スクラッチ(1995年~2000年)

1998年3月14日私部公園グラウンドにて

球団創立

1995年4月1日

チーム名の由来

『寄せ集め』と言う意味で『スクラッチ』 スクラップの集団ではない

歴代監督

  • 北川 正樹(1995年~2000年)

優勝経験

0回。
最高成績は2位(1995年)

球団の歩み

1994年
スクラッチの前身である「実装設計野球小僧集団」vsファルコンズ練習試合(守口市民球場)
試合には負けたが「楽しく野球ができた。Pリーグでもやっていける。優勝も狙える。」と勘違い。
1995年
Pリーグ参加。ユニホームは多数決でORIXビジター風モデル。
4月22日、戦力補強をして初戦Bo戦。結果4-7で敗れ黒星スタート。
5月27日、BG戦では同点の最終回にエース大迫選手が初登板。決勝タイムリーを打たれ負け投手に。
夏まで2勝2敗の成績に、気分転換の意味でバーベキュー大会を開催。梶原選手がやけどで莫大な保険金を手にする。
結局、2位で全日程終了。初年度としては合格!
『保険金疑惑』のバーベキュー大会 梶原選手は顔を出せない?
95年度は初参加で快進撃!決戦で惜しくもBoに敗れて優勝を逃したが、スクラッチの強さを周囲にアピールした=1995年11月11日寝屋川公園第二球場
1996年
前年度2位と言うことで優勝めざして臨んだシーズン。
北川選手、2打席連続ホームランの離れ業!
この頃から参加率がDown。しかし宴会参加率はUp!
結果、4位で全日程終了。
1997年
1997年キャッチフレーズ
『Be up to "SCRATCH"』
白浜選手が登録名を『ボビー』に変更。
6月寝屋川公園第1球場で大迫選手がプロ顔負けの90m弾丸ライナーホームラン。
宮崎選手、初見参も「打てず、守れず、走れず」。宮崎談「子供の頃は野球少年。勘が戻ればやれる」 いまだ戻らず...
3位で全日程終了。
1998年
1998年キャッチフレーズ
『Be up to "SCRATCH"』
本年度より宴会選手制を導入。宴会専門の選手が増加。
試合の参加率が悪く、助っ人なしでは試合ができない状態が続く。
雨の影響で日程が変更。真夏の白昼、場所移動でダブルヘッダーという強行日程。
泉選手もフル出場の最終戦、対連合軍に22対1の歴史的大敗。先発大塚投手・中継ぎ浅見投手がメッタ打ちに合う。
過去最悪の6位で日程終了。
1999年~2000年
1999年キャッチフレーズ
『"ゼロ"からのスタート』
2000年キャッチフレーズ
『みんな集まろうぜ!!』
2001年
連合軍と合併。

このページは『ピーナッツ・リーグ創立10周年記念誌』より転載しました。 掲載内容は1998年時点のものに、その後の経緯を当館で加筆しました。