン(民族楽器)がずらりと並べられていた。お茶までごちそうになり、主人は、楽器一つ一つについて使い方を説明してくれた。そして、子供たちも交えて、5人で演奏した。ガムランをこの手で演奏できるとは、夢にも思っていなかったので、非常に感激した。

しばらくすると、近所の人々も大勢寄ってきて、握手を求められたりした。私は、ただの日本人だというのに、有名人になったようでうれしかった。言葉が通じないのに、心が通じ合うというのは素晴らしいと感激した。
(「地球の歩きかた'92-'93バリとインドネシア」に投稿)

ボロブドゥール

私がジャワ島にまできたのは、このボロブドゥール寺院を見学するのが目的だった。石で作られた本当に大きな仏教の建築物であった。

食事

さすがに、生水は飲まなかったが、氷は食べた。でも、お腹は壊さなかった。
エス(氷水)など、平気で屋台で買って食べていた。
食事で一番の私のお気に入りはナシゴレン(焼き飯)、ミーゴレン(焼きそば)であった。

トイレ

トイレも初めての経験だった。水で流して左手でお尻を洗うのである。最初は方法もよく分からなかったが、慣れると快適になった。やはり、その土地にあったものが良いようだ。
お風呂は、一日に数回、水を浴びるだけであり、私には湯船に浸からないと疲れが取れないような感じがした。でも、暑い国では、熱い湯は、よけいに疲れが溜まるのかもしれない。

バス

バジャイ、ミニバス、船を乗りつぎ、バリ島のクタからジャワ島のボロブドゥールへ向かった。地名などの言葉は、以外にもよく通じたので乗り換えは思ったより容易だった。
バスで隣の席に座っていた人と仲良くなり、乗車中ずっと喋りつづけていた。バスを降りると、時差があり、時計がずれてしまっていた。日本では考えられないことだ。ちなみに、その夜はその人の家に泊めてもらった。

ボロブドゥールまでの行きは、いろんな所に滞在しながら、観光しながら進んだ。
帰りは、夜行バスを使って、一気にジョグジャカルタからデンパサールまで帰ってきた。車内に、外国人は私一人ですごく目立ってしまった。また、お菓子が出たり、休憩の時に皆と食事をしたりと楽しい一夜だった。

バリダンス

バリ島にあるチャンディ・ダサの安いコテージに滞在した。クタと違い、小じんまりした所で人が少なく気に入った。近くに、シュノーケリングに行ったり、ダンスを見たりした。バリダンスは数種類行われ、善い神と悪い神が永遠に戦いを続けるというストーリー(バロン・ダンス)と宮廷舞踊が特に印象に残っている。

フルーツ

この季節は、道端でドリアンを始め、色々な果物が売られていた。果物の王様ドリアンを買って食べたが、個性の強い匂いと味だった。女王マンゴスチンは、あっさりしていておいしかった。

日本への帰国

最後まで、いろんなことを経験した。
税関検査では、色々質問された。例えば、
「申告漏れはないか?」
「他人からの預り物はないか?」
等たくさん。
それから、リュックサックの中身、ポケットの中身はすべて出すように要求された。さらに、包んでいるものすべてはがされ、靴にいたるまで徹底的に調べられた。いくら貧乏旅行者の格好をしていたとはいえ、小型のリュックサック一つでこんなにも時間がかかるものとは思ってもみなかった。私が通れた頃には、飛行機の他の乗客は当然誰もいなかった。もちろん、私自身やましいことは全くなかったし、結局何事もなかったのだが。

感想

初めての経験が多くて、不安と興奮、興味一杯の旅だった。
それだけに、感動が大きかったのかもしれないが、私にとって一番お気に入りの国である。

この旅で、いろんな人との出会いがあった。バスの車内で出会い家に泊めてくれた人、ソロの宿の人とその友達たち、ボコの人々、バリ島の英語の教師など、良い人が多かった。

いろんな宗教に初めて出会った。
バリ島において、家の玄関にヒンズー教の神様を祭る幼い女の子の姿を見た。短パンにてヒンズー教寺院に入ろうとした時、怒った少女がいた。けなげに、宗教を信じている姿に心を打たれた。
ジャワ島では、キリスト教徒はキリスト教を信じ、クリスマスを祝っていた。
イスラム教徒はイスラム教を信じ、コーランの音に合わせてお祈りを捧げていた。
いずれも、宗教が、生活の中に溶け込んでいた。信じるものがあるというのは良いことのように思えた。
私は、もし宗教が存在しなければ、人々は何が善くて何が悪いかを判断する基準が持てないのではないかとさえ思うようになった。


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