シンガポール & マレーシア

シンガポール&マレーシア写真集(1/3)

シンガポール&マレーシア写真集(2/3)

シンガポール&マレーシア写真集(3/3)


1996年4月26日から5月4日までシンガポールとマレーシア旅行をした。
目的は特になかったが、シンガポールは一度は訪れたいちょっと特徴のある国であった。
シンガポールは、現在、アジアで一番の経済成長率を誇る国である。
また、厳しい規則により管理されている国であることは有名である。ゴミを捨てたら罰金、チューインガムは禁止、自動車は家より高い、車の渋滞はないなどという情報は聞いていた。

日程

 4月22日(月)航空便の予約
  〜25日(木)
 4月26日(金)関西新空港〜シンガポール、出国
 4月27日(土)シンガポールがらマレーシアへ歩いて国境を渡る
 4月28日(日)コタティンギに行きつく
 4月29日(月)クックアップのフィッシャーメンズ・ビレッジへ行く
 4月30日(火)フィッシャーメンズ・ビレッジ滞在
 5月 1日(水)シンガポールへ戻る
 5月 2日(木)ナイトサファリに行く
 5月 3日(金)シンガポールの夜景を見る。シンガポール発〜
 5月 4日(土)〜関西新空港着、帰国

4月22日(月)航空便の予約(その1)(出発4日前)

ゴールデンウイークの休みの予定が先週末4月20日(土)(ゴールデンウイークの振り替え出勤日)にようやく決まった。休みといえども、休日出勤が待ち構えていたので、なかなか予定が決まらなかったのである。
今日は、神戸に出張中である。
昼休み、旅行会社にゴールデンウイークの航空券の手配をしてくれるように電話をかけた。今からだと間に合わない、とあっさりと断られた。
旅行会社は、特に電話の場合は担当者によって大きく対応が異なる。外れの人が電話の応対に出たようだ。本当は、他の人と代わってほしかったが、あきらめた。

4月23日(火)航空便の予約(その2)(出発3日前)

自分の本来の居場所である明石に帰ってきている。
会社の昼休みに、私が今までに最もよく利用している旅行会社に電話した。さすがに、この会社の応対はよかった。ゴールデンウイークに東南アジアで行ける所はないかと尋ねた。「シンガならある。」「シンガ?」「シンガポール」その場で日程を決めてもらった。4月26日から5月4日の予約がとれた。その足で、すぐ銀行に行って航空券代を振り込んだ。なんとか、昼休み中に手続きは済んだ。

4月24日(水)仕事(出発2日前)

昼過ぎ、会社に電話が入り、どうしても出張しなければならなくなった。夕方5時に名古屋に出発した。そのまま現場に入って仕事をしてほしいということだった。その晩24時頃、仕事が終わった。そして、名古屋に泊まった。

4月25日(木)準備(出発1日前)

朝、明石に移動した。
それから、明石のオフィスで連休前の段取りをすべて片づけた。
家に帰ると、宅急便が届いていた。旅行会社からの航空券である。これが一番気がかりだったのだ。あわてて封を切った。そのときまで、出発時刻や航空会社を知らなかったからだ。電話したときに聞くのを忘れていた。
晩、旅行準備をした。いつもの持ち物チェックリストにしたがって、持って行くものをリュックサックにつめるだけだった。

4月26日(金)出国

朝、会社へ出勤するよりも早い8時前の電車に乗った。三宮9:00発のバスに乗れた。関西新空港に着いたのは10:20だった。
空港の免税店で雑誌を買った。291円だった。そうだ、消費税がかからないのだ。得した気分になった。

機内。私の隣に座っている女性がスチュワーデスとなにやら長話しをしていた。尋ねてみると、彼女も、この飛行機と同じシンガポール航空のスチュワーデスと言う。道理で話が弾むはずだ。海外の同じ会社で働く日本人同士、初顔合わせらしかったが仲よさそうにしていた。いつか、同じ飛行機で一緒に勤務することもあるのだろう。日本発着のシンガポール航空機には、日本人スチュワーデスが搭乗している。通常は、ほとんど必要ないだろうが、いざというときには日本語が通じるという安心感はある。
帰国便で、彼女の制服姿に会えることを願った。シンガポール航空のスチュワーデスの制服は民族的で私は好きである。
記念に、シンガポール航空の絵はがきを機内から日本宛に出したのだが、それは5月7日(火)に配達されてきた。
私は、長袖シャツを着、毛布をかけていたのだが、機内はちょっと寒かった。冷房の利かせ過ぎだ。

シンガポールに到着して、いつも通りに行動した。その前に、シンガポールの観光案内パンフレットが置かれてあったのでもらった。日本語や、英語のものが数種類あった。ここで無料のパンフレットをもらうのは、私のお薦めである。地図やガイドがある。それから、いつもの行動に入った。第一はお金の両替、スモールマネー(小銭も混ぜて)でもらう。第二は帰国便のリコンファーム。第三は宿を探す、空港内の宿泊案内所へ行った。ここで扱っている一番安い宿の料金はチャイナタウンにあるホテルでS$47。高いと思ったので、自分で探すからと案内の人に言うと、オーチャード通りのすぐ脇のベンクーレン通りに安宿街があると親切に教えてくれた。

