劇的物語「ファウストの劫罰」
(La Damnation de Faust)

作曲:Hector Berlioz

編曲:福永陽一郎


指揮:畑中良輔

ピアノ:谷池重紬子、久邇之宣

独唱:西義一(メフィストフェレス)、笠井幹夫(ファウスト)



1.RONDE DES PAYSANS
  (農夫たちのロンド)

2.CHANT DE LA FETE DE PAQUES
  (復活祭の歌)

3.HOEUR DE BUVEURS
  (酔っぱらいたちの合唱)

4.AIR DE MEPHISTOPHELES
  (メフィストフェレスのアリア)

  CHOEUR DE GNOMES ET DE SYLPHES
  (地中の精と空気の精の合唱)

5.CHOEUR DES SOLDATS ET DES ETUDIANTS
  (兵士と学生たちの合唱)

6.SERENADE DE MEPHISTIOHELES
  (メフィストフェレスのセレナーデ)

7.LA COURSE A L'ABIME
  (地獄への騎行)

8.PANDOEMONIUM
  (悪魔たちの巣窟)

9.APOTHEOSE DE MARGUERITE
  (マルガリータの昇天)

  CHOEUR D'ESPRITS CELESTES
  (天使たちの合唱)


※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。



「真の愛を除いて、音楽に勝るものはない。音楽は真の愛と同様に 
私を不幸に陥れるだろう。しかし、私は生きぬくのだ。」
(Louis Hector Berlioz 1803〜1869)

−ベルリオーズについて−

 古今東西の大作曲家たちの中で、ベルリオーズは、一風変わった位置を占めている。革命的作曲家として認められ、世界中で愛聴され、その作品がしばしば演奏会場に響きわたるにもかかわらず、作曲家ベルリオーズとその作品に対する批評家たちの評価は対立し続けている。
 ベルリオーズの偉大さがその生前に十分認識されなかったのは、多くの場合、彼の作品の特異性ゆえであった。「音楽において独創的すぎるのは危険という見本」と、ベルリオーズ擁護派の音楽学者アーネスト・ニューマンも記している。ベルリオーズは、一般的にはフランス・ロマン派の確立者とされるが、ロマン派的傾向が見られるのは前期の作品、特に≪幻想交響曲≫においてであり、晩年の作品はより古典派的性格をもっている。
 その作風の変化は、実生活上の出来事を反映したものといえる。40歳まではきわめて多作で、批評家と聴衆双方を当惑させる新しい音作りに励む独創的な作曲家であった。ところかが、40歳以上は、自分が音楽聴衆からも批評家からも理解されないことに幻滅し、ニューマンの言葉を借りれば、「青年時代の彼が、何にもまして気にかけた聴衆や批評家の反応に無関心」になってしまったのである。
 ベルリオーズは旺盛な好奇心、巧みな構想力をもつ作曲家であった。その交響曲が高く評価されてきた一方で、彼自身が最高傑作と考えていた合唱曲やオペラは、見過ごされる傾向にあった。非伝統的な3曲の交響曲に加えて、3曲のオペラ、6曲の序曲、25曲の合唱曲、歌曲、独唱曲を作曲している。後年、作曲活動にかげりが生じた原因は、持病と、作品に対する社会の無理解に起因する肉体的・精神的苦痛にあったといえよう。彼の友人の記録によると、ベルリオーズは、みずからの才能が幻想にすぎなかったと思いこんだまま死んだという。


−ファウスト伝説−

 ファウストは伝説上の魔術師であるが、一説には、魔術を崇拝したルネサンス期の自然哲学者がその原型であるともいわれている。彼には生前からさまざまな噂がささやかれ、彼の突然の死がとりざたされるにいたって1つの伝説へと成長したのである。
 中世の教会は、「ファウストは悪魔と取引をして死んだ」として、その物語を積極的に広めた。教会は、人々が思想に目覚めることを恐れ、知識への渇望は、神をも恐れぬ冒涜と見なしていたのである。やがて、ヨーロッパ各地でいくつかの「ファウスト本」が出版された。最も古いものは、イギリスの劇作家クリストファー・マーロの『ファウスト博士の悲劇的生涯』である。その後、詩人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがファウスト伝説を2部構成の戯曲にまとめ、これによってファウストの名前と伝説は不朽のものとなった。ゲーテは、ファウストが“定め”に対抗したのは知識を欲したためであるとし、物語の解釈を裏返したのである。


