「Naenie(哀悼の歌)op.82」

作詩:Friedrich von Schiller

作曲:Johannes Brahms

編曲:北村協一


指揮:柴田裕一郎(学生指揮者)

ピアノ:黒澤紀子


※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。



−Naenieとギリシャ神話−

 “Naenie”とは、古代ローマの<Naenia>から来ており、人の死に対する哀悼の歌として歌われていた。シラーは、挽歌の形式で作詞しているが、その詩の中身は、慰めを分かち与えるのみでなく、死をも乗り越えて生き続ける使命を持った芸術を讃えるものとなっている。古代ローマの時代、「死」は眠りの兄弟であり、哀悼の歌は、死んだ者の生命の浄化を歌っている。
 内容的には、美しきもの、完全なるもののはかなさが、死すべき運命を背負った3人の偉大な人間を例として示されている。その各々の話はギリシア神話に由来している。

1.オルペウスとエウリュディケ

 竪琴の名手オルペウスは、森の木の妖精エウリュディケと結婚した。しかし、その婚礼の最中、毒蛇が妻を噛み殺してしまった。オルペウスは、死んだエウリュディケを探し求め、ついに黄泉の国への入り口を見つけた。彼は、得意の竪琴と歌声を披露し、地獄の番人たちを魅了して、難なく地界へと入っていく。そして、また、地界の王ハデス夫妻もその歌声に心を動かされ、エウリュディケをオルペウスに返すことになった。ただし、王は、「太陽の光を仰ぐまで、妻の方を振り返ってはいけない」と言う。しかし、オルペウスは不安のあまり後ろを振り返ってしまう。すると、たちまちエウリュディケは地界へと引き戻されてしまったのである。

2.アドニスとアフロディテ

 美少年の象徴とされるアドニスを、息子キューピィドゥのいたずらから愛してしまった愛の女神アフロディテは、アドニスが自分のことを振り返ってくれないことが気にかかって仕方ない。そのアドニスの関心は、もっぱら狩りにあった。ある日、アドニスは、獰猛なイノシシを繁みに追い込んだ。ところがそのイノシシは、突然向きを変え、牙でアドニスを刺し殺してしまう。女神は慌てて地界の王に、彼の命を返してほしいと頼むが、これは許されなかった。

3.アキレウスとテティス

 ギリシアの武将アキレウスは、「アキレス腱」の語源となっている。母親である女王テティスは、生まれたばかりのアキレウスを、身を浸せば不死の肉体を得られる冥府の河の水につけた。しかし、女神は、子供の足首を持っていたため、その部分だけが水に触れず、アキレウスの弱点となったのである。さて、アキレウスと言えば、トロイア戦争での、ヘクトルとの対決が有名だろう。友人を殺した仇の敵将ヘクトルを討つ名場面である。しかし、その後、アキレウスは奢り高ぶってゆく。ついに神々の怒りに触れ、トロイア人を追ってスカイア門のそばまでゆくと、そこでアポロンの放つ矢によって足首を貫かれ、息絶えてしまう。


 ブラームスは、友人の画家アンゼルム・フォイヤーバッハの死に際して、シラーのこの詩に作曲した。フォイヤーバッハは、ドイツ後期ロマン派に属していたが、常に古典を重視し、自分自身の人生を、古典古代に対する「勝つ見込みのない戦い」と表現している。このような考え方は、ブラームスの作曲家としての姿勢と一致しており、2人が意気投合したことは疑いない。
 作曲に際して、ブラームスは、シラーの詩の賛美的な部分を最後に反復して曲を閉じることにした。この「愛する者の口で哀悼の歌が歌われることもすばらしい」という句は、ブラームスにとって、そして、音楽という芸術を愛する者ならば誰でも共感を覚える句であろう。


 音と詩の美しさによって、おそらく
  ≪哀悼の歌≫は、彼のもっとも優れた作品である。
       (マルコム・マクドナルド/ブラームス研究家)


−第120回定期演奏会プログラムより−



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