バスに乗り、S$1.4払った。1時間程走っただろうか、オーチャード通りのYMCA前で降りた。自分でも、地図に釘付けでバスの現在位置をチェックしていたし、隣の席の人に、そのバス停で私に教えてくれるように頼んでおいた。英語が通じるのは、便利だった。
バスを降り、ベンクーレン通りを歩いていると、自転車に乗った男が近寄ってきて、宿へ案内すると言う。ついて行くと、ドミトリーがあり、一泊S$8であった。そこに決めた。ドミトリーは、二段ベッドが5つの十人部屋、天井にはファンが回っていた。トイレ、水シャワーは共同。

夕食を食べるため歩いて出かけた。
  MURTABA MUTTON S$5
   (ロティ?風のパンの中に羊肉とタマネギを入れて焼いたものと、カレースープ)
  コーヒー S$1 
を食べた。結構おいしかった。

第一日目が終わった。海外旅行で一番大変なのは、勝手の分からない国に来て、第一日目の宿を探すことである。私は寝た。その後、部屋の明かりが消されたのは24時半頃だったような気がする。

4月27(土)シンガポールからマレーシアへ歩いて国境を渡る

朝は9時過ぎでも皆寝ていた。

私は、YMCAと同じ建物にあるマクドナルドへ行き、モーニングセット S$4.5を食べた。

それから、そのすぐ横の国立博物館へ行った。あまり大きくはなかったし、私の興味をそそるものはなかった。シンガポールの歴史の分かる模型と中国福建省(?)の人々に関する展示などがあった。

それから、アラブ街の方へ歩き出した。至る所のマンションには窓から、物干し竿が突き出ており、そこに洗濯物が干されていた。あまりきれいな光景ではない。日本ではしない干し方だった。シンガポールの住宅にはベランダがないのだろうか。これだと、落とすと、はるか十数階も下の地上まで洗濯物が落ちてしまう。

アラブ街は、織物の店が多かった。スルタンモスクへ入った。中は静かで、しばらく腰を下ろしてくつろいでいた。モスク内の電光掲示板の案内を眺めていた。礼拝の時間だろうか。

ズブフ  5:40
???  6:58
ズブル  1:05
アスル  4:22
マグリブ 7:08
イシャー 8:19

モスクの前にある角の食堂で、食事した。
ライスに自分の好きな具を選んで乗せてもらう形式だ。それと、ライムジュースでS$4.6。辛くはなかった。赤い色のおかずは選ばなかったからだろう。

リトルインディアまで歩いた。
久しぶりに、ナン(インドのパン)や、ベジタリアンレストランのインド料理を食べたかったが、先程食べたばかりだったので後日にすることにした。

ぶらりと歩き回ってから、クイーン・ストリートにあるマレーシア(ジョホールバル)行きのバスの行列に加わった。50m位は並んでいるだろうか。しかし、バスが頻繁に出発しているため、それほど待たずに済みそうだった。よく見ると170番のバスに空席がたくさんあるのに誰も乗ろうとしない。私は、他の数人と共に、そのバスに走り込んだ。バスの料金はお釣りがもらえず、私は S$2を払わざるをえなかった。

バス

バスは前の入口から乗る。
カードを入れて行き先のボタンを押すと、チケットが出てくる仕組みになっており、大抵の人は、こちらを利用している。
現金は、料金箱にお金を入れると、運転手はチケットが出るように操作してくれる。だた、お釣りはもらえないので、あらかじめ小銭を用意しておかなければならない。または、バスの中で誰かに両替を頼むか、「釣はいらん」とひらきなおるか。
チケットは、途中下車した場合に、再び乗車するときに必要なのでなくさないこと。
例えば、シンガポールからマレーシアに行くときは、入出国審査の度にバスを降りたり乗ったりしなければならない。
バス内は、飲食禁止であり、違反すると罰金S$1000と懲役が科せられると警告板があった。
バスを降りるときは、席の横に付いているボタンを押すと、ピンポーンと音が鳴り、「BUS STOPPING」の赤い表示がされる。運転手は次のバス停で、止めてくれる。
中央の出口より降りる。

バスに乗って1時間程経った。出国審査の前でバスの乗客はすべて降りた。私は、外国人用パスポートの列へ行った。誰も並んでおらず、あっと言う間に出国できた。シンガポール人、マレーシア人の所には、長い長い行列ができていた。

私は、「歩いて国境を越えられる!」という話をガイドブックで読んでいたので、その通りに歩いて行くことにした。他にも、大勢の人が歩いており行列ができていた。
そのときは、暑くて、ほんの1km位の橋なのだが、非常に疲れた。是非とも、国境を自分の足でまたいでいるところを、写真に撮りたくて、一生懸命看板を探していたが、見つからなかった。ちょっと歩道の幅が変わった所が国境だったのだろうか。それとも、ここは中立で、そもそも国境というものはなかったのだろうか。いずれにせよ、写真におさめるのには失敗した。

マレーシアの入国審査でも外国人用の列には数人しかおらず、入国カードに記入して、すぐに通り抜けられた。そのまま、歩いてジョホールバルの町へ足を踏み入れた。ジョホールバルは、活気のある町だった。
レストランで、ロティとコーヒーを注文した。RM2。久しぶりに食べる味だった。昨年夏にマレーシア旅行したときに口にした味だ。甘いミルクコーヒー、東南アジアの人は、イスラム教の戒めがあるため、あまりお酒を飲まない。それで、ジュースや、甘いコーヒーや甘い紅茶が大好きなのだろうか。日本で言う「酒飲みは辛党の人が多い」と言うことの反対か。

