男声合唱組曲「ひたすらな道」

作詩:高野喜久雄

作曲:高田三郎


指揮:吉川貴洋(学生指揮者)

ピアノ:西川秀人



1.姫

2.白鳥

3.弦




−曲目解説−

 作詩者、高野喜久雄は、1927年、佐渡に生まれ、宇都宮農林専門学校を卒業した。敗戦の翌年から詩作を始めたが、初期の作品は全て焼き捨てたという。その後『荒地』に参加。木原孝一が「彼の詩の主題は、いつもひとつの存在論である」と言っているように、形而上的詩人として異色の存在である。作品は簡潔で、女性的な優しい言葉で構成されているが、つねにきびしく絶対を、本質を、自己の存在を問いつづけており、ときに禅の求道精神を思わせるほどである。主な詩集としては、『独楽』『存在』『闇を闇として』『高野喜久雄詩集』がある。
 作曲者、高田三郎は、1913年、名古屋に生まれ、東京音楽学校作曲科を卒業した。信時潔、クラウス・プリングスハイム、ヘルムート・フェルマーに師事している。出世作『山形民謡によるバラード』をはじめとする管弦楽曲、室内楽曲の他に、歌曲、合唱曲の分野にも作品が多い。しかし、男声合唱曲は、混声・女声に比べて、作品数も演奏される機会も少なく、今日では、『戦旅』『水のいのち』などがときおり歌われるにすぎない。作風は地味で、表面を華美に飾り立てることを一切しない反面、どの曲にも、言葉を通して人間の内面性を追求していこうとする姿勢が貫かれている。
 「ひたすらな道」は、混声合唱曲として作曲され、「弦」は1975年8月24日、東京放送合唱団(NHK放送)により、「姫」「白鳥」は1976年2月21日、盛岡コメット混声合唱団によって初演された。1977年には女性版が出版され、以来両版とも数多くのコンサート・コンクールで歌われている。
 男性版は、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の委嘱によって編曲され、1981年12月12日、第106回定期演奏会において、同団によって初演された。

1.姫

 そむかれて狂乱し、池になった姫。その岸で、「出来れば池になりたい」と思いつめる私。苦笑いしてその山道を下る私の中に、さっき投げた小石が沈んでゆく…。私は池になれるのだろうか。

2.白鳥

 我々は、或いは高みからの呼び声により、或いは自らの目標に従って、土地から、事物から、人から、また、ある精神状態からの別れをしばし経験しなければならない。しかし、血みどろになってとび去って行く白鳥も、結局は行為の円還性から離れることはなく、春の湖にまた戻ってくる。

3.弦

 いくら求めても遂に答えの出せない「人」の願い。聴力の限界を超えた力で張られ、もはや音として誰の耳にも聞こえてこない非常な高さを持った弦。そのいのちこそ自分のいのちとしたいとの願いである。


−第18回早慶交歓演奏会プログラムより−



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