ブルートパーズ(1994年~)

PLB創立35周年記念=2023年7月8日淀川佐太西2

PLB創立35周年記念=2023年6月24日淀川大塚1

PLB創立35周年記念=2023年5月27日淀川佐太西2

PLB創立30周年記念=2018年6月16日寝屋川市民グラウンドA面

PLB創立30周年記念=2018年6月16日寝屋川市民グラウンドA面

苦節21年、初優勝!=2014年11月8日淀川大日2

PLB創立25周年記念=2013年9月14日寝屋川市民グラウンドB面

PLB創立25周年記念=2013年7月27日淀川三島江2

PLB創立25周年記念=2013年6月22日淀川三島江2

PLB創立20周年記念=2008年5月17日淀川佐太西2

1998年、ブルートパーズは新ユニホームで開幕!=1998年3月14日私部公園グラウンド

1995年最終戦で連合軍に勝利=1995年11月11日私部公園グラウンド

球団創立

1993年10月1日

チーム名の由来

 2008年時点残っている創立当初のメンバーでもはっきりと覚えてませんが、大筋は下記の通りだったと思います。

 大リーグのチーム名のように色と名詞でいこう⇒色は何⇒会社のイメージカラーと同じブルーにしよう⇒よし決まった⇒じゃあ、名詞は何にする?⇒あ~だの、こ~だの⇒宝石なんかどう?⇒いいねぇ⇒どの宝石⇒う~ん、トパーズは?⇒なんで?⇒スペル的に”Topaz”がかっこいいし、末尾が”ズ”で複数形と同じ発音でチームって感じがするから⇒おぉ!それでいこう!

歴代監督

  • 吉田 勝彦(1994年~1999年)
  • 竹本 信治(2000年~2008年)
  • 代表:相川 浩二(2009年~)
  • 監督:勝山 博志(2009年~)

優勝経験

2回(2014年度、2021年度)