宿は、TOP HOTEL、部屋はバス(水シャワー)、トイレ、ファン付きでRM55。結構の出費になった。
宿で一休みしてから、ショピングセンターまで出かけた。その近くにヒンズー教の寺院があり、周辺には、お供え用の花屋さんが並んでいた。また、そのすぐ脇の広場では、私の好きな食事の屋台が集合していた。一通り、屋台の群の中を歩き、何が食べられるかを見て廻った。その中で、以前に食べて、非常においしかった中華風の釜飯、RM3を注文した。だが、味は、今一つだった。以前に食べたときがうますぎたのだ。

今回の旅では、ほとんど、他の旅行者に会ってないので、情報の収集ができない。地元の人も、ホテルのフロントで聞いたが、あまり詳しくない。
よし、明日は、マラッカに移動することにしよう。
その夜、一人部屋だと、心細い。やはり、ドミトリーで他の大勢の旅行者と一緒にいた方が、安心できる。
私が、旅行の度に、ドミトリーなどの安宿を求めるのは、

・値段の安さ
・情報交換
・コミュニケーション
・安心

という理由からである、一人旅だから。

4月28日(日)コタティンギに行きつく

朝食に、魚の団子入りのうどん、RM3を食べた。

観光バス会社のカウンターへ行き、マラッカ行きのバスを尋ねると、ラッキン・バス・ステーションへ行き、そこで、チケットを買いなさいと言われた。バス停でバスを捕まえて、早速、そこに行った。RM0.9、約5分で着いた。

ラッキン・バス・ステーションは、非常にたくさんのバスが集まっており、バス会社が30社以上ある巨大なバスステーションである。その中で、マラッカ行きのバスのあるカウンターへチケットを買いに行った。しかし、どの会社も満席で、夕方まで空席がないと言うことであった。朝10時から夕方まで、待つのはつらかった。結局、昼までそこにいたが、だめだった。この日は、マレーシアの休日であり、しかも、連休だったようだ。普段よりも多くの人が移動しようとしていたようだった。しっかりと情報をつかんでいなかったのを後悔した。

昼に、肉骨茶、RM3とご飯RM0.5を食べた。肉骨茶とは肉などをスープで煮込んだものであり、決してお茶ではないことを付け加えておく。

バス乗り場で「コタティンギ!」のかけ声につられて、それに乗った。もう、どこへでも行こう、といった投げやりの感じだった。その頃には、少し雨が降り出していた。途中でものすごい豪雨となり、1時間程で終点に着いたが、バスステーションからは出られなかった。1時間半ほどして、小降りになったので、店の軒下づたいに町の方に出かけた。

レストランの二階以上がホテルになっている宿、華隆園旅店がRM18でとれた。一部屋で、シャワー、トイレ共同であるが、清潔な所であった。
少しの間横になっていた。目が覚めると、またも、雨が降っていた。夕食は一階で済ませられるのは、有り難かった。雨に濡れずに済む。それに、私の応対はすべて、高校生位のかわいらしい女の子がしてくれていたので、なおさらよかった。彼女だけが、このレストラン兼宿で英語が話せる唯一の人だった。中国人は、世界中どこへ行っても、中国語だけで生活できる世界であるチャイナタウンを建設しているので、英語など話そうとともしない、不要なのだ。私が、二階から降りてくると、彼女はすぐさま飛んできて、用件を聞いてくれた。彼女は、私の応対や店の仕事が終わると、店の片隅のテーブルを使って勉強していた。素直な、よく気がつく子だ。彼女の写真を撮り忘れたのが今でも残念に思う。

夕食には、ライス、魚の団子と肉入りの汁、チャーシュー、豆腐と豚の角煮でRM5.5、味はまあまあと言ったところだった。

4月29日(月)クックアップのフィッシャーメンズ・ビレッジへ行く

車の音で目が覚めた。6時過ぎ。どうせなら、小鳥のさえずりや、やさしい女性の声で起こされたかった。
朝飯は、ロティ(?)、カレー、ティーでRM1.1、店の人は、0.1まけてくれた。サンキュー。

バスでラッキン・バスステーションへ行った。インフォメーションで、両替屋(MONEY EXCHANGER)の場所と、クックアップ(KUKUP)への行き方を尋ねた。彼女は英語が通じた。両替屋はラッキン・バスステーション内にあった。

ラッキン・バスステーションからポンティアン(PONTIAN)まで96番バスで70分要した。乗り換えの場所であるポンティアンでは、潮が引いたあとの泥に魚が這っていた。日本でも見かけるが、片足を舟に乗せた人が、遠くの方で漁をしていた。
レストランでは、魚料理を食べた。魚のフライと、焼き魚。
そこからタクシーで相乗りすること20分、クックアップに到着した。タクシー代はRM5(後から知ったが、これはぼられた)。

船着場から、フィッシングパークへ行く観光舟が出ていた、RM5。それに乗ると、海から、高い柱で支えられた家々が見えた。また、向かいの無人島の近くにある、魚の養殖場で舟から降りた。そこで、魚の餌やりの様子を見学したり、魚釣りができたり、クラゲ、サメ、海亀、フグなどを捕まえて見せてくれたりし、楽しめた。ガイドの青年は、日本語の魚の呼び名は知っていた。
舟で、ほんの少し回遊した。海の遠くの方にぼんやりと見えるのは、スマトラ島らしかった。
船着場に戻ってきた。

