思いつくままに (2024/10月)
お彼岸に入ってもなかなか芽を出さなくて、今年はどうしたんだろうと心配していた土手の曼珠沙華が、
中日を過ぎた23日になって、ぽつんと1株2株出てきたなと思ったら、
あっという間にあちこちを真っ赤にし始めています。
やっぱり彼岸花なんですね。
ヒガンバナやオヒシバ、メヒシバ、エノコログサなどは、毎年土手ののり面を賑わせてくれていますが、
最近見なくなったなぁという草花も結構あります。
その一つがチカラシバ(力芝)です。
まだ土手の天端が舗装されていなかった頃(昭和30年代)には、通路一杯に生えていたので、
悪ガキ共は、“バッチャン”を作って楽しんでいました。
バッチャン(バッタンとも)とは2株のチカラシバを結んで作った輪っかに
足を引っかけてつんのめらせる仕掛けで、
結んであるのがわからない位びっしりと生えていたからできた遊びでした。
そんなに沢山生えていたチカラシバですが、数年前に一塊見たのを最後に、
私の歩いている範囲では、すっかり見られなくなってしまいました。
どこかの道端では、今も元気に群生しているのでしょうかねぇ。
2024/09/30
思いつくままに (2024/9月)
9月に入っても、暑いですね。
さすがに、一時期のような37・8℃の猛暑日ということはなくなりましたが、
蒸し暑さは続いていて、朝の散歩を終えると、Tシャツは、汗でびっしょりになっています。
まぁ、『暑さ寒さも彼岸まで』といいますから、もう暫くは仕方ないのかも知れませんが。
ただ、最近の異常気象で、これからは秋は無くなって、夏からいきなり冬になるかも、等と言われることがあります。
それは一寸大袈裟な、とは思いますが、確かに、ここ何年かは、9月末になっても、(7月・8月のような暑さではないにしても)
まだ熱中症注意情報が出て、クーラーのお世話になっていることが結構ありました。
それでも、雲の種類の変化とか、夕方聞こえてくる虫の声とか、秋の風情を見つけ出すことはできるでしょう。
季節の変化を感じる感覚は大切にしなければと思っていますが、
これからは、ただボーッとしていたのでは気付きにくくなってくるのかも知れません。
折角、まだまだ自然が一杯ある環境の中に住まわせて貰っているのですから、
周りの変化を捜し出す努力(?)をしていく事を心掛けましょう。
取り敢えず、ご近所の竹林を眺めて、「おぉ竹の春だなぁ」と洒落てみましょうか。
2024/08/31
思いつくままに (2024/8月)
絵日記つけてた 夏休み
花火を買ってた 夏休み
指おり待ってた 夏休み
すいかを食べてた 夏休み
水まきしたっけ 夏休み
ひまわり 夕立 せみの声
吉田拓郎『夏休み』の一節です。
猛暑日続きで、命の危険に注意などと呼びかけられている今日この頃から見ると、
何かとてもゆったりとしていた夏休みだったなと思えてくるのは、私だけでしょうか?
朝早く鬼怒川の土手を散歩していると、賑やかな蝉時雨が迎えてくれますし、
スイカも今年は良くできたようで、美味しく頂いています。
指を折りながら待っていたあの頃の夏休みを思い出しながら、
危険と言われるこの1ヶ月を乗り切っていきたいなと思うこの頃です。
2024/07/31
思いつくままに (2024/7月)
7月です。1年12ヶ月の後半の始まりです。
7月と言えば七夕、七夕伝説では、天帝の娘の織女と牛飼の牽牛夫婦が、仕事をおろそかにしたのに腹を立てた天帝が、
二人を天の川の向こうとこちらに別れさせ、年に一度だけ逢うことを許したというものですね。
この織女星がこと座のベガ、牽牛星がわし座のアルタイル、そして、二人を合わせるために
カササギが作った橋の所にいるのが、白鳥座のデネブ。
で、この三つの星を結んだのが、夏の大三角ということになります。
ただ、二人が会えるという7月7日は、今の暦では、大体梅雨の真っ最中で、余り空を見上げることができません。
星を見上げて、二人の出会いに思いを馳せるのには、旧暦の8月初め方がいいんでしょうね。
でも、七夕の前に良く雨が降るのは、一年ぶりに会う妻を乗せるために、
牽牛が牛の背中を丁寧に洗っているからだという伝説もあるそうですから、
こちらの話に合うという意味では、今月7日も捨てたものではないのかも・・・。
そんなことを思いながら、7日の夜には、久し振りに夜空を見上げてみましょうか。
2024/06/30
思いつくままに (2024/6月)
ウツギ(卯の花)の花が散り始め、旧暦の卯月から皐月へと変わっていこうとしています。
といっても、サツキももうピークは過ぎているような気がしますが・・・。
♪卯の花の匂う垣根に♪ という唱歌がありますが、この辺りでは、ウツギは生け垣と言うより、
境界を示す基準木として、畑の中にぽつんと立っていることが多いようです。
高さはそんなに高くはないけれど、割と四方八方に枝を伸ばしているので、
垣根に仕立てるのは大変なんじゃないのかなぁと思うんですが、どうなんでしょう。
実物をご存じの方、教えて下さい。
ホトトギスの鳴き声は余り聞かれませんが、卯の花がピークを過ぎてきて、“夏は来ぬ”となりますね。
でも、その前に、梅雨が待っています。
最近の梅雨は、昔のようなシトシト型ではなく、短時間にバァーッと降るタイプが多くなっていますが、
今年はどうなるんでしょうね。
2024/05/31
思いつくままに (2024/5月)
“あらたふと 青葉若葉の 日の光” 松尾芭蕉
5月、新緑の季節となりました。
青葉若葉の季節ですね。
日の光を一杯に浴びてキラキラと輝く青葉若葉は、まさに初夏の風情、五月晴れの象徴みたいなものでしょう。
ところでこの五月晴れ、さつきばれと読むと皐月晴れで、
皐月、今の6月の梅雨の時期の晴れ間を指すのだと言われます。
でも最近は、5月の爽やかな青空と、五月晴れという言葉がしっくりくるので、
この気持ちよい晴れ間を五月晴れと呼ぼうという人たちも出てきているそうです。
ただ、この5月の晴れ間は、日照時間が長く、紫外線も意外と強いので、日焼けに注意とはよく言われます。
しかも最近は、温暖化の影響か、5月で既に35℃以上の猛暑日になることが良くあるので、
爽やかな五月晴れなどと言っていられるのは、5月も最初のうちくらいかも知れませんね。
でも木々の緑に囲まれて、爽やかな5月の風に吹かれながら、
好きな本を拡げられたら・・・シアワセだなぁ
2024/04/30
思いつくままに (2024/4月)
春本番の4月を迎えます。
先月は、春先らしく、荒れた不順なお天気が続きました。
おかげで、お彼岸前に開花するかと言われていた桜も、気温の変化を読み取ったかのように、
ぴたっと蕾の先端を閉じてしまったみたいですね。
それでもさすがに、4月の声が聞こえてくると、ポツリポツリと開花情報が聞こえ始めました。
今年は久しぶりに、満開の桜の下での入学式・入社式という春の風物詩が見られそうですね。
桜の開花は止まってしまいましたが、足下の草花を見ると先月書いたホトケノザを始めとして、
オオイヌノフグリやナズナなど、それに勿論ヒメオドリコソウも
しっかりと自分たちの生息領域を確保して咲いています。
不順な気象条件下でも、ぐずぐず言わずにちゃんと生きている(?)これらの、
いと小さきものたちに見習うことってあるんだなぁと、
まだまだ真っ白な富士山を眺めながら鬼怒川の土手を散歩しています。
2024/03/31
思いつくままに (2024/3月)
弥や生うる月(弥生)となりました。
いやぁ、本当に良く生えているなぁと感心しているのが、店の前の畑を、
ピンク色にびっしりと染めているホトケノザです。
今までにも、冬の寒さが少し緩み始めるとすぐに、ピンクの塊をあっちこっちと咲かせていました。
無彩色の庭や土手などでは、カラフルな世界への可愛らしい先駆けという感じで、
一寸微笑ましく眺めていたのですが、今年は、1月半ばから暖かい日が何日か続いたせいか、
例年になくワッと咲き出して、100坪近くある畑のほぼ全面がホトケノザで覆われています。
流石にこれだけになると、可愛らしいと言うより、なんなんだこれは!!という感じです。
これもまた、異常気象の表れの一つ(?)だというと少し言いすぎかも知れませんが、
自然界は、私たちの予想や思いとはかけ離れた流れの中にあるのかなという気がします。
閑話休題
最近(ここ何年か)ホトケノザよりヒメオドリコソウの方が優勢になってきていたので、
ホトケノザの繁殖は、それはそれで、一寸うれしいですね。
2024/02/29
思いつくままに (2024/2月)
2月になりました。
2月といえば、節分と立春。
寒さの中にも、春を待つ気持ちが膨らんでくる季節ですね。
この“春を待つ”という気持ちには、他の季節を待つ気持ちとはちょっと違って、
閉ざされたところから出て、明るく暖かい場所に行く様な、
寒さで縮込んでいた身体をグーッと伸ばして青い空を見上げる様な感覚を感じます。
そして、溶ける、萌える、芽吹く、などの春を表す言葉にも、
寒く、何となく暗いイメージの冬を乗り越えた、前向きな気分を感じます。
春・夏・秋・冬それぞれに趣を持った日本の四季ですが、
待つという言葉が一番ぴったりくるのが、春ではないでしょうか。
気温的には一番寒いと言われる2月ですが、寒い日が続くからこそ、
その中に、来たるべき暖かさを予感して春を待つ、
身の回りの小さな植物や気象現象などに気を付けて待つ、
そんな日々を送れたらいいなぁと思っています。
2024/01/31
思いつくままに (2024/1月)
去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
除夜の鐘の音と共に、2024年が始まりました。
お正月になると、ふっと思い出されるのがこの句です。
去年と今年とを、棒のように貫いている、連続して(させて)いるもの。
私にとっては、それは何なんだろう。
それは単に、去年思っていても果たせなかったことを、今年はやり遂げるぞ、等というような単発的なことではなくて、
もっと永続的な、自分の信念・生き様みたいなものなんじゃないか。
“貫く”“棒”という言い方は、そんな有り様を示しているのかもしれないと、最近思うようになりました。
そうだとすると、私にとって、去年から今年へと貫いている棒とは、一体何だろう。ずっと続いているものは。
一杯の珈琲を大切に、心を込めて提供し、ほっと一息ついて頂くこと。
そこにこだわってまた一年、珈琲に向き合っていきたい。
この一年も、よろしくお願いいたします。
2024/01/01
思いつくままに (2023/12月)
12月です。
12月、和風月名は師走、別名では果ての月、限りの月、
そう言えば、師走の語源は「使果つ(しはつ)」だという説もあるそうですから、
要するに最後の、終わりの月だと言うことですね。
で、終わりという言葉からの連想一つ。
今、毎朝の散歩の時、朝5時半頃に鬼怒川の土手に上っていくと、目の前、西の空に、
おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座のベテルギウスでつくる冬の大三角が
みごとな正三角形で迎えてくれています。
この大三角で一番光って目立つシリウスが、毎日少しずつ低くなっていって、地平線から消えるようになると
12月も後半(大体クリスマスの頃)となり、一年の終わり、年の瀬、お正月の準備を始める目安となるんです。
毎年バタバタと年末を迎えている私ですが、今年は、シリウスの動きをよく見ながら、
ゆとりを持って年の瀬、新年を迎えられたらいいなぁと、今は思っています。
2023/11/30
思いつくままに (2023/11月)
11月を迎えます。
11月と言えば、別称、霜月とか、雪待月など、寒さが始まる月というイメージですが、
今年は、9月・10月に比べれば随分涼しくなってきたとは言え、まだ何か少しボヤッとしている感じですね。
中旬、下旬にはもう少しピリッとしてくるのでしょうか。
今年はずっと異常気象と言われ続けてきました。
ずっと続いていると言うことは、それはもう異常ではなくて通常なんじゃないかという人もいますが、
雨の降り方や最高気温の上昇などはともかく、
それぞれの季節のたたずまいなんかは、やはり慣れ親しんだ今までの感覚通りであって欲しいものです。
今まで通りで言えば、2023年もあと2ヶ月。
人も自然も冬支度を始める時期であり、年末に向けたいろんな準備が忙しくなって来ます。
そうなる前のひととき、歯にしみ通るお酒を片手に、短い秋の夜長を楽しみたいなと願っています。
2023/10/31
思いつくままに (2023/10月)
真夏日の連続記録更新、史上最高の暑さ等と騒がれた今年の暑い暑い日々も、
先人の言葉通り、お彼岸の声を聞くと同時に少し収まってきました。
10月と言うと、衣替え、十三夜(後のお月見)、紅葉狩りなどという言葉がパッと浮かんできますが、
10月1日は珈琲の日でもあります。
ご存じの方も居られるでしょうが、珈琲の取引の新年度が10月から始まるからなんです。
珈琲豆の取引上で決められた日ではありますが、珈琲を楽しむ者にとっても、夏の暑さから解放されて、
カップから立ち上る珈琲の香りにひたる至福の時間が始まる時季だからと言えるでしょう。
暑すぎてへばってたとはいえ、一応活動的だった夏が過ぎ、
少し静かに、珈琲やお酒をたしなむ季節を迎えた10月、
美味しい果物や野菜を傍らに、十三夜の月を楽しみ、きれいな紅葉を愛でるゆとりのひとときを過ごせたらいいなと思っています。
2023/09/30
思いつくままに (2023/9月)
9月というと、一般的には長月という別名がすぐ浮かびますが、他にもいろいろな呼び名があります。
玄月・菊月・色取月・竹酔月・季秋・朽月・暮秋等々。
このうち、菊月というのは、菊の花の季節だから。
9月9日の重陽の節句も菊の節句と呼ばれます。
菊の花は、春の桜と並んで、日本人にはとても身近な親しみやすい花と言えるのでしょう。