球団の歩み

1990年~1993年
 1990年入社の同期メンバーで同じ年に行われた松風寮での野球大会に即席チームで参加したときのメンバーが母体のチームです。16人でのスタートでした。
 チーム結成は1993年10月なので、3年近い謎のブランクがあります。
 理由はよく覚えていないのですが、少年野球を多少なりともかじったことのあるメンバーが、面倒がる初心者の首を縦に振らせるのに要した時間だったように記憶しています。
 ここで最も尽力したのが秀毛(しゅうけ)です。彼の情熱に押されて、加盟したメンバーは初年度登録16名の半数近くを占めていたと思います。そして、彼の陣頭指揮の下でスタートするものと誰もが思っていました。
 しかし、いざ監督を決める段になると、なぜか彼はそれだけは、かたくなに拒み続けました。せっかく集まったのに・・・という雰囲気の沈黙の時間が流れましたが、面倒見のいい吉田の一言により、流れは一転。吉田初代監督の下、ブルートパーズが歩みはじめた瞬間でした。
1994年~1996年
 このように決して前向きとは言えない状態でのスタートなので、野球をやっているといえるプレーができるかどうかさえもわからないチームです。そんなチームを優しく迎え入れてくれる意思表示をもらえたのはPLBだけでした。
 そんな背景で、結成の翌春、1994年に加盟させてもらいました。
 加盟後は予想通り、初年度から低迷を続けました。また、強引に誘ったメンバーの参加率が悪く、メンバー集めに奔走しながらの自転車操業でした。それを打開するために、徐々にメンバーを増やし、一時は登録枠いっぱいの25名まで増えたものの、結婚適齢期を迎えて長期の休暇を宣言するメンバー、会社の事業編成枠の見直しによる相次ぐ転勤離脱者の増加で、実質参加者が9名を割るという非常事態は一向に改善の兆しがありませんでした。
1995年最終戦で連合軍に勝ち、かろうじて最下位を免れて苦笑いのBTナイン=1995年11月11日私部公園グラウンド
1997年~2000年
1997年キャッチフレーズ
『9人野球だ、BT!』
1998年キャッチフレーズ
『Blue Revolution!』
1999年キャッチフレーズ
『Blue Revolution、Again !』
2000年キャッチフレーズ
『Blue Revolution Come True!!』
 当然、成績も万年Bクラス。勝てないことに苛立ちを覚え、思わず仲間内でプレーを非難してしまったり、練習に2人しか集まらないということもありました。20世紀最後の数年はまさにBTにとって文字通り世紀末の様相を呈していた時期だったと思います。
1998年、ブルートパーズは新ユニホームで開幕!=1998年3月14日私部公園グラウンド
2001年~2007年
2001年キャッチフレーズ
『Blue Miracles Come True!?』
2002年キャッチフレーズ
『とにかく打つべし!!』
2003年キャッチフレーズ
『グ~ッジョ~ブ!言いたいな』
2004年キャッチフレーズ
『バットに当てよう!』
2005年キャッチフレーズ
『     』
2006年キャッチフレーズ
『ボケ・ツッコミ野球でPLBを盛り上げよう!”』
2007年キャッチフレーズ
『守備から打撃へ』
 しかし、2001年以降、相次ぐ野球経験者の獲得に成功。If&Fa連合軍にトレードをしていただいた相川(BTで投手に転向し大活躍!)、また、甲子園経験者(本人は四半世紀も前のことは忘れてくれと申しています)や甲子園を目指していた野球の好きなメンバーの高い出席率や、昔取った杵柄に支えられながら、なんとか15年続き、現在に至っています。
 2008年現在、創立当初からずっと登録を続けているのは、吉田と竹本のわずか2名。この数字が物語るほどメンバーが様変わりしながら、単独で生き残ってきたチームです。この根性をプレーにぶつけていきたいと思っています。
2008年
2008年キャッチフレーズ
『脱!3連敗』
5勝3敗と勝ち越したシーズンであったが、内1勝は相手チームの反則(メンバー登録の不備)によるもので実質勝ち越しはならなかった。
PLB創立20周年記念のチーム集合写真=2008年5月17日淀川佐太西野球場2
2009年
2009年キャッチフレーズ
『気合い』
代表に相川、監督に勝山の新体制がスタート。ユニホーム(上だけ)も新調したが、チーム成績は振るわず。
2010年
2010年キャッチフレーズ
『とにかく打つ』
最下位争いをしていたボンバーズと最終戦の決戦シリーズの直接対決で敗戦。勝ち点で並ぶも得失点差で最下位。
2011年
2011年キャッチフレーズ
『練習するぞ』
ダントツの2年連続で最下位。シーズン終盤に中尾が加入。
2012年
2012年キャッチフレーズ
『練習しようか by M』
辛くも最下位を脱出。北野、畠頭が加入。
2013年
2013年キャッチフレーズ
『祝20周年』
決戦シリーズの中止もあり4勝3敗の勝ち越しでAクラス入り。
PLB創立25周年記念のチーム集合写真 このシーズンはなかなか9人揃う試合がなかった
2014年
2014年キャッチフレーズ
『初心にかえる』
過去最高で3位が一度あるだけだったが、打撃好調で7勝1敗で初優勝を飾る。
加藤、山中、鶴谷が加入。
苦節21年、初優勝!=2014年11月8日淀川大日2
2015年
2015年キャッチフレーズ
『謙虚に』
勝ち点1差で2位。
2016年
2016年キャッチフレーズ
『奪還』
2勝4敗2分で6位。
土屋が加入。
2017年
2017年キャッチフレーズ
『WBC(Wild Bluetopaz Change)』
5勝3敗で3位。
優勝した年にも勝てなかったインスパイアから初勝利をあげる。
メドレーズ戦で北野が完封勝利。
神藤、河野が加入。
2018年
2018年キャッチフレーズ
『攻める』
勝ち点1差で2位。
メドレーズ戦で猛暑の中、8人で勝利。
PLB創立30周年記念=2018年6月16日寝屋川市民グラウンドA面
2019年
2019年キャッチフレーズ
『無』
三宅が加入。
畠頭が年間2本のランニングホームラン。
2020年
2020年キャッチフレーズ
『上昇』
安達と河内が加入。
畠頭がシーズン初打席ランニングホームラン。
白濱が2年ぶり出場。
西田が無四球完投勝利。
2021年
2021年キャッチフレーズ
『もっと上昇』
北野が、年間2本の柵越えホームラン。
BTを含む3チームが同点優勝だったが、2戦目に優勝を分け合ったReに、最終回逆転2ランを喫し惜敗。
最終戦、引き分け以上で単独優勝だったが、完敗。
北野がPLB打撃王を獲得。
BG,Re,BTが3チーム同点優勝=2021年11月27日淀川大日1
2022年
2022年キャッチフレーズ
『優勝なんか目指しません』
西田が初の完封勝利。
河内が初の完封勝利。
2023年
2023年キャッチフレーズ
『BT祝30周年、昔は知らんけど』
第2戦でBT投手陣が与四球24個を記録。
白濱が3年ぶりに復帰。
第6戦で白濱がサヨナラタイムリーヒット。
PLB創立35周年記念=2023年7月8日淀川佐太西2
2008年吉日
初版
文=竹本 信治
2014年2月11日
改訂
文=相川 浩二
2018年12月30日
改訂
文=相川 浩二
2024年2月27日
改訂
文=相川 浩二