宿を探そうと思い、板でできた道路を村の奥の方に向かって歩いていた。まもなく、宿の客引きが声をかけてきた。彼について行くことにした。彼は、あちこちの宿というか、貸家を探した。それらの貸家には、数部屋あり、エアコン、テレビ、カラオケ、バーベキューセットと何でも揃っていた。こんな豪華な所、高いのは分かりきっていた。私が高いと言ったので、彼は別の貸家に連れて行った。一番安い家で私一人でRM80と言っていた。それでも、私一人なので、一部屋だけでよいからと言って、ついに、探してもらったのが、本当に宿かどうか疑わしい家の一間だった。そこはRM30であった。私は、二泊するのでRM60をそのその家の主である中国人のお婆さんに渡した。別れ際に、やはり、彼はお金を請求してきた。RM5で交渉成立した。

そこの宿は、お婆さんと、若いお母さんと、若いお父さん、赤ちゃん、子供が二人程いて、おじさんがよく出入りしていた。彼らは、英語は全く通じないので、話ができなかった。ただ、おじさんだけは、筆談で私と少しだけ話した。という状態なので、この家の状況は、私にはほとんど分からなかった。私の部屋は、ピンク色の二段ベッド、扇風機、勉強机、椅子、それに、机の上に子供のノートなどが置いてあり、ごく普通の部屋という感じだ。
この家の玄関に、宿等の案内も、表札もなかった。私が出かけた後、どうやってこの家に戻ってくればよいかと尋ねると、家の向かいにある倉庫の扉に書いてある6199という番号や、家の前に置いてあるバケツの中にいるナマズのような魚?が目印だと言われた。これじゃ、道に迷って人に尋ねても、相手にされないなぁと少し心配だった。
とにかく、宿が決まって一安心した。
私の筆談によるコミュニケーションによると、宿のおじさんは、漁師だが、今は雨期なので休息していると言うことだった。

食事に出かけようとすると、雨が降り出した。テレビを見て雨がやむのを待った。
中国語放送でも、英語の字幕があったので意味は理解できた。確か「逐浪青春」という番組で主人公がヤフイ(Jahui)という、水泳をベースにした連続ドラマのようだった。シンガポールのチャイナタウンでも、このテレビ放送を見たので、おそらく人気のある番組なのだろう。

雨が小降りになったので、おいしい海鮮料理を食べにレストランへ行った。一番船着場に近いレストランに入った。マレーシアのレストランは高級になると、クリスマスツリーのネオンような赤、黄、緑色の電球で飾られているのが多い。
そこで、一番安い蒸し魚料理RM14、焼きめしRM5、中国茶RM0.5を注文した。
海際にあるレストランからの日没後の眺めは、風情があった。海上の暗闇の中、養殖場の明かりが点々と灯っていた。

先に焼きめしと中国茶が出てきた。それを、ゆっくりゆっくり食べていたが、いっこうに魚が出てこない。これを食べ終わったら、魚はキャンセルして帰ろうと思っていた。
もう後少しで食べ終わりそうな頃、ついに、魚は姿を現した。開きにされて蒸された鯛が、銀色の皿に載せられて運ばれてきた。魚の周りには、野菜、椎茸、梅干し、トマトのようなものなどで飾られ、味は薄味であった。でき立てほかほかで、焼きめしは忘れ、魚ばっかりほおばった。またスープがおいしかった。スープもほとんど飲んだ。白飯があれば、その上にかけて食べると最高なのになぁと思った。
店員が、他のテーブルの後片づけをするのを見ていると、食べ残しはすべて海に投げ捨てている。それに魚ががつがつと食らいついている。私も、魚の食べかすを海に投げ捨てた。魚が食らいついているのが、暗がりの中、かすかに見える。おもしろくて、結局、皿のすべての食べかすを海に投げ捨てて、投げるものがなくなったので、テーブルを引き払った。

暗くなっていたし、目を凝らして歩いた。道は一本しかないが、似たような家が建ち並んでいるので見逃さないためだ。宿に帰ってくると、早速シャワーを浴びた。シャワーというより、水をかぶると言った方が正しい。トイレは、床に、長方形の穴を開けてあるだけの簡単なもので、穴の下には、海が見えている。シャワーなどの水はすべて、海に流れ落ちる。

この村、フィッシャーメンズ・ビレッジは、村全体が海岸沿いに海の上に柱で持ち上げられた形で築かれている。家の下である柱の根元は、満潮では潮が来て海となり、干潮では潮がひいて泥土となる。町は海岸沿いに細長く、道路は、幅1.5から2m位の幅に板が敷かれている。住民は、そこを、主に自転車で通行している。
この村は、ほとんど中国である。住民は中国人、話す言葉も中国語、食堂もすべて中華レストランである。

4月30日(火)フィッシャーメンズ・ビレッジ滞在

今朝は、潮が満ちており、トイレ用の穴の下には、海水が見えた。大を落とすと、プカプカと浮かんでいる様子が見えた。
ここには、ゴミ箱は必要ない。何でもかんでも、海に捨ててしまっている。
村を見て廻った。板の道を歩いて端から端まで行ったが、この村は、海沿いに細長くて、道はほとんど一本である。
観光客用のレストランとおみやげ物屋を除いては、これと言って、店があるわけでもなかった。地元の人は、行商のような感じで、ござの上に野菜を広げているのを買っていた。
外国人観光客も、ほとんどおらず、中国に来てしまったような印象を受けた。
この日は、本を読んだり、寝たりして、ぶらっとして過ごした。

夕食に、食べたレストランは、おいしかった。
船着場近くの、海晶海鮮楼(HIGH KING SEA FOOD RESTAURANT)という所だ。
焼きめし(小エビ入り)RM3、量が多いし、ぱさぱさしていておいしい。野菜の炒め物、RM3。菊花茶、ほんのり甘いお茶に小さな花が浮かべてあり、いい香りがした、RM2。