この菊の花が、お刺身の盛り合わせにチョコンと付いている訳を、最近知りました。
あれは、色取りもありますが、元々は毒消し・臭い消しのために付けられたのだとか。
菊の花びらには、グルタチオンという解毒・抗菌作用のある物質があり、
これを期待して食用菊の花を一つ添えて、刺身と交互に食べていたのだそうです。
昔は、冷蔵技術が発達していなかったので、食中毒予防のためだったとか。
大根のツマが添えられているのもやはり同じ理由なんですね。
でも、最近私が買ってくる刺身は、大根はちゃんと付いてくるのに、
菊の花の方はプラスチック製になってしまっていることが多いのは、手に入りにくくなっているからなんでしょうか。
今度生の菊花がのってたら、試しに一寸食べてみようかな。
2023/08/31
思いつくままに (2023/8月)
昨年同様、今年も厳しい暑さが続く夏を迎えています。
熱中症警戒情報が出るのはほぼ毎日、猛暑日注意が出るのもほぼ毎日、
最近では、猛暑を越して、危険な暑さ、殺人的な暑さという言い方になってきています。
危険とか殺人的とか、言い方が凄いですよね。
昔、私たちが子供の頃(昭和三十年代)は、二十五度になると夏日、三十度を超すと真夏日と言っていました。
その頃は、スイカやマクワウリ、トマト、キュウリなどは、たらいや洗面器に汲んだ水の中に入れて、冷やしていました。
それで十分に冷たくて、美味しいおやつだったことを良く覚えています。
それが昨今は、四十度近い気温が続くのですから、たらいなどの水も、
あっという間に温かくなってしまって、役に立ちません。
環境の変化に合わせて、生活の仕方を変えていくのは当たり前のことなのですが、
ついつい昔の郷愁に引っ張られるなんて事のないように気をつけましょう。
2023/07/31
思いつくままに (2023/7月)
笹の葉さらさら 五色の短冊
軒端に揺れる わたしが書いた
お星さまきらきら おさまきらきら
金銀砂子 空から見てる
子供の頃(昭和30年代前半)、七夕飾りを自分の家でつくって軒先に立てたことを思い出しました。
父がご近所から分けて貰ってきたササ竹に、子供たちが思い思いに書いた短冊や、
紙で作った星やクサリなどの飾り物を飾って、軒先にワッショイワッショイと言いながら立てたのを覚えています。
軒端に揺れるという歌詞のように、軒を越して屋根に届く位の大きさの竹だったので、
我が家の子供たち3人が、掛け声をかけながら手伝ったとしても、
実質、父親1人で立ててくれたんだろうと思いますが。
立てられた竹(ササ竹)がとっても大きかったというのが強い印象で残っているのですが、
どんな願いを短冊に書いたかとか、その日はどんなごちそうが出たのか等と言うことは、ほぼ覚えていません。
でも、楽しい思い出として心に残っていると言うことは、私にとって大事なことだったんだなと思います。
と、ここまで書いてきて、もう一つ思い出しました。
あの頃の七夕は、今と違って、旧暦で行われていたので、今月ではなく、来月8月の行事だったことを。
でも、ま、いいか・・・。
2023/06/30
思いつくままに (2019/5月)
5月になります。
4月が花咲き鳥啼くと表現されるとしたら、5月は、若葉薫る月でしょう。
若葉の季節の俳句と言えば、直ぐ思い出される句の一つが、江戸中期の俳人・山口素堂(1642〜1716)の
“目には青葉 山ほととぎす 初鰹”
でしょうか。
目にも鮮やかな「青葉」、美しい鳴き声の「ほととぎす」、食べておいしい「初鰹」と、
春から夏にかけ、江戸っ子が最も好んだものを詠んで有名な句ですね。
この句を読むと、ほぼ同時に思い出されるのが、
“目に青葉 耳に鉄砲ほととぎす 鰹は未だ口に入らず”
という狂歌です。
元歌の素堂の俳句では省略されていた、ほととぎすの鳴き声を聞く耳と、美味しい初鰹を食べる口を入れながら、
高値になってしまって食べられない初がつおに庶民感覚を込めた秀歌ですね。
狂歌と言えば、江戸時代には大田南畝や宿屋飯盛など有名な狂歌師から無名の庶民に至るまで、
大勢の人たちによって、風刺の効いた作品が沢山創られていたのに、最近は殆ど見ることがなくなってしまいました。
同じように風刺や可笑し味を表現している川柳は、未だに沢山の人に創られ続けているのに。
この違いは何なんでしょうね。
2019/04/30
思いつくままに (2019/4月)
暑さ寒さも彼岸までと言われる春の彼岸を過ぎて、花咲き鳥啼く4月になりました。
暖かさもいよいよ本格的となり、足下ではオオイヌノフグリやホトケノザなどが、
ちゃんとかわいらしい花を咲かせ始めていますし、頭上ではヒバリが賑やかに啼いています。
コブシや水仙の白色、菜の花やレンギョウの黄色、木蓮やムスカリの紫色、
そして何よりこの時期を代表する桜のピンク色と、
カラフルな景色が目だけでなく気持、心まで楽しませてくれています。
そう、1月・2月の寒中を耐え、3月の寒の緩みを乗り越えて、
4月の自然界は、春本番の伸びやかな季節を迎えているのです。
人間界でも4月は、新学期・新年度と、新しい環境が始まる時です。
2019年度、新しい年号で始まるこの一年、何をやろうとするのか、
新しい挑戦の一年としなくっちゃと、今は思っています。
2019/03/31
思いつくままに (2019/3月)
三月になり、大分寒さも緩んで来始めました。
水ぬるむ時といいますが、確かに、寒中の厳しい冷え込みと比べると結構暖かさを感じますし、
いろんな草花たちも日一日と青みを増し、芽を出し花を咲かせ始めています。
三月の異称の弥生(やよい)は、“いやおうる”という言葉からついたと言われていますが、
まさに、命の息吹を感じさせてくれる季節ですね。
感覚的には、寒さで縮んでいた身体をグーッと伸ばして青い空を見上げる様な感覚でしょうか。
言葉的にも、芽吹く、萌える、溶けるなど、伸びる、拡がるイメージですね。
春本番と言えば、桜咲く四月なのかも知れませんが、
厳しい冬の間に蓄えた力を、芽吹かせ、伸ばして行く三月は、
花鳥草木だけではなく、我々人間界でも大切な時季なのだという気がします。
四月の新入学、新入社、新しい境遇に向けて、
三月のこの一ヶ月をどのように過ごして行くか、ちょっと考えてみませんか?
2019/02/28
思いつくままに (2019/2月)
※フキノトウ
先日、“もうこんなに出ていたよ”とフキノトウを沢山いただきました。
今年、関東では昨年暮れからずっと雨が降らず、
野菜などに影響が出ていると聞いていたので、ちょっとびっくり。
天麩羅もいいけど、私はバッケ(蕗味噌)が好きなので、楽しみです。
※ネコヤナギ
昨年末、お正月用に用意したお花の中に、ネコヤナギの枝が何本かありました。
切り花は松の内を過ぎた頃に処分されてしまいましたが、
ネコヤナギは枝物だったのでそのまま飾っておいたんです。
そうしたらあの薄緑色のツヤツヤの蕾が
白い花をびっしりと咲かせて2倍以上に大きくなっていました。
しかも、花瓶の中には結構な量の根っこが。
地植えでもないのに凄い成長力なんですね。
庭に植えたら根付くんでしょうか。
※すみつかれ
大根や人参を鬼おろしでおろして、油揚げや節分にまいた豆等を入れ、
酢、醤油、酒、砂糖などで調味し、初午の時に食べるお馴染みの季節料理ですね。
でも今年は初午が2月2日、節分の前日なんですよね。
こんな年は節分の豆はどうするんでしょうか。ご存じの方、教えて下さい。
2019/01/31
思いつくままに (2019/1月)
新年おめでとうございます
昨年、珈和は開店四十周年を迎えることができました。
四十年間続けてきて、何ができたのか、何を残せたのか と考えると、少々忸怩たるものがありますが、
もうすぐ 七十歳を迎えようとしている夫婦が、今でも 一杯の珈琲を介して、
大勢のお客様たちと交わりの時を 持たせていただけることに感謝し、そして、
まだもう一寸働いていてもいいよと言っていただけるこ とに甘えて、
今日も二人でお店を開けたいと思っています。
これからも愚直に一杯の珈琲を求め、提供し続けられた らいいなぁと願っているかうひいや珈和を、
この一年宜しくお願いいたします。
2019年 睦月朔日
思いつくままに (2018/12月)
2018年も最後の月となりました。
毎年のことながら、何となく心せかれる残り1ヶ月です。
この一年を振り返ってみると、今年も異常気象による自然災害に悩まされた年でした。
1月、2月の数年に一度といわれた寒波、8月9月の猛暑日を超えた酷暑日、
6月中の梅雨明け宣言、大雨による洪水、地震、火山の爆発・・・
そんな異常気象の1つに、台風による塩害被害がありました。
台風によって巻き上げられた海水(塩水)が、強い風に乗って内陸まで運ばれ、
電線が発火したり、樹木が枯れてしまったりという事態を引き起こしたのです。
塩害というこの現象自体は、海岸に近い一部の人たちには以前から知られていたそうですが、
海岸から数十キロも離れた水海道あたりにまで影響するとは、思ってもいませんでした。
ところが、うちの近所の農家の方々は、もう何年も前から、
台風の後の農作物の萎れ具合を見て、“これ、塩害なんだよ”と言っていたそうです。
自分の扱っているものに愛着を持って日々接しているから気付いていたんでしょうね。
以前にも書きましたが、珈和は今年40周年を迎えることが出来ました。
40年たって、私は、自分の創る珈琲にそういう愛着を持ち続けているか、
自分に問い直しながら、新しい年を迎えられたらいいなと思っています。
2018/11/30
思いつくままに (2018/11月)
11月を迎えます。
11月というと、昔ながらの呼び方では、霜月。シンとした白い静かな朝のイメージです。
もう一つ、11月特有の気象用語に、小春日和というのがあります。
11月の日中、風もなくポカポカと暖かい日差しが降り注ぐ日のことですね。
寒い朝と暖かな日中ですが、どちらも静かな穏やかなということでは同じイメージがあります。
一方、11月は、紅葉の季節でもあります。
紅葉というと、錦秋と呼ばれる山一面の風景であっても、京都のお寺などに代表される真っ赤な紅葉であっても、
共に美しく見応えのある色彩が浮かびます。
静と動 同じ11月という一月の中に在る2つの有り様のどちらが皆さんお好みでしょうか。
私は・・・色様々な山の景色を眺めた後で、
“白玉の歯にしみとほる秋の夜の
酒はしずかに飲むべかりけり”
と洒落てみたいなぁと思うんですが、
似合わないかな、やっぱり・・・
2018/10/31
思いつくままに (2018/10月)
10月に入り、流石にここ何日か過ごし易い気温になってきました。
30度を超す暑い日もない訳ではありませんが、半袖では一寸という感じになりつつあります。
やはり季節というものは、それなりにちゃんと移っていくんだなと思っていたら、
強烈な台風が、2つも続けて襲来してきました。
二百十日、二百二十日などと言われた9月中ならともかく、10月になってからとは・・・。
しかも南方の海水温がまだまだ高いので、このあとも発生し続ける可能性があるとか。
異常気象という言い方は、通常の状態ではないことを表す言い方であって、
このあと毎年こんな状態が続くならば、
それは異常では無くて、通常の気象だということになってしまいますよね。
暑さ寒さも同じで、数年に一度の寒波だとか、
猛暑日では間に合わなくて酷暑日を創らなくては、などというようでは、
私たちの日常の生活スタイルを根本的に見直さなくてはならないかも知れません。
でもそれは、そんなにネガティブに考えることではなくて、
新しい環境を興味を持って楽しめればいいのではないかなと思います。
今までの自分にはなかった何かを経験できるといううれしさ、わくわく感を
大事に出来たら素敵だなと思うのですが・・・・・。
2018/10/04
思いつくままに (2018/9月)
9月になります。
9月といえば、芋名月とも呼ばれる中秋の名月の月です。
中秋と言うことは、初秋・中秋・晩秋のうちの中秋ですから、秋真っ盛りという事なんですが、
8月7日が立秋だと言われてもピンと来ないのと同じように、まだ秋とはとても思えないですよね。
それでも空を見上げれば、入道雲のいない隙を狙って鱗雲やスジ雲がひょいとあらわれたり、
道端の木立の中からはツクツクホウシやカナカナの鳴き声が聞こえてきたりと、
猛暑の中でも次の季節の芽が一寸ずつ割り込んできているように思えます。
ここ何年かのような異常な暑さ、何時までも終わらないと思えるような酷暑の日々の中でも、
ちゃんと次のステージの準備が行われている事に気付くと、今の過酷さにももう一度向かっていけるような気がします。
でもそれは、我が地球の気象環境が、今より悪くならないという前提を元にしての話です。
私たち一人一人が、自分に出来る環境維持は何なのかをもう一度、改めて考えながら、
清々しい、素敵な中秋の名月を迎えられたらなぁと思っています。
2018/08/31
思いつくままに (2018/8月)
先月25日、かうひいや珈和は創業40周年を迎える事が出来ました。
40年という長い間、珈和を支えて下さった皆様に、本当に、心から感謝申し上げます。
この40年を振り返る時に、思い出される沢山の方々がいらっしゃいます。
40年前、創ったばかりのテナントに、私のような面識のない若造の申し出を快諾して入居させて下さった遠上さん、
15年前、今の森下に移転して店を創ろうとした時に、地目が違うから建築できないと言った県に対して、
その間違いを県庁まで行って撤回させて下さった倉持さん。
今から思えば、恥ずかしいような珈琲を出していた私を、温かく見守って下さっていた大勢のお客様。
それらのお一人お一人が、40年もの間店を続けられた一番の力なのでしょう。
でも、そんな中でも、今一番私の心に残っているのは、先日、6月13日に突然亡くなられた中山信一氏です。
彼は、業界年数は私などよりずっと長く、多彩な人脈を持って居られましたが、
