松下幸之助の「商いの心」

衆知を生かす心構え

平成20年 2月

 「あなたは人使いが上手だ、その秘訣を話してくれ」とよく言われます。しかし、当の本人は人使いがうまい、といった自信はそれほどないのです。だから人使いのうまさはこういうところにあるということは的確に申しあげられないと思うのです。しかしはたから見て多少そういうことが言われるのはどういうところなのかな、ということを私は考えてみたのです。
 人使いということはいろいろ見方がありましょう。非常に強力な知恵と力をもっているから人をうまく使うという人もありましょう。私自身はどうかというと、私は逆なのです。強力な力も知恵も乏しいのです。だから人に頼るとでもいうか、人に相談するというか、そういうことに自然になるわけです。
 それを受ける方は権柄ずくで命令されるよりも、相談されてみればいやとも言えないから、じゃあ協力しようかと、こうなる。そういう姿を見て、あいつは人使いがうまいと、こう感じられる場合もあるのでしょう。
 が、私は人使いの上手下手というものは人によってみな違うと思うのです。非常に力のある人であって、だれに相談もせずして過ちなく事を決行するだけの立派な人は、やや命令的な態度をもってやったほうが能率があがりますし、また能率があがればそのあがった能率から生まれるところの成果は適当に分配されますから、それはそれでいいと思います。
 しかしそういう力のない者は、私のやり方でやるほうがいいのではないでしょうか。私はたいてい会社の社員を見ますと、私より偉いという感じがするのです。一つは、私は学校も行っていませんからそういう感じがするのでしょうが、“彼はなかなか偉い青年だな”と、こう私は思ってしまうのです。
 だから非常に頼もしく思うわけです。頼もしく思いますから、「君、こういうことをやってくれないか。君ならやれる。わしだったらやれないけれど、君ならやれる」と、こうなる。そうすると「それじゃあやってみましょうか」となる。そして一生懸命にやる。そうすると成功する。
 これは、一つの成功のかたちです。そういうようなかたちができていたわけです。それで私の場合、幸い成功してきたわけです。ですから、言われてみれば、そういうこともやはり一つの人使いといえば人使いのやり方のうちに入るのかなと思うのです。

(『商売心得帖』より)

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