帰りの交通経路として、クックアップから、シンガポール行きのフェリーがあるのを知った。片道RM29+税RM1で16:30発、所要約1時間ということだった。しかし、夕方は、天候が不安定で、豪雨になりやすかったので、舟が揺れたり、欠航になったりするのを恐れて、バスで帰ることにした。

おもしろいものを見つけた。赤ちゃん用のハンモックとでも言おうか。ハンモックが、バネでつり下げられていて、おかあさんがそれを揺すると、赤ちゃんはスヤスヤ眠れるようだ。日本にもあるのだろうか。私は今まで見たことがなかった。

5月1日(水)シンガポールへ戻る

朝10:00宿を出た。
昨晩と同じレストランに入り、今度は焼きそばを注文した。予想通りにおいしかった。クックアップに来るなら、私は、ここのレストランをお薦めしたい。

どこでもそうだが、中華料理店には、大きな丸いテーブルがあり、その周りに、椅子が10個位並べられている。ここでも、大皿の上に魚がデーンとのせられて、ご飯も大皿の上に山盛りにされたものを、ウエイトレスが運んでいく。私の隣のテーブルには子供を含めて十人以上は席に着いている。料理は、その中へ運ばれて行った。
私は一人なので、せいぜい二品とお茶で腹一杯だが、中華料理のおいしさは、大勢で食べに来なければ分からないだろうと思った。

相変わらずの曇り空だった。雲がなくなると暑いが。そして、大抵、一日一回以上は雨が降る。夕方に降ることが多い。また、一度降り出したら、日本の夕立のように、激しく降る、雷も鳴る。おそらく、今がシンガポールの雨期なのだろう。

タクシーを捕まえて、ポンティアンまでの料金を聞くとRM2と言う。今になって、来るときぼられたことを知った。今から思えば、私が日本人と言うのをしきりに聞いていたような気がする、あの太ったおばちゃん運転手にやられた。
途中、タクシーは道端で客を拾った。イスラム教徒の女性三人が乗ってきた。タクシーの後部座席に、私と、その三人の女性が座ることになった。私の隣には、鮮やかなオレンジ色の頭巾(?)を被った少女が座った。ちょっと緊張したが、ラッキーだった。彼女たちは、中国語とは違う言語なにやら訳の分からない言葉をしゃべっていたようだった。
帰りは、行きと同じ経路をたどった。
ラッキン・バス・ステーションでは、シンガポールのクイーン・ストリートまで行きの切符をRM1.1で買い、バスに乗った。

バスを降りた。
ジョホールバルの出国審査の外国人用窓口には誰も並んでいなかった。「ナマエハ?」と日本語で聞かれたので、戸惑った。「サカモト ハジメ」と答えた。通り過ぎようとすると、「サカモト、ミスター サカモト」と聞こえた。振り返ると、審査官は、一人で「サカモト、サカモト、・・・」と繰り返していた。
数種類のバスの停留所があり、行列ができていた。ラッキン・バスステーションで買った切符を見せれば、新たに切符を買う必要はなかった。
数分後、シンガポールの入国審査で、また、バスを降りた。

また、バスに乗った。
シンガポールに入り、すぐにMRTの駅で大勢の人が降りた。そのときは、理由が分からなかったが、後になって分かった。MRTはバスに比べ非常に快適であり、乗り換えて行く人がとても多いのだ。

バスは終点に着いた。その頃には、大雨になっていた。稲光も、雷も伴っていた。バス停の屋根からは一歩も出られない。
タクシーで行くにも、ぶらっとするしか当てがないので、小降りになるのを待つことにした。本でも読んで、気長に待とう、2時間もすれば大抵は雨が止むのだ。

ふと、隣を見ると、日本語のガイドブックを読んでいる人がいたので、話しかけた。
彼は、三日間シンガポールに旅行で来ていた。航空会社のマイレージ・サービスとやらで、ただで航空券が手に入ったそうだ。
彼の話によると、ショッピングセンターはオーチャード通りに集中しており、そこと、マーライオンと、ラッフルズホテルは観光名所として押さえておいた方がよいと言うことだった。まだ、このうち一つも行ってなかった。
小雨になったので、彼と別れて、先に出かけた。彼は「小さい国だからまた会うだろう。」と言っていた。

百貨店に入ると、昨晩飲んでおいしかった菊花茶だろうものが売られていた。またどこかで見つけたときに買おうと思ったが、この後見なかった。
スパイス屋では、麻袋に入ったスパイスがたくさん並べられていた。これらのスパイスの種類や味も知りたいものだ。とても興味がある。
ヒンズー教寺院の前を通り過ぎると、中でドンチャン騒ぎをしている様子が聞こえてきた。中を覗くと、クリスマスツリーの飾りのような派手な電灯の中、人いるのが見える、とても入って行けそうな雰囲気ではなかった。今日は、お祭りか、お祝いだろうか。

あらかじめ、目を付けてあった宿へ行くと、一軒目は満室。二軒目は満室だが、本館があると言うことで、そちらを紹介してもらった。
雨が降り出した。宿の人は、椅子を出してくれたので、しばらく、軒先に座っていた。私は、彼に散髪屋は近くにないかと尋ねた。彼は、FURUSHOU 百貨店の地下にあると言っていた。明日にでも、カットしに行こうと思った。私は、度々、海外旅行中に散髪してもらう。