茨城で自分の店を始めたのは私とほとんど同じ、1978年の9月か10月頃だったと思います。
私が店頭で焙煎機に向かっているのを見て寄ってくれたのが最初の出会いでした。
それから40年。ただ珈琲を創っているだけの私に対し、
珈琲を中心としながらいろんなメニューを提供し、居心地のいい空間を作り続けた彼とは、
方向は必ずしも同じではなかったけれど、同世代の珈琲屋として、ずっと一緒に歩んできたような気がします。
特に最近は、焙煎釜の話とか、焼き時間のこととか珈琲に関する話が多くなってきていただけに、
もっといろいろ話したかったという心残り感が強くしています。
一歳年上で、いつも見守っていてくれた中山さん、
ありがとうございました。 ご冥福を祈ります。
2018/07/31
思いつくままに (2018/7月)
7月になりました。
今月は、水海道では14日(土)15日(日)と祇園祭が開催されます。
当番町が担ぐ本社神輿と同好会の神輿合わせて10基以上が集まり、
それに各町内の子供神輿や山車が加わって、田舎町としては、結構賑やかなお祭りです。
宜しかったら是非お出かけ下さい。
で、この祇園祭の2日間(宮出し、宮入りを入れると本来は4日間ですが)のどちらかは、
必ず雨が降って、それで梅雨が明けるんだと小さい頃から聞かされていました。
勿論お祭りの前に梅雨明け宣言の出たことは何度かありましたから、これは一種の都市伝説だとわかってはいましたが、
それにしても、今年は、そのお祭りの月に入る前に、梅雨が明けてしまいました。
この所、今まで慣れ親しんできた感覚では理解できない気象現象が頻発していますから、これもその一つなのでしょう。
梅雨明けが早いかどうかと言うことに影響を受ける方も、中には居られるかも知れませんが、
ほとんどの人には余り関係ないでしょうから構いませんが、大雨や地震などの天変地異は、生活を諸に破壊してしまいます。
そんな災害に遭わずに、にこやかに迎えられるお祭りであって欲しいなと願っています。
2018/07/01
思いつくままに (2018/6月)
朝の散歩で吹上山を歩いていたら、合歓の木の蕾を見つけました。
まだ青い蕾で、咲くまでにはしばらくかかりそうですが、この花を見ると“あぁ、梅雨時なんだな”と思います。
「象潟や雨に西施が合歓の花」(松尾芭蕉)という句がありますが、昔から雨に似合う花とされてきたのでしょう。
梅雨時の花と言えば、合歓の木の他に、栗の花と立葵がよく知られていますね。
栗の花は梅雨入りの少し前に咲き始め、この花が終わって散り出すと梅雨になると言うことで、
別名、墜栗花(ついりばな、梅雨入り花のこと)と呼ばれています。
立葵も梅雨入りの頃から花を開き始め、てっぺんまで開くと梅雨が明けると言われていて、
別名ツユアオイ(梅雨葵)の名が付けられているのだそうです。
帰りに河川敷の麦畑を見たら、いつの間にか黄色みを帯びた絨毯になっていました。
麦秋、刈り入れと梅雨入りと、どちらが先になりますか・・・ね。
2018/05/31
思いつくままに (2018/5月)
先日、私の母方の伯父の葬儀に参列してきました。
1916年(大正5年)10月12日生まれ、102歳と7ヶ月の、男性としては、結構長寿の伯父でした。
ずっと地元で高校教師として勤め上げ、退職してからは、我々の親族の歴史を
まとめる作業に注力してくれていたという、我々次世代の者としては、文字通り、
とても有難い(なかなか無い)方でした。
親族の私としては、その母方の歴史を調べ、まとめてくれる、凄い人だと思っていた
(そしてそれも間違ってはいなかった)のですが、今回びっくりしたのは、
伯父の教え子の人たちが、多数参列して下さったと言うことです。
完8会という名のグループのその方達は、皆さん80過ぎの方々で、今でも毎年集まって居られるそうですが、
伯父も招かれて2年前(100歳の時)までは出席していたとのことです。
100歳で出席できた伯父も伯父ですが、受け持たれてから60年以上経った恩師を囲んで集まっている方々、
素敵な交わりのひとときだなぁと、うらやましく思いました。
2018年5月
思いつくままに (2018/4月)
春三月とは言いながら寒い日が続いていた3月でしたが、
お彼岸を過ぎたら一気に気温が上がって、桜の花もあっという間に満開になってしまいました。
“暑さ寒さも彼岸まで”・・・
いやぁ、昔の人の言葉は、本当に当たってますねぇ。
なかなか暖かくならない3月でしたが、それでも、2月に比べたら、
“うん、春の気配を感じるなぁ”という毎日でした。
3月の暖かさというのは、そういう暖かさなのでしょう。
たとえて言えば、溶けてゆく暖かさと言うか、緩んでいく暖かさ。
それに対して4月の暖かさは、花が咲き、緑が少しずつ濃くなっていく、
いわば延びてゆく暖かさのような気がします。
木々の新芽も伸び始め、新緑へと移っていく季節、開放感を感じる季節ですね。
自然界だけでなく、人間界でも4月は、学校で、社会で新しいスタートが切られます。
伸びゆくものすべてにエールを送りたい。
そんな気持でドアを開けたら、ヒバリの賑やかな声が聞こえてきました。
2018/04/01
思いつくままに (2018/3月)
今年(今シーズン)は、本当に、寒い日が続いています。
それでも、3月の声を聞く頃になると、日の出、日の入りの時刻も大分変わってきて、
春の到来を実感させてくれている気がします。
毎年この時期には、同じようなことを書いている様ですが、
春三月、名のみではなく、体感的にも春を感じてきていますね。
ヨモギやホトケノザも、いつの間にか枯れ草を押しのけてはびこり始めていますし、
先日は、つくばみらい市の土手で採ったというフキノトウをいただきました。
店の前の麦畑も、いつもよりは伸びてきていませんが、それでも半月前に比べると大分青々としてきています。
低温や水分不足で高値が続いていた野菜も、そろそろ少し落ち着いてきてくれるといいのですが。
梅から桃、そして桜へと、花たちもカラフルに咲いてくれて、炬燵につん潜っていた身体を、お花見へと引っ張り出してくれているようです。
寒い間サボっていた散歩をまた再開して、お出かけの準備を始めましょうか。
2018/03/01
思いつくままに (2018/2月)
今年の冬は、特に日本海側で例年以上の大雪に見舞われています。
それなのに、関東は、昨年末からずっと乾燥した晴天が続いていて、今年は雪の少ない冬になるのかなと思っていたら、
大寒に入った1月22日に、ドカッと4年ぶりの大雪になってしまいました。
大雪といっても、日本海側の大雪に比べたら十分の一程度の積雪ですが・・・。
それでもこの辺としては、大変な大雪。
おまけに降った翌日は、割と暖かかったので結構除雪できたのですが、
そのあとは、かなり気温の低い日が続いていたために、店の前の畑は、10日たってやっと少し黒い部分が見え始めた所です。
2月のことを別名では如月と言いますが、これは、寒さで着物をもう一枚着ることから『衣更着』きさらぎとなったと言われています。
確かに、数年に一度の寒波だとか、史上最低気温を更新したとかいわれている今年の冬は、そんな表現がぴったりする毎日ですね。
でも、2月の暦では、3日の節分までは大寒で寒さ厳しい日々となっていますが、4日には立春で春が始まります。
勿論、“春は名のみの”の日がまだしばらくは続くのでしょうが。
7日の初午を経て、14日にはバレンタインデー。
商業主義に踊らされているという批判はありますが、寒さにちぢこまって炬燵に潜り込まずに、
誰かのためを考える生活が始められたらいいなぁと思います。明日のために。
2018/02/01
思いつくままに (2018/1月)
新年おめでとうございます
今年、珈和は開店四十周年を迎えます。
1978年7月に、『一杯の珈琲を大切に、心を込めてサーブする』
とオープンしてから四十年。
こんなに長く珈琲屋を続けてこられたのは、沢山の方々が支えて下さったからと感謝に堪えません。
四十年たって、しみじみ思うのは、継続とは積み重ねだということです。
特別なことをするのではない。 特別なものを出す訳でもない。
ただひたすら、一杯の珈琲を、大切に心を込めて提供し続ける、
その繰り返しが四十年という月日になったんだろうと思えるのです。
これからも愚直に一杯の珈琲を提供し続けられたらいいなぁと願っているかうひいや珈和を
今年1年、宜しくお願いいたします。
2018年 睦月朔日
思いつくままに (2017/12月)
この欄にも何度か登場した当店の看板犬プー太郎が、先月10日、16年3ヶ月と16日の生涯を終えました。
生後1ヶ月で我が家にやってきてからずっと、
散歩に連れて行くのと、食事を持っていって食べ終わるまでつきあうのが、私の担当でした。
人間が好きで犬が苦手という変わった犬で、散歩中に他のお宅のワンちゃんに会って、
ウチのプー太郎に関心を示して近寄ってきてくれると、
その犬が大きくても小さくても、決まって困ったような顔をして私の後ろに隠れて小さくなっていたものです。
それなのに、そのワンちゃんの飼い主さんがプーちゃんなどと呼んで手を出してくれると、しっぽを振りながら近寄っていき、
犬に気付くと慌ててまた後ろに引っ込むということがしょっちゅうありました。
店が今の所に移ってからは、入り口の見える門扉の前に座り込んで、
お店に来られるお客さん達に愛想を振りまいて、看板犬の役割を果たしてくれていました。
“私、犬は苦手なんだけど、この犬は大丈夫なんですよ。”と言って下さった方も何人か居られました。
お店のお客さんや、ご近所の方々にプーちゃんプーちゃんと呼ばれ、愛されて過ごせた幸せなプー太郎。
最後の日は、偶然でしょうが、
もう動けない身体を門扉の前に横たえ、まるで看板犬の役目を全うするかのように、
一日中お客さん達に自分の姿を見せて、その晩に亡くなりました。
そんなプー太郎の姿を大切にしながら、また明日からも、お店に来て下さる皆さんと頑張っていかなきゃと思っています。
P.S. プー太郎は今、最後の頃によく座っていた、庭の片隅のレンギョウの木の根方に眠っています。
何人かの方々にいただいた花束に囲まれて・・・・
2017/12/01
思いつくままに (2017/11月)
今年もいつの間にか残り少なくなってきました。
と書きだして、ふと思います。
毎年、同じ時季に同じような感想を持つのは、変わりなく過ごしているからで、
それは幸せな、感謝すべき事なんだろうと。
そう思うのにも、一寸理由(わけ)がありまして、
一昨年鬼怒川決壊という災害に遭ってしみじみ思った事がありました。
それは、最近、地震や風水害などいろんな自然災害が多発していて、その度に、
“ン十年生きてきて初めて”とか“此処がこんなことになるとは思わなかった”
と言うコメントが相次いで聞かれたのですが、自分自身災害を経験して本当にそう思ったのです。
鬼怒川が決壊するということは、以前は度々あったことなのですが、
私が生まれてからは、ダムなどの治水工事のお陰で、一度も経験していませんでした。
だから、今回も、あり得ることだが、今までなかったのだから、実際にはないだろうと勝手に思い込んでいました。
そんな思いを見事にひっくり返してくれたのが、一昨年の水害だったのです。
それから2年たって、先月の台風21号でも、大雨で少し冷や冷やさせられましたが、
大過なく過ぎて、冒頭の言葉となったわけです。
2017年もあと2ヶ月。
いつものように過ごさせていただいていることに感謝していきたいと思います。
2017/11/01
思いつくままに (2017/10月)
先月のこのページでも書きましたが、今月4日(水)は、中秋の名月(お月見)になります。
何で10月なのと思ったら、今年は、旧暦では日付調整で、5月に閏月を入れたために、3週間ほど後ろへずれたのだとか。
だから、今月に入ってすぐの満月が中秋の名月(十五夜)となったわけです。
そういうわけで、後の名月(十三夜)は、やはり月が変わって11月1日(水)になります。
例年の日にち感覚から言うと、何か少し、エッと言う感じがしますが、
空気の肌感覚や、虫たちの鳴き声などからいえば、より自然に近いのかも知れません。
自然といえば、最近、猪や熊が全国あちこちの人里近くに出没して、いろいろ問題になっています。
私の住んでいる常総市あたりでも、(流石に熊の話は聞きませんが)
猪だけでなく、ハクビシン、アライグマ等が結構目撃されていて、農作物への被害も、かなり寄せられているそうです。
澄んだ空気の中で、虫すだく声を聞きながら名月を愛でる、
そんなシチュエーションは素敵だなと思いますが、それを猪と一緒に見るのは、ちょっとご遠慮申し上げたいですね。
さ、猪が出ないうちにススキを取ってこようっと。
2017/10/01
思いつくままに (2017/9月)
いつの間にか夏の諸行事もほぼ終わって、9月を迎えようとしています。
今年の8月は、ずっと不順な天候が続いていたので、
“夏──ッ!”という感じと言うか、季節感が余りなかった一ヶ月でした。
で、9月はどうでしょうか。
9月の行事というと、
1日が(金)二百十日・防災の日
9日重陽の節句(菊の節句)で、
18日(月)が敬老の日
20日(水)から26日(火)までがお彼岸で
23日(土)が彼岸の中日で秋分の日
ン? 何か・・・
あッお月見を忘れていた、と思ったら、今年は20日の彼岸入りの日が旧暦8月朔日なので、
十五夜は10月4日の水曜日となり、中秋の名月さんには来月にならないとお目にかかれないんだそうです。
残念ですが、その頃の方が、空気も澄んで、きれいなお月様を見られるかも知れませんね。
でも、我家のススキは、それまで咲いていてくれるかなぁ。
2017/09/01
思いつくままに (2017/8月)
8月と言えば夏休みですね。先月22日から今月31日までの41日という長いお休みです。
といっても、今の子供たちは、塾や習い事、学校の部活などに時間を取られて結構忙しいようです。
