ベースボールギャング(1989年~)
PLB創立35周年記念=2023年10月21日淀川佐太西2
PLB創立35周年記念=2023年9月9日淀川大日1
PLB創立35周年記念=2023年5月20日淀川佐太西1
新ユニフォーム3戦目で全員集合=2020年9月19日淀川佐太西1
PLB創立30周年記念=2018年6月2日淀川佐太西1
退団するウッチーへBGメンバーからのシャワー=2017年9月30日寝屋川市民グラウンドA面
ウッチー退団の激励 両チーム選手で胴上げ=2017年9月30日寝屋川市民グラウンドA面
足掛け29年で通算100勝を達成!=2017年4月7日寝屋川市民グラウンドA面
PLB創立25周年記念=2013年6月8日淀川大塚野球場1
PLB創立20周年記念=2008年5月31日私部公園グラウンド
2連覇で4度目の優勝を決めたBGナイン=2003年11月1日倉治公園グラウンド
3年ぶり3度目の優勝を決めたBGナイン=2002年11月2日倉治公園グラウンド
強敵Buを破り優勝に湧くBGナイン=1999年11月13日私部公園グラウンド
ユニホーム新調 「ユニホームを変えると勝てなくなる」と周りから冷やかされたが、2戦目でジンクスをくつがえした=1998年6月27日私部公園グラウンド
1988年9月17日チーム初勝利のメンバー=寝屋川市民グラウンドB面
球団創立
1988年5月5日
チーム名の由来
『ボランティアズ』の名前で何となく野球をやっていたが、ユニホームを作るときに発起人のひとり荒川博行氏の発案で『ベースボールギャング』に改名。「○○ズ」と言うありきたりの名前を避けた。「野球集団」の意味だったようだが定かでない。
歴代監督
- 河野 雅之(1988年~)
優勝経験
5回(1990年度、1999年度、2002年度、2003年度、2021年度)
1990年度は『協議優勝』。2021年度は棚ぼた的な3チーム同点優勝。
球団の歩み
- 1987年~1988年頃
- 大人になっても草野球をしたかった河野氏が、会社の同期入社のメンバーを中心に「ボランティアズ」の名前でなんとなく野球をしていた。ちゃんとしたチームを結成することになり、14人が名前を連ね、1988年夏にユニホームを作成。誰かの一言で、当時プロ野球で常勝の西武ライオンズのホーム用デザイン(上下:白地に赤と緑のライン)に決定。当初は非定期の親睦試合や身近な軟式野球大会などで活動。10連敗の後、松風寮チームに初勝利。この頃のエースはアンダースローの橋本投手。

- 1989年
- 1989年、ハッタリーズの片岡氏の発案に乗り、ピーナッツ・リーグの創設に参加。以降はピーナッツ・リーグを中心に活動を続ける。
- 一方で、毎年1回PrayBoysと対戦。PB吉田投手の毒舌とションベンカーブに悩まされ、血を流すような屈辱的敗戦が1993年まで続く。
- 1990年
- 週末台風で他チームの試合中止が続発する中、全日程をこなしたことが認められ「協議優勝」する。
- 1992年
- 現在もチームの顔として知られている岸本選手が鳴り物入りで入団。エースの座を奪う。
- 1993年
- 首位を走っていたが最終戦でデバッガーズに追いつかれる。優勝決定ジャンケン合戦で、4勝4敗の最後に岸本選手がグーで負けて優勝を逃す。
- 1994年
- PrayBoysに初めて勝利。これを最後に因縁の対決は終止符。
- 1995年~1997年
- 1997年キャッチフレーズ
- 『遠心力野球』
- 1995年から個人成績に応じた年俸制を導入。納会の席上で契約更改の交渉をして、プロ野球選手になったような錯覚を楽しんでいる。
- 1998年
- 1998年キャッチフレーズ
- 『野球はドラマだ!』
- 1998年にはユニホームの変更が検討され、ダイエーホークスやメジャーリーグなどのデザインも候補に出たが、西武ライオンズのビジター用デザイン(上:ブルーに白ライン、下:白地に青ライン)に落ち着く。2005年頃にシャツがメッシュに変わった。また、この頃からチーム内での首位打者や打点王、盗塁王などの表彰を毎年実施している。
- 1998年から2004年にかけて、チーム結成当時のメンバーのほとんどが現役を退き、新しいメンバーが続々と入ってきた第2黄金期。猿渡、阿部、米田、日野、清水、斎藤、喜多川はこの時期の入団。1998年の山根投手の加入はチーム力を格段にアップさせた。

- 1999年
- 1999年キャッチフレーズ
- 『野球はドラマだ!part2』
- 優勝決定戦5日前の月曜夜に作戦会議を開き、監督抜きで対バブルス戦のオーダーを決めた。のちに「日之出会議」と呼ばれる。見事勝利を勝ち取り2度目のリーグ優勝。
- 2000年~2001年
- 2000年キャッチフレーズ
- 『Challnge~挑戦~』
- 2001年キャッチフレーズ
- 『野球バカ』
- 2002年
- 2002年キャッチフレーズ
- 『Enjo~y Baseball』
- 3度目のリーグ優勝。大会参加費を未納だったため、優勝決定後の表彰式では優勝旗のみ授与、賞金は差し押さえられた。

