松下幸之助の「商いの心」

    〜仕事のやりがい、働きがい〜

衆知を生かす心構え

平成23年05月

 給料をもらうために働くというようなことは、最高の目的ではない。最高の目的はもっとほかにある。人間としての使命、またさらに具体的には産業人としての使命、さらに具体的には松下電器の社員としての使命、そういうものをよりよく遂行していくことによって、社会に対して繁栄を与えることもできるし、またみずからの繁栄も約束される。その約束されるところの一つの糧(かて)として、給料というものが、そこに許されるわけである。給料をもらわなければやっていけない。そういう尊い使命を果たすこともできない。食わずしては生命をつぐこともできない、ということになるわけである。
 だからこの会社もそうである。社会から多くの利益を頂戴することは、われわれは大いにお願いする。けれども、お願いした利益は無意味にこれを使うわけではない。よりよき再生産のためにこの資金を使っていく、その一部は従業員の生活の向上へ回す、一つは設備へも回す、一つはまた社会へ還元していろいろな寄付もする。そうして国民全体として、社会全体としての生活をよりよくしていくために、この会社は大きな役割を受けもっているんだ。こういうように解釈をしてやるわけですね。私事ではないんですね。
 皆さんもそういうつもりでやらないといけない。そういうつもりでやれば、妙なものでお互いの給与というようなものや会社の利益というものは、世間からどんどん与えられる。われわれに実力があるならば、われわれの社会に対する貢献が多ければ多いほど、それは報酬として返ってくる、利益として返ってくる。われわれがなんぼもっと儲けたいと思うても、われわれのやることが、その利益に相当しないような仕事をしておったならば、だんだんそれは社会から削られていくということになるわけです。
 だから、お互いの実力といいますか、お互いの働きが、社会から喜ばれないような状態においては、社会からの感謝の報酬も得られないということになる。それはもうきわめて簡単なことです、皆さんも分かりますわな。

(昭和34年5月28日 松下電器新入社員への話)

解説 
【解説】

 弊社のある事業部が業績不振に陥り、事業部長が交代して立て直しを図ることになったときのことです。新任の事業部長は早速、弊社創業者・松下幸之助のもとに挨拶に訪れ、「いろいろ実態を調べましたが、これは必ずよくなります。だから半年間はだまってみていてください。必ずよくしますから」と、決意のほどを述べました。これに対して松下が笑顔を浮かべながら、「半年どころか1年でもなんぼでも待つで」と答えたので、事業部長はホッと胸をなでおろし部屋を出ようとしました。すると松下は「ああ、君」と呼びとめ、こういったのです。「わしはな、1年でも2年でも待つけどね、世間が待ってくれるかどうか、これはわしは知らんで」。
 ハッと我に返った事業部長は、その日のうちに全従業員を集め、この松下のことばを伝えました。そして、世間のために1日でも早くという思いで事業の立て直しに乗り出した結果、当初目標としていた半年もたたないうちに、業績を回復させることができたのです。
 また、松下が昭和29年に取引先の銀行に挨拶に出向いたときのこと、その銀行の役員から、「松下電器はどこまで事業を拡張するのですか」という質問を受けました。その問いに対し、松下は意外なことに、「それは私にもわかりません」と回答したのです。唖然とする役員に向かって、松下は続けました。「それは、社長の私が決めるものでも松下電器が決めるものでもありません。すべて社会が決定してくれるものだと思います。松下電器が立派な仕事をして消費者に喜んでいただけたならば、もっとつくれという要望が集まって、事業は大きくなっていきます。逆にわれわれが悪いものをつくっていれば売れなくなって、縮小せざるを得なくなる。だから、松下の今後の発展はすべて社会が決定してくれるのです。」
 いずれのエピソードも、あらゆる仕事は世間や社会のためにあるという、松下の信念を示しているといえましょう。仕事が私事でない以上、社員一人ひとりにおいても、「これは自分の仕事だから、自分の好きなようにやっていいんだ」というようなことは許されません。「世間のため」「社会のため」という使命達成に向けての努力が大切なのです。そして、そのような努力をしていればきっと報われるということを、松下は身をもって示したのではないでしょうか。

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