私の小学校時代(昭和30年代前半)は、それに比べるとのんびりしたもので、先月のこのコラムでも書きましたが、
夏休みの思い出というと、父の実家へ集まって、大勢の従兄弟たちと一緒に遊び回っていたことです。
今のように、お盆の時だけ帰省するのではなく、一週間から十日、時には半月以上泊まらせて貰っていました。
8月初めから泊まって、お盆が終わってから返ってくることが多かったように覚えていますが、
大勢でわぁわぁやって楽しかった記憶だけが残っていて、実際はどうだったんでしょうねぇ。
でも、下は幼稚園生から上は高校生までいましたから、宿題を手伝って貰ったり、
牛、豚、ウサギ、鶏などの家畜の世話の仕方を教わったりと、結構いろんな体験が出来た毎日でした。
お盆が終わって、家に帰ってくると、何となく気が抜けたようなもの悲しさに襲われたのは、
大勢の賑やかさから家族だけの静かな生活への切り替えの問題と、
日の入りの時間がいつの間にか早くなっていることに気がついていなかったからだったのかも知れません。
2017/08/01
思いつくままに (2017/7月)
子供の頃(1950年代後半、昭和でいうと30年代頃)、7月という月は、とても胸躍る月でした。
街の中では、七夕飾りコンクールや、夏祭りで大賑わいを見せ、
学校も夏休みを前にして何となく浮き足立っている様な、そんな日々を感じさせている時期でした。
その夏休み、今でも、お盆の頃になると帰省ラッシュの中里帰りする人たちが話題になりますが、
今よりも規制の少なかった当時の子供たちは、もっと長い間、父親の実家へ泊まりに行っていました。
しかも、今と違って、親の兄弟の数が多かったですから、当然従兄弟の数もたくさん。
時には、10人から10数人くらいの子供たちが8畳か10畳位の座敷に雑魚寝して、
ちょっとした修学旅行というか、合宿所みたいな気分でした。
食事もみんなでワイワイガヤガヤ、大皿にデンと盛られたおかず類も早い者勝ちの取り合いで、
負けずに食べているうちに、普段家では絶対に箸を付けなかった物も、いつの間にか食べられるようになっていたなんて事もありました。
早い者勝ちと言っても、そこは就学前のおちびさんから高校生位まで幅広くいましたから、
大きな人たちが適当に分けてくれて、みんなお腹いっぱい食べていたような気がします。
そんな中で、家の手伝いや、人間関係など、いろんな事を学んだ夏休み、貴重な体験でした。
2017/06/30
思いつくままに (2017/6月)
六月の声を聞くと、何か少しもの悲しい気分になります。
四月は春を迎える明るい感じ、五月は新緑や芽吹きの力強さの感じなのに対して、六月は、何なのでしょう。
衣替えして夏に向かうというポジティブな月だとも思うのですが、
しとしと降り続く梅雨空のイメージがそんな気分にさせるのでしょうか。
雨がなんて言ってはいても、私の好きな合歓の木の花は、雨の中で咲いているのが似合う花で、
『この花を見るときはカンカン照りよりシトシト雨の方がいいな』なんて思うくらいですから、
もの悲しいなんてセンチメンタルさも知れたもんですが・・・。
そんな感情はともかく、雨は大事な自然現象です。
季節にあった適度なお湿りが、春夏秋冬素敵な日本を成り立たせていると言えるのではないでしょうか。
ただ最近は、温暖化の影響か、極端な気象現象が多くなってきています。
しとしと降り続く梅雨空ではなくて、ドバッと、川や排水溝の能力を超えた量で降って来る恐ろしさを感じます。
今年の梅雨は、どんな梅雨になるのでしょうね。
2017/06/01
思いつくままに (2017/5月)
4月が行って5月がやって来ました。
桜の花も、関東ではほぼ終わり、見事な葉桜になってきています。
この桜に代表されるように、5月になると、花に変わって葉っぱが主役になってきますね。
勿論、5月の異名の就いたサツキを始めとして、端午の節句を想起させる菖蒲の花、
それに足利のフラワーパークで有名な藤の花など、5月の花と云えるものもたくさんありますが・・・
それでも、5月と言えば、新緑ですね。
欅や柿の木の若葉の美しさには、心を洗うものがあると思うのは読み込みすぎでしょうか。
春分・お彼岸を過ぎて1ヶ月あまり。日差しも日照時間も明るく、長くなって来て、お出かけやフィールドワークにいい季節です。
そんなとき、緑は気分を高揚させ、活動的にしてくれるんですね。
暖かな日差しと色鮮やかな木々の緑に心を浮かせながら、道ばたの小さな草花を探しに出かけてみませんか・・・。
2017/04/30
思いつくままに (2017/4月)
3月が終わり、4月を迎えます。
この2〜3日、最近大分ヨボヨボになった愛犬のプー太郎と朝の散歩に行くと、
鬼怒川の河川敷では、ヒバリの鳴き声が、かなり賑やかになってきました。
去年の今頃は、河川敷の麦畑が、一昨年の水害の影響で全く作付けされなかったせいか、殆ど泣き声を聞くことができず、
”そういえば今年は、ひばりの声を余り聞きません。
電線に止まって啼いているのは何度か聞きましたが、
空高く舞いながら啼いているのは記憶にないですね。
麦畑がなくては巣作りも思うようにはできなかったのではないでしょうか。
他の鳥たちはともかく、ヒバリの子育て、今年ちゃんとできたのかどうか、一寸心配しています。”
と書いていました。
今年は、雨が少なかったせいか、伸びが悪く、貧弱な麦畑ですが、
それでも、空の上の方で、2羽3羽と元気に鳴いています。
私の余計な心配をよそに、ちゃんと子育てしていたのですね。
そういえば、ウグイスも、この一週間ほどで、はっきりとホーホケキョと鳴けるようになってきました。
その時・その季節にちゃんと鳴いている鳥たちを見ると、何となくホッとさせられます。
そんな鳥たちの声を聞きに、そして、土筆やホトケノザのかわいい姿を見に、(暖かさにつられて)外へ出てみましょうか・・・・・。
2017/03/31
思いつくままに (2017/3月)
三月になりました。
三月と聞くと、実際の気温はともかく、春三月という言葉のように、何となく少し暖かさを感じるような気がします。
梅・桃・桜などの花が次々と咲き始め、ヒバリの鳴き声が賑やかになり、地面にはヨモギやホトケノザなどが目立ちだして、
ついこの間まで枯れ草一色だったあたりが、あっという間にカラフルな色合いに包まれます。
三月というと、3・11の大地震が頭に浮かびます。
この欄でも何回か取り上げましたが、最近、地震や火事、水害、豪雪など自然災害が頻発しています。
被災して落胆し、復興し始めて希望を持ち、また新たな災害に遭いそうになって心配し・・・
私たちが、自然の中で生きていくためには仕方が無いことなのでしょうが、
被災した当事者としては、大変な苦労を引き受けなければなりません。
でも、下を向いているばかりでは進めません。
暖かくなって、カラフルに華やぐ自然を見つけて、自分自身の活力にしなければ。
そうだ、春を見つけに行こう・・・
2017/03/01
思いつくままに(2017/1月)
お正月と云っても、以前のように晴れ着を着て歩いている人を見ることは、殆ど無くなりました。
コンビニは勿論、スーパー等も元日から開いているところが増えて、
特別な日という感じが少し薄らいでいるような気がします。
それでも、除夜の鐘を聞きながら年越し蕎麦を食べて眠りに就き、初日の出を浴びながら目を覚ますのは、
やはり、日常の一日の始まりとは違う、改まった気分になりますね。
最近、一日や一年が過ぎるのがとても早く感じます。これって年齢の所為もあるんでしょうが、
世の中いろんな事が次々と起こりすぎて、時間の感覚が少し狂ってしまっていることもあるんじゃないかという気がします。
2017年、新しいこの年は、どんな事が起きるのでしょうか。
それでも、その季節の移ろい、その時その時を大切に過ごしていきたい。
一杯の珈琲を楽しみながら、ゆったりと毎日を迎えていける、そんな日々であったら素敵だなと思っています。
この一年、どうか宜しくお願い致します。
2017/01/01
思いつくままに (2016/12月)
12月、2016年も残り1ヶ月となりました。
11月は、最高気温が25度を超す夏日になったり、何十年かぶりの積雪を記録したりと、何かと忙しい、不思議な1ヶ月でした。
先月のこの欄でも書きましたが、近頃は、異常気象という言葉が陳腐化してしまいそうな程、様々な気象現象が起きています。
その原因が、地球温暖化など私たち人間の日常生活にあるのだとすれば、コップ22など、国レベル、地球的規模での対策とは別に、
私にできることは何なのかという小さい一歩を真剣に考えることが大事になってきているような気がします。
異常気象と入っても、珈和の周りでは、山茶花の花は満開になり、満天星の葉は、見事に赤く色付いています。
そんなすてきな自然に囲まれている幸せに感謝し、大切にし続けるために、自分にできる温暖化対策、エネルギーの節約の仕方を見つけていきたい。
小さな一歩であっても、それが、大河に注ぐ一滴の水であることを信じて・・・。
2016年最後の月。年賀状やお歳暮、大掃除など忙しさに振り回されても、新しい年に向かって頑張りましょう。
2016/11/30
思いつくままに (2016/11月)
11月になりました。
2016年も、あと2ヶ月ですね。
毎年毎年、1年過ぎるのが早いよと言い続けていますが、
最近は、マスコミ、ミニコミ共に、結構大きなニュースが頻発している所為か、
時間に追われると云うより、出来事に追われて日々を過ごしているような気がします。
自然災害だけに絞ってみても、常総市の水害からまだ1年ちょっとしかたっていないのですが、
この間に、熊本と島根で大きな地震があり、岩手県と北海道で大規模な水害がありました。
こんなに立て続けに大きな災害が起きてくるのは、私の短い人生経験の中では記憶が無いのですが・・・・。
2016年もあと2ヶ月。この残すところの2ヶ月は、平穏な日々であって欲しいと願っています。
今まで余り宣伝してきませんでしたが、半年ほど前から、毎月1回、ほぼ最終水曜日に、店でライブをやっていました。
歌い手は、石塚美咲さんというシンガーソングライターさん。
水害からの復興支援と云うことで、ノーギャラでのボランティアでやってくださいました。
半年間の予定でしたので、今月が最後になります。
入場無料、珈琲1杯サービスでやりますので、宜しかったら是非おいで下さい。
※11月30日(水)午後2時30分より
2016/10/31
思いつくままに (2016/10月)
彼岸花を追いかけるように、キンモクセイが甘い香りを漂わせ始めました。
いよいよ10月ですね。
スポーツの秋、読書の秋、そして何より、食欲の秋・・・
自宅で本の虫になるもよし、アウトドアスポーツに汗を流すもよし、おいしいお弁当を持って紅葉狩りとしゃれ込むのもよし。
活動的な感覚に満たされる秋(とき)、心浮き立つ活動の秋(とき)です。
そんな気分は、与えられて出てくるものではありません。
自ら、意識的に自分を持っていくことが必要なんだと思います。
先月は、大きな台風が何度も襲来し、秋雨前線と絡んで大雨の被害が続出しました。
10月に入っても、まだ台風も発生は続いているようです。
でも、月替わりを機に気持を入れ替えて、爽やかな空気を求めて頑張っていく今月でありたい。
そう思っているこの月初めです・・・
2016/10/01
思いつくままに (2016/9月)
9月がやってきます。
昨年9月10日の水害の時は、沢山の方々から励ましとお見舞いをいただき、
本当に有難うございました。
あれから1年が経とうとするこの8月末に、台風10号がもたらした大雨によって、
岩手県と北海道で、また堤防決壊による大変な被害が出てしまいました。
1年前のあの水害を経験した者にとっては、“何で早く逃げられなかったの”と思うのですが、
実際に被災した方々は、皆さん口を揃えて
“まさか〇〇川が氾濫するとは思っていなかった”と云っておられました。
それはまさしくその通りで、私自身直後のこの欄で、
『私にとって、鬼怒川の氾濫は、
”あり得ることだとは思っていたが、
実際にはないだろうと思っていた”
ことで それは、願望からくる物もありますが、これまでの経験に引っ張られて、
希望的観測というヤツを起こしてしまった所為だったと思います。』
と振り返っています。
だから、その気持ちはわかるのですが、それではいけなかったのだという我々常総市民の経験は、
1年経った今回、全く生かされていなかったのだなと思うと、一寸悲しくなります。
自分が体験したことを、自分ができる範囲内でしかなくても、発信し続けることが大切なんですよね。
そして、とにかく、自分の身を守るのは、やはり自分自身ですから、
自然の声に注意深く耳を傾けて、毎日を過ごし続けなければと、改めて思う今日の日です・・・。
2016/08/31
思いつくままに (2016/8月)
今年の関東甲信地方は、7月末になって、やっと梅雨明け宣言が出ました。
それでも、まだ、梅雨明け10日と云われる安定した晴れ間は続かずに、やや雲の多い日が続くとか。
8月というと、ぎらつく太陽の下で汗を拭きながら、と言うイメージなんですが、今年はどうなんでしょうか。
1ヶ月前の頃は、今年は暑くなって、猛暑日続出と言われていたはずなんですが・・・。
そう思いながら、まわりを気を付けてみてみると、いつもとなんとなく、少し違うような気がします。
8月の花というと、私の中ではサルスベリが浮かんできますが、
今年のご近所のサルスベリ、まだ花を付けていないものが結構あります。
蝉の声も、だいぶ賑やかになって来ましたが、毎年たくさん穴が空いている近所の児童公園も、
地面に空いた蝉の幼虫が出てきた穴の数が、いつもより少ないようです。
去年の大水で、公園の地面が水浸しになってしまった所為というわけではないでしょうが・・・。
これって、私の住んでいる常総市特有の現象でしょうか?
