松下幸之助の「商いの心」

  若き社員に贈る「プロを目指す生き方」D

衆知を生かす心構え

平成21年2月

 私は子どもの時分、よく講談本を読んでいたが、中でも「太閤記」などは大好きで、ヒマさえあれば、何度も、くり返して読みふけっていた。もうだいぶ昔のことなので、ハッキリとは覚えていないけれども、その中にたしかこういう話があった。
 秀吉が信長に召しかかえられたはじめは、草履取りをしており、寒い冬の朝、主人の草履をふところで暖めたという話は有名だが、この話はその草履取りから別当、つまり馬の世話をする仕事に変わったころのことである。
 秀吉、すなわち木下藤吉郎はそのころすでに奥さんがあった。そしてわずかな給料で2人がほそぼそと暮らしていたという。ところが彼は、自分が世話を命ぜられていた信長の馬をかわいがって、飼葉のほかに、馬が好きな人参を自分の金を出して買い求め、これに食わしていたという。そうすると、うちへ持って帰る金が少ないから、奥さんはお気に召さん。「なんでこんなに少ないのか」と問いただす。
 そこで、「いや実はこうこうで馬に人参を買って食わしているんだ」と言うと、奥さんは、「ご主人の馬に食わせるものをなんであなたが出さなきゃならないのですか、当然それはご主人からもらうべきじゃないですか。わたしの着物も買わずして、馬にそういうものを買ってやるとは、あなたはわたしを愛していないのですか」と言って、とうとう藤吉郎のもとから去っていったという。つまり、女房にすてられたわけだ。
 藤吉郎はこれもしかたがないとあきらめて、やはりそういう奉公をつづけているうちに、再びもらった奥さんが、こんどはまことに理解のある人で、内助の功よろしく藤吉郎を助けたという話である。講談本のことでいささか物語めくが、私は子ども心ながらに、秀吉のその徹底した仕事ぶりに驚き、感心したのを覚えている。
 秀吉は、出世のためを考えてそうしたのか、それとも真心からというか、仕事熱心のために、おのずとそういう気持ちになったのかよくわからない。いずれにしても彼はとにかく馬が元気になり、そして主人にも喜ばれるならば本望ということで、あえてなけなしの金をはたいて人参を買ったのであろう。もっとも奥さんに逃げられるのは困るが、しかし彼の仕事熱心がのちの成功を生んだことを考えれば、われわれもそのサービス精神に学ぶべきではないだろうか。これは商売のやり方や会社の経営にも、ひいては人間の生き方としても、非常に参考になる話だと思う。

(『その心意気やよし』より)

 

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