松下幸之助の「商いの心」

    〜人生を生かす心得とは〜

60パーセントの可能性があれば

平成22年07月

 たとえば、ある社員の人がいて、この人に何かの仕事をしてもらおう、ということが始終起こってくる。その時に、その人が適任であるのか、不適任であるのかということはきわめて重要な問題である。そこに経営者として的確な判断が求められるわけだが、それは実際にはよくわからないことが多い。もちろん話をしてみたり、顔つきを見てみたり、あるいは才能試験のようなことをしてみれば、ある程度のことはわかるだろうが、本当のところはなかなかわからない。
 そこでどうするか、というと、私の場合、この人だったら、だいたい60パーセントぐらいいけそうだ、と思ったら、もう適任者として決めてしまう。そうすると、結構うまくいく場合が多い。
 もちろん、なんとか80パーセントの可能性のある人をさがそう、ということで、いろいろな角度から選んでそれに足る人をさがせば、そういう人をさがしあてることもできると思う。そして、そういう人が見つかれば、それはそれに越したことはない。しかし、そのためには非常な時間と手間がかかる。それはある意味では大きなマイナスになる。
 だから、もうだいたい話してみて60点の実力があるな、と思ったら、「君、この仕事をやってくれ、君なら十分いけるよ」というようにしてしまうのである。そうするとたいていうまくいく。中には100点満点というような仕事をする人もある。もちろん、ぜんぶがぜんぶそううまくいくというわけではなく、中には失敗する人もある。もし6人の人がいたとすれば、3人はうまくいって、2人はまあそこそこである。あとの1人がときに失敗する、というような状態が私の場合は多かったように思う。
 そこで失敗した人には「君は失敗したから私が手伝おう」ということで、私なりに気づいた点を注意しつつ応援する。それでうまくいくようになる場合もあるし、それでもなおうまくいかない場合もある。うまくいかなければ、さらに深く検討して、その原因がどこにあるかをさがす。私は、そういうようにやってきた。そうすると、最善とはいえないけれども、だいたい70パーセントの成果というものが継続的にあがってくる。それが今日の松下電器をつくり出した1つの要因といえるのではないかと思う。

(『人を活かす経営』より)

解説 

【解説】

 昭和の初めの頃、金沢に出張所を開設するにあたって弊社創業者・松下幸之助は、だれを責任者にするかで悩みました。ベテランを派遣すれば安心ですが、彼らはみな本店の仕事に不可欠で手放せません。あれこれ思いをめぐらすうちに、頭に浮かんだのは20歳ばかりの若い店員でした。“若いからやれないということもなかろう”と考えて、松下は本人を呼びました。
 「こんど金沢に出張所を出すことにしたんやが、この仕事を君に担当してもらいたい。金沢へ行って、どこか適当なところを借りて店開きをしてほしい。資金は一応300円用意した。これを持ってすぐにも行ってくれたまえ」
 突然の社命に若い店員は驚きました。
 「そんな大役が私に務まるでしょうか。入社2年のかけ出しで、年も20歳を過ぎたばかりで経験もありませんし……」
 「いや、わしは君にできないことはないと思う。必ずできるよ。戦国時代の加藤清正や福島正則のような武将はみな10代から働いているし、明治維新の志士たちも若い人ばかりやないか。やれないことはない。大丈夫や、きっとできるよ」
 確信に満ちた松下の言葉に青年店員はうなずきました。そして実際、その青年は見事に期待に応えたのです。

 松下はこのような思い切った人事を行なって人を育ててきました。仕事を任せる場合、だれに託したとしても完全無欠で事が進むことはあり得ません。だとすれば、無策の策ではありませんが、その人となりをありのままに見て、60パーセントの可能性があるかと思えば、いつまでも躊躇逡巡したり思い悩んだりせず信頼して任せていく。こうした行き方にこそ成功へのポイントがあると松下は考えていたのでしょう。

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