ニュージーランドは遠い昔に大陸から孤立し独自の生態系が保たれており、それを乱さないように動植物などのニュージーランド国内への持ち込みが禁止されていることを知った。そう言えば、ニュージーランドには危険な生き物がいないと聞いた。ヘビや熊、その他の猛獣などいないし、飛べない鳥でも外敵がいなかったので生き延びて来たのだ。
ニュージーランド・ドルに両替を済ませた後、まず空港の案内所(インフォメーション)へ行き、ファームステイ先を探した。係の人がいくつかの農場に電話するが、どこも留守だった。しかたないので電話番号を聞いてクライストチャーチ大聖堂のあるシティへと市バスで向かった。
ニュージーランドは南半球に位置するために日本とは季節が逆で、この時期は夏のはずなのに日本で3枚着ていた冬服のままでもそれほど暑くは感じなかった。
バスから見る街並みでは庭付きの一戸建て住宅がゆったりと建てられいてイギリスの街に似ているという印象を持った。
大聖堂に到着した後、街の様子を知るために歩き回った。クライストチャーチはニュージーランドで三番目に大きい都市だが、それでも人口は約30万人である。まずぜひ訪れたかった博物館、それにアートセンターを見学した。アートセンターは旧大学舎で芸術(アート)作品の制作・展示即売店がたくさんたくさん集まっている。100店ほどあるだろうか。この日は日曜日ということもあり、野外でコンサートしているグループがいたり、小物などを売っている出店がたくさんあったりして、大勢の人が集まっていた。
その夜泊まったYMCAで同室になった人からの情報で、ウーフ(WWOOF)という組織を知った。ウーフとは会員がオーガニック農業を学ぶため、農場や庭園で働く代わりに無料でその家に滞在させてもらう支援をしていて、世界中に存在する(日本にもあるらしい)。会員はウーファー(WWOOFer)と呼ばれる。こんなシステムがあるなんて。私は観光で農場を訪れるよりも、羊を飼っている農場で農家の手伝いをし実際の農家の生活を体験したかった。(これに似た他の組織もあるらしいが、名前を忘れた)
街を歩いていても日本語をよく耳にした。ニュージーランドには観光客やワーキングホリデーで滞在している日本人が予想以上にたくさんいた。私は観光客が訪れないような素朴な場所に旅行するのが好きなのに。
農場では、ちょうど羊の毛刈りが行われていた。
農場の羊たちとJOさん
またJOさんが羊を殺すと言うので見物した。
朝食は、シリアルと、トーストだった。この家はJUさんが手作り好きなためか、クッキーやジャムやデザートなど色んなものが自家製である。また、冷蔵庫がいくつかあり、肉専用などと分かれていて食料がたくさん貯蔵されている。野菜等は自家菜園もあるので、買い物は毎日行く必要もないだろう。
JOさんが、昨日殺した羊の肉を解体すると言うので見物した。解体は手慣れた様子で行われた。肉はラム・チョップ(LAMB CHOPS:羊のあばら骨付きの肉)の部分がおいしいらしい。
その後、JOさんは昨日からの続きで羊の頭とお尻の毛を刈る作業を続けた。羊は2500匹もいるらしいので、作業は根気がいる。この日は小雨が降っていたため、屋内での作業になった。私は羊を捕まえてJOさんに手渡す作業をして手伝った。前足を羊の背中方向からつかんで羊を座らせるかまたは仰向けにさせるような形で手渡す。羊は体が大きい割にはおとなしく力も強くなかった。女性のYさんも交代で羊を捕まえる作業をした。
羊を捕まえた私
この日はこの家の友人家族が集まって賑やかだった。欧米ではクリスマスの時期は人々が他の家族を訪問する習慣があるようだ。ディナーには今日解体したばかりの新鮮な羊の肉をお腹一杯頂いた。この家では毎日だが、夕食のデザートに甘いアイスクリームやケーキが出される。甘すぎてそんなに食べられないし、健康上気になるのであまり食べられない。
居間でくつろいでテレビを見ていると、内容が現実的で厳しいCMがあった。交通事故のストーリーで飲酒運転の防止を呼びかけるとか、動物が死んでいく映像で動物保護を訴えるとかがあり、事実とはいえ見ていて気持ちのよいものではなかった。
夕方、皆が帰って来た。町は好きではなかったと言ったJOさんは、農作業にかかった。少し離れた丘に放牧している羊をJOさんと2匹の牧羊犬とで囲いの中へ追い込むのだ。JOさんはバイクを走らせ私もその後ろにまたがり、丘へと向かった。ペット犬もついてくる。広い丘からどうやって羊を追い込むかが見物だ。
牧羊犬とバイクで羊を追っている
犬はよく仕込まれていた。丘の一番奥から徐々に羊を追い込んでいくのだが、羊は気が小さいため、人や犬が近づいていくと群になって逃げる性格を利用している。また人を怖がるようしつけているのかも知れない。こうやって、見事に約450匹の羊が群をなして、囲いの中に追い込むことに成功した。
