皆さん非常にご多忙で、日々悩みも多うございましょう。しかし私は、千の悩みも一つの悩みも、悩みは一つやと思うのです。千の悩みをもっているからつらいということではなく、悩みは常に一つだと思います。というのは、ここに一つのちょっとしたできものができたとする。そのできものが非常に気になる。けれども、今度、おなかの一部に大きなできものができたとなると、この小さいできものはもう忘れてしまいます。今度は大きなほうが気にかかる。そういうように、悩みというものは、一つに集結するものだ。百の悩みをもっていても、結局、悩むものは一つである。いちばん大きなものに悩みをもつんだ。そういうものだと思うのです。
私は、今までの経験でいろいろのことがありました。五つも六つも問題が一度に起こったこともあります。しかし、一つの悩みも十の悩みも結論は一緒やなあということに、私は感づいたのです。結局、いちばん大きな悩みに取り組むことによって、他のものはみな、要するに第二、第三になってしまう。十も二十も三十も悩みがあっては、もうとてもやっていけない。けれども、結局、人間というものはいちばん大きな悩みだけしか悩まない。あとは解消するわけではないが、それはあまり心配ない、というようなものです。そこにやはり生きる道というものが、私は生まれてくると思うのです。
また、一つの悩みをもつということは非常に大事だと思います。一つ何か気にかかるものがなくてはならないと思うのです。それあるがために大きな過ちがないと思うのであります。何の悩みもなく、喜びのままにやっていくということは、これは人生じゃありません。それは夢のようなものである、というようなことも考えて、私は自分で自分を慰めてきたこともございます。
(昭和36年11月27日 松下会長誕生日祝賀会における話)

のちに弊社の役員になったある社員の思い出です。昭和28年頃、天神橋にあった大阪営業所は新築で一階にショールームがあったことから、弊社創業者・松下幸之助もたびたび立ち寄ることがありました。ある日、松下が営業所を訪ねた折、所長も課長も不在で、当時主任だったその社員があわてて出迎えました。所長室のある三階まで案内したのですが、エレベーターの中で沈黙しているわけにもいかず、「今は不景気で問題が多くて、たいへんでしょうね」と松下に話しかけました。すると、松下は屈託なく、「そんなことないで。人間ってな、そんなにたくさん悩まれへん、一つや。そやから、そんなたいしたことないで」と答えました。その社員はいま一つピンとこなかったそうです。
5年後、営業所次長になっていたその社員は、自分が担当していた販売会社が詐欺にあって倒産するという事態に遭遇しました。倒産すれば代金回収ができないため、会社に多額の損害が生じます。監督不行き届きということで、進退伺いを書き、松下のところにお詫びの報告をしに行った時のことです。松下は進退伺い書を異常なほどじっくりと眺めたそうです。社員は生きた心地がしませんでした。長い沈黙のあと、松下はようやく口を開きました。
「厳罰にせないかんとこやねん。しかし、担当役員から、君は平素一生懸命やっているから軽くおさめてやってくださいという頼みがあったんや。よって、始末書をもって処分とする」そう厳しく言ったあと、口調を変えてつけ加えました。「な、君。わしが今そう処分を決めたんやから、君はこの失敗については今をもって忘れてしまえ。ところで、どうやな、最近の市況は」その変化に驚くとともに、社員はたいへん感激したといいます。
そして、なぜ進退伺い書をあれほど長く眺めていたかを考えた時、ふと、以前に言われた「人間はたくさん悩まれへん、一つや」という言葉が思い出されました。“そうか。事の本質を見切った瞬間、損害のことは忘れて、自分をどう叱ってやるのがよいかだけに考えを集中されていたのだ”松下の悩みに対する対処の仕方というものを初めて実感できた気がしたそうです。