先程、教えてもらったのは、シンガポール初日に滞在した宿と同じ建物の違う階、四階であった。
清潔そうな所で、ドミトリーファン付きS$8、AC付きS$9、ファンの方に泊まることにした。私には、夜などは、暑いと感じていなかったので、ファンで十分だった。それより、エアコンで寒いのだけは勘弁願いたかった。
部屋は、二段ベッドが七個、十四畳位の部屋に、天井に扇風機が二個首を振って回転している。
ここの、トイレは洋式だった。私は、シンガポールやマレーシアの方式の方がよかった。洋式というのは、腰掛けるのが気持ち悪い。それに、水でお尻を洗いにくい。

新聞を買いに出かけた。海外に行ったときは、必ず、一度は新聞を買って、その国の記事を読んでいる。ローカルニュースや、広告などを見るのが楽しい。
The Straits Times をS$0.6で買った。これは、かなり分厚かった。お買い得である。通常の新聞に、コンピュータ版、生活版、広告版が付属していた。5月1日ということで、おそらく特別号なのだろう。
興味のあるコンピュータ版を先に読んだ。専門的な技術などについても書かれていた。日本では、一般紙には絶対に載せないだろうような記事だった。さすがに、ここシンガポールは、コンピュータに関しては日本より進んでいると感じた。次は、広告版、生活版などを読んで、大きな、イベントなどがないかを探した。なにかおもしろそうな情報があれば、明日の予定に組み込もうと思っていた。

しばらくして、一人の旅行者が私の隣のベッドにやってきた。彼は日本人だった。彼は、ヨーロッパを旅してきて、今日からアジアを旅するそうだ。
周りはまだ明るかったが、私は、皆より先に眠りについた。

5月2日(木)ナイトサファリへ行く

朝8時過ぎ、目が覚めた。まだ、ほとんどの人が寝ていた。なのに、シャワー室だけが、なぜか空かない。タイミングを逃したせいもあるだろうが、結局、1時間程待たされた。
朝っぱらから、シャワーを浴びる人が多いなぁと思った。
若い金髪女性が同じ部屋に泊まっていた。外国では、同じ部屋に、男女一緒に泊まるのが普通である。
彼女がベッドから立ち上がり、布を体に巻き付け直す、一瞬、下着が見えた。上下とも白色の下着を身につけていた。「長くてもおいしいことがある」と、コマーシャルの文句を思い出した。ちょっとの間、得した気分になれた。

朝食は、ベジタリアンフードのレストランに入った。私は、ベジタリアンは、ヒンズー教徒だけかと思っていたが、このレストランは仏教関係のようだった。
ご飯の上に、豆腐、野菜などを載せてもらい、ドリンクは豆乳にした。

それから、昨日聞いた FURUSHOU の地下にある散髪屋に出かけた。10時過ぎだというのに、まだ、営業してないようだったので、同じビルの、上の階へ行った。数件の散髪屋や美容室が並んでいた。
通路を、歩いていると、よりによって一番みすぼらしい店構えの散髪屋の女性が声をかけてきた。中国人と間違えられて最初は中国語で話しかけられた。値段を聞くとS$20らしい。私が高いと言ったので、カットだけと言うことで、S$9になった。
別の太った女性が散髪するらしかった。私は、「ショートカット」と言った。バリカンで刈り上げていった。腕は確かなのだろうか、と疑問を抱いていた。バリカンの刃先につけてあるものを二回も床に落っことしてしたのでちょっと心配だったが、櫛とハサミを使い始めると、少しは安心した。頭髪の生え際は石鹸もつけずに剃り落としてくれた。
私は、髭はそのままの無精髭で、頭はショートカットというちょっと変わった風になった。

オーチャード通りに向かって歩いた。当ては、買いたい本があった。ショッピング街だから、大きい本屋があるだろうと期待していた。大きいデパートがあったので、中に入った。インフォメーションの若い女性に、本屋があるかを尋ねると、四階にあると教えてくれた。四階には、TIMESという本屋があった。まあまあの大きさだった。そこでは、買いたい本が見つからなかった。
再び、インフォメーションに行って、他に本屋がないかと尋ねると、同じ四階にあると教えられた。もう一度、四階に行くと、反対側に、本屋があった。買いたい本は、「チャクラー(ヒンズー教か仏教)」についての本だった。ここにも、置いてなかった。ひょっとしたらないのかも知れないと思った。とりあえず、仏教関係の本を買った。
オーチャード通りは、大きなビルが立ち並んではいるが、一軒一軒の店はそれほど大きくはない。ただ、世界中のブランドショップを集めたような無数ともいえる店の多さには、圧倒される。

朝の散髪後の髪が、ぼろぼろ落ちてきて気持ち悪かった。一端、宿に帰って、シャワーを浴びた。しばらく休んで、夕食を食べてから、ナイトサファリに向かった。午後6時頃出発した。MRTでN1からN9駅まで行った。

MRT

シンガポールの鉄道。
車両内の椅子は両側の窓沿いにプラスチック製の長椅子、吊革は、通路の中央のラインに一列あるだけである。
日本と違い電車の揺れは非常に少なく吊革の必要性はそれほど感じなかった。加減速のときに揺れるくらいで、走行中でも字が書けるほど揺れが小さい、ポイントによる軌道の切り替えがないのかと思われるくらいに大きな揺れは全くない。
駅名は、N、W、Eそれぞれ、North、West、Eastと番号の組み合わせである。例えば、通常の駅名 Dhoby Ghaut とN1が併記されている。そのため、目的地の駅が分かりやすい上、そこまであと何駅とかも数えやすい。数字は1から順番に振られているからだ。
切符は、日本のテレホンカードのような大きさであるので、これは、日本の電車で使われている自動改札切符の方が扱いやすい。
車内や、駅ホームはとてもきれい。
ホーム側にもドアがあり、線路への転落防止になっていると思われる。
駅構内の、昇降がすべてエスカレータでできるようになっているので疲れない。ただ、このスピードが速く、ぼおっとして乗ると後ろに倒れかかりそうになる。