夕食は庭のテーブルで食べた。日が長いというこは贅沢に感じられる。9時頃、Yさんと犬のロッキーとで散歩に出かけた。ここでは日が長く夜10時頃にならないと暗くならない。散歩の途中、月の出(月が昇るところ)が見えた。月が昇るのを今まで見たという記憶がない。オレンジ色の満月で綺麗だった。この時期は月が地球に近づいていたので普段よりも明るかったようだ。月の出の写真を撮ったがうまく写っていなかったのが残念。
夜11時、この時間になると夜が本当に暗くなり、星がくっきりと見え始める。南十字星(サザンクロス)を教えてもらった。なぜだろうか、日本人はこの星に憧れる。くっきりと見えた。日本でも見えるオリオン座がここでも見えるのがなんだか不思議に感じられた。南の方角はサザンクロスを目印にして推測するとのこと。注意点としては、サザンクロスを探すときはニセ十字と間違えないよう気をつける必要がある。本物には、隣りにベータ、アルファ星がある。
クライストチャーチで人気のあるベガボンド・バックパッカーズという宿に泊まることにした。私が泊まったのは3人部屋で2人はデンマーク出身の女性であった。そのためオーナーからは”ラッキーボーイ”と幾度も呼ばれた。その晩、食堂でクリスマスパーティーが催された。ケーキとアルコールを含む飲み物は無料だったので少し飲み過ぎた。ケーキは日本人には甘すぎる。日本だと皆がベロンベロンに酔っぱらって朝まで飲み続けかねないだろうが、欧米人はそうなるまで飲まない。どちらがよいとは言うわけではないが、生活の違いというものだろう。
パーティーで知り合った日本人男性と夜の街に出かけた。さすがにクリスマスイブの夜は普段とは全く違って人が多く賑やかである。レストランやパブの前にはあちらこちらで行列ができていた。おそらくクライストチャーチ近郊からもこの日とばかり、たくさんの人が集まってきているのだろう。これが明け方まで続くのだろう。私たちはあるパブに入った。中は暗く、ダンスミュージックが大きく鳴り響き、踊っている人がひしめき合っていた。少し踊ってみたものの今ひとつノレない。真夜中を過ぎたころに宿に戻って寝た。同部屋の女性2人はまだ帰ってなかった。
クリスマス。本当にすべての店という店が閉まっていた。ただアジア系の店の中には開いているところもあった。日本なら年中無休と思われるマクドナルドやコンビニなどもすべて閉店していた。ニュージーランドの店は普段でも午後5時にはほとんどの店が閉まるので不便だが、逆に考えればそれほど働かなくてよい社会と言える。
私は、クライストチャーチ大聖堂で開かれるクリスマスミサに参加したかったのでクライストチャーチに戻って来たのだ。朝10時、現地の人に混じって大聖堂の中に入った。たくさんの人が既に着席していた。入り口で渡されたプログラムに従って、会は進行された。途中、私たち自身が起立したり、歌ったりする場面が幾度かあり、ゆっくり落ち着けなかった。以下にプログラムを短くまとめた。
聖餐(せいさん)
賛美歌
福音と祈り
「神様の御言葉は我々の内に宿っています。アーメン。」
法のまとめ
心より神を愛しなさい。
隣人を愛しなさい。
告白と赦免
「我々はお互いに助け合うことができませんでした。
どうぞお赦し下さい。」
司教が赦免を宣言する。
栄光の聖歌
講義
神への称賛と栄光
賛美歌
人々の祈り
サクラメント
我々は洗礼された。救世主の愛で結ばれている。
奉献の賛美歌
神はここにいる。
我々は神と一体になる。
賛美歌
近寄ってイエスキリストの肉と血を受け取りなさい。
我々のために死んだことを思い出し、
感謝の気持ちを持っていただきましょう。
「救世主の肉体を共有した我々がよりよく生きられますように」
賛美歌
午後7時半、私はまたクライストチャーチ大聖堂のクリスマスの集会に参加した。午前中とは違う内容である。
夕べの祈り
入祭文
賛美歌
祈り
我々は神とともにここに集まっています。
イエスキリストを通して、罪を告白し、祈り、
そして神の愛をもっと知るでしょう。
告白
「神様。我々は罪を犯し、神を愛さず、隣人を愛しませんでした。
我々に恵みを与えて下さい。我々の罪を洗い清めて下さい。
イエスキリストの御名によりアーメン。」
赦免
賛美歌
旧約聖書の講義
マリアの賛歌
新約聖書の講義
使徒信経
私は神を信じています。あなたの息子イエスキリストを信じています。
集祷(しゅうとう)
2番目の集祷、平和のために
「神様。あなたのしもべに平和を与えて下さい。アーメン。」
