「イタリア古典歌曲集」

作詩:G.B.Guarini 他

作曲:Giolio Caccini
   Glaudio Monteverdi
   Alessandro Scarlatti
   Marco antonio Cesti
   Alessandro Scarlatti
   Georg Friedrich Hendel

編曲:北村協一


指揮:西義一

エレクトーン:小林由佳



・Amarilli
 (アマリッリ、うるわしきひと)

・Lasciatemi morire!
 (私を死なせて)

・Gia il sole dal Gange
 (陽はすでにガンジス川から)

・Tu mancavi a tormentarmi
 (お前は私を苦しめることは無かったのに)

・Le violete
 (菫)

・Ombra mai fu
 (樹木の陰で)


※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。



−古典イタリア歌曲について−  畑中良輔

 古典イタリア歌曲は、今までは、むしろ聴かれることよりも、歌われることの方が多かった。と云う意味は、声楽の学習のための絶好の教材であったということである。
 声楽を学ぶ人で、これら古典イタリア歌曲を通らなかった人はおそらくいない事だろう。日本では、コールユーブンゲンという読譜の基礎がすみ、発声の教材としてコンコーネ50番も中程になってくると、たいていの声楽教師は、これらの古典歌曲の中から"Nelcor pir"か"Calo mio ben"のような、初学者にとっつきやすい(実は至難の曲だが)曲を生徒に与えるようである。生徒はこれらの曲を、メロディをたどりながら、発音をローマ字のように、よちよちと読みくだし、歌の内容などわからないままに歌って行く。しかし初学者のころは、このイタリア歌曲の持つ古典的な、比類のない美しさや、素朴さなどについての理解も共感もないのが殆どのようである。こうして「イタリアン・ソング」とは、無味乾燥で、まるでお経みたいなものだと思う人も出て来るわけで、むしろこんなつまらない古典歌曲よりも、甘美な情感にあふれる「トスティ歌曲」などの方に惹かれる人が多いのも、一面頷けなくもない。
 これらの古典歌曲の持つ美しさを感得するためには、相当の年月が必要である。古典の持つ様式感がわかりはじめて来ると、その音楽は、実に様々なことを、われわれに語りかけてくれているということを、感じる筈なのだ。一見何の劇的な山場もなく、平坦な表現のように見えても、古典としての“語法”を会得した者には、実におもしろくてたまらぬほどの“語りかけ”がそこに用意されているのに気づくのである。
 これらの古典歌曲にあっては、それぞれが、その時代の様式に支えられているので、自己の感情におぼれて、気ままな表情をもって歌うことは許されない。おおげさな抑揚や、緩急、思い入れたっぷりなリタルダンド、アッチェルランドなどは、ロマン派の音楽にはふさわしくとも、これらの古典歌曲にあっては、まことに不似合な表現法となるのである。あくまで簡潔に、素朴に旋律を浮かび上がらせる声の技術の訓練をも、これらの歌曲は要求しているし、節度ある表現法こそ、歌の基本的な訓練にあって、大切なものであると教えている。感情を露出させることが、歌の表現法だと、しばしば勘違いさせるこの頃、過度な表現をいましめる歌唱様式は、古典のみならず、最近はロマン派のものにさえも及ぼしている現状である。
 これらイタリアの古典歌曲群は、<うたのいのち>ともいうべき<原点>である。ここを出発点として、各国の歌曲やアリアを遍歴し、何年か経ってこれらの古典歌曲をふりかえる時、はじめにお経のように思えた歌曲たちが、何にもまして、宝石のような純粋な光を放っていることに気づくであろう。
 この「古典イタリア歌曲集」は、そのすべてが純粋に歌曲として作曲されたものではなく、当時のオペラのアリアや、ソロ・カンタータ、マドリガーレなどの中から選び出されたものである。また、これらの曲の数々は、原作そのままの姿ではないということを頭に入れておく必要がある。通奏低音で書かれた作品は、それを実際の演奏にするための編曲者が必要となるのである。
 そこで、古典歌曲に対する歌唱様式も変わって来るのは当然で、昔のジーリやスキーバなどのイタリアの名テノールが、余韻嫋々とロマンティックな節回しで歌った古典は、今や過去のものとなっている。音符に書き込まれた表情記号その他は、原作には殆どないものと思って差し支えない。

Amarilli アマリッリ、うるわしきひと
・作曲者:Giolio Caccini 1546-1614

 カッチーニの曲の中で最も愛されてきたマドリガーレである。憂愁をおびた旋律と歌詞の気分の見事な一致は、オペラを創始し、歌唱様式の理論を確立した人だけに、さすが完成された典型を見るようだ。

Lasciatemi morire! 私を死なせて
・作曲者:Glaudio Monteverdi 1567-1643

 イタリア古典の作曲家の中で、最も劇的な手法を用いたモンテヴェルディの作だけあって、この短い曲にも、この劇的な迫力は、他の追従を許さぬものがある。4小節目の lasciatemi morire ! の半音階的進行と、大胆な和声進行は、当時まったく新しい革命的な手法だった。曲はLentoで、大きなスケールで、すべてを諦め、死にこそ救いがあるといった一つの悟りの世界を描いている。

Gia il sole dal Gange 陽はすでにガンジス川から
・作曲者:Alessandro Scarlatti 1660-1725

 オペラ「愛のまこと L'honesti negli amori」(1680年)または「ポンペオ I Pompeo」(1683年)のいずれかのアリアであったといわれている。対位法的に書かれたピアノの部分が、さわやかな日の出をあらわし、活き活きとした気分を表現している。
 当時このカンツォネッタはすこぶる好評だったと伝えられている。歌詞は二節からなり、それぞれの節がA-B-Aの形に曲付けされている。
 当時イタリア人たちは、太陽が昇るとき、憧れをもっている東に位置するインドのガンジス川から昇るように考えており、したがってこの詩には、大きな憧れ、夢、希望がこめられている。

Tu mancavi a tormentarmi お前は私を苦しめることは無かったのに
・作曲者:Marco antonio Cesti 1620-1669

 何よりもチェスティはメロディストである。これほどの流麗な旋律を書いた人は古今そんなにはいない。人の心を惹きつけてやまない抒情の世界がチェスティにはあり、その純粋な抒情の結晶がこの歌曲の中で美しくひろがっている。

Le violete 菫
・作曲者:Alessandro Scarlatti 1660-1725

 オペラの“ピロとデメトリオ Il Pirro e Demetrio”からのカンツォーネで、このオペラ全曲は今日上演されないが、優美で絵画的効果を持つこの曲は、20世紀の今日、全世界で愛唱されている。殊にデ・ロスアンヘレスやペーター・シュライヤーの愛唱曲ともなっている。イタリア・バロック歌曲の名品というべきだろう。露に濡れて薫るすみれ、葉陰にひそむように咲く内気なすみれと、青年のあまりに野心的な望みとが、ひとつの対照として描かれる。

Ombra mai fu 樹木の陰で
・作曲者:Georg Friedrich Hendel 1685-1759

 この曲は、古代ペルシャの王セルセ(クセルクセス)の恋を扱ったオペラ『セルセ』(1738)の第1幕冒頭で、セルセによって歌われるアリア。そのおおらかな親しみやすい曲想ゆえに様々な形に編曲もされ、“ヘンデルのラルゴ”(本来はラルゲット)としてよく知られている。ヘンデルの時代は、男の役をアルトがする習慣があったので、元はアルトのための曲であるが、今では声種に関係なく歌われる。


−第43回東京六大学合唱連盟定期演奏会プログラムより−



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