Ang Mo Kio、N9から138番バス終点でナイトサファリに到着すると、午後7時を少し過ぎていた。ナイトサファリの開園は7時30分からだったので、ちょうどよい時間帯に着いた。

開園が早まったのだろう。私がトラムカーに乗ったのは7時20分頃だった。トラムカーは、サファリ内を回る車である。数十人乗りで、ゆっくりと進みながら、車から見える動物の説明をしてくれるガイドが付く。日本語ガイドの付くトラムカーがあると、受付で教えてくれたが、私は乗らなかった。ここ、ナイトサファリでは、私は今回の旅行で初めて、日本人の団体ツアーに会った。

ナイトサファリで驚いたのは、動物が、檻や、柵の中に入っていないか、もしくは観光客からは見えないように工夫されていることだった。鹿などは柵なしで、手を伸ばせば届くぐらいの距離まで近づいてきていて、トラムカーの進行が邪魔されそうになるくらいだった。危険な動物は、周りに、池をこしらえておりそこから出てこられないようにしていた。

約20分で、中間駅に到着した。そこで、私は、トラムカーから降りた。そして、サファリ内の徒歩ルートを廻り始めた。やはり、自分のペースで見る方が落ち着く。ゆっくり見たいときは、ゆっくり見える。ちょっと、他の観光客がいなくなると、非常に寂しくなった。変な所から、動物が出てこないだろうなと不安になった。徒歩ルートは、よく整備されており、スリッパでも十分歩けた。ただ、歩いて見学できる動物の種類がやや少ないと感じた。また、トラムカーに乗っても、見られる動物の種類はそれほど多くはなかった。動物園と言えば、まる一日中歩いても、見切れないほどの数の動物がいてほしかった。
約1時間歩いて園内を一周し、中間駅まで戻ってきたので、そこから、再びトラムカーに乗った。前半は車の右側、後半は左側の席の方で動物がよく見えた。約20分後、出発地点に戻ってきた。

時間が遅くなれば、人が少なくなってくるようだ。開園時には、入口付近と、トラムカー乗り場に行列ができていたが、今は、ほとんどなくなっていた。ここの閉園は真夜中の12時なので、これから来る人は、少ない観光客の中をゆっくりと見学できるだろう。ガイドブックには、大変混雑するので早めに来るように書いてあったが、私は逆に遅く来た方がよいと思った。
ナイトサファリを出たのは9時過ぎであった。トラムカーと徒歩ルートを全制覇して、約2時間しかかからなかった。

バス乗り場で、昨日、雨の中、バスの停留所で出会った日本人に再会した。本当に彼の言った通りになった。いくら、小さいシンガポールといえども、私は、まさか会うとは思っていなかったので驚いた。
帰りは、バス乗り場からオーチャード通りまでのリムジン車もあったが、来た通りりにバスとMRTを使った。

5月3日(金)シンガポールの夜景

今日は帰国の日だ。
卵入りロティ(?)とカレーの朝食をとった。こういうパンもしばらくの間食べおさめになるので、じっくり味わって食べた。

今日もまた例のヒンズー教寺院と仏教寺院の前を通り過ぎた。相変わらず、どちらもにぎやかな寺院だった。

FURUSHOU 百貨店の仏教関係の店に入った。日本にはないようなものが揃っていて、おもしろい。店の中に、金箔を貼り付けるための大きな仏像があったり、また、色鮮やかな仏像がいくつも置かれていたり、お経?の音楽が流れていたりする。仏教関係の本屋にも行ったが、買いたい本がなかった。
家を建てるときの、部屋の方角の占いをするような会社があった。現在、どの位の割合の人が、こういうものを信じているか興味があったが分からなかった。

色々見て回った後、ラッフルズホテルに向かった。
ラッフルズホテルのノースブリッジロードの向かいにある建物も、多くの本屋が入っていておもしろかった。ここは英語以外の本屋が多かった。
ラッフルズホテルは周りをブランドショップに取り囲まれていた。ようやく玄関までたどり着き、ホテル内に入っていった。
ボーイがすぐに近づいてきて、「なにかご用ですか?」「いいえ」「スリッパ履きの方はご遠慮願います」と追い出された。その場でリュックサックから運動靴を出して履き替えればOKだったかどうかは定かではないが、言う通りに従った。
高級ホテル内で食事もしくはコーヒーの一杯でも飲もうかと企んでいたが、だめだった。シンガポールは暑い国なので、服装に関しては比較的自由とガイドブックに書かれてはいたが、やはり、それなりの格好が必要だった。

その後、ラッフルズ・シティ内のそごうデパートに行き、ズボンを買った。S$69、結構高かった。

そのまま歩いて、マーライオンまで行った。近くからはマーライオンの後側しか見えないようだったので、遠くからマーライオンの横の姿を眺めた。こんなものか、というのが印象だった。観光地というのは、しかも日本人団体ツアーが好むのはこんなものであった。

