松下幸之助の「商いの心」

    〜人生を生かす心得とは〜

不平不満の原因

平成22年09月

 人というものは非常に大事だが、しかしいい人は求めても必ずしも求められるとは限らない。むしろ、中には自分の意に添わない人もある。かりに十人なら十人の人がいれば、そのうち二人は自分と志を同じくしてくれると思う。六人はそこまでいかない。まあふつうである。あとの二人は自分の意志に反する。そういう姿が、だいたい一般的ではないかと思う。
 以心伝心というか、「ああ、社長は今こういうことを考えているな」「店主はこういうことを考えている。自分もそう考えてあげよう」というような人は十人のうち二人。二人はその反対で、「社長は東へ行くといっているけど、われわれは東へ行きたくないから、西へ行ってやろう」というような気持ちを、何とはなしに持っている。あとの六人はいわゆる大勢順応である。それがだいたい世間一般の姿だといえるだろう。
 そんなことでは、なんとなく頼りないと思うかもしれないが、決してそうではない。それで十分仕事をやっていけると思う。もちろん、十人のうち七人までが自分と志が同じであるということであれば、これは好ましいにちがいない。そうであれば、何をやっても成功するだろうし、事業をどんどん拡張していっても大丈夫だと思う。けれども実際には、そんなことはまずほとんどあり得ないといっていい。
 けれども十人が十人とも、自分の意志に反するということもまずないだろう。よほど、その方針なり、やり方が当を得ないというのであれば、これは別だが、そうでないかぎり、だいたいにおいて二人は賛成してくれる。二人は反対するかもしれないが、残りの六人はその時どきに応じて働いてくれる。そして、それで立派な仕事もでき適度な拡張もやっていけると思う。

 百人の人がいれば、百人全部いい人であってほしいと望むのが人情である。そのことがあながち悪いとはいわないけれど、それにとらわれると、かえって悩んだり、煩悶したりしていい結果が生まれないおそれがある。百人いれば、だいたい二十人は会社の考えをわが考えとしてくれる。それをもってよしとし、満足することが大事だと思う。そうすれば、二十人の人が会社の考えにそぐわなくても、あまりそれで悩むこともないだろう。六十人の人は、それなりに働いてくれる。全体としてはプラスの結果が生まれてくると思うのである。

(『人事万華鏡』より)

解説 

【解説】

 弊社がまだ従業員数五十名ほどのころのこと。従業員の中に工場の品物を外に持ち出すという不正を働く者が出ました。弊社創業者・松下幸之助にとっても初めての体験で、その従業員をやめさせるか、あるいは何らかの罰を与えてすませるべきか、迷い始めると夜も眠れなくなりました。
 いくら考えても結論が出ず、悩みが深まるばかりであった松下の心に、ふっとある考えが浮かびました。それは、“今、日本に悪いことをする人はどれくらいいるのか”ということです。
 “法を犯すような悪人が、かりに十万人いるとすれば、法にはふれないが軽い罪を犯している人は、その何倍もいるだろう。その人たちを天皇陛下がどうされておられるかというと、あまりに悪い人は監獄に隔離するけれども、それほどでもない人については、われわれと一緒に生活し、仕事をすることをお許しになっている。そうしたなかにあって、一工場の主人にすぎない自分が、いい人のみを使って仕事をしようとすることは、天皇陛下の御徳をもってしてもできないことを望んでいるようなもので、少し虫のよすぎる話ではないか”
 天皇陛下が絶対的な存在だった時代ということもあり、松下はそう考えることで、非常に気が楽になりました。
 “将来、会社が大きくなっていけば、何人かは会社に不忠実な人や悪いことをする人が出てくるだろう。たくさんの人を使っていくのであれば、それはいわば当たり前の姿だ。しかし、それは百人や二百人に一人とかで、従業員全体としては信頼できる。それは経営者にとって非常に幸せなことではないか。とするならば特にやめさせることはない。必要な罰を与えるにとどめておこう”
 それから松下は社員を信頼し、大胆に人を使えるようになったということです。
 いい人ばかりを集めて仕事をしたいと思うのは経営者の偽らざる心情でしょう。しかし、そうはいかないのがふつうであり、またそれでも仕事は十分やっていけるものである。こうした悟りというか、諦観を持つことによって、安心して事業を営むことが重要な行き方ではないかと松下はいうのです。

バックナンバー