松下幸之助の「商いの心」

    お客様づくり・そのA

衆知を生かす心構え

平成21年6月

 お互い人間というものは、自分自身に対する評価を誤っていると、してはならないことをし、しなければならないことをしないと思うのです。そこから世の中の乱れも起こってきかねないと思います。社会に対するお互いの義務は何かというと、まず第一は、みずからを判定すること、みずからの価値というか、自分自身を正しく認識することではないかと思うのです。
 これは非常に大事なことです。これは会社の経営にいたしましても、商店の経営にいたしましても同じことです。商店の主人公が、自分の店の価値というものを正しく判断しない場合は、おおむね失敗します。隣の家が店を改造した、たくさんの人をおいた、だからおれのところもやってやろうと、こういうように考える場合もありましょうが、しかしそれだけでは失敗する場合が多いと思うのです。
 それよりも、隣の店はそういうことをやっていい店である、しかし自分の店はそういうようにやってはいけない、自分の店としてはそういうことをやらないで、むしろこういうふうにやったらいいだろう、というように、自分の店に適した商店の経営法というものを、みずからキャッチしなければならないと思うのです。自分の店の力というものをはっきり判定し、それをしっかりキャッチして、その上で商売に処していくということが、極めて大事なことであり、またそこに個人としての責任というものがあろうかと思うのです。あの人がやったから、自分もこうしよう、というのではおおむね失敗することが多いのではないでしょうか。
 最近は、ある商売がちょっと儲かったら、われもわれもとその商売をするようになり、その結果、過当競争が起こってきて、お互いに倒れていくことが多いということです。これはみずからの力を判定しないで、他人の花は赤いといって、それにひっぱられていくようなもので、これではお互いに困るわけです。だから自分自身に対する評価、判定というものは非常に尊いものであるし、そこにまた個人の責任というものを見出したいと思うのです。
 会社などの経営にいたしましても、自分の会社の力というか、そういうものを判定して、その判定に応じた経営を進めていくところに、会社も無事に発展していくでしょうし、また会社としても分に応じて社会に貢献することができるようになってくると思うのです。

(『商売心得帖』より)

解説 

【解説】

  弊社創業者・松下幸之助は、平素から、“自己観照”をして自分というものをよく知る努力をするよう呼びかけていました。
  “自己観照”をするとは、自分の心をいったん自分の身体から取り出し、遠くに離して、外から改めて自分を見直してみる、ということです。といっても、実際に自分の心を外に取り出すことはできません。しかし、あたかも取り出したような心境で自分を眺めてみると、自分というものが正しくつかめてくる。そうなれば、自分の能力や適性が客観的に見えてきて、おのずと自分にふさわしい仕事の仕方もわかってくる、というわけです。
  そして、この“自己観照”と同様、企業、商店も“自社観照”をして、自社の力を正しく見極めなければならないと主張していました。こういう事業や商売をしようというときに、はたしてそれが可能かどうか、それだけの力があるかどうか、資本の力、従業員の能力などすべての条件を外から眺めてこそ、誤りのない判断ができるというのです。
  まして昨今は、インターネットによる高速通信が可能になったり、物品の流通の速さが競われるようになるなど、サービスのあり方も日進月歩の工夫を怠ることができません。また、たった一つの油断や安易な考え方が重大な不祥事に繋がり、瞬時に世間の信用を失うおそれも出てきました。自社の的確な評価のみならず、このような世の中の動きとの関わりもしっかり認識することが求められているのです。
  外部の環境の変化に合わせつつ、“自社観照”によって自分の実力を適宜判定しながら適正で確実な経営を行うこと。松下の指摘は今日いっそう重要といえるのではないでしょうか。

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