なんでもかんでも水害の影響だと云うつもりは、さらさらありません。
でも、どうもあの水害以降、周りの自然環境が少し変わってきているような気がするというのは、少し考えすぎでしょうかね。
2016/07/31
思いつくままに (2016/7月)
7月、一年を半分に分けると、後半の始まりと云うことになりますね。
梅雨真っ盛りの日々のはずなんですが、水海道では、まだそれ程梅雨時らしい雨は降っておりません。
といっても最近は、弱い雨がしとしとと毎日降り続くというよりは、たまにドカッと降って、
あとは雲の切れ間からお日様が顔をのぞかせるといったパターンが多くなっています。
昔からそういう降り方はあったと言われますが、程度が一寸違うんじゃないでしょうか。
『篠突く雨』なんていう雨もありましたし、所謂夕立で道路が一気に冠水してしまったなどという記憶もありますが、
それでも最近のような『記録的短時間豪雨』型の雨は経験して来ませんでした。
そういえば、気温だって、我々の子供の頃は、25度を超すと『夏日』と云って、今日は暑いと思ったものでした。
それがいつの間にか30度を超す日が続いて『真夏日』といわれ始め、
最近は、35度以上の『猛暑日』がちょくちょく出てくるようになりました。
今年はこの『猛暑日』が頻出するだろうと予想されています。
自然は変わらないなどと思い込んで過ごしていると、
予想もしない気象の変化で足下をすくわれるということになるんですね・・・。
2016/06/30
思いつくままに (2016/6月)
5月も終わり、6月になります。
正月だ、節分だ、雛祭りだ、端午の節句だと毎月いろいろ云っているうちに、
時間はどんどん過ぎて行ってしまっているのですね。
毎月のことですが、25日を過ぎると、この原稿を書く準備を始めます。
大抵はまわりの豊かな自然のお陰で、こんなことを書こうと固まって来るのですが、
たまに(?)、気に入らなくて書き直したり題材を替えたりしているうちに、月末が迫ってきて焦り始めてしまう時があります。
まぁ、切羽詰まらないとなかなか動けないのは、今に始まったことではないんですが・・・。
珈琲豆を郵送する時に、一寸一言添えるのは、それ程苦にならないのに、
このページの原稿となると、とたんに煮詰まってしまうのは何故なんでしょうね。
やっぱり、このページは、誰が見ているかわからないという意識から来る“カッコ付け”でしょうか。
6月、衣替えの月です。
サラッとカッコ付けの衣を替えて、またこのページを楽しんで読んでいただくために、身の回りの題材を探し始めるましょうっと・・・。
PS. 4月のこのページで書いた、雲雀(ヒバリ)さんの声、あれから結構あちこちで聞こえています。
麦畑はなくても、草むらを捜して巣作りをしたんでしょうね。
2016/05/31
思いつくままに (2016/5月)
先月のこのページにも書きましたが、今年は、水害の影響で河川敷の麦畑は、麦が播かれませんでした。
それでも、何回か掘り返された畑は、結構、雑草がびっしりと生えて、きれいな薄緑色の絨毯様になっています。
店の前のKさんの畑も、昨年より植え付けてある野菜の種類は少なくなっていますが、
空豆やトウモロコシの延びは、昨年より格段に良いように感じます。
昔から、洪水に覆われた土地は肥沃になると言われていますが、
この河川敷の畑地も、きっと栄養豊富になっているのでしょう。
麦は間に合いませんでしたが、米の方は、農家の人たちやボランティアの皆さんの努力で、田んぼや用水路の整備を終え、
何とか作付けができるようで、今、一面に水が張られ始めています。
例年のように、ゴールデンウィーク中に田植えが終えられそうです。
麦の方も、来年は、栄養豊富な畑で、立派な実りを見せてくれるでしょう。
人間は、半年経って、一寸疲れが出て来始めているような気がします。
でも植物たちは、一旦は根こそぎ取り上げられてしまった環境の中で、
したたかに新しい命を育み始めているようです。
自分の思い通りではない状況であっても、
その中でこつこつと歩んでいく姿勢を教えられた気がしたと思うのは、読み込みすぎでしょうかね・・・。
2016/04/30
思いつくままに (2016/4月)
相変わらず、朝、愛犬プー太郎と鬼怒川の土手を散歩しています。
土手ののり面では、菜の花や仏の座、それにカラスノエンドウや蓬などが、春の到来を感じさせ、
“年々歳々花相似たり”の言葉を思い起こさせてくれます。
ウグイスやコジュケイ、シジュウカラなどの鳥たちも、賑やかに啼いて、こちらも春の訪れを思わせます。
でも、今年は、一寸今までとは違っています。
それは、土手の下に拡がる(はずの)麦畑が、黒い土のままだと言うことです。
昨年9月の水害の時に、この辺の麦畑を一括して請け負って居られた方が、
トラクターなどの機械類を無くされたため、麦播きができず、そのままになってしまったからなんです。
店の前の麦畑もそうですが、一応土の掘り返しはしたものの、種まきまではできなかったようです。
例年なら今頃は、青々とした絨毯の様な光景が拡がって、
その中に隠れるように巣作りをした雲雀のさえずりが、うるさいくらいのはずなんですが・・・・。
そういえば今年は、雲雀の声を余り聞きません。電線に止まって啼いているのは何度か聞きましたが、
空高く舞いながら啼いているのは記憶にないですね。
麦畑がなくては巣作りも思うようにはできなかったのではないでしょうか。
他の鳥たちはともかく、雲雀の子育て、今年ちゃんとできたのかどうか、一寸心配しています。
2016/03/31
思いつくままに (2016/3月)
3月になります。
水戸の偕楽園や筑波山の梅祭りが始まって、今真っ盛りですが、3月と言えばやはり、雛祭り、桃の節句ですよね。
でも、桃の花というと、梅と桜に挟まれて、何か今ひとつ影が薄い感じがします。
梅の名所、桜の名所はあちらこちらにありますが、桃の名所というのは余り聞きませんよね。
この近辺では、古河市の総合公園に1500本程の花桃の木があって、3月後半から桃祭りが行われます。
以前一度行ってみたことがありますが、地元の商店の人たちのお店がたくさん出ていて、結構楽しめました。
3月と言えばもう一つ、卒業式のシーズンですね。
卒業というと、別れ、巣立ちといった言葉が浮かんできます。
一つのことを成し遂げて、次の新たなステージに入っていくというイメージになるのでしょうか。
年金世代の年齢になると、日常の中では、卒業式というセレモニーとはご縁がなくなりますが、
現役時代にはやれなかった自分の好きなこと、やってみたかったことにチャレンジすることが、大切になってくるような気がします。
新たなステージに入っていくために・・・。
2016/02/29
思いつくままに (2016/2月)
2月になります。
この冬は、暖冬だと言われていたのですが、1月の後半には、数十年ぶりとかの寒波に見舞われて、
西日本、特に九州や沖縄でも雪のニュースで話題になりました。
昨年の我が常総市での水害時の雨の降り方もそうでしたが、
これまで経験したことのない自然現象・自然災害が頻発しているようです。
“想定外”とか“何十年生きてきて初めて”と言ったコメントを最近よく聞きますが、
それだけ、温暖化による影響が大きいのでしょう。
それでも、店の前の花壇に目をやると、去年と同じように、
福寿草が、土を掻き分けてちっちゃい芽を出し、先端にちょこんと黄色い色をつけています。
地球的規模での変化に注意しながら、
目の前の小さな移り変わりを楽しむことも忘れずに居たいなと、ふと感じた1月の終わりでした。
2016/1/31
思いつくままに (2016/1月)
新年おめでとうございます
昨年は、大勢の方々に支えていただいていると言うことを、本当に実感した年でした。
鬼怒川決壊という水災から四ヶ月、まだ街中は、通常の状態には ほど遠い状況ですが、
再開するお店が少しずつ増えてきました。
七〇代八〇代の方々が
「立ち止まっているわけにはいきませんから」
と頑張っておられる姿には頭が下がります。
珈和も微力ながら、珈琲を通して、ホッと一息ついて、
『明日も頑 張ろう』とお帰りいただける店であり続けたいと願っています。
この一年よろしくお願い致します。
2016年 睦月朔日
思いつくままに (2015/12月)
今年もまた、12月になってしまいました。
今年は、9月の鬼怒川決壊による水害で、皆様にはご迷惑をお掛けしたのに、
沢山の温かいご支援、励ましを戴き、本当に有難うございました。
先日も足利の友人が、「2ヶ月経って、そろそろ疲れが出てきただろうから」
と言って足利名物の甘いお菓子を送ってくれました。
時期に合った心遣いに感謝です。
で、気持を入れ直して迎える12月。
師走、使果つる月、1年の締めくくりの月です。
毎年の事ながら、お歳暮、クリスマス、年賀状、大掃除、お正月の準備と忙しい月ですね。
でも、忙しさに追われながらも何かをしていられること、
ブツブツ言いながらも、毎年恒例のなすべき事柄を
普通にやれることの有り難さを、今年はつくづくと感じています。
とにかく健康に気を付けて、今やれることを一生懸命やりながら、
新しい年に向けて、もうひと頑張りする、
そんな1ヶ月、そんな12月を過ごせたらいいなと思っています。
今年の除夜の鐘を、感謝して聞きたいですね。
2015/11/30
思いつくままに (2015/11月)
鬼怒川決壊による水害から2ヶ月近くが経ち、営業を再開するお店がポツポツと増えてきました。
それはとても勇気づけられ、うれしいことなのですが、
一方で、廃業を余儀なくされたお店の話も、ちらほら耳に入ってきます。
何十年と、この水海道の地で商売をやってきた人が、この自然災害によって、
店をたたまざるを得なかったというのは、本当に残念で、悔しいことだと思います。
水害で被災してしみじみ感じたこと・・・水に浸かってしまうというのは、全部駄目にしてしまうんだなぁということです。
床上1mであっても、床上10pであっても、畳はすべて駄目になり、
壁も水に浸かったら、中の断熱材が濡れて、カビの発生の元となってしまうので、壁そのものも取り替えざるを得ないというのです。
勿論、水に浸かった家電製品も食器類も、皆廃棄処分です。
「家に帰ったって、箸一本ないんだよ。」
って言われたときは、正直ショックでした。
そしてまた、
「修理が終わって家に帰れたとしても、まわりのみんなは 帰ってきてくれるんかなぁ」
という言葉にも、返す言葉がありませんでした。
生活を根幹から作り直さねばならないというのは、本当にしんどいことです。
でも、
「立ち止まってはいられませんから」
といって笑ってくれた、お店のご主人の言葉に共感して、明日に向かわなくっちゃと思います。
2015/10/31
思いつくままに (2015/10月)
この度の鬼怒川決壊による災害では、皆様に大変なご迷惑、ご心配をお掛けし、申し訳ありません。
お陰様で、珈和は比較的軽微な被災で済んで、27日から営業を再開することができました。
これも皆様の沢山のご支援のたまものと、本当に感謝しております。
これからも、皆様にホッとしていただける店造り、珈琲造りを目指していきますので、一層宜しくお願い致します。
今回の氾濫では、いろいろなことを考えさせられました。
何人かの方には申し上げましたが、私にとって、鬼怒川の氾濫は、
”あり得ることだとは思っていたが、
実際にはないだろうと思っていた”
ことでした。
それは、願望からくる物もありますが、これまでの経験に引っ張られて、
希望的観測というヤツを起こしてしまった所為だったと思います。
マスコミなどでは、避難指示が出ていたのに、何故逃げなかったのかという論調があります。
そして今まで他のところでの災害報道を見ていたときの私自身もそのような感覚を持っていましたが、
実際にその場になってみると、今まで何年もそんなことはなかったのだから、今回も大丈夫なんじゃないか、
大丈夫であって欲しいと言うような非科学的論理にはまってしまったようです。
痛い目に遭わないとわからないのも人間の性(さが)なのでしょうか。
それでも、痛い目に遭ったその経験を、次に伝え続けることが、
経験の積み重ねに繋がっていくのでしょうから、語り続けなければと今思っています。
2015/09/30
思いつくままに (2015/9月)
9月を迎えます。
ついこの間まで、猛暑だ熱中症だと騒いでいたのが、お盆を過ぎたらとたんに、過ごし易い陽気になりました。
と言ってもそれは、ここ水海道近辺の話で、全国的にはまだまだ残暑厳しい地域もあるようですが・・・
よく、暑さ寒さも彼岸までと言われますが、今年はお彼岸ではなく、
ほぼ一ヶ月前のお盆がその分水嶺になったようです。
それでもまだまだ、寒の戻りならぬ暑の戻りがあるかも知れません。
暑さ寒さ(涼しさ?)を繰り返しながら季節は巡って行くのでしょう。
そんな巡る季節を感じる生活ができることに感謝です。
近頃は、食べ物だけでなく自然すら、季節外れ、初体験ということが言われます。
それでもふと立ち止まって、ゆっくり周りを見回してみれば、
果物も野菜も草花も、ちゃんと時季を得て巡っていることに気付かされます。
大地の恵みに感謝し、季節の移ろいに感動しながら、今年も食欲の秋を迎えたいと思います。
2015/08/31
思いつくままに (2015/8月)
先月25日に、開店37周年を迎えることができました。
37年前は、現在の場所ではなく、市役所そばの貸店舗でのスタートでしたが、
やはり、今年と同じように、とても暑い毎日だったと記憶しています。
しかも、エアコン用の電気が前日の夕方まで入らなかったので、店内は蒸し風呂状態。
中で30分ぐらい準備をしては、炎天下の外へ出て行って涼をとって来て
また作業するという状態で、大変な開店準備でした。
お手伝いして下さった皆さんのお陰で何とか初日を迎えられたのでした。
37年前ですから、私もかろうじて20代、お手伝い下さった方々も、ほぼ20〜30代でした。
だからあんな無理ができたのだろうなと思います。
あれから37年、何とかつぶれずにやってこられたのも、
開店当初からご支援下さった皆さんのおかげだと、心から感謝しています。
あと何年続けられるかわかりませんが、感謝の気持ちを忘れずに、
ほっと心安まるお店で有り続けたいと願っています。
一杯の珈琲を大切にしながら・・・
先月のこのページに書いた珈和の看板犬(?)プー太郎も、同じ7月25日で満14歳になりました。
こちらもあと何年居られるのかわかりませんが、 ともどもに、よろしくお願いいたします!!
