松下幸之助の「商いの心」

    〜仕事を見直す心得とは〜

衆知を生かす心構え

平成23年04月

 私は私心をもたないように、“私”というものを封じこめないといかんということを始終自分に言い聞かせてるんですよ。会社は天下の預かりものやから大いにやっていい。遠慮せずにやっていい。けれども“私”を出してはいけない。そう思っていても、どうしても出てくるのです。出てきたら危険やから、私は自分と葛藤しているんですよ。
 私は今隠居したようになってますけれども、まったく隠居してしまっているというわけではありませんから、やっぱり考えています。そうすると、“私”が出てくるわけです。会社のためにこうせねばならんと思っておっても、同時に、自分のためにこうせねばならんということを考えている。それではいかんといってそれを打ち砕くと、打ち砕いたつぎの瞬間にまた自分が出てくる。やっぱり欲望というものは、ほんとうにどうしたって消せないです。だから今私は、自分で葛藤をしてるんです。自分を消すということと、自分が出てくるのを抑えるということの葛藤の日々ですな。
 私のような老人でも“私”という個人的欲望というものが出てくるんです。だから皆さんのようなお若い方は、元気撥刺としているから、私以上にいろいろな面において欲望が出てくるやろうと思うんです。実際はまた欲望が出ないとあかんと思います。

 けれどもその欲望は、“公”の欲望と私的欲望とあります。必ず私的欲望がついてまわります。この私的欲望をどの程度に抑えることができるか、公的欲望をどう出すかということの葛藤が皆さんの葛藤でなけりゃならんと思うのですな。そういうことに打ちかつことができたならば、すばらしい成果をあげることができると思うんです。私自身がもう八十になりまして、なおかつ個人松下と公人松下としての葛藤をやっているんです。こういうことは“公”の人間としてやってはいけないと、そう思っておっても、つぎの瞬間には自分の私的欲望が出てきます。そうですから、なかなか人間あかぬけすることはできませんな。


(昭和51年5月10日 名古屋青年会議所における話)

解説 

【解説】

 戦前の弊社の経営において、2人の優秀な番頭役が創業者・松下幸之助を支えていました。のちに三洋電機創業者となる井植歳男氏とTという人物です。かつて松下はこの2人について、次のように評したことがありました。
 「この両君にはそれぞれ特色がありました。例をあげますと、Tを使いにやると必ず成功する。そして先方がどういう感じを持つかというと『Tさんはなかなかええ番頭はんや。松下さんはええ番頭はんを持ってまんなあ』という感じを与える。井植をやりますとね、やっぱりそういう感じを与える。しかし、ひとつ違うことは『松下さんとこは、ああいうええ番頭がたくさんおるらしいなあ』という感じを与える。そこが違うところなんですよ。どっちも目的を達成して、相手を感心させて帰ってくる。そこは同じだ。しかし相手を感心させてくる感じがひと味違う。それで井植は成功し、Tは大成しなかった」
 T氏はのちに独立して商売を始めたのですが、うまくいかなかったのです。その理由を松下は、「やっぱりTには“自分”というものが多少あった。非常に商売はうまいし、熱心だし、説得もうまい。しかし、いくらか“自分”というものがある。井植のほうはぼくと同化してやっていましたから、“自分”というものがない。だから、“松下”というものが出る。Tのほうは“松下”ではなくて、“T”という感じが残ってしまう」
 同じようにすぐれた人でも成功する人と失敗する人に分かれるのは、結局は“私”というものがあるかないかである。ほんのわずかな私心の有無で、非常な差が出てくるというのです。
 松下自身も日々、わきあがってくる私心を消すために心の中で葛藤をくり返していました。責任者やリーダーは何より公的欲望に徹して、私的欲望をなくす努力が必要だといえましょう。

バックナンバー