バブルス(1996年~)
全勝優勝を逃すも3連覇達成!=2024年10月26日淀川大日1
決戦シリーズ対BG戦に勝利して優勝決定=2024年10月5日淀川大塚2
ユニフォームを揃えて初戦に勝利=2024年3月30日淀川佐太西1
決戦シリーズ対BG戦で引き分けて単独優勝!=2023年10月21日淀川佐太西2
決戦シリーズ対Re戦で引き分けて1位確保!=2023年9月30日寝屋川市民グラウンドA面
PLB創立35周年記念=2023年8月26日淀川佐太西2
PLB創立35周年記念=2023年5月13日淀川佐太西1
優勝決定戦でBGを破り優勝!=2022年10月8日淀川佐太西2
PLB創立30周年記念=2018年9月15日寝屋川市民グラウンドB面
PLB創立30周年記念=2018年9月15日寝屋川市民グラウンドB面
PLB公式戦通算100勝達成したバブルス 左から片岡、林、太田、高良、秦、磯野、梅本、高室、崎浜の9人=2016年11月12日淀川大日2
おこぼれで2013年度優勝=2013年12月7日寝屋川市民B面
年越しBu-BTに勝利してレックレスと2012年度ダブル優勝=2013年2月23日淀川佐太西2
2008年度優勝=2008年11月22日私部公園グラウンド
PLB創立20周年記念=2008年4月12日私部公園グラウンド
ダブル優勝後バブルス単独で撮影=1997年11月6日寝屋川公園第2野球場
プレーオフで引き分けてボンバーズとW優勝=1997年11月6日寝屋川公園第2野球場
プレーオフ戦前の整列=1997年11月6日寝屋川公園第2野球場
球団創立
1996年1月1日
チーム名の由来
91年、92年のバブル時代入社のメンバーで結成したため。「木原、企画やろ!チーム名決めろ」と言われて勝手に決めた。
歴代監督
- 三宅 伸昭(1996年~?)
- 三吉 勉 (?~)
優勝経験
9回(1997年度、2000年度、2001年度、2008年度、2012年度、2013年度、2022年度、2023年度、2024年度)
これまで連覇は2000~2001年度、2012~2013年度と2回あったが、2022~2024年度はついに3連覇となる。
球団の歩み
- 1991年
- 主要メンバーが入社。
- 北門真野球大会に新入社員チーム2チームで出場。『松桂寮チーム』に三宅・佐藤・広瀬・弓場・上松・津田・窪田・佐方が、『八木雅代とAVパイレーツ』に今田・福田・三吉・木原・木原妻が所属。この2チームがバブルスの前身。ちなみに東本氏(BT)、相川氏(連⇒BT)もOB。
- 1995年
- 年に2度目の練習試合。年に2度も練習試合をしたことによりユニホーム作成、正式チーム結成に向けて盛り上がる。
- 木原が昼休みに隣でキャッチボールをしている細田審判部長にPリーグ加盟を打診。最初は連合軍入部希望と思われる。ひと月前に誘われたならバブルスの成立はなく、木原は連合軍の一員となっていたことだろう。
- Pリーグ加盟が認められボンバーズと練習試合を行い完敗。それ以来、広瀬の登板は2度とない。
- 1996年
- 開幕数日前、三宅が自転車で転び開幕出場が絶望となる。開幕前夜、木屋家が執念で雨を降らせ開幕戦は中止となる。
- SC戦でPリーグ公式戦デビュー。サヨナラ負けを喫する。
- Bo戦で正式チーム発足後の初勝利を挙げる。
- 木原妻をライトに据え連合軍に勝利。(連)横山投手が木原妻の背中を通る豪速球を投球。
- シーズン途中で三吉、永田が加入。
- 順位決定戦で連勝し5勝3敗の2位で初シーズンを終了。
- 1997年
- 1997年キャッチフレーズ
- 『引き続きバブリーな攻めをする』
- 交野市野球連盟に参戦。弓場(妻)マネージャーの加入によりデータ野球開始。黒澤、山本、中川のAV研3人が加入。
- 突然、主戦佐藤、窪田が転勤になる。
- De戦で中川が本塁打を放ち、そのままトイレへ。それ以来、『ゲロリアン』の異名をとる。
- Pリーグ初の全勝優勝目前でBoに惜敗。
- プレーオフで何とか引き分けBoと同率で優勝。
- 試合数の増加も好影響をもたらしチームのまとまりが芽生える。


- 1998年
- 1998年キャッチフレーズ
- 『TOTAL ENTERTAINMENT BASEBALL』
- 大型新人の期待が大きい、最年少柏谷が加入。しかし初年度は強烈な雨男ぶりを発揮したにとどまる。
- 開幕シリーズで2連勝、2試合絵で三宅が負傷。
- またもBTに不覚をとる。投手陣不在で村上が先発。村上はその後2週間筋肉痛に悩まされる。
- 広瀬の勧誘で藤森が加入し投手の柱となる。これにより、わがままな今田を無理して使う必要がほぼなくなる。
- 交野市野球連盟春季大会C級の部で初優勝を飾る。
- 連合軍に敗れて優勝がほぼ絶望となる。(木原のせい?)
