松下幸之助の「商いの心」

衆知を生かす心構え

平成20年 1月

商売を始めてまもないころ、ある先輩の方から、こんな話を聞きました。
 ある町に立派なお菓子屋さんがありました。そこに、ある日一人の乞食が、まんじゅうを一個買いに来たのです。しかし、そういったいわばご大家ともいわれるそのお菓子屋さんに、たとえ一個にしろ乞食がまんじゅうを買いに来るというのは、これは珍しいことだったのです。
 それで、そのお店の小僧さんは、まんじゅうを一個包んだのですが、なにぶん相手が相手だけに、ちょっと渡すのを躊躇しました。
 すると、そこのお店のご主人が声をかけたのです。
 「ちょいとお待ち、それは私がお渡ししよう」
 そう言って、そのまんじゅうの包みを自分で乞食に渡し、代金を受け取ると、「まことにありがとうございます」と言って深々と頭を下げたのです。
 乞食が出ていったあとで、その小僧さんは不思議そうに尋ねました。
 「これまでどんなお客様がみえても、ご主人がご自分でわざわざお渡しになったことはなかったように思います。いつも私どもか番頭さんがお渡ししておりました。きょうはどうしてご主人ご自身があんな乞食にお渡しになったのですか」
 そうすると、ご主人はこう答えたのです。
 「おまえが不思議に思うのももっともだが、よう覚えておきや。これが商売冥利というものなのだ。なるほど、いつもうちの店をごひいきにしてくださるお客様は確かにありがたい、大切にせねばならん。しかし、きょうの人の場合はまた違う」
 「どう違うのですか」
 「いつものお客様はみなお金のある立派な人や。だからうちの店に来られても不思議はない。だがあの人は、いっぺんこのうちのまんじゅうを食うてみたいということで、自分が持っている一銭か二銭のいわばなけなしの全財産をはたいて買うてくださった。こんなありがたいことはないではないか。そのお客様に対しては、主人の私みずからこれをさしあげるのが当然だ。それが商売人の道というものだよ」
 これだけの話ですが、何十年かたった今でも、はっきり頭の中に残っています。そして、このようなところに商売人としての感激を味わうのが、ほんとうの姿ではないかという気がしているのです。

(『商売心得帖』より)

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