もうかれこれ30年以上も前の話になりますが、私は中学の3年間を、
父の仕事の関係で山深い信州のS村で過ごしました。
古代恐竜の化石が大量に発掘されて、有名になったあのS村です。

当時、私は山登りなどに興味はなく、登山と言えば、小学生の時、
両親に連れられて登った、清里の飯盛山が最初で最後でした。
ただ、知らない土地を目的もなく探索するのが好きで、
S村に引っ越した時もしばらくは、学校が休みになると
自転車に乗っては、初めて見る緑豊かな自然の中を
ペダルを漕いで走りまわっていました。

日曜日だということもあり、その日も私は朝早くから自転車を漕ぎ、
これまで足を伸ばした事のない、家から南東の方向に見える山の連なりの方へと
探索を始めました。

季節は10月。

畑の向こうに広がる雑木林は見事なまでに色付いており、
まだ舗装されていなかった広い農道の横に立つ巨大な銀杏の木は、
風が吹くたびに黄金色の葉をサラサラと散らせていました。

小高い山に付いた林道を、額に汗しながら越えていくと
右に小さな、しかし他の山よりも際立って木々を紅く染めた林が現れました。
こんもりと盛りあがった小さな山です。
山の周りには、何故か荒縄がぐるりと巡っています。

「この付近には松茸が採れる山があり、そういう山には
立ち入りを禁止するための縄が巡らせてある」と父から聞かされていた私は
「ははあ。これがそうなのか」とひとり納得し、
その山を右に見ながらそのまま自転車を走らせました。

縄が巡った山を巻くように土の道を3分ほど走った頃、
山の一部に木々が切れた場所があり、登山道のような
道がついているのを見つけました。
不思議な事に、その部分だけ縄が切れて垂れ下がっており、
近づいてみるとそこには苔むした石畳の道が、鬱蒼とした小山の中に、
来る人を吸い寄せるように伸びているのでした。

私はその道に魅入られたように自転車を降り、そしてその自転車を横に倒して、
石畳の道を踏んで山に入りました。
その時は松茸の事などすっかり頭から消えていて、ただただその苔むした石畳の道に
魅力を感じていたのでした。
外から見ると、まるで小高い丘のような高さにしか思えない山でしたが
実際に歩いてみると道にはけっこうな角度がついており、
また、普段歩く人もほとんどいないのか少しずつ石畳も荒れてきて、
道の両脇からは、古いシダ類の巻きついた細い木々が覆い被さり、
頭を垂れてそれを潜らなければ、前に進めないような状況になってきました。

20分程歩き、さすがにだんだん心細くなってきて、そろそろ戻ろうかと思い始めた時でした。
右上に緩くカーブした荒れた石畳の道の先で、私は人の足音を聞いた気がしました。

『僕以外にもこの道を歩いている人がいるのだろうか・・』

しかし、それは一瞬の事で、辺りにはまた私の足音が響くだけになりました。

なんだか気味が悪くなり、来た道を引き返そうと振り向いたその時です。
すぐ側で鐘の音が鳴ったのです。

鐘の音が聞こえたのは石畳のすぐ先です。

『この道は寺に続いているのだろうか。そしてさっき聞いた足音は、空耳ではなく
その寺の鐘をつくために歩いた人間のものだったのだろうか』

鐘の音が思いもかけず、すぐ近くで聞えたため、再びこの道に興味を抱いた私は、
一度きびすを返した道を再び登り始めました・・・。
そう。後になって思うと、それは鐘の音に引き寄せられたかのようでした。

すぐ先で鐘の音が聞こえたはずでしたが、5分登っても相変わらず荒れた石畳の道は
上に向かって続いており、回りの木々は益々道に覆い被さるようになって太陽の光を遮り、
まだ午前中であるにもかかわらず、辺りはまるで夕暮れのようです。

その陰気さに気圧され、いい加減引き返そうかと足を止めたその時です。

また鐘の音が聞こえて来たのです。
それは山全体に響くような低く大きな音でした。
その音に導かれるように再び石畳を登り始めると、道はすぐ上で右に大きく曲がって、
突然目の前が開け、朽ち果てた廃寺が現れました。

寺の規模は小さく、屋根は半分以上崩れ落ちており、すでに歴史の隅に葬り去られたような佇まいです。
そして不思議な事に、そこにあるのは小さな廃寺だけで、鐘付き堂はおろか、
鐘そのものが見当たらないのです。
廃寺の前に巨大な老木が2本、まるで参門のように立っており、その2本の巨木は
目の上3メートルくらいの所で麻を編んだような太い縄で結ばれていました。

なんとも言い知れない不気味な・・・、
なんというのか異様な『気』のようなものを感じた私は、それ以上、廃寺に近づくのをやめ、
来た道を引き返すことにしました。

後ずさりするように寺から離れ、再び石畳に足を踏み入れました。

そしてもう一度、廃寺の方を振り返った瞬間です。

ド〜〜〜ン

という物凄い音と共に、私は身体全体に突風のような衝撃を受け、石畳の道から林の中に
弾き飛ばされてしまったのです。

その後の事はあまり覚えていません。

気がつくと私は山の入り口の石畳の上に腰を下ろしていました。
傍らには、私が先ほど乗り捨てたままの形で自転車が転がっています。

自分の身に降りかかった事態が飲み込めずに、間抜けな顔でただ呆然と座っていると、
農作業姿の籠を背負った老人が通りかかり、石畳に腰を掛けている私の顔を見て怖い顔で言いました。

「この山に入ったのか!?」

その声に我に帰った私は、震える声で今自分が体験してきた事を老人に告げました。

黙って話を聞いていた老人は、私がひと心地つくと口を開きました。

「この山には言い伝えがあってな。おまえが見た寺は、昔はたいそう栄えた名寺だったのじゃ。
しかし何時しか西の方から流れてきた鬼が寺に巣食うようになり、寺は鬼の住家になってしまった。
それからというもの村には大変な災いが降り掛かり続けたのじゃ。
何年かして托鉢の高僧が東の方から現れ、その話を聞いてこの山に入り、
鬼と刺し違えて寺の入り口の老木に結界を張って鬼を封じ込めた。
以来、寺に足を踏み入れる事はもちろん、この山自体に入る事が禁じられたのじゃ」


老人はそういうと、私を石畳から起こし、切れて垂れ下がっていた入口の縄を結びなおしました。

「2度とこの山に入ってはならんぞ」

老人は私の目を覗き込むようにしてそう言いましたが、その目はさっきよりもずいぶん優しくなっていました。

2年後、再び父の仕事の関係で、私は東京に戻りました。



あれから30数年。

あの山が今どうなっているのか、私は知る由もありません。






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