If&Fa連合軍(1995年~2000年)
球団創立
1995年新春 (ファルコンズとインターフェアーズが合併)
チーム名の由来
合併によるチーム名が決まらず安易な命名に。
歴代監督
- 猪又 拓道(1995年~2000年)
優勝経験
0回。
最高成績1位(1998年度) 1998年度にボンバーズと同率首位。しかし、プレーオフに敗れ優勝を逃す。
球団の歩み
- 1995年
- 新春、Pリーグ史上に残るIFとの合併発表。
- 合併によるチーム名は決まらず、結局『IF&FA連合軍』という安易な命名。
- 猪又が監督復帰、細田ヘッドコーチの新体制で再出発するも投手陣揃わず最下位。
- 1996年
- ファンの熱い期待を裏切り、連合軍は無念の2年連続最下位。
- この年よりチーム内で年俸制度導入。最高年俸は細田選手の3000万。
- シーズン終了後Boより相原選手が電撃移籍(というよりIFへ出戻り?)
- 1997年
- 1997年キャッチフレーズ
- 『がんばろう神戸』
- 長年着用したユニホームもボロボロとなり、心機一転新ユニホーム(紅白)作成。
- チームも連合軍となって3年目、ようやくまとまりレギュラーメンバー確立。
- 打線は細田、平野、尾下のクリーンアップ確立するも大事なところで打てず。
- しかし守りで相原投手をエースに押し上げてついに最下位脱出!初の5位!
- 1998年
- 1998年キャッチフレーズ
- 『ちゃんとやろうで!』
- シーズン初戦の連敗記録をストップ(結果は引き分け)するや否や快進撃開始。
- 順位決定戦で昨年度優勝のBuを撃破。
- シーズン最終戦にも勝利し、5勝2敗1分の好成績でついに首位に並ぶ。
- 1999年
- 1999年キャッチフレーズ
- 『投手育成』
- 2月の前年度優勝決定戦でBoに敗れ、悲願の『初優勝』が目前で消える。
- 2000年
- 2000年
- 『目指せ!V1』
- 2001年
- ・・・・スクラッチと合併
回顧録/戦力分析
■野球への思い入れはトップクラス。野球に対するひたむきさと愛情がある。弱点はうちのチームの3年ほど先を行っているチームの重量化である。今年も猪又さんの投球姿が見れるかな・・・。(Bu幹部)
■共にブービーを争そう中と思っていたら、98年は優勝争い。BTとしてはさみしい限り。強くなったわけを教えて!(BT・11号)
■最近、投手力も打力もUPしてきたのでは?リーグ1の成長株チームか?!(BT・7号)
ギャラリー



このページは『ピーナッツ・リーグ創立10周年記念誌』より転載しました。 掲載内容は1998年時点のものに、その後の経緯を当館で加筆しました。