松下幸之助の「商いの心」

    お客様づくり・その@

衆知を生かす心構え

平成21年5月

 お得意を広げたい、今百軒あるお得意先を百十軒に増やしたいということは、商売をしているかぎりだれもが望むことでありましょう。
 しかし、ひと口にお得意を広げるといっても、それは決してたやすいことではありません。そのためには、やはり日ごろからいろいろな方策を考え、それを力強く実施していく努力を重ねなければならないのはいうまでもないでしょう。
 ただ、その一方では、日ごろ一生懸命商売に打ちこんでいれば、お得意先が求めずしてひとりでに増えるということもあり得ると思います。
 というのは、自分の店のお得意さんが、特に頼まなくても、みずから他のお客さんをみつけて連れてきてくださるということも、考えられるのではないかということです。たとえば、いつもごひいきいただいているお得意さんの一人が、その友人につぎのように話されたとしたらどうでしょうか。
 「自分はいつもあの店で買うのだが、非常に親切で感じがいい。またサービスも行き届いているので感心している」それがその人の実感から出たものであれば友人は、「君がそう言うのなら間違いないだろう。ぼくもその店へ行ってみよう」ということになりましょう。その結果、お店を訪ねてくださる。商売をしている方としては、みずから求めずして、ひとりでにお得意さんを一人増やす道がひらけるということになるわけです。
 そうしたことを考えてみますと、日ごろ商売をしていく上で、お得意さんを増やす努力を重ねることはもちろん大切ですが、現在のお得意さんを大事に守っていくということも、それに劣らず大切だということになると思います。
 つまり、極端にいえば、一軒のお得意を守りぬくことは百軒のお得意を増やすことになるのだ、また逆に、一軒のお得意を失うことは、百軒のお得意を失うことになるのだ、というような気持ちで、商売に取り組んでいくことが肝要だと思います。

(『商売心得帖』より)

解説 

【解説】

 弊社創業者・松下幸之助がまだ健在であったころのことです。弊社のある経営幹部のもとに一人のお客様が突然訪ねてこられました。何の用件かといいますと、「私は松下さんに感激した。この思いをご本人に伝えてほしいのです」という奇妙なお願いをされるのです。
 随分興奮された様子でもあったので、その幹部が子細を尋ねたところ、お客様は次のような話をされました。「私が東京駅から新幹線に乗ったとき、通路をはさんだ斜め前に松下さんが座っておられました。なんとか松下さんと言葉を交わしたいと思った私は、となりの妻に相談しました。妻は、『見知らぬ人に声をかけられたら誰でも迷惑に思うのだからやめなさい。けれども、どうしてもというのなら、みかんを買ってきて松下さんに渡せば、何か言ってくれるでしょう』と知恵を授けてくれました。そこで私がそのとおりにしますと、松下さんは礼を言ってくれた上に、すぐに食べてくれました。それでとても感激したのです。
 ところがそれだけではありませんでした。京都に着いたとき、松下さんは先に降りるために席を立たれると、わざわざ私のところまで来て、『先ほどはみかんをありがとうございました』と改めて礼を述べられ、さらにホームに降りられてからも、私どもの座席のそばに立って、発車するまで見送ってくださったのです」
 会社を経営されているというこのお客様は、このときの松下の態度に感激して、社内の備品をすべてナショナル製品に買い換えた、それでもなお自分の気持ちを伝えたくて弊社に来たというのでした。
 商売を進める上で、お得意先をふやしたいという思いをもつのは当然のことでしょう。しかし、それは一朝一夕にできるものではありません。日頃の商売に対する打ち込み方、そして相対する一人ひとりのお客様との接し方が、お得意先をふやしもすれば減らしもするわけです。
 松下は “道ゆく人もまたお得意先”という心持ちを大切にしていました。誰に対しても誠心誠意接したことが、松下本人の知らないところで、このエピソードにあるようなお客様の感動を呼び、結果としてお得意先をふやすことにつながったのです。お互いが心がけるべき姿勢、行き方ではないでしょうか。

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