ファルコンズ(1989年~1994年)

まっさらのユニホームを着て初練習!この創生期メンバーもいまは何処へ?!=撮影日不詳・松下電器産業南門真グラウンド

球団創立

1988年9月吉日 その後、1994年12月Ifと合併

チーム名の由来

"Falcons"は当時ひらかたパークに設置されたジェットコースター”レッドファルコン”から命名。その前身”ブロイラーズ”は松桂寮の食事が鶏肉ばかりだった事から。

歴代監督

  • 猪又 拓道(1988年~1991年)
  • 細田 昌宏(1992年~1994年)

優勝経験

なし
最高成績3位(1989年度、1991年度、1992年度、1993年度)

球団の歩み

1988年
9月吉日、松桂寮内のテニスコートでキャッチボールもしたメンバーでチーム結成。
結成当時のチーム名は『松桂ブロイラーズ』。選手は1987年入社の初々しい12名。この年の試合経験は無し。
1989年
チーム名を『Falcons』に変更。
グレー・赤のユニホーム(広島CARPのビジター)を作成。子どもの頃からの夢であった野球のユニホームを着ることを実現。
ピーナッツ・リーグ発足、加盟。初年度は3勝3敗で3位。
1990年
前年の結果も含めてシーズン当初は優勝候補。天候不順で試合が消化しきれず、優勝を逃がす。
1991年
優勝チームIFに善戦するも2勝4敗で3位。
シーズン中、猪又監督『選手がアホやから野球ができん!』の暴言をはく。シーズン終了直後、チーム解散騒動が勃発。
猪又監督解任。新監督に細田氏就任でチームの存続決定する。
1992年
細田新体制のもと、春季キャンプ実施するも出席者は毎回3~4人程度。
それでも練習成果が出て勝率5割で終了。思えばここから長い低迷が始まる・・・。
1993年
シーズン後半に連勝して台風の目となりリーグ大混戦を演出。
3勝4敗でシーズン終了。
1994年
Pリーグ参加チームは増えたが、Faの参加人数は減少。古参ながら苦しいシーズンを送る。
シーズン終了後、チーム存続の危機が訪れる。
1995年
新春、Pリーグ史上に残るIFとのチーム合併発表。

このページは『ピーナッツ・リーグ創立10周年記念誌』より転載しました。 掲載内容は1998年時点のものです。