2015/07/31
思いつくままに (2015/7月)
珈和の看板犬プー太郎が、今月25日で満14歳になります。
人なつこい犬で、お客さんや近所の人たちからプーちゃんと呼ばれると、誰に対してもしっぽを振って愛想を振りまいていて、
“こりゃー番犬にはならないね。看板犬にはなるけど”と云われていました。
それが、最近、耳が遠くなってきたようで、
こちらを向いているときに声をかければ飛んで来るのに、後ろから呼ぶとほとんど気がつきません。
14歳って云うと、人間では80歳以上に相当するそうなので、仕方がないのかも知れませんが・・・。
呼んでも気付かずしらん振りしている位なら別に構わないのですが、聞こえにくくて不安になるのか、無駄吠えが多くなりました。
吠えると云っても、狂ったように大声で、と云うわけではありませんが、やはりご近所には気をつかってしまいます。
それと、前からそういう傾向があったのですが、余り馴染みのない人に、頭をなでられると、警戒してうなり声を上げるようになりました。
声を出すだけで、噛み付いたりはしないのですが、そこはやはり動物ですから、何時牙をむくかはわからないので、少し緊張して見ています。
あごの方に手を出して下されば問題ないのですが、いきなり頭に手が出ると一寸気になります。
まぁそれでも、まだまだポーッとしておとなしい犬であるのは変わりありませんので、
これからも、珈和の看板犬として皆さんにかわいがっていただければ嬉しいなと思っています。
2015/06/30
思いつくままに (2015/6月)
大麦の刈り入れが始まりました。
麦そのものは、”麦秋”の言葉通り見事に黄色く色付いて、いつ刈られてもいいような状態でしたが、
今年は、今まで以上にカラス麦や矢車草の混入がひどく、麦の穂が見えないくらいでした。
こんな状態で大丈夫なのかな、どうするのかなと思っていたのですが、例年通り、普通に(?)刈り取られました。
それでも一部は残されています。
見てみると、そこは、麦よりも矢車草の方が優勢で、矢車草の中に麦が混入しているかのような状態です。
麦の種がまかれ、芽を出し、少しづつ伸びていっていた去年の11月12月の頃には、当然矢車草は影も形も見えませんでした。
それが、3月4月になったら突然勢力を拡大し、麦の刈り入れを断念させる程にはびこってしまう。
植物の世界も大変なんですね。
刈り取った麦は、その場で実だけがしごき落とされて別のトラックに積み込まれ、茎はそのまま畑に放置されます。
いつもですと、それを畑の野菜や草花の布団にするために、近所の方々が集めにくるのですが、今年はまだ誰も貰いに来ていません。
やはりカラス麦や矢車草がたくさん混じっているからなんでしょうかねぇ。
2015/05/31
思いつくままに (2015/5月)
異常気象だ、エルニーニョだと騒いでいても、季節はやっぱりきちんと巡ってきてくれたようです。
5月を迎え、木々の緑が一段と鮮やかになってきました。
気温も上がってきて、いよいよ初夏の風情が漂い始めています。
暖かく(暑く?)なって来たおかげか、窓際に置いてあるコーヒーの木にやっと小さな白い花が咲き始めました。
数年前にお客さんから、小さいポットで戴いた物で、2度ほど植え替えして1m50cm位に伸びています。
昨年も花芽がいくつか付いたので、咲くかなと期待したのですが、花芽のままで終わってしまいました。
今年は、花芽が順調に大きくなってきていたので、もしかしたらと思っていたら、今回は期待通り一つ二つと咲き始めてくれました。
花が咲いたら、次は実ですよね。
白い花が赤い実へと変わっていってくれたことを、またこのページで報告できたらうれしいですね。
まぁそうは言っても、10ヶや20ヶ花が咲いたくらいではできる実の数も知れていますから、
収穫すると言うよりは観賞用として楽しむくらいでしょうが・・・。
2015/04/30
思いつくままに (2015/4月)
4月を迎えます。
今朝(30日)、犬の散歩で鬼怒川の土手にあがったら、河川敷の麦畑一面に、川霧が立ちこめていました。
お彼岸を過ぎて、だいぶ暖かくなってきたかなと思っていたのですが、
まだ朝の川面の温度と麦畑の地温とは結構差があったのですね。
それでも、あと何日かして地熱があがってきたら、もう見られない景色なんですよね。
春本番になる少し前の貴重な光景でした。
春本番といえば、4月の声を聞くと何か浮き浮きした気分になります。
茶色一色だった土手ののり面もヨモギや詰め草、カラスノエンドウ、スイバ(スカンポ)等が次々と咲き、
緑の部分が多くなってきて、何か若やいだ気分です。
近くの公園や川沿いの桜も、気がついたらほぼ満開、菜の花やコブシの花と、彩り鮮やか。
店の前の通学路を、小中学校の新入生がにぎやかに通っていくのももうすぐですね。
楽しいことを一杯想いながら、さぁ、今日もお仕事頑張らなくっちゃ・・・・。
2015/03/31
思いつくままに (2015/3月)
1月以上に、あっという間という感じで2月が飛んでいってしまいました。
今日は月が変わって3月1日、焦ってページ更新の作業をしています。
3月を目前にして、さすがに寒さもちょっと変わってきたような感じがします。
春3月といいますが、やはり3月になると春到来の雰囲気が出てくるんでしょうか。
足もとを見てみると、福寿草やフキノトウが勢力を増しており、ご近所の枝垂れ梅もポツポツと花をつけています。
そういえば、公園の桜も、枝に少し薄いピンク色のふくらみがあったような気がします。
2月が春を待つ月なら、3月は春を探す月なんでしょう。
まだちょっと寒い日もありますが、春を探しにフラッと外に出てみましょうか。
2015/03/01
思いつくままに (2015/2月)
あっという間に1月が終わってしまいました。
2月は節分、(季)節が分けられて、春となります。
でも、感覚的には、春そのものというより、春を待つ・春を迎える準備の時というところでしょうか。
準備の時といえば、昨日(1月30日)の雪の後、今朝になって気がついたら、
店の南の花壇にちっちゃな福寿草の芽が二つ。
そのうちの一つの方が黄色くほころび始めていました。
雪はもう解けてしまっていたので、雪の下から、というシチュエーションにはなりませんでしたが、
春を待つ気分には、充分でした。
夕方に比べてなかなか変化しなかった日の出の時刻も、やっと少しづつ早くなってきたようです。
少しづつ、でも確かに、春は近づいてきています。
楽しみの中に、2月を迎えたいと思います。
2015/01/31
思いつくままに (2015/1月)
2015年が明けました。
昨年末には、“一年が過ぎるのが早い。何でこんなに早いのか”と、ブツブツ言っていたのですが、
年が改まっても、その感じは変わらないような気がします。
暇を持てあまして、時間を追いかけているようでは駄目、
時間に追われてバタバタしているのが活動している証拠、などと言われてその気になっていましたが、
能力の低下で間に合わなくなって、それでバタバタしていたというのが実態でしょうか。
確かに処理能力は落ちてきていますが、それでも、
こうして毎日お店に立って皆さんに珈琲を提供し、お話をすることができるのは、ありがたいことです。
一つ所に居続けていながら、いろんな方からあちらこちらのことを教えていただき、
いろんな経験を話していただけるのも、この仕事をしている者の役得ですね。
今年2015年も、時間に追われてバタバタしながら、おいしい珈琲を求めてもがき続ける一年でありたいと願っています。
かうひいや珈和のこの一年、どうぞよろしくお願いいたします。
2015/01/01
思いつくままに (2014/12月)
いよいよ12月、1年締めくくりの月となりました。
今年は、2月に母が亡くなり、4月に初孫が誕生し、その直前に私が大腸憩室炎という病気で
一週間ほど緊急入院しと、あわただしい感じで始まった年でした。
でもその後は比較的落ち着いた感じで、お店の方も、相変わらず静かな(?)毎日で、たんたんと過ぎてきましたが、
さすがに、12月の声を聞くと、何とはなしに、少し心急かされ始めました。
何なんでしょうね。
月が変わり、その月を過ごし、また次の月を迎える。
その繰り返しは、他の月でも同じ筈なのに、何故か12月は、“さぁ”とか“いよいよ”とかちょっと身構えます。
12月は、年賀状の準備に始まって、お歳暮、クリスマス、大掃除、お正月の準備など、
“師が走る”ほどに日常行動以外の雑事に追われているからでしょうか。
毎年毎年、今年こそは早めに○○の準備をしようと決意しながら、間に合わなかったり、やり残したりの繰り返し。
ちっとも“仕果つる月”にならぬままお正月を迎えることになっているからそう構えるのでしょうか。
今年は、2月に亡くなった母のおかげ(?)で、一応年賀状の準備はしなくて良い事になり、少しゆとりがある筈なんですが・・・。
ゆとりがあっても無くっても、やっぱりいつもの様にバタバタして年の瀬を迎える、それが私の師走なのでしょうか。
2014/11/30
思いつくままに (2014/11月)
今年も、カレンダーが残り少なくなってきました。
先月のこの欄で、“いよいよ秋の始まりでしょうか。”と書いたばかりなのに、
もう初霜や初雪の話がチラホラと伝わってきます。
と言っても、それは北日本や3000メーター級の高い山での話で、
この辺ではまだ、紅葉の見頃はどこかなんて事が話題の中心です。
そんな秋の風情と初冬の情報を一緒に語れるのが、細長い日本列島のいい所(?)なんでしょうね。
で、まだ秋の風情を語りたい私としては、日光の紅葉はどうかなとか、
ひたち海浜公園のコキアは、まだ見頃かななどと考えもするのですが、ふと目を上げると、
目の前の畑では、白菜やほうれん草、大根などが見事に育っていて、それらの野菜達を見ると、
「あっ、今晩は鍋物で一杯なんていいなぁ。」
と、しっかり冬野菜の冬料理に思いが飛んでしまったりします。
朝晩の冷え込みで、枯草ばっかりになった鬼怒川の土手を散歩しながら、
そろそろ炬燵を出そうかななんて考えているからそんな方へいってしまうんでしょうかね。
11月、霜月。師走の前の、まだちょっとゆとりある一時、珈琲を楽しみながらお過ごしください。
2014/10/31
思いつくままに (2014/10月)
庭先のキンモクセイが、香りよく花を咲かせ始めました。
いよいよ秋の始まりでしょうか。
夏の終わり頃の長期予報で、気象予報士の方が、
“今年は、秋がちゃんとありますから・・・”
と言っておられたそうですが、それだけ最近は、例年とは違う気象現象が多発しているということなのでしょう。
確かに、今回の御嶽山の噴火やあちこちで続いている地震、比較的狭い範囲でとはいえ猛烈な集中豪雨、竜巻など、
いわゆる天変地異を思わせるようなことは頻発しています。
それでも、曼珠沙華やコルチカムは忘れずに花を咲かせてくれましたし、
アオマツムシと思われる虫は、今年も周防の葉っぱの陰で耳が痛くなるほどの声量で鳴いています。
やっぱり秋なんですね。
秋を迎え、季節を感じることができるというのは、きっと幸せなことなんでしょう。
公園の桜は、赤い葉っぱの絨毯を拡げ、散歩する人たちは薄いジャンパーなどを着始めています。
衣替えの10月、身に付けるものだけではなく、心も秋バージョンに替えて、過ごしたい。
珈和の珈琲がそれに少しお役に立てるよう、また焙煎釜に向かいます。
2014/09/30
思いつくままに (2014/9月)
9月1日は防災の日で、各地で様々な訓練や関連イベントが行われます。
この日が防災の日とされたのは、関東大震災が起きた日であるという事と、二百十日に当たる日だからだそうです。
地震に関しては、あの3.11東日本大震災の記憶がまだ新たなこともあって、納得できるのですが、
もう一つの二百十日の方は、今では何となくぴんとこない感じがします。
最近の温暖化に伴う気象状況の変化で、台風は、以前のような進路を通るとは限らなくなりました。
7月の台風は、西へ進んでフィリピンから台湾の方へ。8月は中国本土へ流れ、9月になると太平洋高気圧の縁を回って日本へ上陸する。
昔の教科書ではそんな風に教えられたような記憶があります。
それが近頃は、7月、8月でもこちらへ回ってくるようになり、
中にはまっすぐ北上して東海から関東の沿岸に乗り込んでくるものも出る始末です。
9月に入ったら、二百十日、二百二十日を思い出して台風に注意するようになどと言う感覚は、
もう亡くなってしまったような気がするのは私だけでしょうか?
とはいっても、今の風雨被害は、尋常ではない規模で襲ってきます。
いつ、どこで起きるかわからない状況ですから、二百十日を死語とはせずに、もう一度緊張感を持って防災の日を迎えたい。
そんな気持ちを新たにしているこの頃です。
2014/08/31
思いつくままに (2014/8月)
今年の梅雨明けは、去年より少し遅れて、22日と下旬にずれ込みました。
遅かった所為ではないでしょうが、梅雨明け宣言と同時に、猛烈な暑さがやってきました。
この暑さ、地球温暖化のためか、随分と暑くなっているようで、表現の仕方も、
夏日(25℃)・真夏日(30℃)そして猛暑日(35℃)と次第に高くなって来ています。
“昔はこんなに暑くはなかったよなぁ“という声をよく聞きますが、確かに、私たちの子供の頃(昭和30年代)は
打ち水をした庭先に縁台を持ち出して、冷やしたスイカやキュウリなどをかじっていれば、そしてうちわの一つもあれば、
結構涼しい時間を過ごせたように記憶しています。
エアコンなどというものはありませんでしたが、
コンクリートの建物やアスファルト舗装の道路もまた、ほとんどありませんでしたから、
その程度の暑さ対策で十分だったのでしょう。
それが、電化生活が田舎の隅々まで普及し、自家用車を停めるスペースのために庭先をコンクリートで覆うようになると、
エアコンの室外機から大量の熱風を出し、打ち水をしてもしみこまない庭先は、ギラつく太陽の熱をそのまま反射して、家の周りから暑さを運んでくるようです。
ということは、この暑さは地球規模の温暖化の所為だけではなく、私たちの生活の変化からくる部分も、結構あるのでしょうね。
2014/07/31
思いつくままに (2014/7月)
7月、1年の後半に入ります。
沖縄では、もう梅雨明けしたそうですが、こちらは、いま梅雨時真っ盛りです。
梅雨の季節というと、シトシト、ジメジメの表現が浮かんできます。
でも最近の雨の降り方は、短時間集中豪雨型で、シトシトというよりドカッ。
しかも、先日の三鷹市のように、雹(ひょう)混じりの雨になって、道路をまるで川のように流れていたり、
雷や突風(竜巻)を伴った雨だったりと、梅雨時の風情なんてもんは全く感じられません。
最近、いろんなことで以前のゆったりした感じ方、風情がなくなってきたといわれます。
それは、人間社会の営みの話かと思っていたら、自然界でも前とは変わってきていることがあるんですね。
それでも、自然界の方は、人間界と比べたらあまり変化はないのでしょう。
梅雨も今月半ばには終わって、またあの暑い夏の日々が始まるはずです。
夏、七夕、お中元、祇園祭、そして花火大会・・・・
ジトッとせずに、躍動的な夏の日々を、例年と同じように迎え、過ごしていきたいですね。
ちなみに、今年の水海道の祇園祭は、19、20日の土日に行われます。是非お出かけください。
2014/07/01
思いつくままに (2014/6月)
6月になりました。 衣替えの季節です。
と言っても最近は、ファジーな日常を反映しているのか、6月1日にぴたっと切り替えるということは、少なくなりました。
店の前を通る中高生たちは、一週間ほど前から夏服になっており、テレビでも、何日か前から、クールビズの話題で持ちきりです。
確かに、1日から気象環境がパッと変わるわけではありません。
その年によって、暑さ寒さが違うのですから、その前後の適当な時期を選んで衣替えするというのは、至極当然なことです。
それでも、6月の夏服への衣替え、10月の冬服への衣替えという行為には、
その季節季節にあわせて暮らしを変えてきた先人たちの知恵がありました。
現代のようにエアコンで暑さ寒さを調整することのなかった時代には、
1年のそのときそのときで服装などでの調整が必要だったのでしょう。
そんな、暮らしを見つめる目を大切にしていきたいなと思います。
そういえば、礼服の夏物冬物の切り替えも、この衣替えの時に合わせるのだということを着物の販売をしている方から伺いました。
納得!
