松下幸之助の「商いの心」

  若き社員に贈る「プロを目指す生き方」C

衆知を生かす心構え

平成20年 12月

 人間はだれでも“お山の大将”になりたい、できることならば小さくとも“一国一城のあるじ”になりたいと願うものである。けれども今日では、そういうことがなかなかむずかしくなってきている。
 もちろん、いまでも自分で店を出すとか、独立して事業を起こすという人もたくさんあるとは思うが、しかし昔ほどには考えられなくなってきているように思う。そしていきおい働く人の中でも、一定の組織のもとで働くといういわゆるサラリーマンといわれる人が非常に多くなってきた。それが一つの時代の流れというものであろう。
 ところで、このように月給をもらって働くようになってくると、往々にしてお山の大将になりたいという進取の考え方があきらめに変わってしまって、いわば月給取り根性というような気分が生まれやすいようだ。自分はサラリーマンなんだ、どう頑張ってみても将来独立するのぞみもない、と考えて与えられた仕事だけを命じられたままにやる。極端にいえば、単に生活の糧のために、あるいは私生活を楽しむために、やむなく働くというような姿が、一面には出ているように思う。
 もちろん、これはこれで一つの行き方ではあろうが、しかし、見方によれば非常にもったいないことだと言えなくもないと思う。もしそういう考えでしかたなしに働いていたのでは、おのずと仕事の能率もあがらず、その職場なり会社にとっての損失になるばかりか、当人にとってもたいへん不幸なことではないだろうか。なぜなら人間は、自分の仕事に打ちこみ、その働きに喜びと生きがいを感ずるというところに、大きな幸せを見出すことができると思うからである。
 しかしそうはいっても、サラリーマンは所詮雇われて働いているのだから、なかなか自分の仕事に打ちこみ、そこに喜びと生きがいを感ずるというまでの気持ちになれないんだという人があるかもしれない。そういう場合、私は次のように考えてみてはどうかと思う。
 つまり、いま一度お山の大将になろうという気概をよび起こすのである。一つの会社の社員であっても、自分は会社の中にあって一つの子会社をつくったのだ、自分はその子会社の社長である、そしてそうした子会社の社長が十人あるいは百人、千人、一万人と集まって一つの会社をつくり、事業を営んでいるのだ、という気概をもって仕事にのぞむ、これが私は大切だと思うのである。
 たとえば会計係であるならば、自分はこういう面で会社のフトコロをあずかるという一つの独立した会計業をやっているのであって、自分はその経営者だと考えるわけである。そのように考え、この職務は自分の力で経営してゆくのだという信念をもって日々の仕事をすすめてゆく。そうすれば、その仕事に真剣に取り組むという態度がおのずと生まれてくるであろうし、その結果、仕事の能率も高まるであろう。
 もちろん、そうなれば周囲にも喜ばれ、感謝されるということにもなって、さらにいっそう仕事に張りあいも出てき、おもしろみも加わってくるということにもなるのではあるまいか。それがまた仕事の成果があがるというばかりでなく、そういう体験をとおして人間としても磨きがかかり、いっそう成長するという一面にも通じるように思う。

(『その心意気やよし』より)

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