デバッガーズ(1992年~2005年)

1998年7月4日私部公園グラウンドにて

球団創立

1989年4月1日

チーム名の由来

桂選手の発案。根拠は不明。

歴代監督

  • 岡村  昇(1989年~1990年)
  • 大高 秀樹(1991年~2006年)

チーム役員(1998年頃)
仕切屋=上原宏敏、会計=竹内誠一、ジャンケン大将=宮崎光治、相談役=小塚雅之、海本博之

優勝経験

3回(1992年度、1993年度、1994年度)

球団の歩み

1989年10月29日チーム結成当時のメンバー
1989年
59年入社を中心に球団創設。
早朝から淀川河川敷で練習するも、無断使用が見回りのおっさんに見つかり怒られる。
チーム結成初戦、生技本との試合を延長8回13-12で勝利。宮崎がホームランを含む猛打賞で派手なデビューを飾る。
伊藤忠テクノサイエンス(CTC)を相手に練習試合を重ねる。野本・上原の強力3・4番、松本-大高の必勝リレーで連勝。
中研野球部に果敢に挑戦し1-9の大敗。
1990年
メナード青山にて春合宿。ただし、雨天のため宴会と雀卓を囲んだのみ。
岡村監督の引退試合。強豪半導体研究センター野球部相手に検討するも力尽きる。引退試合飾れず。
岡村監督、退職し故郷福岡に帰る。
1991年
川西市にてCTCと対戦。大高CTC構内で車が事故り、試合に間に合わず。
1992年
BG橋本選手の紹介によりPリーグ加盟。
Pリーグ加盟初戦IF戦を2-1の接戦で勝利。
Fa戦、野本(6)-山田(4)-宮崎(3)で初の併殺達成。
山田-松本のリレーでIFを完封。5勝1敗の成績でPリーグ初優勝を飾る。
焼肉「城北」にて優勝祝勝会。
1993年
大高、実家の裏山で犬の散歩中、転んで腰を痛めシーズン前半を棒に振る。
BG戦、ユニホームが試合に間に合わず松本ジーパンでマウンドに上がる。
順位決定戦でBGに4-3で勝ち首位並ぶ。ジャンケン決戦を切り札宮崎の活躍で逆転勝ち。2度目の優勝を果たす。
1993年度優勝!V2!!=1993年11月6日寝屋川公園第1球場
1994年
大物ルーキー小林加入。鋭いカーブとシュアなバッティングに超Pリーグ級と度肝を抜かれる。上原長年守り続けた4番の座をついに明け渡す。
Bo戦、後藤のセーフティバントに対して、Boのお姉ちゃんから「根性なし」と野次られる。
BGとの決戦に勝利し、6勝1敗でV3を飾る。
1995年
SC戦、人数が揃わず初の不戦敗。
3勝4敗の4位でシーズン終了。
1996年
雨中のBT戦、小林大遅刻でひんしゅくを買う。
SC戦、延長10回の大激戦に勝利。
後半戦3連勝で締めくくった、5勝3敗の3位でシーズン終了。
1997年
1997年キャッチフレーズ
『Dream Kids!』
開幕BT戦勝利もつかの間、そのご泥沼の連敗街道に突入。
連敗脱出を図るべくユニホームをドジャースタイプに一新。ロングパンツにするかどうかで一悶着。
喜田BG戦に初先発。横手からの切れ味鋭い球でBG打線を抑えるも、打線の援護なし。
1勝7敗でシーズン終了。初の最下位に甘んじる。
1998年
1998年キャッチフレーズ
『  』
若手連合軍戦に逆転で勝利し連敗脱出。試合後にFESTにて祝勝会。苦節1年4ヶ月の溜飲を下げる。
ダブルヘッダーでBT,SCを撃破し、破竹の4連勝を飾る。小林の肩の疲労により大高2試合に登板し、12イニングスを投げきる。BT戦入江対面ベンチに飛び込む豪快な一発を放つも、規定により二塁打止まり。
4連勝の勢いでBoに挑戦。矢葺投手の前に完敗し、優勝の灯が消える。
結局4勝4敗の同率4位でシーズン終了。
1999年~2005年
1999年スローガン
『高収益チームへの発展』
2000年スローガン
『高収益チームへの発展』
2001年キャッチフレーズ
『新人類パワー炸裂』
2002年キャッチフレーズ
『世代交代完了、あとはV奪回のみ!』
2003年キャッチフレーズ
『まず連敗脱出!』
2004年キャッチフレーズ
『スタートダッシュ』
2005年キャッチフレーズ
『9人揃って互角の勝負!』
2006年
年始にPLB登録の辞退を発表。
開幕直前に主力選手4名がバブルスへ移籍。

このページは『ピーナッツ・リーグ創立10周年記念誌』より転載しました。 掲載内容は1998年時点のものに、その後の経緯を当館で加筆しました。