(1910.1.1.〜1996.7.28永眠)
シベリヤ生活の思い出「余生で会心作を」

中国大陸で終戦を迎えた三島さんは、ソ連・ナホトカ近くの
第217捕虜収容所に送られ、つらく、不安な抑留生活を
体験した。この間「日本に帰りたい。子供たちの顔を見たい」
という一心から、約15cmのシラカバの木で仏像を作った。
作業中に折れて短くなったヤスリを隠して部屋に持ち帰り、
スプーンやフォークに、このヤスリをかけて彫刻刀を作り、
みんなが寝静まってからコッコツと彫り上げたもので、毎日、
手を合わせて拝むと、心が休まったという。22年暮れに
帰国したが、舞鶴で上陸する時「ソビエトで作った物は持ち
込めない」と没収された。

その後、西宮市で写真店を開業、仏像のことは
忘れていたが さる四十年夏、当時中学生だつた
長女が、夏休みの宿題に出された木彫りの
制作に手こずってる見かねて手伝ったことから、
シベリヤの生活を強烈に思い出した。以来、
仕事の合間を見て、約二十年ぶりに制作を
始めた。五十三年、写真店をやめ、
アトリエを作り仏像作りに没頭している。

観音像や阿弥陀仏像など、十五年間に
約五十体の仏像を彫り上げた
仏像写真ではあきたらず、
京都、奈良の寺社を訪れ実物を模写したり、
許可をもらって写真に撮影して勉強している。


彫り方は全くの独習で、彫り後を殺さないため
サンドペーパー類を一切使わない。
一体を仕上げるのに三ヶ月から六ヶ月ぐらいも
かかる。とくに、これまで奈良・薬師寺の
金堂にある聖観音像のりりしい姿に最も心を
ひかれた。「平和のシンボルのような聖観音を
彫るのが終生の念願」という。

(1980.12.8.読売新聞より)






(更新日:99.10.22)