- 首位Boに2勝するも3位でシーズン終了。
- 98年はなんと25試合もこなし、18勝7敗勝率0.720の好成績を残すが、Pリーグでの勝率は0.625にとどまり連覇を逃す。
- 1999年~2002年
- 1999年キャッチフレーズ
- 『産めよ!増やせよ!-次世代バブルスを担う若手を量産-』
- 2000年キャッチフレーズ
- 『雑草魂?ゲロるまで野球に打ち込もう』(???) 中川、廣瀬に学ぶ酸っぱらい野球(ACID BASEBALLの再構築)
- 2001年キャッチフレーズ
- 『C2B(Challenge to Baseball)...若手へのエンパワーメント』
- 2002年キャッチフレーズ
- 『東京進出から世界進出へ!』
- 2000年、初の単独優勝。2001年、連覇。
- 2003年
- 2003年キャッチフレーズ
- 『V奪還!』
- この年のMVP藤森、打撃王木原のダブル受賞を最後に、賞を獲得したのは2011年桑名の「特別賞」のみ
- 2004年
- 2004年キャッチフレーズ
- 『30代の逆襲!』
- 藤本・谷本がシーズン途中に加入
- 藤森依存は相変わらず。
- 2005年
- 2005年キャッチフレーズ
- 『復活!』
- 太田が加入。出席率で貢献。
- メンバーの異動が増え、助っ人に頼る試合が多くなり、厳しい状態に。
- 2006年
- 2006年キャッチフレーズ
- 『Play』
- 藤森が去り、エース石田に完全依存。
- デバッガーズが大会辞退し、強力なメンバーを補強。(高良・秦・島岡・岡本)
- 荒新・木村の若手を補強。大幅にメンバーが入れ替わる。
- しかし初年度でもあり入り交じりが不十分で結果は出ず。
- 2007年
- 2007年キャッチフレーズ
- 『参加!』
- 相変わらず石田一本足。欠席試合は軒並み苦戦。
- さすがに新メンバーの加入はなし
- 2008年
- 2008年キャッチフレーズ
- 『参加することに意義がある!!』
- 2年前の補強の成果が出て、久々の優勝。しかし個人賞は獲れず。

- 2009年
- 2009年キャッチフレーズ
- 『エンターテイメントベースボール』
- 石田が転勤。腰痛持ちの島岡が頑張るもこれが最下位となった全ての原因
- パワーヒッター平川、長打が打てる金沢が加入するも勝てず。
- 4月18日には14名全員打線。試合は大敗。
- 2010年
- 2010年キャッチフレーズ
- 『とにかく最下位脱出!!』
- 4番ピッチャー浅野が加入。
- シーズン後半から奥地が助っ人で加入。
- 最下位は脱出するが、
- 2011年
- 2011年キャッチフレーズ
- 『出席率UP!!』
- 2006年以来の大幅入れ替え。桑名・北井・奥地が加入し、奥地の関連で川村、鈴木、中谷などが助っ人参戦。
- 桑名-秦の黄金バッテリーが完成。二人は同じ高校出身だが、実は浅野は彼らの野球部監督の息子、三吉は野球部とは無関係だが同じ高校の先輩であることが後に発覚。
- 7月の倉治のSR戦で金沢が2本塁打&太田も本塁打。しかし相手には4本打たれる。
- 最終回2死満塁からのまさかの桑名のスクイズバント。これで桑名が特別賞を受賞。
- 2012年
- 2012年キャッチフレーズ
- 『助っ人ゼロへ!!』
- オールラウンドプレイヤーの登が加入。
- 2敗1分ながらも同点優勝。実感は・・・
- 2013年
- 2013年キャッチフレーズ
