松下幸之助の「商いの心」

    共存共栄・そのB

衆知を生かす心構え

平成22年04月

 企業は社会の公器である。したがって、企業は社会とともに発展していくのでなければならない。企業自体として、絶えずその業容を伸展させていくことが大切なのはいうまでもないが、それは、ひとりその企業だけが栄えるというのでなく、その活動によって、社会もまた栄えていくということでなくてはならない。また実際に、自分の会社だけが栄えるということは、一時的にはあり得ても、そういうものは長続きはしない。やはり、ともどもに栄えるというか、いわゆる共存共栄ということでなくては、真の発展、繁栄はあり得ない。それが自然の理であり、社会の理法なのである。自然も、人間社会も共存共栄が本来の姿なのである。
 企業が事業活動をしていくについては、いろいろな関係先がある。仕入先、得意先、需要者、あるいは資金を提供してくれる株主とか銀行、さらには地域社会など、多くの相手とさまざまな形で関係を保ちつつ、企業の経営が行なわれているわけである。そうした関係先の犠牲においてみずからの発展をはかるようなことは許されないことであり、それは結局自分をも損なうことになる。やはり、すべての関係先との共存共栄を考えていくことが大切であり、それが企業自体を長きにわたって発展させる唯一の道であるといってもいい。
 たとえば、需要者の要請にこたえてコストダウンをしていくために、仕入先に対して値段の引下げを要望する。これは、どこでもよくあることである。しかし、その場合に、ただ値引を要求するだけではいけない。値段を下げても、なおかつ先方の経営が成り立つ、いいかえれば、先方の適正利潤が確保されるような配慮が必要なのである。一方、商品の販売を担当する得意先に対しては、こちらも大いに勉強するとともに、やはり必要な適正利益を取ってもらえるように、商品政策、販売政策を考えていく。そのようにして、ともどもに適正利益を得つつ共存共栄していくことが大切である。
 共存共栄ということは、相手の立場、相手の利益を十分考えて経営をしていくということである。まず相手の利益を考える、というといささかむずかしいかもしれないが、少なくとも、こちらの利益とともに相手の利益をも同じように考えることである。それが相手のためであると同時に、大きくは自分のためにもなって、結局双方の利益になるわけである。

(『実践経営哲学』より)

解説 

【解説】

 共存共栄を実現するために大切なことは何でしょう。弊社創業者・松下幸之助はその要諦をそれぞれが自主責任経営を確立することにある、と訴えていました。
 過当競争によって業界が混乱していた昭和30年代の後半、松下がある地区の販売店の集まりに出席したときのことです。出席者から、「松下電器が非常に利益をあげておられるのに比べ、販売店や代理店は激しい競争に苦しんでいる。こういうときはもう少しわれわれのことを考えてくれてもいいんじゃないか。だいたい松下電器は、共存共栄と言いながら、もう一方では、われわれが何とかしてくれと言うと、すぐに自主責任経営だと言う。ちょっと都合よすぎやしませんか」という質問がとびだしました。
 これに対して松下はきっぱりと答えました。
 「それはあなた、当たり前ですよ。だいたい自主責任経営ができんような人、これはもう商売する資格はないですわ。あなたご自身も、自分のことに責任をもてないような人と共同で事業をやりますか。共同の金がどうなっているとか、仕事がどうなっているとか、そういうことをはっきり固めることのできんような人と手を組んで、心を合わせて全部打ち明けあって仕事ができるとお思いですか。そういう人と共存共栄できるはずがないでしょう。私も同様に、ほんとうに自主的に経営をしっかりできる人と一緒に力を合わせて仕事をやりたいと思う。そういう人とこそ共存共栄ができるんだと思います。ですから、私が申しあげている共存共栄と自主責任経営はまったく矛盾しません。それどころか自主責任経営があってはじめて、共存共栄は成り立つんです」
 共存共栄とは、互いにもたれあい、依存しあうことではない。各自がそれぞれ自主性、独立性を堅持し、そのうえで業界を繁栄させるよう協力していくことができれば共存共栄の実は必ず上がる。松下はそうした遠大な理想を求め続けていたのです。

バックナンバー