−作品について−

 ベルリオーズは、そのゲーテの≪ファウスト≫を、24歳のとき(1828年)に、ジェラール・ド・ネルヴァルによるフランス語訳で読み、感銘を受けた。「この本を読んで、私は言い知れぬ感動をあじわいました。最初の第1頁から、この素晴らしい本は私を虜にしてしまったのです。私は、本を途中で置くことができなくなりました。食事の最中も、劇場にいるときも、そして街角でも、私はむさぼるようにして読み続けたのです。…私はこれに音楽を付けようという誘惑にどうしても逆らえませんでした。(『回想録』)」
 この翻訳は散文形式であったが、一部はバラードや賛歌といった詩の形式で書かれており、その部分を選んで作曲されたのが≪ファウストの八つの情景≫であった(1829年)。この作品は、9人の独唱と混声合唱、オーケストラから成り<作品1>として自費出版された。また、ベルリオーズは、この楽譜を丁寧な献辞を添えて老ゲーテに贈ったが、当時ゲーテの音楽顧問をしていた保守的なツェルダーが、否定的な意見を述べたため、ゲーテは、この作品を聴くことも、ベルリオーズに会うこともなく、3年後に死去している。
 その後、ベルリオーズは、この作品に納得がゆかず、楽譜を回収・撤回し、<作品1>という栄誉も他の作品に譲ってしまった。それはおそらく、彼自身が憑りつかれたように愛読した≪ファウスト≫という気宇壮大な物語に相応のスケールが足りなかったからであろう。それから16年後、≪ファウストの八つの情景≫は≪ファウストの劫罰≫として蘇る。全作の8つの場面もすべて採用され、しかもそのすべてが、連続性をもった1つの物語の中に組み込まれている。
 当初この曲は「演奏会形式によるオペラ」とされていたが、ここには、新しいオペラ形式を意図する彼の心中が示されている。結局、オペラでも交響曲でもなく“劇的伝承”としたわけだが、この“劇的伝承”とは、独唱・合唱・オーケストラによって演奏されはするが、舞台で上演されることを最終目的とはしない、いわば劇的要素の非常に強いオラトリオとでも言えるだろう。
 さらにこの作品の特徴は、台本の作成についても多くをベルリオーズ自身が行っていることである。そのため、極めてベルリオーズ的な作品となっている。例えば、グノーをはじめとする多くの作曲家がとりわけ力を注いだ「教会の場面」や「監獄の場面」をカットしたり、「ラコッツィ行進曲」を導入したいばかりに最初の場面を突然ハンガリーに設定したり、ゲーテの原作では救済されるはずのファウストを地獄に落としたり…。全20場のうち、ゲーテの詩句からの着想は、2場にすぎない。これに対して、ドイツの聴衆からは、ドイツ文学に対する冒涜だという批判も挙がった。しかし、もともとが伝承物語である「ファウスト」は、ゲーテ自身でさえ勝手に手を加えており、また、このような改作をしない限りベルリオーズの意図する効果は得られなかったであろう。
 ベルリオーズは、オーケストラを自由自在に操り、独自の書法を展開したが、合唱の使い方の巧みさについても特筆すべきものがある。合唱(特に男声)は、兵士・酒呑み・空気の精・学生・悪魔・焔の精霊・天使等々、いろいろな役柄を与えられている。合唱は、ファウストや、マルガリータや、メフィストフェレスの役に劣らない、重要な役割を与えられているのである。今宵演奏する、福永陽一郎先生の編曲による男声合唱版≪ファウストの劫罰≫は、その意味でも、ベルリオーズの才能を如実に反映するに足る、説得力あるものと言えよう。


−「ファウストの劫罰」あらすじ−

第1部 ハンガリーの平原

 老博士ファウストは、ただ1人、春の暁の平原に立ち、過ぎゆく「時」に思いを馳せる。そこに若い農民の男女が楽し気に歌いながら現れ、春の訪れを喜び、春の女神を讃えて踊る。第1曲目≪農民たちのロンド≫
 苦悩に悩むファウストは、農民たちの楽しみを嫉妬するばかりである。平原の別の場所へ移動すると、今度は軍隊が進軍してくるのに出会う。ファウストは、彼らの勇気と誇らかな態度に感嘆するが、栄光に対する渇望には関心がない。「ラコッツィ・マーチ(ハンガリー行進曲)」に合わせて軍隊は通り過ぎてゆく。

