アメリカ(グランドキャニオン)

日程:1993年7月18日〜1993年7月25日

アメリカ(グランドキャニオン)写真集


ガイドブックなしの旅行

今までの海外旅行では、いつもガイドブックを持参して行った。
今回は行き先がアメリカということで、英語が通じる。分からなければ誰にでも聞けるだろうし、またガイドブックを頼りにしない旅行もできないといけない、またしたかった。そんなわけで、ガイドブックを持って行くのをやめた。

ロスアンゼルス

アジアと違いアメリカは遠かった。特に、飛行機がソウル経由であったため乗り換え(トランジット)なければならなかった。
乗り換えは初めてだったし、時間も少なかったので間に合うのだろうかと不安もあった。実際、私はどう間違えたのか、ソウル空港の建物の外へ出てしまっていた。入国審査も通過せずに、誰にもとがめられずに、韓国に入ってしまった。慌てて入口を探して建物に入りなおしたは言うまでもない。そこで、ゆっくりする時間などなかった。

ロスアンゼルス空港について、その巨大さにたまげた。歩いて出ていくなどとは考えられないのだ。私は、とりあえず、サンタモニカへ行き、そこで宿を探そうと思い、乗り合いタクシーに乗った。後からタクシーに乗ってきた旅行者(バックパッカー)と話をしていると、彼らも宿に行く途中だった。私もそこの宿で泊まれるか聞いてみることにした。そこは、ベニスビーチのビーチの本当にすぐそばにあった。ドミトリーの2食付きで$20もしなかった。私は、そこに泊まることになった。

受付で話しが聞こえた。聞いてみると、
「銃をもった男がいるから気をつけなさい。」
と言われた。
旅行へ行く少し前、アメリカで日本人が撃たれたというニュースが流れていた。アメリカでは皆が銃を持っていて、私のように一人でふらふらと歩いていると撃たれる、または襲われるのではないかと不安だった。到着してすぐ、この話しを聞かされて怖くなった。
宿から数メートル先はビーチなので、行ってみた。私には、歩いている人が皆、銃を持っているように思えた。また、突然、銃を向けられたり、襲ってこられたらどう対応すべきかと、すれ違う人ごとに頭の中でシミュレーションを繰り返していた。実際、アメリカは体格の大きな人が多く、見るからに強そうに見えるからだ。本当にこんなことを真剣に考えていた。

しかし、さすがにアメリカ西海岸のビーチだ。皆は、陽気で、ローラースケート(インラインスケート)、サイクリングなどをして体を動かして楽しんでいる人が多く、私の想像していたアメリカ西海岸のイメージにぴったりだった。アメリカ人は、本当に、体を動かすのが好きなようだ。

ラスベガスとグランドキャニオンのツアー

宿での夕食はホットドッグとか、スパゲッティーとか簡単なメニューばかりだった。このおかげで、私はこの旅行中、きちんとした食堂であまり食べなかった。
宿に、「ラスベガスとグランドキャニオンのツアー2泊3日$175」の案内があったので、迷わずそれに申し込んだ。今回のアメリカ旅行の目的が、このツアーで満たされるだろうからだ。

翌朝、約10人程度のバックパッカーを乗せたワンボックスカーがラスベガスに向けて出発した。
ロスの町を出ると、道路は地平線が見えるぐらいまで一直線になった。風景は、荒れた土地(砂漠)で日本で見られるものではなかった。アメリカの土地の広さがうらやましかった。道路の幅は広くて、大きなキャンピングカーなどが走っていた。これがアメリカなんだなあと感動した。私は背が低いせいか、大きなものが大好きである。大きなアメリカには憧れている。
時々見える鉄道列車が100両を越えて連結されていて、スケールの大きさに感動した。

昼に、ドライブインに入ったが、皆バックパッカーだからか、アメリカの習慣なのだろうか、サンドイッチとかを買ってきて屋外のベンチや芝生などに座って食べた。一言にサンドイッチと言っても、間に挟むものを一つ一つ注文できるものがあり奥が深かった。同じものはできないくらいに、組み合わせは非常にたくさん選択できた。しかも、私などは、そのサンドイッチ一個を食べるのがやっと、もしくは食べきれないぐらいの大きさであった。ジュースはLサイズなど頼もうものなら、1リットルぐらい入るような紙コップであった。アメリカではすべてがビッグサイズだった。

夕方、ラスベガスに到着した。

ラスベガス

ここも、アメリカらしかった。すべてが、ビッグ、ゴージャスだ。ネオンサインの大きさ、豪華さ、派手さがすごかった。
夜に、ツアーで、ラスベガスの町を見学に出かけた。各々のカジノでは、それぞれの個性を出したアトラクションが行われていた。それを見るだけでも結構楽しかった。その後、私達は、カジノをした。スロットマシン、ポーカーのテレビゲーム、ビンゴゲームから、ディーラーが行うカードものまで、何十種類もあった。私もいろいろとチャレンジしたのだが、結局は負けてしまった。博打をしていると言うよりかは、ゲームセンターの感覚で楽しめる所だった。

