男声合唱組曲「青いメッセージ」

作詩:草野心平

作曲:高嶋みどり


指揮:吉川貴洋(学生指揮者)

ピアノ:西川秀人



1.月蝕と花火序詩

2.青イ花

3.婆さん蛙ミミミの挨拶

4.秋の夜の会話

5.サリム自傳

6.ごびらっふの獨白




−演奏会に寄せて−  高嶋みどり

 定期演奏会の御開催おめでとうございます。そして私の作品<青いメッセージ>を取り上げていただき、ありがとうございます。
 この曲は、1984年に早稲田大学グリークラブの委嘱で作曲し、山田一雄先生の指揮、ピュイグ・ロジェ先生のピアノで早慶交歓演奏会において初演されました。それから丁度10年後に、今度は貴団に歌っていただける事になり、とても嬉しく存じております。
 作品は6曲からなり、ア・カペラ<秋の夜の会話>を含む前半の5曲は死をテーマとしています。<サリム自傳>では、反戦を歌い、最後の<ごびらっふの獨白>は誕生あるいは生命の賛歌となっています。
 この曲を作曲して以来、今もなお自分自身を励まし続けている数行があります。その一つは“婆さん蛙ミミミ”が歌う、<地球さま。 ありがとう御座いました。>であり、もう一つは“ごびらっふ”の歌う<素直なこと。 夢を見ること。>です。
 久しぶりにこの曲の楽譜を開いてみて、この10年のいろいろな出来事を思い出します。そしてそれらが、走馬灯のように目の前を走り抜けていくようです。多分暗譜して下さっているワグネルの皆様も、これから出会う様々な困難に是非、<ばらあら ばらあ>果敢にと立ち向かっていかれることを願っております。
 最後になりましたが、コンサートの御成功を心からお祈り申し上げます。
1994.10.28


−「青いメッセージ」解説−

 草野心平は「蛙の詩人」と言われることがある。数的には、蛙を題材としたものは彼の全詩作のうち3分の1にも満たないのだが、草野心平の詩的特質が最も端的に見て取れるのは、やはり蛙の詩においてである。
 蛙の詩において、蛙と詩人との間には絶えず主客未分の混沌、混淆状態がある。詩人は蛙を明瞭に対象化することなしに、蛙を通して彼自身を幻想世界に投げ出すこと、また彼自身を通して蛙を人間の言葉の世界に呼び込むことに成功している。蛙の生きざま、つまり仲間の蛙、仲間でない敵である蛇、餌である虫、または天気や水温といった自然との交感、蛙の感情、生への不安、おののき、大歓喜、それらの全てが草野心平にとって憧れであり、共鳴すべき対象だった。

   


 
蛙はでつかい自然の賛嘆者である
蛙はどぶ臭いプロレタリヤトである
蛙は明朗性なアナルシスト
地べたに生きる天国である ”
     
(『第百階級』より)

 組曲「青いメッセージ」はそんな蛙たちの「生と死」を主たるテーマとしている。大きな自然の運行の遠近法の中で、蛙はその宿命に身を委ねるほかはなく、生と死は、流動し絶えず変化する大自然の、それぞれ特殊な曲面にすぎない。ひっそりと生きる蛙の内に潜む切ない胸と爆薬ともつかぬものの切なさ、激しさが音楽によってより印象的、音画的に表現されている。また「ごびらっふの獨白」においての蛙語は、詩として読む場合は、声に出して音読し、我々の奥深くにあってすっかり眠っている細胞が、ざわめき出し泡だってくるような、一種異様な感覚を味わうべきであるが、合唱とピアノが織りなすアンサンブルによって、蛙語は一層の躍動感を持ち、輝かしく謳歌した小宇宙を形成している。


−曲目解説−

1.月蝕と花火序詩

 組曲の「序」としての役割を持つ。聴き手は冒頭から、突如異世界に引きずり込まれるような感覚に襲われる。透明な和音の中での不思議な生命の隆起。月蝕や花火が青白い世界を演出する。今、我々と蛙の等身大の対話がはじまる。

2.青イ花

 ヘビに襲われた子蛙の回想。青い花に囲まれたあの世からの舌足らずの言葉が切なく胸を打つ。緩いテンポにもかかわらず、言葉の抑揚に合った旋律が施され、幻想的な雰囲気の中でも、リアリティーは失われない。

3.婆さん蛙ミミミの挨拶

 この詩から作曲者はブルースを思い描いた。驚くべき発想である。ここで歌う蛙は、人生を全うした蛙である。半ば以降、幾分感傷的になるが、暗さは微塵も見られず、インテンポのまま曲を閉じる。

4.秋の夜の会話

 寒い秋の空、土に帰らねばならない蛙達。土の中の寂しさ、再び春を迎えられるのかという不安。蛙達のすぐ後ろにまで死の影が忍び寄ってくるのだ。組曲唯一の無伴奏作品。

5.サリム自傳

 砲弾の音を模した攻撃的な伴奏に導かれ開始する合唱の明るい和音には、強烈なアイロニーが込められている。組曲では唯一現れる人間の世界である。ピアノ伴奏はもとより、合唱もしばしば打楽器のように扱われ、この上なく暴力的、破壊的な音画を形成している。強烈さが極まれば極まる程、空虚で無機的な世界が浮かび上がる。人間の浅ましい戦いの巻添えをくらったサリムは、コウモリに化けて空を舞い、人間を嘲笑うかのようである。

6.ごびらっふの獨白

 全曲「サリム自傳」とは対象的な作品である。導入部には「春殖」のテキストも用いられている。「蛙語」はもはや蛙の鳴き声ではない。草野心平の心の奥底に潜む根源語である。作曲者はキラキラと輝く音彩と軽やかなリズムによって、生命の謳歌を表現するにとどまらず、蛙の世界を地上から天上へと昇華させることにも成功している。また「日本語訳」の部分に入っても、蛙語をしばしば重奏させて、立体的な音楽を作っている。最後は宇宙の向こうに在ると言うべき「虹」が出現し、「ばらあら ばらあ」という祈りにも似た言葉を、力強く何度も唱えて、ダイナミックに曲を閉じる。


−第119回定期演奏会プログラムより−



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