3番目の集祷、あらゆる危険に対して助けるために
「神様。暗闇を照らし、この夜の危険から我々を守って下さい。アーメン。」
賛美歌
献金の賛美歌
説教と祈り
恩恵
賛美歌
オルガン独奏
バスの窓から
夜はYHAホステルに泊まった。近くによいレストランがなかったため、米やインスタント麺などを買い、晩御飯と明日の昼食をホステルの台所で作った。日本と違い海外では食事付きのホステルはなく、ほとんど皆が自炊している。日本でも格安で泊まれるこういう宿がもっとたくさんあってもよいのではと思う。自分で寝袋を持っていくだけで日本円にして千円以下で泊まれるのだ。
買った米は長細い種類で、初めて炊いてみたがパサパサしていて、どうやってもモチっとした仕上がりにはならなかった。その晩はご飯とインスタント麺だけだったが、とりあえずあったかいご飯が食べられて満足した。
ケア
少しは霧が晴れてきたので、山登りできること願って10時頃まで待ったが、ついに断念した。インフォメーションによると天気予報は晴れだったが、霧が濃かったため登頂は諦めた。夕方に帰る予定を早めて、すぐにバスに乗り、クライストチャーチに戻った。そこから、次の目的地であるアカロアに行き、友人に紹介されたオヌク・ファーム・ホステルに泊まることにした。アカロアではホステルの人がバス停まで迎えに来てくれていた。ファーム・ホステルという名前だけあって山の中に建てられていて、バス停のあるアカロアの町までは5kmほど離れていた。宿に着いてたくさんの日本人がいて驚いた。
ファーム・ホステル周辺の農場と海
私はあまり食料を持ってなかったので夕食は農場の中のレストランで食べることにした。ドイツ人の熟年夫婦と一緒に出かけ、食事をした。彼らは自転車でニュージーランドを旅しているとのこと。どこにそのような体力があるのか分からなかった。大変仲がよさそうで、自分が年を取ってもこんな夫婦でありたいなという感じの夫婦だった。宿に戻ってみると、日本人が集まって釣ってきた魚と貝で夕食を食べている最中であった。私も彼らが捕まえた新鮮な海の幸を食べさせてもらい満足した。レストランよりこちらの食事の方がずっとよかった。そのまま夜が更けるまで色々と話した。寝る前に、大晦日のパーティーのポスターを作ると言うので私も一枚記念に書いた。もう真夜中を過ぎていた。
今夜のベッドは離れの小屋になった。移されたときは気にもしていなかったが、そこは電気がない小屋でロウソクの明かりが頼りらしかった。離れの小屋まで移動しているちょうどその間に小道の電灯が消えた。真っ暗で何も見えない。ふと空を見上げると、星が最高に綺麗なのに気づいた。引き返して、ロウソクに火をつけて道順に慣れている女性に道案内してもらった。その女性と一緒に星を眺めた。そしてロウソクの明かりを頼りに寝袋に潜り込んだ。
今日が最終日だからカヤック教室に参加した。この寒さと朝早くからカヤックすること自体にはそれほど興味はなかった。しかし、この海でカヤックを漕いでいると、イルカが伴走するのが素晴らしいと言うので、参加してみることにした。イルカと一緒に海を進むなんて夢のようだ。あいにくこの日は風が強く、岸からほとんど離れることができず、結局イルカには会えず、非常に残念だった。初心者は向かい風方向に進むときにはインストラクターにロープで引っ張ってもらうくらい風が強かった。
昼過ぎ、宿で知り合った友人にクライストチャーチまで車で送ってもらった。スーパーに入り中を一通り見た後、食料品などを買った。スーパーなどに行くと土地の生活がよく分かるので私は好きである。その後、お土産屋でおみやげを買い、バスで空港に移動した。翌朝の飛行機は早いので、空港内ロビーで寝ることにした。
飛行機の窓から綺麗な色の島々が見えた
スーパーで買ったリンゴが1個余っていた。新関西国際空港の植物検疫で正直に申請したら、ニュージーランドのリンゴは日本国内への持ち込みが禁止されていると告げられ没収されてしまった。
最後にニュージーランドの環境問題についての感想を述べる。ニュージーランドは自然が残っているが、ニュージーランド人が日本人よりも環境に気をつけているという印象は特に持たなかった。コンビニではペットボトルのジュースは買えるし、それらはリサイクルしているようには見えなかった。ごみの分別も日本と同様程度に見受けられた。ただ面積が日本の70%で人口が350万人と少なく人口密度が低いために自然が豊富に残っているのだと私は受け取った。また農業が主な産業であることから農業によって自然が守られているようにも思えた。そして何よりもニュージーランドは日本社会よりも時間がゆっくり流れていて、ゆとりある生活を送っているように感じられたのが一番印象に残った。