ラスベガスのレストランはバイキング形式であり、最初にお金を払うと、何でも自由に取って食べることができるのだった。デザートに取ったケーキが甘すぎてまずかった。薄味の日本人には、強烈すぎた。

ラスベガスのホテルにおいて、廊下などで見知らぬ人と会った時でも、にこにこした顔で、ハローとか声をかけ合うのだ。これがアメリカの習慣なのだろうか。あいさつを交わすのは良いことだ。私もあいさつをするのは好きな方である。

グランドキャニオン

翌朝、グランドキャにオンに向かって、車は出発した。
アメリカを車で移動するのは本当に大変であった。土地が広いため、目的地まで何時間も要した。ただ、直線的な道路が多く、信号もないので、疲れにくかった。
夕方ごろ、グランドキャニオンに到着した。
さすがに、でかかった。自然の偉大さを思い知らされる眺めだった

ここで、ツアー参加者全員で記念写真を撮った。他の車に乗っていた人、ラスベガスから参加した人と合わせて、25人程であった。日本人は私ひとりであった。

つらいことに、私は飛び抜けて一番英語が分からない者でもあった。いつもガイドに私だけ説明をし直してもらうか、ドイツ人旅行者に聞いたりしていた。教科書の英語ではなく、母国語として話す人の英語は、早いし、発音もそう奇麗ではないので、聞きづらいのだった。やはり、英語が母国語でない人と話しをするほうが分かりやすい。

グランドキャニオンに夕日が沈むのを眺めていた。
その夜、近くのモーテルに泊まった。

ブライスキャニオン

翌朝、ブライスキャニオンへ行った。ここは、侵食されずに残っている土が、まるで何本もの柱が立っているように見えて奇麗だった。さらに、その柱の間まで、降りて歩き回ることができた。
この日もまた、非常に日差しの強い日だったが、日本と違い湿度が低いためか、汗は全然かかなかった。私は、旅行中、ずっと、長袖シャツを着て、腕まくりをしていた。Tシャツ1枚にならなくても平気だった。

ここを、出発して、ロスアンゼルスまでの帰途についた。途中、アウトレットの店に寄ったので、私はジーンズを1本買った。ガイドも、他の旅行者も皆買っていたので、安かったのだろう。私が買ったのは、店においてあるうちの一番小さいサイズと思われるものだった。ほとんど、選択の余地がなかった。ちなみに、私の身長は165cmである。

夕方、ベニスビーチの宿まで帰ってきた。
アメリカ滞在残す所あと1日であった。私は、次に行きたかったユニバーサルスタジオの往復の乗り合いタクシーを予約した。

ユニバーサルスタジオ

朝、車で送ってもらい、指定した時間に迎えに来るというものだった。
ユニバーサルスタジオの中では、私は、3人組みの旅行者と行動を共にした。今までに見たことのある映画のセットがあったし、また、派手なアトラクションが色々と行われていた。

私が一番気に入ったのは、バック・ツー・ザ・フューチャーだった。私は、車に乗った。その私の車が空中をジェットコースターのように飛び回ったのだ。これは、見事だった。映像と動きがうまく計算されて作られていたのだろう。入口で2時間近く待ったかいがあった。確か、ここが一番人気だったと思う。

次の日。もう日本に帰らねばならなかった。本当に短い旅行だった。
空港までは、宿から乗り合いタクシーで送ってもらった。最後に、運転手にチップを渡して、空港ビルに入った。

感想

アメリカはすべてにおいてビッグだった。これが、一番の感想である。

ベニスビーチには、皆がスポーツを楽しんでいて、私の描いていたアメリカ西海岸のイメージそのものがあった。アメリカ人は陽気で、身体を動かすのが大好きであった。

例えば、本屋で立ち読みしていた私の後ろをレディーが通リ抜ける時に、ちょっとだけ体が当たった。その時、レディーはすかさず、アイムソーリー(ごめんなさい)と言った。
日本のように、他人にぶつかっても謝りもしないのとは大違いであった。
人々には、ちょっとしたことでも、ハロー(こんにちは)、イクス・キューズ・ミー(すいません)、サンキュー(ありがとう)、アイムソーリー(ごめんなさい)、などきちんと言葉を交わす習慣があった。

私がショックだったのは、アメリカ人の英語がほとんど聞き取れなかったことだ。少しは分かるだろうと自信を持っていたのだが。英語検定2級だけど全くだめだった。


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