2014/05/31
思いつくままに (2014/5月)
4月末の10日ほどを突然お休みしてしまい、申し訳ありませんでした。
で、久しぶりに土手にあがってみると、わずか10日足らずのうちに雰囲気はずいぶんと変わっていました。
枯草が大半を占めていた土手ののり面は、詰め草やカラスノエンドウなどが繁茂して青々と変わっており、
山藤の花はすでにほぼ散ってしまい、ウグイスの鳴き声はとても上手になっていて・・・
どれも、毎年同じように経験していたはずのことなのですが、
ちょっと間をおいて見聞きするとこんなに新鮮に、物珍しく感じるということに、少し驚きました。
植物たちや鳥たちは、別に今回だけ特別な表現をしていたわけではもちろんないので、私が勝手にそう思ったというかそう感じただけなのですが、
同じシチュエーションでも、自分の感情の有り様によって、受ける感覚が結構違ってくるというあたり前のことに、
そういう感覚というか感情を、まだ自分が持っていたことに、驚いたわけです。
65歳を目前にして、体力・気力の衰えを否応なしに思い知らされている身ですが、
感覚・感情はまだまだ大丈夫かなとちょっとうれしくなった愛犬との散歩の朝でした。
2014/05/01
思いつくままに (2014/5月)
4月末の10日ほどを突然お休みしてしまい、申し訳ありませんでした。
で、久しぶりに土手にあがってみると、わずか10日足らずのうちに雰囲気はずいぶんと変わっていました。
枯草が大半を占めていた土手ののり面は、詰め草やカラスノエンドウなどが繁茂して青々と変わっており、
山藤の花はすでにほぼ散ってしまい、ウグイスの鳴き声はとても上手になっていて・・・
どれも、毎年同じように経験していたはずのことなのですが、
ちょっと間をおいて見聞きするとこんなに新鮮に、物珍しく感じるということに、少し驚きました。
植物たちや鳥たちは、別に今回だけ特別な表現をしていたわけではもちろんないので、私が勝手にそう思ったというかそう感じただけなのですが、
同じシチュエーションでも、自分の感情の有り様によって、受ける感覚が結構違ってくるというあたり前のことに、
そういう感覚というか感情を、まだ自分が持っていたことに、驚いたわけです。
65歳を目前にして、体力・気力の衰えを否応なしに思い知らされている身ですが、
感覚・感情はまだまだ大丈夫かなとちょっとうれしくなった愛犬との散歩の朝でした。
2014/05/01
思いつくままに (2014/4月)
3月も終わり、4月を迎えます。
春三月という言葉もありますが、春というと、新入生を迎える4月の方が、やっぱり本番という気がしますね。
毎年のことですが、空ではウグイスやひばり、シジュウカラなどが賑やかに鳴き交わし、
地上ではコブシやレンギョウ、スオウなど、色とりどりの花をつけはじめていて、
何かこう、静から動へ切り替わっている感じがします。
毎年変わらず起きていることでも、そのことを起こすスイッチが動いているというのは、
とても大切なことなんだという気がします。
眠っている(眠ろうとする?)機能や気持を揺り動かして、芽吹きの春を迎えましょうか。
取り敢えず、お花見からかな。
2014/03/31
思いつくままに (2014/3月)
私事で恐縮ですが、去る2月21日に、私の母(古井ふゆ)が永眠致しました。1920年1月1日生まれの94歳でした。
母は、大正から昭和初期の時代に、女子聖学院から東洋英和女学校の幼稚園師範科に学んで、幼稚園教師になった、当時としてはハイカラな女性でした。
戦後、水海道の二葉幼稚園に赴任し、結婚後は家庭に入って我々3人の子供を育てることに専念するという、典型的な昭和の女性でした。
女性の自立が叫ばれている現代から見れば、なんともったいないと云われるかも知れませんが、母なりには納得した生活だったのでしょう。
“鶏頭萌ゆ 妻はやたらに 子に呼ばれ“
父がその頃の我が家を詠んだ俳句です。
子供たちに頼られ、子供たちにいろいろ教え、子供たちを結構厳しく躾け、大勢の子供たちとではありませんが、
自分のそばに居る3人の子供を教育することに喜びを感じていたのかも知れません。
晩年は、アルツハイマー病になり、いろんな事がわからなくなってしまいましたが、
最後の10年ほどを過ごさせていただいたどんぐり荘という施設では、そんな母を、
“ふゆさんの笑顔に癒やされるんですよ”と云ってくださいました。
直接、口で言うことはできなくても、そこに居るだけで周りに何かを伝えていける、
そんな母の生き方を、存在を、心に留めて生きていけたらなぁと思っています。
葬儀が終わった翌日、犬の散歩で土手を歩いていたら、雲雀の鳴き声が聞こえてきました。
あれっと思って足下を見ると、ヨモギの緑色の葉っぱがそちこちに。
いつの間にか春がすぐそこまで来ていたんですね。
“ふゆが逝って、春が来た。”
そうつぶやいてまた歩き出した私でした。
2014/02/28
思いつくままに (2014/2月)
2月に入って、店の前の麦が、少し黄色くなってきました。
一寸不思議でした。
麦は、寒さには強いはずなのに、どうしてなのかなと思っていたのですが、
多分、このところ、雨が少なかったのが原因なんじゃないかなと云う気がします。
それともう一つ、ここ何日か、明け方の寒さで、霜柱が立っていました。
昔は、霜柱で持ち上げられてしまった麦の根を、元に戻してまたしっかりと根付かせるために、
足で麦を踏みつける、麦踏みと云うことをしていました。
最近は、畑の作付面積が、昔の何倍かになってしまったので、大きなトラクターに取り付けたローラーで
麦を押さえつけるようなことを何回かやっていたのですが、今年はまだ一回も押さえていませんでした。
そのために、根っこが浮き上がってしまって、益々水分をとれずに黄色くなってしまったのだと思います。
寒さには強い麦でですが、乾燥には強くありません。
乾いて枯れてしまうのを防ぐため、麦踏みという行為があったのでしょう。
弱いところを補完して、ケアするからきちんとした結果を出せる・・・・・
私たちの生活の、いろんなところに云えることなのかなぁと思います。
思いつくままに (2014/1月)
新年おめでとうございます
暦が一巡りし、またお正月がやってきました。
昨年も、自然界・人間界共に、いろいろと騒がしい一年でした。
そんな中でも、私たちの住んでいる水海道は、
良くも悪しくも静かな中で、一年が過ぎたように思います。
心泡立たせられる出来事が多い中、静かな環境で居られるということは、
考えようによっては、珈琲屋として恵まれたことなのでしょう。
二〇一四年午年。今年もいろいろ賑やかな一年になるのかも知れません。
それでも、 “一杯の珈琲を大切に ”
の心を忘れずに、淡々と、あるがままで過ごして行く一年でありたい。
どうぞよろしくお願い致します。
二〇一四年睦月朔日
思いつくままに (2013/12月)
12月になりました。
一年最後の月、締めくくりの月です。
この一年、どんな一年だったのか、何ができて、何をし残したのか、じっくり考えてみることが大事でしょうか?
でも、12月という月は、そんなじっくり落ち着ける月ではありません。
忘年会、お歳暮、クリスマス、大掃除、それに、年賀状やお正月の準備等々、一年の中でも一番慌ただしい月でしょう。
師が走る、師走という呼び方がとてもしっくり来る月ですが、だからこそ、一年を振り返り、反省と満足を持って締めくくる月でありたいと思います。
そして、除夜の鐘の音を聞きながら、来るべき新たな一年に思いをはせつつ迎える大晦日になったらいいなぁと夢想しています。
その夢を実現するために、今から少しずつ動き始めなくっちゃと、今は決意している私です。
取り敢えず、年賀状の準備からかな・・・・?
2013/11/30
思いつくままに (2013/11月)
先日の台風のあと、朝五時前に犬を連れて散歩に行ったら、目の前、西の空に大きくオリオン座が輝いていました。
その前何日かは、ずっとお天気が悪く、星の見えない日が続いていたので、
もう冬の星座の季節になっていたことに、全く気がついていませんでした。
気付いてみれば、足下には色とりどりの小菊が咲き始め、ご近所の山茶花も二つ三つ花をつけはじめて・・・・・
先月も書きましたが、やっぱり季節ってちゃんと巡ってくるんですよね。
その季節の移ろいにちゃんと反応できる感覚を、大事にしなければいけません。
反応するためには、日々の仕事に追われていてはだめでしょう。
時間に追われるのではなく、時間を追うようにならなければ、ゆとりって生まれてこないような気がします。
今年(2013年)もあと2ヶ月。 1年で1番忙しい時期になってきます。
だからこそ、ゆとりを持って、季節の移ろいを楽しみながら、
1年の最後を過ごしていきたいと思う(願う?)この頃です。
2013/10/31
思いつくままに (2013/10月)
お彼岸が終わって、今年も、一気に朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。
異常気象と云われても、やはり季節は、ちゃんと巡ってくるんだなぁと感心させられています。
季節がちゃんと巡ってくるならば、私たちもそれに合わせて、行動の衣替えをしなければなりませんね。
そういえば、このところ、朝の散歩の時に出会う人たちの服装も、一気に上着や手袋と、秋から冬のバージョンになりつつあります。
食欲の秋と云いますが、涼しさと共に、味覚もより鋭敏になってくるのでしょうか。
珈琲も一段とおいしく感じられる季節です。
涼しさの中で、珈和の珈琲のおいしさを感じていただける様に、まず、豆の焼き具合やブレンドの比率を変更しましょう。
また今月も、珈和の珈琲をよろしくお願い致します。
2013/9/30
思いつくままに (2013/9月)
9月がやってきます。
連日、高温注意報が出され、熱中症に注意しろと云われていたのに、
夏休みの終わりが近くなってきたら、いつの間にか涼しい風が吹き始めていました。
近くの田んぼでは、稲穂が黄色く頭をたれて、中には、もう刈り入れしてしまった田んぼもいくつかあります。
足早に季節の交代が始まっているようです。
それにしても、今年の夏は、すごい日が続きました。
各地で、観測史上最高の気温になっただけでなく、
注意、警戒と云われていたのに、熱中症になった人が(年齢を問わず)たくさん出てしまいました。
かと思うと、いくつかの地域では、1時間に100ミリ以上という、想像を絶する雨になり、
平年の1ヶ月分が1〜2時間で降ってしまうという事態になっています。
常識とか経験とかに頼っていては、危険な時代になってきたと云うことでしょうか?
とは云っても、自分の身を守るのは、やはり自分自身です。
自然の声に注意深く耳を傾けて、日々を過ごしていきたい。
そして、自然の恵みに感謝して、食欲の秋を満喫していきたい。
防災の日を前にして、そんな事を、ノー天気に考えているのですが・・・・・
2013/8/31
思いつくままに (2013/8月)
7月ももう終わり。
朝、犬と散歩していると、ラジオ体操帰りの親子とすれ違いました。
夏休みなんですよねぇ。
今年は、梅雨入りも梅雨明けも早かったので、夏になって、もうだいぶ経つはずなんですが・・・・・
それなのに、なんか実感がわかないのは何でかなと思っていたら、ひとつ気がつきました。
蝉 なんです。
この夏、結構暑い日が続いているのに、蝉時雨、蝉の大合唱がまだそれほど聞かれません。
例年だったら、うるさいほどのあの声が。
まだ地面の下から出てきていないのかと思ったら、近くの児童公園の木の下には、
蝉の幼虫が出てきた穴が結構たくさんありました。
高温やゲリラ豪雨などの異常気象に、蝉さんも” 鳴り” を潜めているんでしょうか・・・・。
2013/7/31
思いつくままに (2013/7月)
早々と出た梅雨入り宣言のあと、しばらく雨の降らない日が続きましたが、
6月半ば頃からやっと、しとしと天気になりました。
と云っても、ずっとしとしと降っているというわけではなく、
いきなりドカッと集中豪雨的に降ることが結構あって、気を付けていないと大変なことになります。
雨と云えば、先月のこのページで、合歓の木のことを一寸書きましたが、
その合歓の木に、少しづつ花が咲き始めました。
ピンク色の淡い花弁は、まだ一つ・二つですが、化粧用の刷毛のようなこの花に雨の雫がかかると、
梅雨時の風情を感じるのは、私だけの感傷でしょうか?
そんなことを考えている内に、夏至も過ぎて、明日からはもう7月、2013年も後半に入ります。
夏、夏休み、祇園祭、花火大会、etc.・・・
今年の夏の暑さはどうなのでしょうか? 夏バテせずに頑張りましょう!
2013/6/30
思いつくままに (2013/6月)
今年は梅雨入りが早かったそうで、関東地方も5月29日には梅雨入り宣言が出ました。
梅雨入りは早かったのですが、例年ならもう刈り入れが済んでいるはずの大麦が、今年は、この近辺どこもまだ刈り取られていません。
穂はもうかなり色づき、野毛も結構開いているのですが・・・・。
梅雨入りして、雨の日が続いてしまったら、刈り入れはどうなるんだろうな等と、余計な心配をしています。
雨と云えば、朝、犬と共に散歩している雑木林で、いよいよ合歓の木が葉をつけはじめました。
この林の中では、いつも一番遅く葉が出てきて、合歓の葉を見ると雨空を思い出すんです。
そういえば、松尾芭蕉の句も
“象潟や雨に西施がねぶの花“
やはり雨の句でしたね。
今年の梅雨は、空梅雨ではなく、平年並みか、やや多めの降水量だとの予報が出ていますが、どうなりますか・・・
2013/5/31
思いつくままに (2013/5月)
朝、愛犬プータロウと散歩している雑木林では、山藤が今、咲き誇っています。
その足下では、シロツメクサやカラスノエンドウ、スイバ(スカンポ)などが、びっしりと地面を覆っています。
近くのあちこちの麦畑では、大麦だけでなく、小麦も穂を揃え始めました。
畑の上空では、雲雀が賑やかに鳴いており、林の中では、小綬鶏や鶯が鳴き声の良さを競っているようです。
木々の緑が、まぶしさを増しています。
あらゆる生きとし生けるものが、活動的になってくる季節ですね。
動くこと、まず動くところから、変わること、新しい何かを作り出すことが始まるのだなぁと感じています。
四月朔日と書いて、わたぬきと読むのだそうです。
四月になって暖かくなると、綿入れの着物を脱いで畑仕事などに精を出すようになるからだそうで、
自然と共に生きていた昔の人は、ちゃんと感じていたんでしょうね。
その旧暦四月朔日は、今年は5月10日(金)です。
まだまだ寒い日はありますから、綿入れを脱ぐかどうかはともかく、
自然界と共に、自然の中に入って、活動し始めようと,(今は)思っています。
2013/04/29
思いつくままに (2013/4月)
“その辺を、眺めるでもなくボーッとしているうちに”
3月も終わってしまいました。
桜の花も、パタパタと咲き始め、満開になり、もう桜吹雪の準備に入っているようです。
レンギョウ、雪柳、花スオウなど、色とりどりの花も次々に咲いて散り、キンモクセイの新芽が出始め・・・
暖かさにつられて一斉にいろんな物(事)が動き始めたようですね。
4月、新学期、新入社員・・・ボーッとする時間から踏み出して、活動を開始しましょう。
2013/03/30
思いつくままに (2013/3月)
あっという間に2月も終わってしまいました。
春三月、三月、弥生、
三月を表す言葉(呼び名)も、いろいろあります。
花月(かげつ)、花飛(かひ)、花老(かろう)、花咲月(はなさきづき)、花見月(はなみづき)、
などなど、花に関した呼び名が多く見られますが、
季春(きしゅん)、春抄(しゅんしょう)、殿春(でんしゅん)、春惜月(はるおしみづき)
など、春をイメージした呼び名も結構あります。
変わったところでは、竹の秋(たけのあき)、竹の葉っぱが黄色に色づく頃だからだそうです。
で、私の好きな三月の異称は、夢見月(ゆめみづき)
厳しい寒さもすこ〜し緩んだなか、その辺を、眺めるでもなくボーッとしている
そんなことが赦されそうな気がしてくる言葉だと思いませんか?