- 2003年
- 2003年キャッチフレーズ
- 『も~っとEnjoy Baseball』
-
岸本・山根・米田・阿部の4選手が10塁打以上を打ち「10塁打カルテット」と呼ばれた。
MACOリーグから来た3チームがまだ不慣れなところをついて勝ち星をいただき4度目のリーグ優勝。

- 2004年~2006年
- 2004年キャッチフレーズ
- 『もっと^2 Enjoy Baseball』
- 2005年キャッチフレーズ
- 『野球上達!!』
- 2006年キャッチフレーズ
- 『週末の楽しみ=野球!』
- 2007年~2008年
- 2007年キャッチフレーズ
- 『マナーアップキャンペーン』
- 2008年キャッチフレーズ
- 『フルスイング』
- 山根投手が来なくなり、Bクラス低迷が始まる。2007年には大物ルーキー川本選手が入団。
- 2009年~2012年
- 2009年キャッチフレーズ
- 『大胆にして細心であれ』
- 2010年キャッチフレーズ
- 『守備は短く、攻撃は長~~く!』
- 2011年キャッチフレーズ
- 『目覚めよ、打撃魂!』
- 2012年キャッチフレーズ
- 『あっぱれ!』
- 前川、瀬戸、菅野、岡が相次いで入団。
- この頃から『あっぱれボード』が試合後の反省会に導入される。
- 2013年
- 2013年キャッチフレーズ
- 『デフレ野球からの脱却』
- この年、岸本選手は骨折・腰痛・五十肩と度重なる故障で先発オーダーから離れ、記録員に徹するようになった。
- リーグ最終戦Re-SRでSRの助っ人にBG8名と記録員1名が参戦するが、残念なプレイを連発して惨敗。
- 2014年
- 2014年キャッチフレーズ
- 『上達』
- 前年途中にスカウト入団した『ウッチー』こと内田選手がBGデビュー。開幕のバブルス戦で先発登板するも13失点の苦いデビュー。
- 2015年
- 2015年キャッチフレーズ
- 『もっと上達』
- 久保選手をスカウト。貴重な左腕投手として期待される。
- シーズン終了後、納会の席で猿渡選手が退団を表明。
- 助っ人も含めリーグ最多14試合に出場した河野選手が特別賞を受賞。
- 2016年
- 2016年キャッチフレーズ
- 『100勝一気!』
- 期待のルーキー村上投手が入団。ナックルボールでPLBに旋風を巻き起こし、いきなりMVP獲得。
- 2017年
- 2017年キャッチフレーズ
- 『プレミアムサタデー』
- 開幕ボンバーズ戦は雨中の勝利で通算100勝を達成。100勝記念Tシャツ製作に盛り上がるが、その後の連敗で立ち消えに。
- シーズン終盤に内田選手が衝撃の退団発表。9月末の退団記念試合で『水シャワー』の激励。
- 12月のシーズン最終戦に手打選手が入団テストとして出場。2安打4打点の活躍にくわえ、救援登板もこなし文句なしの合格。
- ボンバーズ以外に勝てず、通算101勝104敗10分でシーズン終了。ついに借金生活に。過払い金がきっとある。
- 2018年
- 2018年キャッチフレーズ
- 『過払い金を取り戻す!』
- 春季キャンプでシニア選手関本(71)が入団テストに合格。
- 12年ぶりの勝ち越し、4勝3敗1分でシーズン終了。
- 2019年
- 2019年キャッチフレーズ
- 『ボーっと野球してんじゃねーよ!』
- インスパイア戦でベテラン関本(72)がサヨナラ安打。関本はこの年の特別賞に選ばれる。
- 2020年
- 2020年キャッチフレーズ
- 『ぶんぶん行こう!』
- 出欠確認に『調査さん』の使用開始。
- 21年間親しんだライオンズブルーのユニフォームから、ネイビー基調の新ユニフォームにリニューアル。夏休み明けのシーズン初戦で初披露。
- 2021年
- 2021年キャッチフレーズ
- 『緊急事態宣言』
- 2022年
- 2022年キャッチフレーズ
- 『一球入魂、99球テキトー』
- リーグ最終戦、バブルスとの優勝決定戦に大差で敗れ、19年ぶりの単独優勝を逃す。
- 新型コロナのため中止していたチーム納会を3年ぶりに開催。
- 2023年
- 2023年キャッチフレーズ
- 『異次元の草野球』
- 手打奏が公式戦デビュー。シーズン途中から稲谷、湯浅が参加。
- 手打葵が4年連続5度目のMVP受賞。
- 2024年
- 2024年キャッチフレーズ
- 『絵に描いたモチベーション』
ギャラリー
このユニフォームでリーグ優勝1回。常勝ライオンズにあやかったが、2位~4位に甘んじるシーズンが多かった。1998年のデザイン変更では、福岡ダイエーやMLBのデザインも検討されたが、結局同じ流れを踏んで西武ライオンズのビジター用ユニフォームが採用された。
- 2008年6月吉日
- 初版
- 文=河野 雅之
- 2014年2月1日
- 改訂
- 文=河野 雅之
- 2018年12月8日
- 改訂
- 文=河野 雅之
- 2023年11月17日
- 改訂
- 文=河野 雅之