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私が10才まで育った場所は、中央線の塩山駅からバスで約30分、
更に徒歩で30分程山の方へ上がった、遠くに富士山、そして近くは低い山にぐるっと
囲まれた所にあります。
そのM町のバスターミナルのあるKという地区は、その小さな町の商業地域ともいうべき場所で、
当時の記憶では、今でいうスーパーマーケットが1軒、病院が1軒、そしてタクシー会社が
2軒ほどありました。
小さい頃父から何度も聞かされたその話は、そのふたつあるタクシー会社のうちの
ひとつの経営者の体験談でした。
戦後しばらくたった頃のある夜、その町にある小さな病院の前でTタクシーの経営者でもあり、
運転手のTさんは1人のお客を乗せました。
それは若い女の人だったそうです。
そこから笛吹川の上流にあるM村まで走り、1軒の家の前で止まりました。
その客は「今、自分には持ち合わせがないので、家から取って来ます」と言い、
中へ入って行きました。
しかし待てど暮らせどその人は戻ってきません。
待ちくたびれたTさんは車を降り、その家の戸を叩きました。
事情を説明するとその家の人は、
「今さっき病院に入院中だった娘が亡くなったという連絡が来たところだった・・・」と言うのです。
そして実際にタクシーの客だった女の人など、その家の中にはいませんでした。
そのことがあった後の数日間、Tさんは熱を出して寝込んでしまったそうです。
「ずっと入院していたその家の娘さんは、きっと自分の家に帰りたかったんだね」と話の終わりに
父は言いました。
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私はその話を、身近で起こった不思議な出来事として、ずっと信じていました。
そう・・・つい数日前まで。
細かい話を又聞きたくなって、私は久しぶりに父に電話をかけました。
すると、「そーんなの嘘に決まっているじゃない。娯楽の少ない田舎のことだから、
そんな話をして楽しんでいたんだよ。大体それを話していたオレの従兄弟のSさんは、
けっこうホラッ話が好きだったしな。それに本人に確かめたくても死んじまったんだから、
確かめようもないし。」と言うではありませんか。
私の生家の隣に住んでいた父の従兄弟のSさんは、数年前に肝臓癌を患って亡くなっていたのです。
「何だ!私は何10年もずっと信じていたんだ」と言うと、
「いやあーでもオレの体験談もあるんだぞ。昔はそんな話はいくらでもあったんだけど。
人魂を見たんだ。何度も。」
それは昭和の始め、父が11か12才の頃の事でした。
その頃希望者だけでしたが、夜学校で2、3時間勉強を教えてもらえたので、
近所の子供達と、父も夜の学校へ行っていました。
それは、小雨まじりの夜でした。
勉強が終わり、近くに住む友達と5人で、細い道を縦に1列になって歩いていました。
前を歩く2人はおしゃべりに夢中でしたが、後 ろの3人はそれに気付きました。
人魂が自分達の50m程右横、電信柱位の高さの所を、尾を引いて飛んでいるのです。
3人は思わず立ち止まりました。
それがすーっと消えると、今度は同じ場所から、浴衣のような着物が裾をヒラヒラさせて
少し前屈みの姿勢で、また同じように電柱の高さを、ゆっくりすーっと動いていくのです。
顔も手足も見えませんが、中に人が入っているような形をしています。
そして、やがてそれも消えてしまいました。
前の2人は始終気付かずにしゃべりながら、ずっと先を歩いていました。
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「昔の山村には人魂がよく出ていたし、おばあさんは人が死ぬ時に出るもんだって
言ってたなあ。お前の伯母さんは、きつねの嫁入りを見たそうだよ。
山の裾野を提灯の火の様なものが、1列にいくつも見えて、真ん中の1つだけが、
大きかったんだと。その遠くに見えた提灯の明かりの様な列が、こちらに向かって
移動して来たんだそうだ・・・」
いつになく饒舌な父は、遠い昔に私が聞いた話を、また繰り返し話してくれました。
そう言えば、祖母が生きていた頃、冬の夜のこたつの中で、小さな私達孫を相手に
やっぱり、こんな風に不思議な話をしてくれたものです。
山に囲まれた、静かな田舎の夜でした。
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シアトル kiyomiさん
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