シンガポール川沿いに歩いていき、遅めの昼食にした。魚団子入りラーメンにした。暑かったせいもあるが、汗だくになった。

歩いて、チャイナタウンまで行こうと歩いていたが、どこをどう間違えたか、ラッフルズ・シティまで戻ってきていた。結局、MRTに乗った。Outram Rd駅で降りた。
周りには、いろいろなCOMPLEXがあり、うろうろして、疲れたので、広場で寝ていた。その後、鴨ご飯S$3と、TIGER BEER S$3.5を夕食とした。
暗くなってきたので、高層ビルから、夜景を眺めようと、高いビルを目標に歩いた。
一軒目のビルは、エレベータに乗ろうとすると、ここは、オフィスばかりで、夜景の見えるような所はないと言われ、出てきた。

二軒目、UNITED OVERSEAS BANKのツインビルへ来た。37階まで、一気に昇った。最上階にあるレストランやオフィスの一部も、そこでエレベータを乗り換えるようになっていた。37階には、結構大きな広場(踊り場)があった。私一人には、大きすぎるようなすばらしい場所だった。夜景が思う存分見えた。ここも、夜景を見るための、私のお薦めのポイントである。真下には、シンガポール川、そして、ラッフルズホテルの方向を、ずっと見渡せる。さらに、欲を出して最上階に行くと、そこは、エレベータを降りるとすぐレストラン入口だったので、乗ってきたエレベータで、そのまま降りた。
エレベータに、男性、女性のサラリーマンたちが乗ってきた。彼らは、スーツを来て、英語をしゃべり、私のバックパッカースタイルとは大違いで、すごくかっこよく見えた。私も、こんな所で働きたいと切望した。
ビルはすぐ川のそばに建っており、また、川沿いには、ビアガーデンが光り輝いて建ち並んでいた。しかも、女性のダンサーの周りに、ものすごい人だかりができて非常に賑わっていた。
私も、是非、ここで、かっこよく仕事をしてみたいと思った。
ここは、また、ロマンチックな雰囲気もある場所で、若いカップルの姿もあった。

今夜の飛行機で帰国するので、ぼちぼち空港に向かった。
バス乗り場を聞くために、大きなホテルに行けばよいだろうと考えた。うまく行けば、そのホテルから、空港行きのリムジンバスが出ているかも知れないと期待していた。そして、MARINA MANDARINという大きなホテルの中に入っていった。
ここでも、どこからともなく誰かがやってきて、声をかけられた。空港に行きたい旨を伝えると、バスが来るから、待ってなさいと言うことだった。1分も経たないうちに、バスがやってきた。とりあえず、それに乗った。
運賃を聞くと、運転手はいらないと言った。私は、無料送迎バスに乗れたのか、と喜んでいた。このバスは、他の数カ所の大きなホテルを経由して、高速道路を使って空港に直行した。30分で到着した。いつ乗ったのやら、切符を持った人が、S$5 と請求してきた。降りるときに払わせるのは汚いやり方だと思った。しかも、結構高い。今まではただだと思っていたのに、気持ちが一変した。

空港へは21時に着いた。ちょっと早いかと思ったが、時間をつぶせそうな所が見あたらなかったので、チェックインした。空港使用料はS$15だった。飛行機は、23:55発である。

出国審査への入口で、一人の日本人が20人ほどの人々に見送られ、あいさつをしていた。赴任期間が終了して、日本に帰るのだろうか。

シンガポールドルが少し残ったので、免税店で使い切ろうと思った。
本屋へ行って、


・The Kanpung Boy 
 主人公が田舎のイスラム教徒の家に生まれて成長する様子を書いた絵入りの簡単な英語本。
・THE TIBETAN BOOK OF THE DEAD
 チベットの死者の書(英語)

を買った。

まだ、少し、お金が余っていた。
空港の免税店に、堂々とコンピュータソフト店があり、Windowsやゲームなど売られていた。やはり、シンガポールではコンピュータは進んでいると感じた。
結局、梅干しの乾燥させたものとグァバの乾燥させたものを買った。
ちょうどお金は尽きた。
そうこうしているうちに、23時になっていた。搭乗ゲートへ向かった。

飛行機に乗って、座ったとたんに眠気が襲ってきた。ちょっとの間寝ていた。おしぼりが出されたのは気が付かなかった。食事が出てきた。すでに夕食を済ませていたし、遅い時間であるので、あまり食欲もなかったが、せっかくだから食べた。それから眠った。

5月4日(土)帰国

朝、朝食が出され、それも食べた。無事、関西新空港に到着したが、やはり寝不足でしんどかった。バスで、三宮まで行って、そこからJRに乗った。家に着くと10時半頃だった。

明日の出張のため、本日中に名古屋に移動しなければならなかった。とにかく、非常に疲れていたので、眠った。

感想

国境とは、日本で考えると重々しい感じがするが、シンガポールとマレーシア間はいとも簡単に行き来できた。
住民はマレー人、中国人、インド人など色んな人がいて、料理も様々であり、私の興味ある所だった。
シンガポールは規制が厳しい、と言われることは旅行中感じられなかった。確かに町はきれい、車の渋滞はなかった。これらは、おそらく規制の成果だろう。バスの車内においては必ず、飲食禁止、破れば罰金と懲役などという生々しい標識があったのを見つけた。
経済成長ということでは、コンピュータ関係がかなり進んでいるのが、新聞の記事や、空港の免税店街にあるコンピュータショップの大きさからも感じられた。
シンガポールは小さい国だが、経済では、アジアの中心になる可能性が十分ある国であり、働くのはおもしろいだろうと感じた。しかし、住むのに土地が狭いのが難だろう。
隣国マレーシアへ行けば、豊かな自然、未開の地がまだまだ残されており、組み合わせると、本当におもしろい。例えば、シンガポールで働き、マレーシアに住み、遊ぶというのは最高と思う。


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