2013/02/27
思いつくままに (2013/2月)
寒い日が続いています。
暦の上では、2月になるとすぐ季節を分ける節分が来て、4日にはもう春立つ日、立春となります。
まぁ春とは云っても、”春は名のみの風の寒さや”ということで、むしろ一番寒さを感じる季節ですよね。
そう云えば2月の別称の如月は、衣更着とも書くそうです。重ね着をする月というのですから、
昔から寒い月だと認識されていたんですね。
寒いとどうも、炬燵が恋しくなって、活動が鈍りがちになります。
ヒートテックの下着かダウンのジャケットを重ね着して、
寒さに負けず、もうひと頑張りしましょう。
2013/01/26
思いつくままに (2013/1月)
新年おめでとうございます
一寸先の話になりますが、今年七月二十五日に、珈和は三十五周年を迎え、
店の看板犬プータロウは十一歳になります。
我々二人も還暦を過ぎ、六十代半ばに差し掛かろうという所です。
皆それぞれに少ぉしのガタが来ていますが、 そしてまた、
昨今の景気の落ち込みで、疲れを感じないわけではありませんが、
一杯の珈琲で笑顔を取り戻していかれたお客様、
ちっちゃなケーキを半分づつ分け合って食べていった若いカップルにうれしさを頂いて
また明日も「四季」のレコードと共に、店を始めよう、
それを繰り返す一年にしたいと思っています。
この一年、珈和と(プータロウと)我々をよろしくお願い致します。
2013年 初月
思いつくままに (2012/9月)
8月が終わり、9月に入っても、暑い日が続いています。
毎年、暑さ寒さも彼岸までと言う言葉を引用して、9月初めの暑さを慰めて(?)いましたが、
今年は、お彼岸過ぎても暑いよという気象庁の予報を聞いて、少しうんざりしています。
それでも、蝉時雨の主役が変わってきたり、夜、窓の外で鳴いている虫の声が
アオマツムシからコオロギに変わってきているのを聞くと、
自然は、そっと、我々(と言うか、鈍感な私)の気づかないうちに、気づかないように、
次を準備してくれているんだなと感じます。
そんな自然の思いやり(?)に素直に身をゆだね、明日を楽しみにして、
季節を楽しむ日々を過ごせたらすごいなぁなんて、
ちょっと訳のわからないことを、真面目に考えている今日この頃です。
2012/08/31
思いつくままに (2012/8月)
暑い日が続いていますね。
猛暑日だの、高温注意報だの、以前は聞かなかった言葉がテレビなどから流れてきます。
珈和でも、カウンターに座ったお客さんたちと、
“昔は30度を超すと、暑い暑いと云っていたのに、今32〜3度だと凌ぎやすく感じるよね。”
等という会話がなされています。
地球温暖化は、着実に進んでいると云うことでしょうか。
ここずっと雨も降っていないので、店の前の畑の作物たちもちょっとかわいそうな気がしていますが、
庭の草はフカフカボコボコの土にもめげず、力強く(?)伸びてきています。
それを引っこ抜きながら、その力強さ(?)を我が身に取り入れたいなどと変なことを考えている日々です。
2012/08/01
思いつくままに (2012/1月)
新年おめでとうございます
昨年は、震災や豪雨・突風と、忘れられない災害の続いた一年でした。
その故為か、一年を表す一文字は、「絆」が選ばれたそうです。
人と人がつながるという意味でこの言葉が選ばれたのでしょうか。
人は自分一人だけでは本当の自分、『人間』にはなれない。
人と一緒に居て、人の間にあって、初めて『人間』になれる。
そう考えると、人とつながる「絆」という言葉は、
とても大事な、基本になる言葉なのかなと思います。
この一年、その基本に立ち返って、
皆様との絆を深めてゆく一年でありたいと願っています。
2012年 睦月朔日
2012/1/1
思いつくままに (2011/11月)
このページの更新も、サボっているうちに、今年も終わりに近づいてきてしまいました。
今年になって、アップしたのが、1月〜4月と7月の5回、サボったのが5月・6月・8月〜10月の5回。 半分ですね。
あと2ヶ月、 ガンバラナクッチャ
で、書き出すことは、 携帯のことです。
先日、うっかりして、携帯電話を壊してしまい、新しいものに取り替えることになりました。
一瞬、スマホにとも思ったのですが、最近の脳力を考えて、結局らくらくホンに。
らくらくホンという言葉にだまされて、ろくに説明も聞かずにもらって帰り、箱を開けてみたら、
取扱説明書は厚さは前の機種の時と同じで、大きさは倍以上。
画面の文字は前より大きくて見やすいのですが、取説の文字は前と同じで小さい。
しかも、結構いろんな機能があって、設定をし始めると取説のお世話になりっぱなし。
もちろん電話やメールだけならば、すぐに使えて問題ないのですが、
“らくらく”ホンを使いこなせないなんて・・・などという変な自意識に踊らされて、四苦八苦しています。
こんなに携帯に集中するんなら、スマホにしても良かったかな等という妄想に取り憑かれそうな日々です。
来月の今頃、私の“らくらく”ホンは、十分に威力を発揮しているんでしょうか。
うまく使いこなせていたら、ご報告しましょう。
2011/10/31
思いつくままに (2011/7月)
今年の梅雨入りは、平年より12日早かったそうですね。
梅雨入りは早くても、明けるのはだいたい同じだそうですから、
今年の梅雨時というのは、ほぼ2ヶ月近く続くわけで、
いま、やっと後半に入ったところでしょう。
2011年も、後半に入ります。
私の住んでいる水海道は、梅雨に入っても、雨量はそれほど多くありませんが、
蒸し暑さ、寝苦しさは、例年通りです。
じめじめ気候はしょうがない。
でも心までは、じめじめしないよう気をつけましょう。
2011/6/30
思いつくままに (2011/4月)
三月になりました。
三月といえば、桜。
と、先月のこのページを書き始めました。
ところが、お彼岸を過ぎて、4月の声を聞こうと云う時期になっても、桜の便りが全く聞こえてきません。
と、思っていたら、2〜3日前(28日)になって、東京で開花宣言がでたというニュースが伝わってきました。
どうやら、震災のニュースにかき消されて、余り話題になっていなかったためのようです。
調べてみたら、西日本ではもう5分咲き以上の所もあり、関東でも、何カ所か咲き始めているそうです。
でも、この辺では、まだやっと蕾がふくらんできたかなという状態で、例年のような、
入学式まで咲いててくれるかなという心配は必要なさそうです。
桜も、地震に驚いて活動を停止したんではなく、やはり、それだけ今年は寒いのでしょう。
でももう少し。
桜と一緒に、元気を出して、前を向いていきたいと思っています。
2011/3/31
思いつくままに(2011/3月)
三月になりました。
三月といえば、桜。
『春三月 縊り残され 花に舞う』
ご存じの方も居られるかと思いますが、明治43年の大逆事件で難を逃れた大杉栄が、出所後、翌年3月に詠んだ句です。
学生時代に観た、吉田喜重監督の 「エロス+虐殺」の冒頭で、散る敷く桜の花びらとともに、
タイトルバック風に浮かび上がってきたこの句が、何故か映画の内容よりも鮮明に残っています。
『願わくは 花の下にて春死なん その如月の望月の頃』
こちらは西行法師が詠んだ歌ですが、如月とは旧暦ですから、やはり今の三月の歌と云えるのでしょう。
西行さんは、この歌を詠んだ十何年か後の、文治6年(1190年)如月16日(満月の日)に亡くなったそうですから、
大願成就の大往生だったのですね。
水海道でも桜の名所はいくつかありますが、今の大河ドラマの主人公 江 の長女千姫の菩提寺である弘経寺(ぐぎょうじ)も
一見の価値ありです。ヤフーの桜情報にも載っていますから、よろしかったらお出かけください。
2011/3/1
思いつくままに(2011/2月)
窓から見える畑の麦が、寒さにも負けず、順調に伸びています。
10p以上になっているでしょうか、まるで緑の絨毯のようです。
ここに来てやっと、日の延びを実感できるようになりました。
といっても、朝はまだそんなにはわかりませんが、夕方はずいぶん長くなったように感じます。
朝も、時間的には、10分近く変わっているそうで、確かに、日の出の位置が微妙に北にずれていますね。
夕方は30分以上遅くなったようで、窓から見える夕焼けも、心なしか暖かくなったような気がします。
今日は節分、明日は立春。
気象的には”名のみの春”ですが、気持的には、延びてゆく暖かさを心に持って、
また頑張っていきましょう。
2011/2/3
思いつくままに (2011/1月)
新年おめでとうございます
昨年も、あっという間に一年が過ぎてしまいました。
一年、三六五日もの間に、自分が何をしたのか、何ができたのか、
振り返っても、あまり思い出せません。
歳月が早く過ぎていくのを、年齢のせいにして、
惰性の日々に潜り込むことに慣れてしまっているからでしょうか。
珈和は今年三十三回目の誕生日を迎えます。
三十三年前を思い出して、当時と同じやり方ではなくとも、
一歩ずつでも前に進んでゆく一年でありたい。
成長する一年でありたい・・・それが今の、今年の願望です。
2011年睦月朔日
2011/1/1
思いつくままに (2010/1月)
新年おめでとうございます
二十一世紀に入って、早くも、十年目を迎えました。
この十年間は、自然界でも人間界でも、
いろんな事が沢山起こって、目が回りそうです。
変わるもの、 変わらないもの、
叶うこと、 叶わないこと
何が良くて、何が悪いのか、よくわかりませんが、
今の自分を『あるがままに』受け入れて、
時代遅れといわれても、不器用にコツコツとやっていく、
そんなペースの店を続けたいなと思っています。
2010年正月朔日
2010/1/1
思いつくままに (2009/6月)
新緑の5月も過ぎて、麦秋と呼ばれる6月になりました。
店の前で色付いていた大麦は、もう刈り取られて、麦わらは畑の野菜たちの布団になっています。
ちょっと時期がずれる小麦も、もうかなり黄色くなって、ほどなく刈り入れになりそうです。
刈り入れの終わった畑は、結構刈り残しやこぼれた麦粒があるために、鳥たちのいいエサ場です。
ムクドリ、ヒヨドリ、鳩、カラス、雀、ハクセキレイなど、賑やかにやってきています。
ただ、麦の中に隠れていたヒバリたちは、今度は何処へ行ったのでしょうね・・・・?
2009/6/1
思いつくままに (2009/4月)
あっという間に3月も終わり。
3月前半は、暖冬を引きずって、桜の開花が早そうだという気候でしたが、
後半は、早春賦の歌詞さながらの小寒い日が続きました。
それでも、土佐ミズキの鉢に居場所を確保した我が家の日本スミレは、濃紫色の小さな花を咲かせていますし、
店の前の麦畑では、大麦の穂がもう数日前から出始めています。
毎年のことですが、植物たちの、とき(季節)を見極める能力には感心させられます。
とき(季節・時節)というのは、日時・環境などの外的要因だけで決められるのではなく、
自分で感じる瞬間、 “今だっ” と云う(思う)感覚が大事なのではないかなと思うのですが・・・・・
そんな感性というか、ある種の皮膚感覚は、意識していないとどんどん鈍くなってしまいます。
4月 年度が替わり、新任・移動など新しい環境になります。外的要因は整えられています。
その中で、自らの感性・皮膚感覚を磨き直して、自分にとってのとき・今を見出していきたいと思っています。
2009/4/1
思いつくままに (2009/2月)
立春も過ぎ、暦の上では春になりました。
寒が明けたこの時季を、余寒(よかん)といい、寒中見舞いではなく、余寒見舞いというのですが、
確かに、例年通り、相変わらず寒い日が続いています。
それでも、ここ何年かは、地球温暖化の影響か、暖冬といわれ、比較的暖かな冬ですね。
特に今年は、”大暖冬”だそうで、水海道では、まだ雪らしい雪は降っていません。
鬼怒川河川敷の農道では、もうヨモギやオオイヌノフグリが目につき始めましたし、
このまま、スタッドレスタイヤのお世話にはならずに終わってしまいそうです。
インフルエンザの厄介にもならずにすむと良いんですがね。
2009/2/14
思いつくままに (2009/1月)
新年おめでとうございます
例年同様、いろいろなことがあった二〇〇八年が終わりました。
近頃は、余りにいろんな事がありすぎて、
物事をよく考えもしないで流してしまうことが多くなったような気がします。
それでも昨年、一寸気になったことは、
通り魔的殺人事件を起こした人間が、ほぼ一様に、『誰でも良かった』と言い、
そして、『誰も相手にしてくれな かった』と言っていることです。
人間関係の希薄さという事が言われて久しいですが、
一緒に何かをするとか、寄り添う、触れあうといった感覚を改めて 直し、求め、大切にしてゆく、
2009年は、そんな一年でありたいと思います。
二〇〇九年睦月朔日
2009/1/1