「さすらう若人の歌」
(Lieder eines fahrenden Gesellen)

作曲・作詩:Gustav Mahler

編曲:福永陽一郎


指揮:畑中良輔

ピアノ:谷池重紬子



1.Wenn mein Schatz Hochzeit macht
  (いとしい人が婚礼をあげる時)

2.Ging heut Morgen uber's Feld
  (露しげき朝の野辺に)

3.Ich hab'ein gluhend Messer
  (灼熱せる短刀をもて)

4.Die zwei blauen Augen von meinem Schatz
  (いとしい人の二つの青い瞳)


※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。



−マーラーが友人フリードリヒ・レーアに宛てた手紙−

「親愛なるフリッツ! 今日、元日の朝、僕のまず初めの思いを捧げよう……。僕は、ゆうべ、ひとり彼女のそばに坐って、僕達はほとんど口をきかずに新年がやってくるのを待っていた。彼女の思いはそこに居合わせた僕に向けられてはいなかった。そして鐘が鳴り、涙が彼女の目から流れ落ちたとき、その責任はあまりにも恐ろしいことに僕にあると思われたので、僕は、僕はその涙を拭いてあげることができなかった。彼女は隣室に行き、しばらくのあいだ窓辺で黙って立っていた。そして彼女がまだ泣きながら戻ってきたとき、名状しがたい苦しみが、永久になくならない隔壁のように、僕達のあいだに据えられたのだった。それで僕は彼女の手を握りしめ、そして出てゆくことしかできなかった。僕が玄関のところにきたとき、新年を告げる鐘が鳴り、塔からはおごそかなコラールが響いてきた。……僕は夜通し、夢の中で泣きつづけた。……僕は歌曲集をひとつに書いたが、さしあたって6曲で、これらはみんな彼女に捧げられたものだ。彼女はこれらの歌曲を知ってはいない。しかしこれらの歌は、彼女の知らないことは何ひとつ歌ってはいない。……これらの歌曲は 、運命にもてあそばれたひとりの若者が、今や世間に出て行き、そしていずこともなくさすらうといったようにまとまりをもって着想されている。」(1885年1月1日付け、フリードリヒ・レーア宛)
※…現存しているのは4曲。


−歌曲集「さすらう若人の歌」−

 マーラーは23歳のとき(1833年)に、カッセル宮廷歌劇場の補助指揮者となり、劇場つきの女優・歌手ヨハンナ・リヒターに思いを寄せ、失恋した。これらの歌曲は、彼女に捧げた青春の情熱の形見とも言うべきものであったが、この歌曲集のメロディーは、1885年にピアノ伴奏版が完成した後、交響曲第1番に流用されている。さらに、交響曲を作曲することで身に付けたオーケストレーションの技法を、今度は≪さすらう若人の歌≫を管弦楽化する際に応用している。歌曲と交響曲。この極小と極大の間を渦巻く混沌こそ、新しい音楽を生み出す母体であり、歌曲集≪さすらう若人の歌≫は、この未来への予感を感じさせる胎動である。


−最初のマーラー体験−  畑中良輔

 私の最初の≪マーラー体験≫は昭和十五年、十八歳。東京音楽学校入学直後である。友人が「大地の歌」のレコードを入学祝いに貰ったというので、同級の中田喜直君らと彼の家に押しかけたのである。モーツァルトとベートーヴェン体験しかなかった私にとって、ワルターのこのマーラーは何という衝撃だったろう。
 果てしない暗黒の宇宙に、たった一人放り出されたような不安とおののきの中に、繰り返される李太白の詩。Dunkel ist das Leben, ist der Tod.(生は暗く、死もまた暗い)の三度目の個所に来た時、不覚にも私の頬に涙がしたたった。この世にこんな音楽が存在していたとは! この日のことを私は一生忘れることはないだろう。音楽が人生を変えるというと、如何にも大げさな云い方にきこえようが、私の最初のマーラー体験は、確かに私の人生を変えたのだ。
 今日の「さすらう若人の歌」で人生が変わるだろうか? Nein, nein. 私の未熟な棒ではとてもそうはいくまいが。
[第18回早慶交歓演奏会プログラムより転載]


−曲目解説−

1.いとしい人が婚礼をあげる時

 テキストは『角笛』民謡詩集から借りているが、大幅にアレンジしてある。3部形式をとり、第1部では声は抑えた悲しみを、ピアノ伴奏は千々に乱れる心をあらわしている。中間部は長調になり、若者は自然の中に逃避しようとするが、第3部でまたもとの悲しみが抑えられず戻ってくる。

2.露しげき朝の野辺に

 この第2曲目から終曲までのテキストはマーラー自身の手による。ここではドイツ・リートに伝統的なさすらいのリズムが響き出て、一見若者の気持ちを引き立てている。後は可憐な釣鐘草の鈴の音を鋭敏に聞き分け、美しい自然に自分を懸命に合わせようとする。「晴れ晴れした世界じゃないですか」と問う若者は、すがる期待のうちに息詰まるほどの緊張を心に秘めている。だが最後のコーダでそれも空しい願いだとわかる。

3.灼熱せる短刀をもて

 曲は心の激しい動揺を表すモティーフで進行し、「ああ、この痛さ(o weh)!」という叫びが反復される。一方中間部では恋人の「青い目は」解き明かせぬ世界の謎として空に浮かび出る。マーラーの愛の苦しみの個人的体験はここで世界それ自体の謎の認識へと発展している。

4.いとしい人の二つの青い瞳

 3部形式をとり、第1部は、真夜中に恋人と決別するさすらいのリズムで始まる。それは葬送行進曲の重い足取りと重なり、死の雰囲気を漂わせているが、慰撫的な響きも失っていない。第2部では声のメロディは第1部をなぞりながら転調し、ピアノ伴奏はやや意志的な歩みを開始し、心理の変化を暗示する。心は不安定に揺れ動きつつ、第3部でさらに転調し、滅びの美に惑溺することの喜びを発見する。死の不安を秘めたこの眠りのイメージには比類がない。


−第119回定期演奏会プログラムより−



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