松下幸之助の「商いの心」

    〜仕事を見直す心得とは〜

つまずきの原因は

平成22年10月

 ここに2つの会社がある。1つの会社は、社員は会社に対してそう不平不満をもっておらない。会社とともにやろうということで仕事をやっている。少々の時間を超過することなど問題にしない。命ぜられないことでもやろうと考えている。非常に好ましい状態である。
 ところが、もう1つの会社はそれに反して、比較的待遇もいいし、会社は理解をもって社員を遇している。にもかかわらず、社員は不平不満が多いということがあります。これは皆さんも、そういうことをお考えになって気をつけられたら、じき分かると思うんです。皆さんのお取引先のAとBの会社があって、どっちの会社が不平不満が多いか、Bが多いかAが多いかというと、じきにお分かりになると思うんです。
 物的給与を多くしても決して喜ばない。やはりその会社には1つの使命感があって、そうしてその使命を遂行するについての社是がある。この会社はこういうことをやるんだという方針がきちんと決まっている。そうして、その方針を遂行するにあたっての社員心得というものを常に適当に訓育している。
 社是、社訓のない会社は、私はおおむね力が弱いと思うんです。なんぼ月給出すからしっかりやってくれと言うだけではいかんと思うんです。この会社はこういう使命に立っているんだ、この使命を遂行するために、会社はこういうことを社是として大事な問題としている、そのためにはこういうことをお互い考えなくてはいかん、そういう社是、社訓がぴしっとあって、適当にそれを教え、それで導いていくような会社には、いつ見てもみんなわがことのように仕事をするような風習が生まれるかもしれない。ところが、そういう会社でなかったならば、賃金はなんぼ、時間は何時間ということにとらわれて、あまり努力しない。

 私も過去55年間やってきましたが、倒れていく会社や商店、それに反してどんどん栄えていく商店、会社を、まのあたりに見てきました。多少の例外はありますけれども、いま私が申しますように、社是、社訓を時代にピチッと合うようにつくられた会社、それを遂行している会社はおおむねうまくいっております。そういうものを何ももたない、ただ儲けたらいいんだ、一所懸命働いたらいいんだというような会社は、例外もありますけれども、概してうまくいかない。これは私、当然だと思うんです。


(昭和49年7月22日 第40回全国経営者大会における講演)

解説 

【解説】

 弊社創業者・松下幸之助がみずからの経営の考え方を述べた著書『実践経営哲学』において、真っ先に掲げたのは“まず経営理念を確立すること”でした。言いかえれば、“この会社は何のために存在しているのか。この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行なっていくのか”という点について、しっかりとした基本の考え方をもつことが、経営の根本として何より大切だと訴えていたのです。
 実は松下自身、創業当初から確固とした経営理念をもっていたわけではありませんでした。妻と義弟と3人で、いわば「食べんがために、ごくささやかな姿で始めた」だけで、当時の世間の常識、商売の通念に則して、“いいものをつくらなくてはいけない。得意先を大事にしなくてはいけない”と考え、ただそれに懸命に従っていたに過ぎないといいます。
 ところが、商売が発展し、社員の人数も多くなるにつれて、松下は“そういう通念的なことだけではいけないのではないか”と考えるようになりました。そして、昭和7年、ある宗教団体を訪問してその盛況ぶりに感銘を受けたことをきっかけに、経営について改めて思いをめぐらせます。その宗教に携わる人びとが嬉々として活動しているのは、それが人生を幸福にする聖なる事業であるという思いが浸透しているからだ。とするならば、自分たちの業界もまた、人間生活の維持向上に必要不可欠な物資を生産する聖なる事業にちがいない。貧乏をなくすために、生産に次ぐ生産によってこの世に物資を豊富に生みだすことこそが、われわれの尊い使命である。松下はこうして“何のために事業を行うのか”という疑問に対して、「生産者の真使命」を果たすという明確な理念を見出すに至ったのです。
 その結果、松下自身、以前にくらべて強固な信念をもって、力強い経営ができるようになり、従業員もまた、真使命の達成に邁進しようという松下の訴えに感激し、使命感に燃えて仕事に取り組み始めました。いわば経営に魂が入った状態になって、以後、業績は飛躍的に伸びていきました。
 経営理念、あるいは社是、社訓の有無によって社員の意気込みや働きの成果が大きく違ってくるというのは、松下自身の体験によって裏打ちされた事実でもあるのです。

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