- 『今年は単独優勝!・・・・えっ?!』
- シーズン当初から高良の出席率UPにより快進撃。
- Bo戦は12名対助っ人込み8名という状態で開始し、慢心があったのか、まさかの敗戦。優勝争いから一歩後退。最後はおこぼれで優勝、しかも2連覇!となるが、これまた実感は微妙・・・2014年こそ「勝って優勝」としたい。
- 2014年
- 2014年キャッチフレーズ
- 『目指せ3連覇!の前に野球を楽しむ!』
- 順調に勝星を伸ばしていたが、シーズン終盤にBTに連敗し、BTに初優勝を許してしまう
- 2015年
- 2015年キャッチフレーズ
- 『優勝して運営費用を稼ぐんだ!』
- 人数が集まらず、ほぼ全ての試合で助っ人に頼る。最終戦は結局5名にも満たず、没収試合に。
- 2016年
- 2016年キャッチフレーズ
- 『若返りで助っ人ゼロへ!!』
- 「太田軍団」加入で人数の悩みは解消するも、引き分け2つで優勝を逸す
- 梅本がPLB女性初(と思われる)の長打を放つ
- 2017年
- 2017年キャッチフレーズ
- 『今年も続けよう!助っ人ゼロ』
- 人の入れ替わりが激しく、25人登録メンバーをほぼ使いきる
- 2018年
- 2018年キャッチフレーズ
- 『なんとか9人揃えよう!!』
- BT戦で延長&磯野のサヨナラ安打も最終成績は中位に定着
- 磯野が念願の打撃王獲得
- SRとの最終戦は3名しか集まらず没収試合
- 2019年
- 2019年キャッチフレーズ
- 『今年もなんとか9人揃えよう!!』
- 6月に5年ぶりに岡本が復帰。しかも息子の元気を連れての復帰で、人数確保に苦戦していたチームには朗報となった。しかし助っ人頼みの人数集めは続く・・・・
- 2020年
- 2020年キャッチフレーズ
- 『心機一転、怪我なく楽しく』
- 8月にまだ学生だった小西淳と高須が加入。これを皮切りに若手人材の強化が進み、人数確保の悩みも低下。小西は翌年P社に入社予定で、かつ某監督の息子と中高の同級生(しかも中学サッカー部が同じ)であり、まさに「包囲」されていた。
- 2021年
- 2021年キャッチフレーズ
- 『世代交代しながらおやじも頑張ろう!』
- 6月に海本が加入。初回は助っ人扱いでの出場だったが、いきなり本塁打デビューでその片鱗を見せる。同じく若手の江川もBG戦で2本塁打。若手の強化が順調に進み、まさに「世代交代」が進み始めた。
- 2022年
- 2022年キャッチフレーズ
- 『世代交代を止めない』
- 小西ルートの若手に加え、岡本家次男の飛雄馬が兄元気と鉄壁の二遊間を構成し、開幕戦で3併殺を記録するなど貴重な戦力に。世代交代が結実し、辛かった時代を乗り越え、ついに9年ぶりの優勝となった。
- 2023年
- 2023年キャッチフレーズ
- 『世代交代の安定化』
- 海本がMe戦でサイクルヒットを達成!小西も二塁打・三塁打・本塁打は打ったものの、単打がファインプレーに阻まれて残念・・・。しかし若手の参加が安定化し、連覇を達成!さらに新ユニフォームを作るという話も・・・
- 2024年
- 2024年キャッチフレーズ
- 『新ユニフォームで楽しもう!』
ギャラリー
- 2008年12月
- 初版
- PLB創立10周年記念誌より転載
- 2014年2月24日
- 改訂
- 文=三吉 勉
- 2019年1月20日
- 改訂
- 文=三吉 勉
- 2024年11月7日
- 改訂
- 文=三吉 勉