第2部 北ドイツのファウストの書斎

 ファウストは、春の平原の自然にも満たされず人生にも絶望し、毒杯を用意するが、なかなか飲み干す勇気が出ない。そのとき書斎の壁に教会の幻が浮かび、復活祭の歌が聞こえてくる。第2曲目≪復活祭の歌≫
 ファウストは、聖なる歌声に感動し、信仰を再び取り戻そうとする。そのとき突然、悪魔メフィストフェレスが姿を現す。幸福と快楽を与えようというメフィストフェレスの言葉にファウストは乗り気になる。彼らはたちまち空へ舞い上がり、瞬時にして、学生や兵士たちが集まって騒がしく飲んでいる、ライプツィヒのアウエルバッハの酒場に移動する。第3曲目≪酔っぱらいたちの合唱≫
  学生仲間に勧められて、ブランデルが「鼠の歌」を歌う。毒を盛られて哀れな死を遂げた鼠を弔い、学生達はアーメンをフガートで歌う。メフィストフェレスも学生に合わせて「のみの歌」を歌って皆を笑わせる。しかしファウストはこの場の雰囲気にも楽しめず、2人は立ち去る。
 今度はエルベ河のほとりにやってくる。メフィストフェレスは魅惑的な妖精の世界にファウストを誘う。第4曲目≪メフィストフェレスのアリア“ばらはこの夜花開く”≫≪地中の精と空気の精≫
 妖精たちの合唱で、眠りに誘われたファウストは、夢の中でマルガリータの幻影を見る。その後、目を覚したファウストはマルガリータをさがし求める。メフィストフェレスはファウストを彼女の寝台まで連れていこうと言い、折から兵士たちと学生たちが歌いながら町のほうへ歩いてゆくのに交じって彼女のところへと向かう。第5曲目≪兵士と学生たちの合唱≫

第3部 マルガリータの部屋

 マルガリータの留守に、ファウストはメフィストフェレスの手引きで彼女の部屋に忍び込み、その清楚な部屋に感動する。娘の帰る気配にファウストはカーテンの背後に隠れる。ランプをさげて帰ってきたマルガリータは、昨夜夢に見た恋人を思い出す。そして寝る支度をし、髪を結いながら静かに古いバラード「ツーレの歌」を歌い、眠ってしまう。メフィストフェレスは中庭で鬼火の霊たちを呼び集めて、眠っているマルガリータに魔法をかけるように命じる。それから悪魔的なセレナードで彼女の恋心を一層かきたてる。鬼火たちも一緒になってはやしたてる。第6曲目≪メフィストフェレスのセレナーデ≫
 鬼火たちとメフィストフェレスは姿を消す。ファウストはカーテンの後ろから進み出て、目を覚ましたマルガリータがそれに気付く。お互いの想いは燃え上がり、愛の2重唱となるが、母親が帰ってくるため、メフィストフェレスにせかされてファウストはマルガリータと別れる。しかし、時既に遅く、近所の人たちは娘の部屋に男がいたのを見てひやかしの歌を合唱する。

第4部

 マルガリータはファウストを思って、ひとり寂しく「ロマンス」を歌う。
 一方ファウストは、森の奥で「自然への祈り」を歌う。そこへメフィストフェレスが現れ、マルガリータが絞首刑になると告げる。彼女はファウストが訪れるときのために毎夜母親に眠り薬を飲ませ続け、ついに母親を殺してしまったというのである。ファウストはマルガリータを救うため、メフィストフェレスの言うままに契約書にサインする。それは、明日からメフィストフェレスに仕えるという契約書であった。
 2人は黒馬で、地獄へと走っていく。第7曲目≪地獄への騎行≫
 農民たちの祈りの歌が、サンタ・マリアからサンタ・マルガリータへと変わって、弔の鐘が鳴り、マルガリータの死が暗示される。恐ろしい幻影がファウストを追う。巨大な怪鳥の数々がその翼で彼にぶつかる。嵐が起こり、雷鳴とともに大地は裂け、ファウストは奈落へと落ちてしまう。第8曲目≪悪魔たちの巣窟≫
 ファウストは炎に焼かれている。悪魔たちはメフィストフェレスを勝利の座につかせ、地獄の言葉で不気味な呪文を唱え、地獄の餐宴を繰り広げる。
 地獄の場面は消え、地上に戻る。天国から天使たちの合唱が聞こえ、マルガリータの贖われた魂は、天使たちによって天上へと迎えられたのである。第9曲目≪マルガリータの昇天≫≪天使たちの合唱≫


−第119回定期演奏会プログラムより−



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